本校は、1999,2000年度の文部省「中国等帰国孤児子女教育研究協力校」の指定を受けています。

以下の文書は、1999年度の活動報告としてまとめたもので、多少の手を加えた上で、文部省に「中間報告」として提出したものです。

 

 

中国等帰国孤児子女教育研究協力校 研究成果報告書(中間報告)

                                     2000年4月

 

研究主題

1.中国帰国生の日本語学習方法について

2.中国帰国生がアイデンティティを確立する上で、母語保障、中国文化の継承がいかなる意味を持つのか

3.母語の確立が日本語学習に果たす役割

 

目 次

1.学校の概要

(1)学校名等

(2)中国等帰国孤児子女在籍数の推移

(3)地域および学校の特色

(4)受け入れに至った経過

2.研究内容・方法について

(1)研究主題とその趣旨

@研究主題  A研究主題設定の理由

(2)研究組織

@校内の体制  A日本語等抽出授業の体制  B中国文化研究会の指導体制  C中国語講座  D日本語教室

(3)研究内容・方法等

@研究内容  A研究方法

3.1999年度の研究成果(中間まとめ)

(1)活動の概要

(2)日本語指導

@日本語指導の概要

A日本語抽出授業ア 担当者・中国人教員W

B日本語抽出授業イ 担当者・中国人教員H

C日本語抽出授業ウ 担当者・Y

D日本語抽出授業エ 担当者・T

E日本語(社会)抽出授業オ 担当者・H

F日本語(社会)抽出授業カ 担当者・O

(3)母語保障(中国語指導)

(4)中国文化研究会の活動と生徒の変化

@概観 A中文研の存在意義 B文化祭の取組み C中国帰国生の作文(『私のこと』、L)

(5)中学校と高校の連携

(6)地域と学校

(7)第2年次の課題及び取組み


1.学校の概要

(1)学校名等

    大阪府立門真高等学校

    松山了全

    大阪府門真市上島頭560

   学校規模 1年6クラス、2年7クラス、3年7クラス 計20クラス

        全日制普通科

   電話番号 072−881−8175,8176

    072−881−8274

    http://www.edu-c.pref.osaka.jp/~f10713u/left.htm

    京阪電鉄「大和田」駅下車、京阪バス「門真団地」行終点下車、徒歩5分

 

(2)中国等帰国孤児子女在籍数の推移(1999年9月1日現在)

 

 年 度

 全児童生徒数

 中国等帰国

 孤児子女数

 うち日本語指導が必要な

 中国等帰国孤児子女数

1997年度

  817名

   6名

     0

1998年度

  772名

  12名

     4名

1999年度

  718名

  13名

     7名

 

(3)地域および学校の特色

   門真地域は数年前から中国帰国者が急激に増加し始めた地域で、現在では住民約300人に一人が中国帰国者であると言われている。とりわけその帰国者の集中しているのが、本校の目の前にある府営門真団地である。本校に近くにある小学校には約130名の、中学校にも約50名の中国帰国生が在籍している。

本校は大阪府立の70番目の高校として1971年に開校した。大阪で最大の敷地面積を有し、門真市を始め北河内各市の強い要望と大きな期待を受けて設立された。創立時より新しい時代に生きる高校生の育成に力を注ぎ、個性を尊重し、文化的活国際的な視野に立った人間の育成に努めている。

本校に入学してくる中国帰国生のほとんどの家庭が低所得で、経済的な困難から生活保護を受給している家庭や、合格後も制服を購入する余裕のない帰国生も多い。多くの帰国生は入学後、アルバイト等によって家計を助けている。しかし、勉強には意欲的に取組み、大学進学を目標に勉学に励む生徒など、自分の進路を切り開いていく力を持つ帰国生が多い。

 

(4)受け入れに至った経緯

   1996年度、本校に1名の中国帰国生が入学してきた。小学校低学年で日本に来ており、通名で日本語会話も不自由なく行っていたので、日本語教育の必要を(その当時は)感じず、特別の日本語指導は行わなかった。ただ、学校外の中国帰国生交流会(大阪府下の中国帰国生の交流会)には参加するようになった。

その後、門真市内の小中学校に多数の中国帰国生が在籍しており、今後も増加する傾向にあることを聞いて、学校としての取組みが始まった。次年度から複数の中国帰国生が入学してくることがほぼ確実視されていたので、同和教育推進委員会が中心になって体制つくりに取り掛かった。大阪府下の中国帰国生の多数在籍校の経験を参考にしながら、とりあえず「中国帰国生担当」を特別に設置し、全校的な体制を確立していく方針で望んだ。

1997年度から「中国帰国生担当」を中心として動き始めた。この年には4名の帰国生が入学してきた。ただ、この4名とも日本語での会話については不自由がなかったので特別の日本語指導は行わなかった。またこの生徒たちは通名(日本名)で生活していることもあり、本人たちの希望もあって学内での表面だった活動は控え気味であった(学外の中国帰国生交流会には積極的に参加した)。

1998年度、7名の帰国生が入学してきた。そのうち、4名が本名で、かつ日本語の力も十分でなかた(中学1〜2年の時に渡日)。この年度から日本語の抽出授業を始めた。さいわいにも中国人教員(非常勤講師)で、他校での日本語指導の経験が豊富なW先生に来ていただくことができ、初年度とはいえ、かなり充実した日本語指導を開始することができた。また、この年から「中国文化研究同好会」としての活動も開始し、文化祭での中国の踊りなどの紹介を行うようになった。

1999年度、3名の帰国生が入学。3名とも日本語抽出授業の対象となり、現在に至っている。

 

2.研究内容・方法について

(1)研究主題とその趣旨

 @研究主題

中国帰国生の日本語学習について

中国帰国生がアイデンティティを確立する上で、母語保障・中国文化の継承がいかなる意味を持つのか。

母語の確立が日本語学習に果たす役割

 A研究主題設定の理由

   中国帰国生が日本に定住する上で、日本語の学習は欠かせないものである。渡日後の年数が異なり、日本語の習得状況も異なる多数の中国帰国生に、日本の限られた条件の中で、いかにして日本語を習得させていくか。

   日本に来て、自分がどのような存在であるのか、悩む帰国生は少なくない。これから、日本で生きていくにせよ、中国へ帰るにせよ、この生徒たちが自信を持って生きていくためには、生まれ育った土地とその文化を継承することは重要であると考える。

   表面上は不自由なく日本語を使用している場合でも、教科学習に不可欠な学習言語が獲得されていない場合があるといわれる。また、日本語習得には母語を確立させることが重要な意味を持つともいわれている。そういう意味で、日本語(第2言語)習得と母語(第1言語)の確立が、どのような関係にあるのかを研究する。

(2)研究組織

  @校内の体制

 ・中国帰国生担当(1名)

