中国方正県訪問記 2000年8月5日〜9日

                       大阪府立門真高校 O・Y

 

1.訪問に至る経過について

 当初、方正県に帰った元門真高校の生徒

たちと会うため、O個人が方正県に行く計

画を立てたが、せっかくの機会であるから

方正県の学校をついでに訪問できないもの

かと考え、門真市在住の中国帰国者である

Iさんに相談したところ、快く引き受けて

いただいた。

 Iさんの父親がかつて方正県第三中学の

校長をしており、また、親戚の方にも教育

関係で働いている方が多いようであった。

 こちら側からは、あくまでも個人的な訪

問であることを前提に話をし、またIさん   方正県の町並み

もそのことを承知の上で中国側と折衝し、

訪問する学校は第一中学(高級中学、日本の高校に相当)、第三中学、第二小学校と決定した。また、計

画が進行する中で、中国側から、教育委員会代表が出席する歓迎会を開きたいという申し入れがあった。

そのために「訪問団」の形を取りたいということであったが、実質的にはO個人とKさん(門真高校日本

語指導員)、そしてIさんだけであったが、歓迎会には人を揃えたいということであったので、先に方正

県に一時帰国していた門真高校生徒にも歓迎会のみの出席を頼んだ。また、ちょうどこの時期に重なって

方正県を訪れていた方にも歓迎会への出席をお願いした。

 訪問団の名称が必要であるというので、関係者が門真地域の人たちで構成されているので、「門真教育

訪問団」と名付けることにした。

 中国側で、学校との折衝や日程の調整にあたっていただいたのは、元教師で現在は公安局に属し残留孤

児関係の仕事もされていたWさんと第三中学の教員であるWさんで、どちらもIさんの親戚である。

 (中略)

 …学校訪問は、十分すぎるほどの歓迎を受け、後述するように、中学校、小学校では日本から帰国した

子どもたちを集めていただくなど、予想以上の成果があったと思う。

 方正県の政府や教育委員会を通さず、直接(いきなり)学校を訪れるという方法も考えられるが、この

ような方法では、今回のように多くの子どもたちと会う機会には恵まれなかっただろうと思われる。

 なお、歓迎会には、中国側から次の方々が出席された。

 方正県人民政府副県長、教育委員会主任、教育委員会副主任、第一中学校長、第三中学校長、外事僑務

辧公室主任ほか。

 副県長さんらの話によると、方正県からは1万人以上の残留日本人が帰国した。1980年には方正県

代表団が日本を訪問しており、年間30回ぐらい日本からの訪問団が方正県を訪れるが、門真市の名前は

これまで聞いたことがなかったと、歓迎会出席者の方々はおっしゃっていた。

 方正県の学校は、第一中学(高校に相当)、第二・第三中学、第一〜第五小学校がある。

 

2.訪問の日程

 8月5日(土) 午後 歓迎会

 8月6日(日) 午前 第一中学(高級中学、日本の

            高校に相当)訪問

            学校関係者(学校長、教員と

            意見交換)

         午後 第一中学生徒との懇談

            校内見学

 8月7日(月) 午前 第三中学訪問 学校関係者

            (学校長、教員)及び日本か

            ら帰国した生徒との懇談      方正県で一番高級なレストラン。

         午後 第二小学校訪問 学校関係者    その名も『銀座酒楼』

            (学校長、教員)及び日本か

            ら帰国した児童との懇談

 8月8日(火) 日中友好園林訪問(日本人公墓、養父母の墓)

 

3.第一中学


 

 

 

 

 

 

 

 

                          玄関を入ったところ。スローガンが掲げてある

熱烈歓迎(第一中学玄関前)

 

