JUMP金剛77号「最後の一人の立場に」

 4月に着任しました校長の上本雅也です。私は金剛高校に昭和63年度から平成11年度までの12年間、9期生の入学から18期生の卒業まで、初任者として勤務しました。その間、多くの人たちに支えられました。先輩や同僚の先生方、地域の人たち、そしてともに活動して来た生徒たち、その人たちの顔が今も目に浮かびます。最も苦しい時に、その人たちの言葉や行動による促しが「人は変わることができる」「社会は変えていくことができる」「世界は自らの経験を超えて豊かなのだ」との希望を与え、私の中から現実に立ち向かう力を引き出してくれました。

 私は「差別やいじめなどの人権侵害で苦しみ、命が奪われる人間を社会からなくしたい」と願って生きています。差別や人権侵害で苦しみ命が奪われる人間を社会からなくすには、何をすればいいのか。第一に被差別・被抑圧の立場や状況にある人たちのエンパワメントです。明日への希望を見い出せず、絶望に苦しめられている人にとって、最も必要なのは自らの存在そのものをまるごと受け容れてくれる人間です。家族や先生、地域の人、学校の仲間などの身近な人間がそういう存在であって欲しいと心の底から願います。

 加害を止めるには何が必要なのか。差別やいじめは本来自らが解決すべき課題に向き合うことができず、被抑圧状況の解消を被害者への攻撃により、ごまかそうとする「弱い心」から生じます。この時、被害者は人格を有する人間ではなく、自らの被抑圧状況を解消する手段(モノ)となっています。端的に言うと加害を止めるには、被害当事者の「心の叫び」を聴き、人はモノではなく人格を有するかけがえのない存在なのだと「人間の尊厳(dignity)」に深く思いいたすことが最も大切です。

 次に希望と連帯です。人権(human rights)は、人類の歴史の中で、被差別・被抑圧状況にある人々が、その不当性を訴え、多くの人々と連帯する中で、法に成文化させる形で一つ一つ勝ち取ってきたものです。日本最初の人権宣言と言われる「水平社宣言」は、部落差別により「呪はれの夜の惡夢」の中を生きてきた人々が「人の世の冷たさが」何たるかを知るが故に「人間を尊敬す」べきものとして「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と宣言し、被差別マイノリティの人権保障へと社会を変えて行ったものです。困難な状況であるからこそ、歴史の大きな流れや世界の情勢、人類の叡智に学び、「変容」「変革」の可能性を信じて多様な人々と連帯していたい。

 さらに、私を支えてくれたものに「学び」があります。高校・大学時代、現実に押し潰されそうになっていた私は、自らの現実以外に豊かな世界があることや自らの現実を相対化するものの見方、考え方があることに助けられました。こうした「学び」に導いてくれた先生方に感謝するとともに、私自身が学び続けることで「学び」の豊かさを提示できるようにあり続けたいと願っています。

 「最後の一人の立場に」は、私の生まれ育った地域の先輩の言葉です。この言葉を中心に据え、これからも現実を根気強く「うん、うん」押し続けます。今後ともよろしくお願いします。

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