   中国帰国生の指導全般についての取り纏めを行う。

     同和教育推進委員会と協力しながら、中国帰国生の諸問題についての検討、提案等を行う。

 ・中国帰国生プロジェクト

   中国帰国生担当、同和教育推進委員長、各学年担当者で構成。

     中国帰国生の諸問題について検討する。中国人講師の助言を仰ぐ。

     1999年度メンバー 中国帰国生担当(O)、同和教育推進委員長(O)、

                1学年担当者(M)、2学年担当者(Y)、3学年担当者(H)、助言者・中国人講師W

  A日本語等抽出授業の体制

 ・1年生

     国語T(週5時間) 中国人講師(W)  4時間

               日本人教員(T)1時間

     社会(週2時間)  日本人教員(H)1時間

               日本人教員(O)1時間

   ・2年生

     国語(週4時間)  中国人講師(H)  2時間

               日本人教員(Y)2時間

     古典(週2時間)  中国人講師(W)  2時間

     なお、日本語等抽出授業の詳細は後述。

  B中国文化研究会の指導体制

    顧問(O、O)および中国人講師・Wが協力して指導。

    中国文化研究会の活動の詳細については後述。

  C中国語講座

  放課後、中国人講師の指導で母語(中国語)講座を開催。

     火曜日 中上級講座 担当・W

     金曜日 初級講座  担当・H

    母語保障・中国語講座の詳細については後述。

  D日本語教室

    放課後、毎週金曜日に開催。日本語指導はKが担当(中国語が堪能)。

    中学校の中国帰国生などの参加も受け入れている。

    日本語教室の詳細については後述。

(3)研究内容・方法等

  @研究内容

   ・日本語指導の方法

   ・中国帰国生の母語(中国語)指導

   ・中国文化研究会の活動と中国帰国生の意識の変化

   ・中学校と高校の連携

   ・地域との関係

  A研究方法

   ・中国帰国生を国語および社会の授業時間に抽出し、日本語および日本文化についての基礎的

    な学習を行う。

   ・放課後、母語(中国語)の学習を行う。

   ・中国帰国生の集まりとして「中国文化研究会」を設け、中国帰国生の自主的活動をサポートする。また、大阪府の中国帰国生の集まりである、「中国帰国生交流会」に積極的に関わる。

 

3.1999年度の研究成果(中間まとめ)

(1)活動の概要

3月19日 合格発表 合格者登校の際の保護者説明

  24日 門真市の中学校教員(市外教)との会議

4月1日前後 中国帰国生の合格者の家庭訪問(中国人講師、帰国生担当、同推委委員長)

   5日 抽出授業の打ち合わせ(中国人講師、抽出担当教員)

  19日 中国帰国生プロジェクト

  21日 中国帰国生・渡日生問題を考える会(帰国生在籍校の教員交流会)会合 於・天王寺

  27日 家庭訪問

5月 8日 大阪府中国帰国生交流会『新入生歓迎集会』 大阪城公園

  31日 府外教報告者打ち合わせ会議(大阪府総合福祉センター)

6月 6日 神戸・南京町、文化祭の物品調べ(中文研)

  19日 府外教研究集会 門真高校から実践報告

  23日 門真市同研 門真高校の実践発表

  28日 門真の中学校(市外教)との会議 門真市立五月田小学校

7月 1日 文部省中国帰国生研究指定校 研修会(東京)

  15日 門真市の中国帰国生交流会(門真の中学と高校の交流会)

  17日 上島頭夏祭り(巡回)

  18日 上島頭夏祭り(巡回)

  27日 大阪府教育センター研修 中国帰国生の日本語教育について報告

  28日 御堂筋パレードの練習(中文研、門真市内の中学生)

夏休み中  文化祭の練習の指導

9月12日 御堂筋パレード練習(中文研、門真市内の中学生)

  22,23日 文化祭での発表(中文研)

10月 1日 東方文化芸術団公演(神戸)見学

   10日 御堂筋パレード参加

   30日 府立外教第四学区進路開拓討論集会(本校帰国生が発表) ルミエール・ホール

11月12日 府立外教研究会で実践報告

   13日 中国帰国生・渡日生問題を考える会(帰国生在籍校の教員交流会)の会合(天王寺)

12月 6日 門真の中学校(市外教)との会議 門真市立五月田小学校

   10日 中国帰国生交流会「春節の会」の下見(大阪府立青少年海洋センター)

   12日 門真の中国帰国者と日本人有志の会合(門真高校)

   14日 門真市外教との会合 門真市立五月田小学校

   16日 中国帰国生交流会『春節の会』の打ち合わせ(大阪府立長吉高校)

   18日 門真市の中国帰国生交流会(門真高校)

 1月16日 門真の中国帰国者と日本人有志の会合(門真市立南部市民センター)

   24日 中国帰国生・渡日生問題を考える会 府教委との意見交換会

 2月 1日 日本語抽出担当者会議(総括に向けて)

 2月11,12日 中国帰国生交流会『春節の会』(青少年海洋センターでの合宿)

 3月 3日 府立外教研究集会で門真高校の実践報告(部落解放研究教育センター)

    4日 とよなか国際交流協会 セミナー「公立高校における多文化共生について考える」に

       参加

   25日 とよなか国際交流協会 セミナーで報告

 

 

(2)日本語指導

@日本語指導の概要

 日本語の指導は、授業からの抽出と放課後の日本語教室で実施している。授業からの抽出は、国語(今年度は1,2年)と社会(1年)の時間を抽出し、主に国語の時間には日本語を、社会の時間には日本の一般的基礎的な事柄(歴史、地理、文化など)を学ばせている。

 放課後の日本語教室は毎週金曜日、中国語が堪能で、中国帰国者の問題にも関わっておられるKさん(京都大学院生)を招いて実施した。教科学習の補習やK先生が用意したプリントなどを中心に行ったが、どちらかというと日頃考えていることなどを話題とした談話教室のような状態になることが多かった。きっちりとした授業の用意も大切だが、こうした会話も、自分の考えをまとめるよいチャンスであり、有意義であったと考える。ただ、この日本語教室は府教委の施策としても実施されており、地元中学の帰国生の参加も可能となっている。今年度は都合で中学生の参加はなかったが、今後、地元中学や近隣高校の中国帰国生を含めた教室へと発展する可能性を持っている。

 また、抽出授業については、担当者ごとの(講座ごとの)内容を明確にする必要が感じられる。来年度はこの点に留意しながら、担当者の事前の打ち合わせを実施したい。

 今年度の日本語抽出授業はつぎのとおりである。

 1年生(3名)  国語5時間、社会2時間

          W 国語4時間  T 国語1時間

          H 社会1時間  O 社会1時間

 2年生 Cくん 国語4時間 

          H 2時間  Y 2時間

 2年生 Sさん 現国3時間、古典2時間(4月当初より登校せず、のち退学)

          H 2時間  W 2時間  O 1時間

 2年生 Lさん、Jさん 古典2時間

          W 2時間

 以下、授業の担当者による報告である。

 

A日本語抽出授業・ア 担当者・W(生徒 1年Lくん、Lさん、Yくん、4単位)

                 生徒 2年Lさん、Jさん、2単位)

【1年日本語授業】

 入学当初は3人で、それぞれ得意なところと苦手なところがあった。共通しているのは基礎(読み、動詞や形容詞の変化、助詞の使い方、基本的な文型等)がまだ十分にマスターしていない点である。基礎力をしっかりつけるため、初級から入ることにした。週2回(1回は連続2時間)計4時間の授業で、以下のように取り組んできた。

 a.漢字 初級程度の漢字の読み及び書き方。特に、中国の漢字と同じように見えても微妙な違いがあることに注意させながら進めてきた。 

 b.絵入り作文  絵を見て、決まった文型を使って短文を作る。

 c.標準日本語  中国国内で発行されている日本語教科書で、内容は少し古いが中国人向けの本だから、勉強しやすい。

 d.長い文章を読む  「赤鬼が泣いた」、「マヤは利口な犬でした」。いずれも小学生程度の読み物で、ストーリーがあるため、楽しく読める。また、何よりも日常生活によく使うような言葉がたくさんあるため、日本語に慣れるのにはよい教材であると思う。

 e.中級日本語  一方、教室でほかの授業を受けている為、難しい文章を読む力をつけないと、教室での勉強は大変だとのことで、中級程度の文章の勉強も試みた。内容は、「日本の国土」「学校の始まり」「外来語について」「日本で使われている日本語」。

