8月1日(木)、本日より8月となり夏休みも半ば。今回は『寝屋川市史』(写真は寝屋川市史より写真38河北高等女学校)における本校の記述からの抜粋です。「河北高等女学校の成立と展開 ...明治42年12月6日に門真村外7ヶ村学校組合河北高等女学校として設立が許可...明治43年4月18日門真村外14ヶ村学校組合立として門真村で授業が開始...対象9年に現在の寝屋川高校高知に移転...」「高等女学校の雰囲気 ...特徴の1つは和歌に特に力を入れた得得の女子教育...「野崎小唄」や「日本よい國」の作詞を行ったことで有名な歌人の今中楓家渓である...『校友会誌』19号には、女性は今や全く社会の人となったとし、労働・芸術の分野への女性の進出を述べ貴い女性の転職を守りながらの生涯に渡っての学習の重要性を説いている。...女子バスケットボールは盛んで、昭和6年秋の府大会では優勝している...寝屋川高等女学校は多数の卒業生を排出しながら市域における学術・文化の中心であったのである。...高等女学校が当時女性にとっての事実上の最高学府であり、周囲の期待もあつめ、また教員・生徒にも相応の自覚があったことによるものだろう。」「戦争の影響 ...昭和17年には府内の師範学校・高等女学校11ヵ所に臨時教員養成所が設置...三ヶ月の促成教育で教員となることを要請され、寝屋川高等女学校にも寝屋川臨時教員養成所が設置されている」「新制高等学校 ...昭和23年4月寝屋川高等女学校の後身として寝屋川高等学校が開校。5月に四條畷高校とのあいだで一定数の男子生徒と女子生徒の交換を行い、男女共学となった。...女学校時代から学校新聞を活発に発行し、男女共学への姿勢などについて真摯な議論が交わされている」とあり、女子校の伝統を受け継ぎつつ、新たな時代への即応の歴史を感じさせるものです。