2017年度3学期始業式式辞

みなさん改めまして、新年あけましておめでとうございます。幸い大きな事故や事件もなく、ここにこうしてみなさんとお会いできたことを、うれしく思います。

 みなさん、年末・年始はどのように過ごしましたか。年末は、普段できない家の掃除を手伝った人、久しぶりに友と出かけた人、除夜の鐘を撞きに行った人、年越し蕎麦を食べた人、年始は家族で初詣に出かけた人、友達と行った人もいるでしょう。またお節料理を祝った人、お年玉を祖父母や親戚からもらった人、など、ここにいる800人近い人には、一人ひとり違う過ごし方がありました。この過ごし方に正しいも間違いもありません。各人が育み培ってきた習慣や人間関係の中で、それぞれが気持ちを新たにして、新しい年が迎えられたなら、それが正しい過ごし方です。「多様性」の尊重とは、こうしたことです。

 さて、明治の俳人高浜虚子(夏目漱石に「吾輩は猫である」の執筆を勧めた門下生です)の句に「去年今年貫く棒の如きもの」があります。年末年始を詠んだ有名な句です。この句の解釈には様々ありますが、去年と今年と年は変わったが、それを貫く棒のようなものがある、と解釈します。この棒のようなものを「自然の変わらない摂理」とするか「自分自身の変わらない信念」とするかで、また解釈が分かれます。ここでは「自分自身の変わらない信念」としておきます。

 先ほど年末年始の過ごし方には、人それぞれで多様な過ごし方があり、気持ちを新たにすることが大切だと言いました。そのことに偽りはありません。私はしきたりや文化は、人が生活する上で、必要だと思っています。

 しかし、その上で、一方で「変わらないもの」への視点も、同時に大切だと思っています。自分とって「貫く棒の如きもの」とは何なのか、一度考えて見て下さい。そして自分自身の答えを掴もうとしてください。

 ところで、年末にあなた方に記入してもらった学校教育自己診断を見せてもらいました。記述欄の中には、反省させられるものもありました。中には「こんなアンケートを書いても何も改善されないのではないか」との疑問の声もありました。信じてください。私たち金剛高校教職員は、あなた方の意見や要望を決して疎かにしません。意見の中には誤解やすれ違いもあります。また、すぐに変えることのできないものもあります。しかし、私たち教職員は、生徒や保護者の意見や要望について、真摯に受け止め、今後の私たちの教育活動の改善に役立てることを約束します。

金剛高校の教職員は、あなた方の人格的な成長を願って教育活動を行っていることは、決して忘れないでください。

最後に、今年度も残り3ヶ月、3年生は卒業までもっと短い期間です。残された期間を悔いの残らないよう、完全燃焼してください。

以上で年頭に当たっての私の言葉とします。

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