きょうからいよいよ文化祭(前)週間にはいりました。きのうもおとついもクラスやクラブによっては登校して、準備をおこなっていましたが、今日からはどのクラスも14日(金)の校内文化祭、15日(土)の一般公開日にむけてスパートです。がんばりましょう。さて、きのうとおとついの2日間、わたしの地元で「綱(ちな)・ちゅら・エイサー祭り」がありました。わたしは生まれてからこれまでずっと大阪市の大正区にいます。中学校のころに大正区の歴史に詳しい数学の先生がおられて、大正区内の歴史的建造物や記念碑をまわった記憶があります。いまではめずらしくなった赤レンガ倉庫はあちこちにありました。近所の公園には「近代紡績発祥の地」と刻まれた石碑が今もあります。わがやの氏神さん(神社)の境内には木津川の運河を開いた北村勘介という人の大きな石碑が残っています。すこし話がそれましたが、大正区には沖縄出身者やその家族がたくさん住んでおられます。大正区は今年、区制80年の年です。それに沖縄本土復帰40年が重なるということで、きのうとおとついの2日間、「綱(ちな)・ちゅら・エイサー祭り」がおこなれました。これまでも毎年おこなわれてきた「エイサー祭」に加えて、沖縄・三大綱引きのひとつ「与那原大綱曳」(よなばるおおつなひき)がおとつい大正区の千島グランドでおこなわれました。与那原町での本番で使われたふたつの大綱をかついでグランドを練り歩いたあと、大綱同士の先端を結んで東西に分かれた約1400人で引き合いました。大綱は計90メートル、最大直径2メートル、重さは2トンにもなるとのことです。観衆は1万人以上いたと報じられています。わたしのすぐ横にはNHKのカメラがきていました。あらかじめ新聞などでも報じられていましたのでほんとうにたくさんの方がこられていました。事前に行事を紹介している朝日新聞の記事によると、今回の大綱曳の開催にあたっては、大正区で私設図書館「関西沖縄文庫」を主宰する金城馨さんが筋原章博大正区長とともに与那原町を訪れ、与那原町の古堅町長に依頼したとのことです。わたしは幼いころからまわりに沖縄出身の方がたくさんおられ、それがあたりまえのように育ちました。しかし、残念ながら沖縄出身の方への就職などでの差別があったことも知っています。新聞の記事のなかで金城さんの思いを次のように紹介しています。「(略) そして今回。沖縄人と本土人が一緒に綱を引くことで、自らの歴史や文化を学び、お互いの違いや溝を見つあってほしい、と考える。『違いを認めつつともに生き、街を作っていく一歩になれば』と話す。」わたしにとってもわがまちを考えるいい機会になりました。