 授業中に注意したこと

 a.音読に重点を置く

 入学当初、3人とも長音、短音、清音、濁音、促音などの日本語特有の発音に慣れていないようで、間違いが多かった。何回も繰り返して練習させ、正しく読めるまで厳しく訂正してきた。

 b.たくさんの例文を作る練習

 新しい単語や文型が出る場合、できるだけたくさんの例文をみんなで作り、強い印象を与える。

 c.ほかの授業のレポートなどで書くものがあれば、この授業でサポートする。

 d.音読と暗唱の宿題を出す。

 1年を通じて、個人差はあるが、それぞれ日本語の面で大きな成長があったと思う。

【2年日本語授業】

 1年間にわたって日本語を学習し基礎力がだいたいついている段階にあるので、難しい文章に挑戦することにした。目的は、読解力を向上させることと知識を増やすことである。そこで、「日本語ジャーナル」という日本語学習者向けの雑誌から、いろいろな情報を載せている記事を使ってみた。また、漢字(中学校程度)と中級日本語の教材も取り入れた。

 2学期に入ってから、L一人になって、精神的に不安定な時期もあったが、周りの暖かい励ましと日本語をもっと上達したいという気持ちが支えになって、元気を取り戻した。Lの場合、会話はだいたい問題ないが、読解力が弱い。これは単なる言葉だけの問題ではなく、来日当初の言語不通が原因で、抽象的な表現と基礎概念が吸収できなかったことがもたらした結果だと考えられる。社会問題に関する文章を勉強したとき、冷戦、海抜、市場経済、社会主義といった言葉の持つ意味を説明するために時間がかかったが、少しずつ分かってくるうちに興味を示してきた。これはLにとって、この1年間の最も大きな成果だと思う。今は進学希望で、さらなる上達が期待できる。

 授業の内容

 a.漢字(中学校程度)1〜16

 b.『中級日本語』 一冊完了

   「芋を洗える猿」「東京」「菊の花」「アインシュタインの思い出」「漢語」「欅と私」

 c.『日本語ジャーナル』から

   「辞書にない日本語」(マザコン、ミーハ、ワイドショー、ブランド等)

 d.『五体不満足』(ビデオを見る)

 e.『日本社会探検』(日本のいろいろな社会問題を取り上げた中級日本語の本)

   「時間の感覚」(随筆) 「いじめ」 「地球環境」

 f.新聞記事(朝日新聞から)

 以上の内容に取り組んできた。この1年間、日本語の表現に慣れるという目的で、習った文章を全部2回以上音読するように指導してきた。また、日本語で意見を発表する場面を設定し、整理しながら口で表現することも試みた。思考力を伸ばすにはまずたくさん読むことで、多様な内容を取り入れた。

 3年に進級して、進学のための小論文指導の授業になるが、中国人と日本人の教師が、それぞれ読解の時間と小論文指導の時間を持ったほうがいいかもしれない。

 

B日本語抽出授業・イ 担当者・H(生徒 2年Cくん、2単位)

 Cくんは日本に来て3年半ぐらいで、日本語の会話がまだ少し苦手のようである。私が担当している時間は母語(中国語)による日本語授業であり、日本語の文法について、生徒のレベルに合わせたプリントを作成し、練習問題を繰り返し実施してきた。特に「助詞」「助動詞」「接続詞」等の使い方があやふやであったので時間をかけた。また、「が」と「は」、「から」と「ので」等も区別しないで使っている場合が多かった。こういう文法的な事項は日本人にとっては当たり前のことであるが、帰国生にとっては想像以上に難しいことである。2学期からは中級レベルの日本語教科書を使って中国語で解説した。本来は母語の介入で日本語の理解が早くなるはずだが、日本に来ている間、中国語に触れる機会が少ないため中国語が後退しているので、授業は思う通りにはいかなかった。またCくんは積極性に欠けるので、常に方法を考えて、できるだけやる気を引き出そうと、教材選びには苦労をした。

 

C日本語抽出授業・ウ 担当者・Y(生徒 2年Cくん、2単位)

 韓蕾先生が基本的な日本語の指導を行っているので、Cくんの苦手な作文と読解、日本語の語彙を増やすことを目標とした。

 A.1学期・中間考査まで

  (ア)物語を読む

 物語に出てくる言葉をいろいろな言葉に置き換えたり、実際の景色を見たり、物に触れたりする機会を持った。読解の力はあるので結構楽しみながら読むことができた。物語を選ぶ際には、次々と先を知りたくなるようなものを選ぶよう心がけた。また、物語の中で日本の習慣や風習などにもできるだけ触れるようにした。

  (イ)作文を書く

 友人のこと、中国帰国生交流会のことなど、自分の経験したことを文章に書くことから始めた。作文は苦手、嫌いという意識が強く、なかなか取り組もうとしなかった。中国語でもいいからと、書く経験、考える習慣をさせようとしたがうまくいかなかった。

 B.1学期・期末考査まで

  (ア)新聞を読む

 日本の新聞に慣れること、日本の日常的なことを知ることなどを目標とする。地名が出てきたときは地図帳で位置を確かめたり、電車での行き方を確かめたりしながら進めた。途中、中国語を翻訳した記事があったときには、その記事を読みながら、言葉の使い方のおかしさを見つけたり、中国の様子をわかりやすく説明してくれた。

 この頃から学校生活に面白さを見つけられないようになり、勉強に対する意欲が薄れてきたようであったので、文化祭の出し物の話をしながら興味のもてるものを探していった。

  (イ)漫画を使って

 新聞記事から漫画を教材にし、4コマ漫画を読んでその面白さを理解することを狙いとした。また、言葉のない4コマ漫画を見て、その状況を説明する(文章に書く)練習をした。比較的興味を持って取り組めたようだが、文章に書いて説明するのは難しかったようだ。

 C.2学期・中間考査まで

  中国語の笑い話・なぞなぞを日本語に翻訳する

 中国語で書かれた笑い話やなぞなぞを日本語に翻訳し、日本人にわかるように伝える練習をした。よりよい日本語の表現ができるよう、教員が細かい部分も質問するようにした。

 なぞなぞや笑い話には興味を持っているので楽しく取り組めたようだが、助詞の使い方や言い回しなどに気をつけるようにした。水泳に対する苦手意識などから休みが増え、学校や勉強に対する興味・関心が薄れてきたので、いろいろな話をしたり気持ちを聞くことが多くなってきた。

 D.2学期・期末考査まで

  2年生「現代国語」の教材を使用

 読解力があるの基礎クラスレベルの授業にはついていけそうであったので、3年次の原学級での授業も考慮し、同じ教材を使用することにした。

 E.3学期

  欠席が続いた。

 

D日本語抽出授業・エ 担当者・T(生徒 1年Lくん、Lさん、Yくん、1単位)

