平成29年度3学期終業式式辞

みなさん、お早うございます。3学期の終業式を迎えました。今日は、みなさんにとって、いささか、耳の痛い話をします。

みなさんがこの場にいるということは進級できたからです。中には、進級できず、この場にいない生徒もいます。また、この場にいる生徒の中にも、不認定科目を持って仮進級した生徒もいます。

私は初担任をした9期生の2年生で、進級できず、原級留置した生徒を3名出しました。ある生徒は、成績締め切りの日の前の夜、翌日朝10時にノートを提出しに学校に来ると私と約束しました。私は校門前でずっと待っていました。しかし来ませんでした。来たのは昼の12時、彼の車に乗ってでした。もう既に成績提出は締め切られ、成績が確定してしまっていました。夕方、申し渡しの連絡をしました。本人は、事態の深刻さが分からず、怒っていました。私の方こそ、言いたいことが山のようにありました。しかし、私は黙って耐えていました。結局その生徒を含め、2名は退学し、残り1名は留年しました。その留年した生徒も、卒業できませんでした。この時のことは30年近く経った今も忘れることができません。他にやりようがなかったのかと、自分自身への腹立ちと、悔しさでいっぱいでした。申し渡しの朝、校長室に行く足取りは重かったです。二度とこんな辛く悲しい思いをしたくないと心に誓いました。

教科担当として単位を認める、認めないについては、厳格な基準があります。その科目が必要とする知識や技能、態度や意欲が、身に付いたと判断され、認められて、はじめて単位修得となるのです。そこには、感情や好き嫌いなどの主観や口利きなどによる忖度が入り込む余地は一切ありません。

簡単に言えば、たとえ、教師と生徒との関係がどれだけよくても、また、その生徒が有名人の子どもであっても、テストが0点だったり、提出物が全く出ていなければ、単位を認めることはできないのです。これは民主主義の基本原理である平等、公平、公正にかかわる大きなことなのです。このことを決して忘れないでください。

 私は先の留年生を出して以降、物分かりの良い、少々のことは大目に見てくれる、あたりさわりのない、優しい教師は止めました。

授業中、寝ていたら、うっとうしがられても起こす、提出物が出てなければ、たとえ嫌われても、出すまで何度でも呼び出す、そんな堅苦しく、厳しい教師になりました。

教師と生徒は友だちではありません。指導する側と指導される側、評価する側と評価される側なのです。私は自分自身に厳しくそのことを課しました。

 再度言います。今日、この場に出席できることは、「当たり前」ではありません。みなさんの授業への取り組みが単位修得として、認められたからなのです。逆に言えば、頑張りがなければ、単位修得ができず、進級ができないのです。この厳然たる現実を理解して下さい。

 ただし、勘違いしないで下さい。一方で、単位修得ができなかった、進級ができなかったからと言って、その生徒の人生が「終わった」のではありません。再スタート、やり直しはできます。そう信じ、願っています。決して、自暴自棄になってはなりません。

 現実を安易に考え、多寡をくくってもだめですし、一方で現実に押し潰されて悲観的になってもだめなのです。現実を冷静に見極め、乗り越えることが求められているのです。

 私はあなた方が進級できたことを心から喜ぶと同時に、あなた方には、1年の終わりに際して、気持ちを引き締め、新たなスタートを切るのだ、との強い思いを持って欲しい。

 4月の始業式に、熱い思い、強い願いとともに、ここにこうして集まることができることを心の底から願っています。

                            平成30年3月15日

                        金剛高等学校 校長 上本 雅也

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