図書館報『あづさ』より「私の薦める一冊」

 私がみなさんに薦める一冊は山本周五郎の『さぶ』である。舞台は江戸時代の下町。主要人物は貧しい農家から、障子や屏風を商う芳古堂に見習い奉公に出てきた栄二とさぶ。栄二は手先が器用で頭の回転も速く、体の動きもすばしっこい。さぶは不器用で要領も悪いが地道にコツコツと頑張るタイプ。二人は十年間もの辛く苦しい見習い奉公に耐え、初めて組んで出仕事をすることになった。初日から、二人は張り切ってお得意先の綿文という両替商で精一杯の仕事をした。ところが翌日、栄二は親方から綿文への出入り禁止を言い渡される。いい仕事をしたと思っていた栄二は納得がいかない。彼は綿文に事情を聞きに行く。しかし綿文は相手にしてくれない。栄二はとうとう綿文に迷惑をかけたことで、長年奉公し勤めた芳古堂をくびになる。のちに先輩職人から聞いて、分かったことだが、あの日、綿文では高価な金襴の布がなくなり、それが栄二の仕事袋から出てきたとのことだった。「えっ、まさか!」。栄二には全く身に覚えがない。栄二はそのことを訴えに綿文に行く。栄二のしつこさに業を煮やした綿文は、栄二が難くせをつけに来たものとして、やくざ者に栄二を痛めつけさせ、店を放り出す。「何かの間違いだ!」「真面目に努力して生きてきたのに、なぜこんな目に合うんだ!」。栄二はどうしても納得がいかない。さらに悪いことに、今度は事情を聞きに来た目明しが栄二の態度に腹を立て、栄二に暴行を加える。この時、栄二を襲った怒りはすさまじいものだった。「全てをぶち壊してやる!」「自分を信じてくれず、暴力を加えた奴らにきっと復讐してやる!」。栄二は今まで信じていたものが、こうも簡単に崩れ去ることに、打ちのめされる。その後、栄二は罪人として人足寄場に送られる。

 私は栄二を襲う怒りは当然だと思う。人は自らの意志と努力で人生を切り拓き、自分らしい人生を送ろうとする。その一切の努力が理不尽なものにより、踏みにじられ否定されたのだ。運・不運の問題で済まされるものではない。栄二は怒っていいのだ。しかし、それでは、栄二はこれから人間や社会に絶望し、怒りと復讐の思いの中で死んだ人間として生きるしかないのか。

 『さぶ』は、栄二の再生の物語である。「人間の一生は一枚の布切れなんかで、めちゃめちゃにされてはならない」。こう栄二が思えるようになるには、何が必要だったのか。作品の主人公は明らかに栄二である。しかし、作品名が『さぶ』なのは何故なのか。

 この作品は「人が生きる」上で、最も大切なものは何かを教えてくれます。さらには「仲間」「社会矛盾」「世界」について、深く考えさせてくれます。

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