 A.1学期・中間考査まで

 この時間は、日常会話や話し方を中心に練習する時間として設定された。最初は生徒個々の日本語能力もわからず、4月についてはほとんど手探り状態であった。こちらで用意した教材をクリアできるかどうかで判断しながら、ようやく5月頃に大体の日本語力を把握したという状況であった。教材は「挨拶の仕方」「カレンダー」「時間の応答」「買い物」など。どの生徒も基本的な単語・質問の仕方・答え方などをすでに習得しており、あまり日本語力の向上にはつながらなかったが、教員と生徒のコミュニケーションを図る意味ではよかったと思う。世間話などで生徒たちの生活について質問するのもいろいろ役に立ったようだ。試験は、授業で用意したプリントから、授業で扱った内容をそのまま出題したが、3人ともほぼ満点であった。

B.1学期・期末考査まで

 基本的には中間考査までの授業を発展させたものを実施した。ただし、教材についてはややマンネリの傾向もあり、2学期以降の授業をどのように組み立てるか、不安を感じるようになった。また日常会話については、会話はできても表記ができないという傾向が強いことも発見した。教材は「道を説明」「間違い探し」「コラムを読む」などを使用した。実際の地図を使って2点間の移動を説明させた授業(「道を説明」)や間違い探しをしてその違いを説明させる授業(「間違い探し」)では、作文力のなさが露呈した。日頃それなりに会話できていることでも、いざ文章にしてみると十分に書けないということが分かった。試験は授業で使用したプリントの復習であったので出来はよかった。

 C.2学期

 3人いた生徒のうちのYくんが帰国してしまい、2人になってしまった。夏休み明けの授業で作文を書かせたところ、全員が日本語検定の上級資格を所得したいという希望を持っていることがわかり、授業の主眼を検定合格の力をつけることに変更した。最初4級からはじめたがすぐに終了し、途中から3級に入った。教材は『日本語能力試験3・4級受験問題集』(アルク社)を使用した。4級についてはまったく問題がなく、3級についても「文字・語彙」については90%以上の正答率で、特に細かい説明を要する場面もなかったので快調なペースで進行した。この時点では特に学力差は感じなかった。試験は授業で実施した問題と同じものから出題したので、相変わらず出来はよかった。

 D.3学期

 問題を解くだけでは単調なので、「聴解」の練習を開始した。生徒たちには今のところ好評である。練習問題の方は3級の「読解・文法」に入った。ここにきて2人の間の日本語力差が顕著になってきた。一人はほとんど正解し、もう一人はほとんど出来ないという状態が、ここ何回か続いており、授業の進め方をどうすればよいか再び頭を悩ませることになる。教材は『日本語能力試験3・4級受験問題集』(アルク社)から「3級読解・文法」を使用。

 一人の生徒がわからないのは具体的に言うと、文法では助詞のこまかな用法や受動態・完了形・仮定法などで、これらの説明にはかなり中国語力が要求され、実際には中国語と日本語を両方理解できる先生の助力が必要と感じた。

 E.全体として感じたこと

 [評価の問題に関して]

 「国語T」という他の生徒と同一の科目で実施している授業のため、評価については他の生徒の国語力との比較をどうしてもしなければならない。したがって、それぞれの定期テストでは100%近い得点でありながら、基礎学力テストや実力テストなどではまったく得点できない点をどう評価するのかが難しい。「国語T」は必修科目故に『日本語』など他の科目として授業を設定できないと考えられ、今後どのように他の生徒とのバランスをとっていくのかを考えておく必要を感じる。

 [教員間の連携の必要性について]

 授業内容の重複を避けたり、互いの情報を交換することはとても重要と考えるが、抽出授業担当者が多く、他教科にもまたがり、非常勤の先生もおられるので実際にはなかなか難しいことである。せめて学期に1回でも担当者会議を開く必要がある。

 [学力差が出てきた場合あるいは元から学力差がはっきりしている場合の取組み]

 今年度は結果的に二人だけの授業なので何とか対応は出来るだろうが,今後多くの帰国生・渡日生が入学してきた場合、当然日本語習得の段階が同じとは限らないはずなので、同じ授業の中で2種類3種類の授業を行う必要に迫られるだろう。その際、限られた人員の中でどのように対応すればよいのかを考えておく必要がある。

 

E日本語(社会)抽出授業・オ 担当者・H(生徒 1年Lさん、Lくん、Yくん、1単位)

 1学期…家から学校までの地図の作成、大阪の地理、日本の地理、世界の国々

 2学期前半…日本国憲法の概略(特に前文を読み、ポイントを把握する)

 2学期後半…パソコン(ワープロ)による日本語の練習。「星の王子さま」「憲法前

       文」を入力する。

 3学期…引き続きパソコン(ワープロ)による日本語の練習。タッチボードに挑戦す

     る。

 当初、社会科の抽出にふさわしい内容をと考えて始めたのだが、日本語力、特に文章理解の力が非常に弱いことがわかり、日本語を正確に読み取ることに力点を置くようにした。日本語の読み取りをしているうちに、子音、撥音、拗音などの取り違えが文章理解を困難にしていることに気づき、ワープロ(ローマ字入力)の練習を始めることにした。子音、撥音、拗音等を正しく入力しないと正しく変換されないので、ワープロの練習が日本語の学力の向上につながると考えた。かなり効果があがっていると思われるので、さらに取り組んでいきたい。

 また、インターネットを通じての中国文化の理解や、中国語力の向上なども来年度にめけて検討しておくべきだと考えている。

 

F日本語(社会)抽出授業・カ 担当者・O(生徒 1年Lさん、Lくん、Yくん、1単位)

 本時では、日本社会で暮らす上で知っておくべき事柄などを中心に教材を選択した。生徒の日本語力の向上を目標にしているが、どちらかと言うと内容を重視した教材となっている。取り扱った内容は次のとおりである。

 1学期…「ひらがな、カタカナの誕生」「50音図」「和歌って何?」「俳句って何?」「川柳って何?」「百人一首って何?」(『国語ものしり大図鑑』、学研)。これらの教材は小学生を対象とした本からとったものだが、日本語の練習と日本の文字の簡単な成り立ちを学習することが出来た。また、この過程で「いろはかるた」もやり、そこから波及して日本のことわざなどについて取り扱うこととなり、『イラストで学ぶ「話しことば」2、ことわざ・格言・慣用句』(汐文社)からいくつかを選択して学習した。

 鎌田慧さんの『現代日本百面相』(岩波ジュニア新書)は、この生徒たちには多少難しいと思われたが、「中国残留日本人」という文章を扱ってみた。帰国生たち自身の「歴史」に触れる内容であったが、ぜひ一緒に考えていきたい題材でもある。ただ、授業の中では意外とあっさりと流れたような感じを受けた。

 2学期…「毎日中学生新聞」と『小学生の大疑問』(講談社)から教材を選んだ。『小学生の大疑問』はNHKの週刊こどもニュースの書籍版である。

 「中学生新聞」からは“考えよう環境 減りゆく昆虫”と中国の国慶節について取り扱った記事を利用した。また、『小学生の大疑問』からは「となりの国なのに、韓国の人が日本を嫌うのは?」「ごみのリサイクルって、どういうことなの?」を利用した。前者は、かつての日本のアジア侵略を題材としたものなので、中国侵略とも関連させながら考えていった。2学期からは、それぞれの教材ごとに漢字の読みや文章の意味などについてのプリントを用意して進めることにした。

