新たな生活を前に、歴史を考える

全国で出されている緊急事態宣言が、解除される運びとなりました。

日本や世界の各地で、新たな日常が少しずつですが始まろうとしています。

新型コロナウイルスの最初の症例が中国の武漢で確認されたのが、昨年の11月末。

その当時の世界各地の報道は、「対岸の火事」という言葉がぴったりと当てはまるような報じ方だったように思います。

それが数カ月を経て、全世界を未曽有の混乱に陥れ、日本においても人的・経済的に本当に大きな影響を及ぼすにいたりました。

歴史に刻み込まれる事態を、皆さんは今まさに経験をしているのです。

しかし、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のかもしれません。

今のこの緊急事態を、10年後、20年後に生まれる子どもたちは、入試勉強として丸暗記することになるのでしょう。

多くの命が失われ、多くの人々の生活や人生を混乱させたこの事態も、後の時代を生きる人々にとってみれば、ただの面倒くさい暗記事項になってしまうのかもしれません。

先週末、感染症を専門に取り扱う病院に勤務する看護師さん(私の教え子です)と少し話をする機会を得ました。

現在の混乱の最前線にいる彼女は、精神的も身体的にも疲弊して、やり場のない気持ちを涙ながらに私にぶつけてくれました。

話を聞くことしかできない私は、ただひたすら彼女の話に耳を傾けながら、その苦しみに涙するしかありませんでした。

戦争をはじめとするさまざな苦しみも、歴史として記されれば「過去の出来事」になります。

今の苦しみを将来の人々に語っても、それはただのつまらないお説教でしかないのでしょう。

それでも私たちは、歴史に学び、歴史を伝えていかなければならないのだと改めて思います。

コロナ禍で、カミュの『ペスト』が再評価されたり、大正時代のスペイン風邪への対応が改めて注目されたりしています。

感染症対策を念頭においた「新たな生活」が始まる今だからこそ、歴史の中に生きる私たちの責任として、歴史に学び、歴史を伝えて、忘れない努力をする必要があるのではないでしょうか。

いつかまた、私たちは忘れて、誰もマスクをしない日常がやってくるのでしょう。

この新型コロナの混乱に陥る前のように......

そうならないように、この機会に改めて「歴史」に思いをはせてみてはいかがでしょうか。