*教員との懇談には学校長以下12名の教員が出席。

*第一中学は、方正県唯一の後期中等教育機関(日本の高校に相当)。1952年に設立され、現在教員

 90名、生徒867名。敷地4万u、建物1万2000u。

 生徒の3分の1は寄宿舎で生活(遠方に家があるため)。

*一日の授業は11時限目まである。 午前7時に登校し自習。7時40分から1時限目が始まる。昼休

 み(たいていは家に帰って食べてくる)を挟んで16時10分に7時限目が終了。夕食後、18時30

 分から21時05分まで授業がある。

*外国語の授業;英語選択者が生徒の90%、ロシア語は10%。これは中学校で履修した外国語科目に

 よって決まってくる。

 1984年まで日本語があったが、教員が付かなくてなくなった。

*中学生の10人に一人が第一中学へ進学する。

 受験生500人で合格者200人。入試科目は数学、中国語、外国語(ほとんどは英語)、政治、物理、

 化学。

 それ以外に自費の学生が100人在籍する(どうも、一般の入試とは別に授業料を支払って入学してく

 る生徒があるらしい)。

*クラス定員は50名。教員数はあるが教室が足りない。

*1999年度の大学進学率52%。2000年度は58%。

 大学入試は、150点×5教科(文系と理系で試験科目が違う)。750点満点中、650点取れば重

 点大学に入学できる。進学希望の大学は試験前に申し込んでおくが、試験後、点数を予測して再度選び

 直すことができる。

 大学入試に失敗した生徒は第一中学で正規の生徒として受け入れる(日本のような浪人生は存在しな

 い)。


                                     第一中学の生徒の

                                     みなさん

 

 

 

 

 

 

 

【生徒との交流】

*12名の生徒が出席。うち、門真市の名前を知っている生徒が1名いた。その生徒の親戚が門真にいる

 らしい。なお、日本に親戚がいる生徒は12名中9名。東大阪市の名前を知っている生徒もいた。

 日本への留学希望を聞いたところ7名の生徒が手を挙げた。歴史的に日本と中国は近い関係にあるなど

の理由を挙げていた。

*制服はあるが月曜日にある朝礼の時に着るぐらいで、普段は私服を着ている。

*大学卒業後の進路希望を聞いてみたところ、弁護士、芸術系の仕事、教員、ツァーコンダクター、理系

 の学者、通訳、生物関係の研究者などの回答があった。

*生徒たちから出た質問は次のようなものであった。

 ・日本の学生の勉強の目標は?

 ・国を作る条件として教育は大切だが、最近の教育改革について?

 ・子どもの教育問題について話し合う保護者の集まりはあるか?

 ・日本は地震が多いがその心理的影響はどのようなものがあるか?

 ・中国語は複雑であるが、日本ではどのように中国語を勉強しているのか?

 ・バスケットやサッカーなどの課外活動もあるので、ぜひ一緒に試合をしましょう。

 ・就学援助はあるのか?

 ・日本の歴史上の有名な人物は誰か?

 ・日本の有名な大学は?

 ・保護者は子どもの将来についてどの程度かかわっているのか?

 ・中国史の勉強はどこを重視するのか?

 ・文系と理系について、中国では文系に女性が多いが日本はどうか?

 ・日本では中国の地理をどのように教えているか? 方正県は稲作で有名であるが知っているか?

 ・日本の学生は余暇をどのように過ごしているか?

*日本の学校と交流する場合、どのようなことができると思うかという質問に対して、次のような答えが

 返ってきた。

 ・文書を通して交流する。

 ・98年に東北では大きな洪水があったが、その援助などのボランティアを通して交流する。

 ・日本人のホームスティ。

 ・文通活動(英語で)。

 ・お互いの学校の周辺を写真に撮って送りあう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                               第三中学 正門前

 

 

 

 

4.第三中学

*24クラス。教職員88名。以前は16クラスであったが、教育レベルが上がり、他校からの転入者が

 増え、24クラスになった。

 第一中学への進学率:200人のうち138人が受験し、62名が合格した。

*長野県泰阜中学と姉妹校提携をしており、毎年何人かの泰阜中学の生徒が来訪する。泰阜村から招待さ

 れたが、生徒の経済的負担の問題で訪問は実現していない。(長野県泰阜村は開拓団を出した村で、方

 正県と姉妹都市提携をしているはず))

*コンピューター教育にも取り組んでおり、コンピューター教室がある。

*日本から帰国した生徒のほとんどは第三中学におり、現在女子6名、男子1名が在籍している。この生

 徒たちが特別な目で見られることはない。

 他にも日本に親戚のいる生徒が多い。

*帰国してきた生徒は、最初は勉強についていけないが、半年から1年でついていけるようになる。今後、

 交流を通して日本の先進的な教育について学んでいきたい。二つの学校が友好学校になれたらいいと思

 う。(以上は校長の言葉)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  第三中学のコンピューター室         廊下。「不満分子」を粛正するわけではあり

                        ません。静かにしましょうという意味です。

 