 3学期…『大人になる本』を読み進めていくことにした。一般の高校生向けとしても評判のよい教材である。比較的やさしい言葉で書かれているので読みやすかったようで、大まかな内容は理解していた。ただ、こまかな言葉の使い方などは理解の足りないところが少なくなかった。自分に自信を持つことの大切さをこの文章から読み取ってほしかった。私たちが想像する以上の困難を抱えている帰国生たちに、生きる自信とでもいうべきものを持ってほしかった。日本語の学習と同時にそうした内容を持つ教材として、このような本は役立つのではないかと思う。

 今年度は、毎回教材を探しながら進めていったようなものだった。もう少し計画的に進められればいいと思う。来年度からは、各担当者の扱う内容を事前に取り決めておく必要を感じた。社会科で扱う内容は日本社会で生きていくための一般的な常識としてきた。今後も「日本社会事情」として展開していけばよいと思うが、思春期に相当する子どもたちが生きることについて考えていくような教材を扱える時間もあればよいのではないかとも思う。

G来年度の抽出授業の計画

 新3年生 古典(2時間)の抽出

        日本語読解 1時間(中国人教員による指導)

        日本語作文 1時間(日本人教員による指導)

 新2年生 古典(2時間)、現代国語(3時間) 合計5時間の抽出

        日本語   4時間(中国人教員による指導)

        日本語作文 1時間(日本人教員による指導)

 新1年生 国語(5時間)、社会(2時間) 合計7時間の抽出

        日本語   5時間(中国人教員による指導)

        日本事情  2時間(日本人教員による指導)

 

(3)母語保障(中国語指導)

 毎週木曜日放課後にW先生による中国語講座(中上級編)を、また金曜日放課後にH先生による中国語講座(初級編)を実施した。前者については比較的中国語のできる帰国生を対象としており、後者は低年齢で日本に来ており中国語が達者でない帰国生と日本人生徒を対象とした。ただ、日本人生徒については、宣伝不足もあってか、初回のみの参加で継続しなかった。

 中国帰国生にとって、日本語やクラブに加えて中国語学習でも放課後に残るということは多少負担になっている(週3回残る)。経済的な理由からアルバイトをしている生徒がほとんどという状態であるので、これらの中国語学習(母語保障)も正規のカリキュラムに含める必要を強く感じる。

【1999年度の中国語指導の報告(W)】

 中国帰国生の母語保障をめぐって、賛否両論が平行線のまま今日を迎えた。私(W)は、7年間帰国生といっしょに中国語を勉強してきて感じたことがたくさんある。ここで、この1年間、門真高校での取り組みと母語保障についての考えをまとめたい。

 週2時間、木曜日の放課後に中国語の授業をしている。参加している生徒はそれぞれ中国語の力が違うが、中学校程度の教材を使ったため、大体参加者全員が快く勉強できるような授業になったと思う。読み書きにできるだけ重点を置き、忘れられそうになった中国語の感覚を取り戻しながら、新しい語彙をふやし、言語に対する理解力を高めるよう心がけて授業を進めてきた。その内容を以下に示す。

1.中国の現代・近代文学の名作を読む。

    語彙を増やすことと読解力の向上を目的とする。

2.古典文学(日本では漢文にあたる)

   現代中国語の基礎は古典にある。今使っている言葉にも古典との関係が深いものがたくさんあるため、生徒たちの母語の力を伸ばすには、ある程度古典の勉強も不可欠だと思われる。

 3.中国の歴史を読む。

   中国語には歴史に関係のある言葉が多く、歴史を学ぶことによって、多くの熟語の由来や意味を正確に理解できるようになる。また、中国の歴史を知ることによって、ほかの授業の手助けにもなる。

 4.翻訳を試みる。

   簡単な日本語の文章を中国語に訳す練習をした。翻訳することは再創作する事であり、作文を書くのと同じである。いきなり作文を書かせるのではなく、翻訳から始まったほうが難しい感じをせずに文章を書く練習になるのではないかと思う。

 

 成果は計量的には測りにくいが、成果として見えるのは、生徒たちの音読が日増しに上達してきていることと、積極的に中国の本を読むようになり、中国語を道具としていろいろな知識を吸収しようとする姿勢を見せはじめたことである。

 次に、母語保障の意味について。

 1.思考力を伸ばす。

人間は言語で思考するということは言うまでもない。この思考に使う道具である言語が、ある日突然、使用中止の状態になり、そしてまったく新しい言語が入ってくる。この新しい言語が思考の道具になるには、相当な年月がかかると思われる。帰国生は大体、思考力を養成する重要な時期(小学校高学年)に来日し、少なくとも3年くらい言語上の障害が原因で思考の面での成長が図れないまま、中学校を経て、高校に進学する。今現在、高校に在籍している生徒は、来日3年前後のケースが少なくない。これらの生徒は母語が大幅に後退し、日本語である程度会話はできても、日本語での抽象的な思考はまだできない。こういう場合、母語力は大分後退しながらも、まだ新聞が読めるほどには留まっていると思われる。中断された思考力を取り戻すには、現時点では母語の力を伸ばす以外に方法はないと思う。

 2.自信をつける。

来日して、中学校に編入され、言語不通の状態の中で悪戦苦闘し、ようやく高校に進学ができ、さらに進路を考えないといけない時期に落ち込んでしまう帰国生は少なくない。彼らの多くは、母語をだんだん忘れていくことと日本語がなかなか上達しないことに苛立ちを感じ、今後、日本の社会の中で生きていく自信を喪失しつつある。言葉も普通にしゃべれない劣等感から解放される第一歩として、母語を回復することが先決だと考えている。

 3.進路につながる。

近年来、中国語で受験できる大学が増え、英語が少々苦手でも得意な中国語が生かせる故、帰国生にとっていろいろな可能性が見えてきた。実際、帰国生枠で受かる帰国生の数は年々増え、数多くの帰国生は中国語を取り戻そうと頑張っている。また、中国語を生かせるような仕事を見つけて活躍している帰国生もいる。外国人が帰国生に匹敵するほどの中国語力に達するには10年も20年もかかるであろう。この点から見ると、中国語は帰国生にとって貴重な財産だというべきであろう。

 4.親とのコミュニケーション

周知の通り、年齢を重ねるほど言語の習得が困難になる。帰国生の父母はまさにこのケースである。母語のレベルにもよるが、大体5年10年経ってもまとまった話が出来ないのがほとんどである。子どもは中国語を忘れていき、親は日本語が上達しない。親と子どもの間では意志疎通がだんだん少なくなっていき、大事なことも親には相談できなくなり、子どもは次第に親と口をきかなくなる。このことから、子どもが中国語を勉強することがいかに大事なことなのかが分かる。

 5.母語は日本語を学習するための道具

日本語を習得するには、まず母語である中国語をしっかり身につけておかなければ難しい(特に中学生の時に来日した子)。この年齢層になると、母語の言語思考がすでに形成されてしまい、母語の発想をベースに外国語を覚えるため、母語が外国語を習う上での道具になる。しかも、どの程度に日本語を習得できるかは、彼らの母語のレベルに大きく左右されるものである。

 

 以上、母語保障の意味とこの1年間の取り組みについてまとめた。

 最後に問題点として、次の2点をあげておく。

  ・先例がないため、すべては暗中模索で不安を感じる。

  ・生徒それぞれ中国語のレベルの差があり、全員に合うような教材を選ぶのは難しい。

 

【中国語学習に関する生徒の感想】

2年生 Lさん

 私は中国文化研究同好会に入ってよかったと思っています。日本語も上手になり、だんだん忘れようとしている中国語もより多く話せるようになりまして、そしてぜんぜんわからなかった中国の古典もすこしずつわかるようになりました。

