何とか家から一歩も出ずに済んだGW

 何とか家から一歩も出ずに済んだGW中に、積読を解消しようと励んでいましたが、高校2年生の時から積み上げ始めた塔が低くなる気配は全くありません。

 高校2年の時期に、一度だけ自分の買っていた本が無くなりそうになった時がありました。その時に「焦り」を感じて、一気に15冊くらいを買い込み、その後もテンポよく本・漫画を積み上げることで何とか塔が無くならないように抵抗した結果、無事積読を維持することができました(前に紹介した『迷探偵ガンジー』はその時期あたりに買った本で、つまりは10年ほど本棚に眠っていたわけです)。その時は満足していたのですが、それがあまりにも向こう見ずな行為だと分かったのは大学に入ってから、身に染みて分かったのは引っ越しの時です(書籍だけで20箱くらいあったのは、本当に辛かった......)。

 あの時に感じた「焦り」は、「自分の好きなものが無くなってしまうのでは......」という気持ちだったように思います。自分の買った本が無くなるということは、自分が溜めてきた「好き」の対象が無くなってしまうことだと思い込んでいたのでしょう。「好き」という気持ちは、自分という人間を決めるときにとても役立つ感じがしますからね(高校2年生とは、ちょうどそんな時期だったんでしょうか?)。

 ......でも、これがまた意外?なことに1年や2年で「好き」は移り変わるもので、積んでいたものへの興味というのは、結構簡単に薄れます。「積読の塔」を解体していると、「何でこんな本・漫画を買ったのだ?」と赤面したくなるようなものに出会うこともあって、そんな時に、自分の興味・関心は昔とは違う所にあるのだなと実感するわけです。

 「好き」にこだわるのは良いことには違いないのでしょうが、「好き」に振り回されることもよくあることです。「嫌い」に振り回されている時にはすぐ気づきますが、「好き」に振り回されている時には、案外気づけない点もタチが悪いですね。

 最近、時間が経つのが早いですね。今日はお昼ご飯を食べていないことに気づきました。今からいただきます。

 それでは、また次回。