【生徒との交流】

*日本から帰国した4名の生徒が出席。

 1年11組・A、1年12組・B、3年4組・D、同・E。

生徒1 1995年5月に渡日、2000年3月に帰国。福島県に居住後、千葉県に引っ越した。2年生

    を終わって帰ってきたが、中国では勉強していないことを教えていた。帰国当初の1ヶ月は先生

    の家で指導してもらった。初めは授業が早いのでついていけなかったが、だんだん慣れてきた。

    日本は広い範囲の勉強であるが、中国は深く勉強する。機会があれば日本へ留学したい。

生徒2 1996年5月29日に渡日、1999年6月に帰国。東大阪市のK中学に転入し、その後枚方

    市に移住した。学齢より上で入ったので、17歳であったが中国でも中学2年に入った。日本で

    は妹と日本語で会話をしていたので、中国へ帰った頃は中国語がよくわからなかった。勉強は中

    国の方が難しいが、友達とは仲良くなった。留学の機会があれば日本に行ってみたい。

生徒3 1994年6月12日に渡日、1998年9月に帰国。東京に居住後、埼玉県に引っ越した。小

    学校は日本で通った。日本では勉強がつらかった。去年、日本へ遊びに行ったが日本語を忘れて

    いた。日本にいたときも家では中国語で話をしていたので、帰国後も半年ぐらいで慣れた。機会

    があれば日本へ行きたい。

生徒4 1997年7月に渡日、1999年11月に帰国。山形県に居住後、千葉県に引っ越した。日本

    へ行ったとき、日本語が分からなかったが、みんな優しくしてくれた。家では中国語で話をして

    いた。中国へ戻ってからは日本語を話していない。日本の友達は好きなので、機会があれば日本

    へ行きたい。

 

5.第二小学校(実験小学校)

*教育委員会直属の小学校で、教育研究を行っている(たとえ

 ばピンインを徹底的に教えるなど)

*21クラス、1200名。教職員70名。

*1996年に6階建ての新校舎が建設された。コンピュータ

 ー教室も設置され、63台のパソコンが置かれている。

 

              第二小学校のコンピューター教室

 

【生徒との交流】

*日本から帰国した児童13名が出席(第二小学校に在籍する日本から帰った児童の約半分ぐらいである

 らしい)。

児童1 5年3組、1996年12月に渡日、1999年12月26日帰国。門真市。

児童2 5年3組、1997年8月渡日、1999年1月帰国。堺市三原台小学校。担任はN先生。

児童3 2年3組、1996年6月渡日、1999年6月25日帰国。枚方市。

児童4 上の子と姉妹。枚方市。

児童5 5年4組、1995年9月渡日、2000年5月帰国。東京都新宿区。

児童6 5年3組、1996年5月渡日、1999年3月帰国。門真市千石西町。

児童7 4年1組、1996年5月渡日、1999年3月帰国。門真市千石西町。

児童8 4年3組、1996年3月渡日、1999年8月帰国。門真市千石西町。

児童9 4年4組、1997年渡日、1999年8月12日帰国。門真市。

児童10 4年2組、1996年10月渡日、1999年6月帰国。大阪市。

児童11 3年3組、1997年8月渡日、2000年3月帰国。門真市千石東町。

児童12 4年1組、1997年8月渡日、2000年3月帰国。門真市千石東町。

児童13 4年1組、1997年9月渡日、2000年7月帰国。東大阪市。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   第二小学校の子どもたち。日本から帰国した子どもたちである。

 

6.雑感

 *強制送還を含めて、日本から中国方正県に帰った人たちは不利益な扱いを受けている様子はなかった。

  第三中学と第二小学校で集まってくれた子どもたちの表情からも、それは感じられなかったし、それ

  ぞれの学校の教員と子どもたちの関係も悪くはなかった。学校訪問以外の場所で会った子どもたちか

  らも、中国での扱いについての不満は聞こえてこなかった。

 *ただ、保護者の人たちの仕事に関して言えば、ほとんど見つからない状態である。方正県は小さな町

  であるので、就職先はそう多くはないようだ。日本から帰国された方の多くは、日本で働いてためた

  貯金で暮らしているようである。住居は、マンション(3LDK程度)に住んでいる家族が多い。こ

  れも日本で貯めたお金で購入したようで、3LDKのマンションが日本円で120〜130万円で購

  入できる。

 *高校段階で帰国した子どもたちは方正県で高校に入学することはほぼ不可能であり、高校での教育は

  中断してしまう。第一中学でお聞きした話では、以前、日本から帰国した高校生が第一中学で「試験

  的」に勉強してみたが、結局授業についていけず、第一中学での勉強をあきらめたという。

 *方正県の学校関係者は、門真の学校との交流を望んでいる。門真と方正県の関係を考えれば、何らか

  の交流の継続が必要ではないかと思う。これだけ門真から方正に帰った人がおり、逆に方正県出身者

  がこれだけ門真市に住んでいるのであるから、無関係のままであることが不思議である。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

     中国唯一の「日本人公墓」が方正県にある。

     「中国養父母公墓」も同じ場所にある。

 

 

 

                     

 

 

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