 また、今まであまり読まなかった中国の本に最近興味を感じまして読んでいます。これからも、もっともっと自分の国の言葉を身につけたいと思っています。(原文の日本語のまま)

 

1年生 Lさん

 中国語の授業を受けて、忘れそうな漢字と言葉を取り戻したし、日本語の勉強にも大いに役に立ったと思う。そして、将来にもつながると思うので、これからもこのような授業があったほうがいいと思う。(原文は中国語。翻訳・王雁)

 

1年生 Lくん

 来日して、時間がたつにつれ、だんだん中国語を忘れていく。基本的な漢字も思い出せないことがしばしばある。中国語の授業は言葉だけでなく、中国のことも勉強することができ、大変ありがたい。これからもこのチャンスを大事にしたいと思う。(原文は中国語。翻訳・王雁)

 

(4)中国文化研究会の活動と生徒の変化

 @概観

【1997年度】

 中国文化研究会は、1997年、「中国文化研究会」としてスタートした。この頃はまだ、生徒会の部活動としては承認されておらず、多少あいまいな「性格」での出発であった。中国帰国生の在籍は1年が4名で、2年が1名であった。中国帰国生の「居場所」がぜひとも必要であると訴え、空き教室をひとつもらって、そこを活動場所とした。活動内容はつぎの通りであった。

*中国語講座:週1回放課後に、中国人留学生の方に、クラブ招聘講師としてきていただいた。

*大阪府の高校生の中国帰国生交流会に参加

   大阪府下の高校に在籍する中国帰国生が集まる交流会「中国帰国生交流会」に参加するようになった。春の新入生歓迎集会と2月の「春節の会」の合宿が大きな行事で、100名近くの帰国生が集まってくる。

*門真市の中学校と高校の中国帰国生交流会の主宰

   門真市立中学校および門真高校、門真南高校に在籍する中国帰国生の交流会。中学校の帰国生が、「日本語力に対する自信のなさ」「将来の展望のなさ」から、高校への進学を諦めたり、中学校へも登校しなくなったりしている状況を打開するために始まった。この交流会は、門真高校中文研の企画運営により、「高校生活について」「高校入試について」などの様々な悩みについて語る場が設けられているほか、仲間作りの場ともなっている。また、中学生だけでなく、高校生にとっても「地域を作る一員としての自覚」が育ち、大きく成長するよい機会となっている。

*その他、この年には中国料理会なども実施した。

  この年度の終わり(1998年2月)に、中文研は「中国文化研究同好会」として、生徒会に承認された。

【1998年度】

 1998年度になって活動は活発化した。在籍数も1年が7名、2年が3名、3年が1名と増えた。この年度の活動内容は次の通りである。

 *新入生合格者登校時の補助

   新入生の中国帰国生に付添い、通訳、補助を行った。

 *中国語講座(週2回放課後に実施。中国人講師・W。前述)

*日本語教室(週1回、放課後。K。前述)

*門真市中学・高校帰国生交流会の開催(門真高校、2回)

  企画・運営を門真高校の中文研が担当した。

*大阪府中国帰国生交流会の企画参加

   企画段階から参加し、「全体司会」も行う。

   春の新入生歓迎会、2月の「春節の会(合宿)」とも100名程度の帰国生が参加する。

 *東方文化芸術団(神戸)のチャリティコンサートに参加。

 *中国料理会

 *中学校の帰国生勉強会の開催

   中学の中国帰国生が高校に進学するためには、入試の壁を超えなければならない。しかし、日本語がよく分からないまま日本語で授業を受けても理解できるはずもなく、高校進学を諦めてしまう中学生も少なくない。そこで、日本語も中国語もある程度理解できる中文研の生徒たちの助けを借りて学習を進められないかということで始まった(週1回、放課後)。

 【1999年度】。

 在籍数は、1年3名、2年7名、3年3名。活動内容はつぎの通りである。

 *新入生合格者登校時の補助

 *新入生クラブ紹介

 *中国語講座 木曜日 上級中国語 W

        金曜日 初級中国語 H

*全員が集まる活動(様々な打ち合わせや文化祭、交流会の準備、試験勉強など)

       火曜日 中国人講師・W 中文研顧問(O、O)

 *日本語教室 金曜日 K

 *門真市中学・高校中国帰国生交流会の開催(2回)

 *大阪府中国帰国生交流会の企画・参加

 *御堂筋パレード参加

   東方文化芸術団、門真第四中学の帰国生ともに中国の民族衣装を着て御堂筋パレードに参加。

 *中文ワープロの練習

 *文化祭参加(後述)

 A中文研の存在意義

 私たちは、中国文化研究会の存在意義をつぎのようにとらえている。

a.生まれ育った中国の文化を多くの人に伝えていくという目的を持って活動し、またそうした活動の成功を積み重ねていくことによって、中国の文化を身につけた自分に、自信を持つことが出来る。

b.学校や地域に働きかけていく経験を積み重ねていくことで、外国人(特にアジア人)に対する差別意識の強い日本社会で、強く生きていく力を確実に身につけていくことが出来る。

c.言葉や文化の違う日本の学校の中で、なかなか居場所を作れない帰国生にとって心の拠り所となる。

d.母語の学習が出来る。

 B文化祭の取組み

 (ア)文化祭の発表内容

 1998年度:「扇の舞」「龍舞」「作文朗読」(中国から来た私)

 1999年度:「扇の舞」「獅子舞」「胡弓」「漢詩朗読」「作文朗読」(私のこと)を全校生徒の前で発表した。

 (イ)文化祭参加の目的

 私たち(教員)は、中文研として文化祭に取り組むにあたって、以下のようなことを考えていた。

*中国から来たことを隠しているわけではないが、なかなかみんなの前では言えず、常に「相手は自分が中国から来たことを知っているだろうか」と気にしながら生活している生徒たちに、自然と中国帰国生であることを示せる機会を与えたい。

 *中国の文化を継承しながら生き生きと活動している高校生の姿を示し、地域の中国帰国者の方々や中学の中国帰国生たちを勇気付けたい。

 *日本人生徒たちに中国帰国生の存在をアピールしたい。

 *急激に中国からの帰国者が増えた門真団地やその周辺では、中国人と日本人のいざこざが起こっている。文化祭の発表により、お互いの文化を知り認め合っていく態度を、門真高校から示していきたい。

 (ウ)文化祭参加の成果

 *文化祭後、中文研のある帰国生は次のように語っていた。

   日本人の友人や先生に、「きれいだった」「良かった」と賞賛の声をかけてもらったことで、「みんなはそのままの自分を認めてくれているのだ」との思いを持ち、それまで持っていた不安が、いくらか吹っ切れた。

 *中国人であることを隠し続け、文化祭にも出られなかった生徒が、文化祭の発表を見て、「来年は私も一緒にやろうかな」と感想をもらしていた。

 *文化祭後、中文研の生徒同士の結束が固くなった。

 *多くの日本人生徒がいろいろな場面で参加協力してくれた(在日コリアンの生徒も1名参加してくれた)。いつのまにか総勢20人を超える発表となっていた。文化祭に協力してくれた生徒は、その後も様々な活動に協力してくれている。

 

