府工歴史ギャラリー
[62] 溶接実習で何やら奇妙なものをつくっているぞ
昭和18(1943)年に入り戦局はいっそう厳しいものとなり、兵器増産 が叫ばれ、労働力の不足を解決するため、勤労奉仕にかわる非常時 の国策が打ち出され、学校教育の機能は事実上停止状態となった。 ○20歳以上学生の兵役免除が撤廃される。 ○徴兵年齢が1年引き下げで19歳となる。 ○1944(昭和19)年3月に中学生の勤労動員が決定。 ○同年8月、大都市の国民学校生徒(小学生)の集団疎開が始まる。 以上のような中で、府工生の動員先をまとめてみると、 工業化学科=湯浅電氣 大日本セルロイド 田中スポーク 金属工業科=旭内燃機 島野鉄工所 日本軽金属 日本伸銅 三宝伸銅 機械科=久保田鉄工所 中島飛行機 旭内燃機 電気科=島野鉄工所 (以上いずれも当時の名称) 指定された校外の軍需工場に動員された他、府工の実習工場で、 久保田のトラクターに使う部品の生産をした。昭和19年秋から戦争が 終わるまで続き、主に2年生が参加した。 写真は、溶接板金工場内で、溶接実習の助手の先生が、分離器の部 品を溶接しているところ(「勤労動員」とは無関係)。 |
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