事例2  「挨拶」  親しい他者との関係

4月当初、A君の事例から。

今年度、授業担当のB先生とすれ違った。挨拶した。
続いて、去年教えてもらったC先生にあった。
C先生は、挨拶してくれた。
でも、僕は、関係ないのでそのまま通り過ぎた。
C先生、不思議そうな顔。あれ? 何かあったのかな。
後日、C先生から、4月になって突然、A君挨拶してくれなくなった。と聞きました。
機会があったので、A君に、「挨拶する人をどのようにきめていますか」と尋ねると
「挨拶は、お世話になっている人にします。」
C先生の話をすると
「C先生には今年、勉強おしえてもらわないので挨拶しなかった。」
「みんなに挨拶していたら、疲れる。」
と答えてくれました。

この事例のほか

みんなの先輩をたくさん雇用していただいている会社へ、校長先生が訪問されたとき、
社長から苦笑いされながら、仲間達や指導担当者には挨拶しているのに、私には挨拶してくれないので寂しいと嘆かれたそうです。
校長先生は、恥ずかしくて赤面してしまったと、後日の朝礼講話で、このことに触れ、挨拶の大切なことを話されました。

生徒達への紹介から

生徒達に、挨拶できますかと質問すると、ほぼ全員できると答えてくれます。
嬉しい答えなのに、なぜ挨拶に関する事例ができるのでしょう。
やればできるけど、やらないだけ。こんな答えが想像できます。
みんなの気持ちはわかるけど、挨拶は、「やればできる」でなくて、自然に「習慣としてできること」が大切だと伝えました。
生徒の意見に、毎日会う。一日何度もすれ違う、そのたびに挨拶するのは変というのがありまし た。生徒の気持ちがなんとなくわかります。
この意見には、名前覚えるのとおなじように、挨拶もとても大切です。すれ違ったときに、会釈(軽い挨拶)することで、あなたの存在を確認しましたという意味もあると伝えました。
挨拶をして挨拶を返してもらえない時や、視線をそらせて、知らないふりをされると、無視されたと不愉快に感じるものです。みんなは、頑張って挨拶をしてくれることを願っています。
この事例と関係ないのですが、脳と記憶というサイトを読んでいて、こんな記事を見つけました。
自転車に乗れるようになることや挨拶などは、手続き記憶と言い、一度苦労して覚えると長く体が覚えている記憶だと書いてありました。
この記事を読んで、自転車が、考えなくても乗れるようになるには、それなりの努力が必要なように挨拶も自然にできるようになるためには努力が必要だと気づきました。