 C中国帰国生の作文 『私のこと』 L・C

 私は門真高校3年のLと申します。日本名はS・Cです。私は、中国の黒龍江省方正県というところから来ました。私の祖母が中国残留婦人のひとりです。

 小さい頃からその祖母が私の面倒を見てくれていましたので、私は、祖母が正座しているのを見て真似したり、日本語であいさつをしたりしました。そのために、まわりの人から変な子と言われたりしました。私が小学校1年の時、祖母は日本へ帰りました。別れるのがすごくつらかったです。

 今からちょうど6年前、無邪気な私は両親と一緒に見知らぬ日本に来ました。日本に来る前は、何も考えずに、ただ、離れてからもう7年になる祖母に会えるという一心でした。すごく喜んでいました。だけど、日本に来てから初めて、自分が日本語を話せないことに気づきました。それに生活にも慣れなくて、毎日悩んでばかりでした。学校に行っても先生や友達が何を話しているのかわからなくて、自分の言いたいことも言えなくて、友だちの質問にも答えられなくて、寂しい毎日を送っていました。人の見ていないところで何度も泣きました。

 だけど、その時でも、唯一の楽しみがありました。それは、毎日、日本語で日記を書いて、祖母に見てもらうことです。わからない言葉があったら中国語で書いて、そして、その言葉を日本語で教えてもらって、それを1個1個覚えていくのが楽しかったです。最初は1ページの中にほとんど中国語だったけど、それがだんだん日本語が多くなってきて、早く日本語を話せるようになってきました。

 中学1年の2学期まで東大阪市の盾津中学に通っていましたが、その後、門真市に引っ越し、門真4中に転校しました。

 私は、日本語の抽出授業を受けたことがありません。中1の時は、会話はある程度できましたが、まだ、日本語の読み書きがあまりできませんでした。でも、自分よりもっとできない子がたくさんいたので日本語の授業を受けられませんでした。受けたかったです。社会科などわからなかったので、放課後先生に教えてもらっていました。門真4中では、私が中3の時に抽出授業が始まったので、また、受けられませんでした。中3の時、門真高校の帰国生の先輩と先生が中学に来て、交流会がありました。高校にいけるかどうか少し不安がありましたが、先輩が、「中学より高校の方が勉強簡単やで」と言ってくれたので、自信が出ました。

 今までの自分は、そんな苦しかったことや悲しかったことを人の前で話すのがすごくイヤでした。イヤっていうより怖かったのです。昨年の夏(1998年)にテレビに出る話がきました。それまで、私は学校でもバイト先でも、中国人であることを言っていませんでした。隠しているわけではありませんが、いう機会がなかったのです。でも、このままではダメだと思っていました。そこにテレビ出演の話があり、これを逃したら言えなくなるというような気がして、テレビ出演を決意しました。精一杯の勇気を出して話した時の気持ちは、そんなことを経験したことのない人には絶対わからないと思います。考えるだけでも涙が出そうになります。でも、今考えると出演してよかったと思います。それは、私が勇気を出して言うことによって、私たち帰国生のことを理解してくれる人がたくさんいたからです。

 昨年の文化祭では初めてクラブとして中国の踊りを全校生の前で披露しました。私たち少人数でこんなこともできるんだと誇りに思えました。やってよかったと心から思えました。文化祭に出る前は、自分が中国人であることを知っている人が少なかったので、文化祭に出ることによって、みんなに自分が中国人であることを知らせたら、その後その人たちにどう思われるかという不安と、もしかしたらイジメとか差別とかされるかもしれないという不安がありました。だけど、文化祭が終わって、全く今までと変わりませんでした。逆に友だちがもっと親切になりました。自分には文化祭に出ることがすごくプラスになりました。この6年間本当にいろんな壁にぶつかりながら、がんばってきました。そのたびに自分が成長していく、大人になっていくような気がします。これからももっと頑張って成長していきたいと思っています。

 最後に、私は、すべての帰国生を代表して、私たちのために非常に苦心している先生たちに、最高の敬礼を捧げたいです。先生方、ありがとう!

 

(5)中学校と高校の連携

 門真高校の中国帰国生のほとんどは、門真第4中学から進学してくる。もともと門真地域は中学校の地元集中の取り組みがあり、その流れで第4中学の生徒は門真高校へ進学してくるからである。中国帰国者が集中している門真団地は第4中学の校区である。

 したがって、本校に中国帰国生が入ってきた当初から地元中学校と連携し、中高が協力して、中国帰国生の教育保障に取り組んでいる。

 【中高の教員間の連携】

 門真市の義務制には、「門真市外国人教育研究協議会」という組織があり(以下、門真市外教。大阪府では他市にも存在する)、門真市内の全中学校・小学校が参加している。これまで、義務制の組織と高校の交流はなかったが、中国帰国生の取り組みが始まってから、本格的に連携が取られるようになった。

 毎年2月、本校へ進学する希望の中国帰国生が在籍する中学校から、門真高校へ進学希望の帰国生についての説明と配慮の要請が行われる(なお、中国帰国生の学力検査については、「辞書持ち込み・時間延長・試験問題のルビうち」という措置が府教委によって取られている)。

 以下、1999年度の中高連携の報告である。

 3月24日 門真市外教と門真の高校との連絡会(出席者は市外教事務局、中学校の担当者、高校の担当者など)。高校へ進学した中国帰国生に関する情報交換を行う。高校側からは、今後の取り組みの計画について説明する。

 6月23日 門真市同和教育研究集会(門真市の小中学校の研究集会)で、門真高校の中国帰国生の取り組みについて報告。

 6月28日 門真市外教と門真の高校との連絡会。中学・高校の中国帰国生の現状についての情報交換と門真市の帰国生交流会(後述)についての相談を行う。

 12月6日 門真市外教と門真の高校との連絡会。中学校に在籍する帰国生(3年生)の進路希望の状況についての情報交換。これを受けて、高校側では次年度の計画を立てていく。

 その他、日常的に担当者間の連絡が取られており、中国帰国生の問題に関しては、義務制と高校の垣根は高くないと思う。

【中学校と高校の帰国生交流会】

 上記のような教員間の連携の中で、生徒同士の交流を進めようということになった。今でもそうであるが、中学校の帰国生たちは、日本語の力が十分でなく、そのため教科の学習もおくれがちである。高校進学の希望を持ちながらも、中学の途中で高校進学をあきらめてしまう帰国生が少なくないのも、こうした事情からである。そのような中学の帰国生に自信を取り戻させ、進路の希望を与えていくことが最大の目的である。

 中国帰国生交流会の計画はすべて本校の中文研の生徒たちが行い、会場も本校である。内容は、ゲームや踊りなどのほか、本校帰国生による高校紹介(勉強のこと、クラブのことなど)、中国人教員(W)による中学の帰国生への話などで、中学の帰国生たちが高校進学の希望を捨てずに努力を続けるよう呼びかけることが中心となる。すべて中国語で進められる。

 1999年度の交流会は、7月15日と12月18日に実施された。毎回、40〜50名ほどの参加で行われる。

 

(6)地域と学校

 既に書いたように、門真地域ではこの3〜4年間で中国帰国者人口が急激に増加した。そのため、日本人と中国帰国者の間の軋轢も避け難くなっている。門真団地では、残念ながら中国人に対する偏見が広がっており、そうした地域の偏見は門真高校の中にも否応なく侵入してくるのである。学校で中国帰国生とその他の生徒との共生の取り組みが行われていても、地域がそのような実態であれば、本当の意味での多文化共生の実現はおぼつかない。高校での共生の取り組みを地域へ広げていくことが重要であると考えている。

