野崎観音周辺
◎野崎観音(慈眼寺)
江戸時代の「野崎参り」で有名な曹洞宗の寺だが、もともとは行基の創建と言われ淀川沿いにあった。平安時代に西行との歌詠みで有名な江口の君(江口の君堂は大阪市東淀川区にある)がこの観音に参って病気が治癒し、感謝を込めて元の門真の地から現在の地に移したと言われる。戦国時代に焼失したが後に再建、江戸時代の賑わいとなる。近松門左衛門の心中ものに登場する「お染め・久松」の塚も境内にある。
◎東高野街道
京都と高野山を結ぶ街道。鳥羽より八幡、洞ヶ峠を越えて河内に入り、飯盛・生駒や魔の山麓を南下、河内長野で西高野街道と合流し、紀見峠、橋本を経て高野山に至る道である。昔、京都の公家たちは伏見から船に乗って西下し住吉大社から上陸したのに対し、多くの庶民はこの街道を歩いて南下したという。特にこの付近は飯盛山と深野池に挟まれた隘路で南北の交通路はこの道しかなかった。
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