 また、中国帰国生や高校へ進学しなかった地域の中国人青年たちと日本人の若者との衝突も少なからず見られる。昨年の地域の夏祭で、残念ながら心配していた事態が起こってしまったが、こういう事件が起こると、「中国人は…」という偏見が、地域の声を装って彷彿としてくる。よく聞かれるのは、「中国人は勝手に人の部屋に入ってくる」とか「中国人はいつでも平気でゴミをゴミ捨て場に出す」とか、そういう声である。文化の違いがもたらす偏見というものは恐ろしいと、この間、痛切に感じている。中国ではゴミを捨てる日というのは決まっていないし、隣近所の部屋に入っていくのは当たり前で、むしろ玄関で話すことはとても失礼なことであるという。そうした事情がまったく理解されずに、一方的に「中国人は」とくるのであるから、感情的にはあまりいい気持ちもしないのである。

また、中国の若者たちが夜、街灯の付近に集まっているといっては非難する声がある。しかし、これも格段悪いことをしているのではなく、部屋が狭いので外で集まって話をしているだけであったりする。しかし、それが日本人であれば問題はないのだが、こと中国人となると大問題となってしまうところに、地域の実状が見て取れるであろう。

 地域の問題は地域で解決していくことを基本として、またお互いの文化の違いを認め合う関係を作り上げていくことを基本としながら、地域の中国帰国者の集まりを作ろうと考え、今動き出している。それが、学校の枠を飛び出していることは重々承知の上で、しかし、いま学校が動かなければどうすることも出来ないのではないかと考え、とりあえず地域の帰国者の人たちや日本人(学校の保護者や団地の自治会など) との話し合いを進めている。地域から学校へ、また学校から地域へ、この問題を広げていくことが、翻って、中国帰国生の教育保障にもつながってくるのであると確信している。

 ようやく中国帰国者の会が立ち上がりかけている。どうしても成功させたいと思っている。

 

(7)第2年次の課題及び取組み

 文部省の研究指定校となって、特に変わった取り組みをはじめたわけではない。これまでどおりの取り組みをこれまでどおり進めてきただけであるので、たいした報告が出来たとは思わない。しかし、はじめて私たちが中国帰国生にであったとき、大阪の先進的な取り組みをしている長吉高校や上神谷高校の経験に多く学び、何度か足を運んで、貴重なアドバイスを受けた。そこに現在の本校における取り組みの出発点がある。この間の私たちの拙い取り組みが、かつての私たちのような苦労を感じている現場の役に立つのであればと思っている。

 中国帰国生の取り組みは私たちに多くのことを教えてくれた。そしてその生徒たちは誰もが真剣に、自分の将来を見つめながら勉学に励んでいる。その姿は感動的ですらある。先に引用したLさんの歩みは、門真高校における中国帰国生の取り組みの歩みそのものであると思っている。

 しかし、そうした中国帰国生たちと私たちの歩みを妨げる事態も起こっている。最近マスコミを賑わせているいわゆる「偽装入国」の問題である。「偽装」で入ってきた中国人が悪いといっているのではない。日本でまじめに働き、まじめに勉強している人たちを、こうも簡単に強制退去させることが、本当に日本の利益につながるのかが疑問なのである。少なくとも子どもに関しては日本の学校を卒業するまで、日本での生活を認めてほしいというのが私たちの要求である。

 いろいろな文化を持つ人々が互いの違いを認め合いながら共に生きていく社会とは、ひとりひとりの人権、子どもも含めてすべての人の人権が認められる社会でもあると思う。子どもの学習権は、たとえその両親が「不法入国者」であったとしても認められるべきである。

 本校では、昨年3名の生徒が中国へ帰国した。1年生のYくんは、夏休み前に「夏休みに中国へ一時帰るので終業式に出席できない」と伝え、また2年生のJさんは終業式直前に「中国の祖母が病気なので一時帰国する」と伝えてきた。しかし、その後、学校から出した日本の住居宛の手紙が「宛先不明」で戻ってくるということがあり、不審に思って家を見に行ったところ、すでに引き払われており誰も住んでいなかった。その時点ではじめて、私たちはこの生徒たちが中国へ帰国したことを知った。W先生に中国へ電話をかけてもらって、現在、2名とも中国の日本語学校で学んでいるということは判明しているが、門真高校の退学手続きなどは未了のままになっている。また、2年生のSさんは、今年度当初から学校へ出てこなくなった。何度も話し合ったが、理由は「妹が高校へ進学したので自分は働かなくてはいけない」ということであった。結局11月に退学手続きをとったが、12月末に中国へ帰国した。日本での在留資格の問題があり、自ら入管当局へ出頭しての帰国であったという。入管法の強化(不法在留罪の新設)にともなって、渡日する際の資格に多少でも不鮮明なところのある人たちが急遽、帰国するという事態が続いており、彼女の場合もそれにあたると考えられる。

 そして3月…。突然、本校の生徒の一家が大阪入管センターで連れ去られた。早朝6時、寝込みを襲われるようにして、両親と本校生が連れて行かれたのだ。さいわいにも、母親と本人は収容されなかったが、父親だけは収容され、帰国することを迫られたのである。せめて高校を卒業するまではと、特別在留許可を申請するために準備を進めたが、収容された父親の心労のため、結局帰国することになってしまった。

 櫛の歯が落ちるように、ひとり二人と欠けていく帰国生たちを見ていると、私たちがやっている取組みとは、いったい何なのだろうかと考えてしまうことさえある。「不法」の一言で、まじめに働き勉強している人々を国外へ追い出すことが、本当に「共生」の世の中を作っていくことにつながるのだろうか。

 今後、私たちは、学校における中国帰国生の日本語教育、母語保障、帰国生のアイデンティティの問題に取組みながら、他方では、多文化共生の社会を実現するため、学校から地域へ、そして地域から学校へと、相互に発信を続けるような教育活動を進めていきたいと考えている。

 

 私たちは、今の時点で、第2年次の課題として次のようなことを考えている。

  (ア)抽出授業の系統化

     中国人講師の授業を軸に置き、日本人教員による日本語作文と日本事情を配置する。

  (イ)中国語講座の拡充

     中国語初級講座と中上級講座を設置し、広く参加者を募る。特に、初級講座には日本人生徒の参加を促したい。また、他校(特に合併が予定されている門真南高校の中国帰国生の参加)

  (ウ)中国文化研究会への日本人生徒の参加

     これまでも、中文研の活動は多くの日本人生徒の協力によって支えられてきたが、次年度は広く参加を促す。中文研を、異なる文化を持つもの同士の共生の場として育てていきたい。

  (エ)地域の中国帰国者との協力関係の構築

     現在進めている、地域の中国帰国者の会を立ち上げ、地域と学校が協力して中国帰国生の教育を保障していく道筋を模索する。

  (オ)中高連携の一層の推進

     これまで続けられてきた中学と高校の連携をさらに強化する。とくに、中国帰国生の高校進学の保障について、どういう方法がいいのか、どういうことが実現できるのかを、中学と高校が協力して考えていく。その方法のひとつとして、入学者選抜の中国帰国生特別枠の設置について、考えていく。

  (カ)「強制送還」と教育保障

     中国から来た子どもたちの強制送還の問題について、すべての子どもの教育を保障するという立場に立って、学校のみならず地域の日本人や中国帰国者の方々の意見を聞きながら、どのように対処していくべきかを考えていく。

 

 

 

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