39期生入学式式辞

若草が萌えたち春も深まってまいりました今日、金剛高校第39回入学式を挙行いたしましたところ、ご多用の中、臨席を賜りました、大阪府教育庁支援教育課主任指導主事様をはじめ、PTA役員のみなさまには、高いところからではございますが、厚くお礼申し上げます。

 ただいま入学を許可しました、普通科240名、共生推進室生徒3名、合計243名のみなさん、ご入学おめでとうございます。

 今日からみなさんは大阪府立金剛高等学校第39期生です。教職員、在校生一同、みなさんのご入学を心より歓迎いたします。 

本校は、「みんなが仲間と共に通える学校を」という地元の熱い思いを受けて、昭和55年(1980年)に誕生しました。平成16年(2005年)には、それまでの特色ある学校づくりを発展させる中で普通科総合選択制に改編し、地域社会に貢献する自立した人づくりをその使命として、今日まで着実にその教育実践を積み重ねてきました。

おかげさまで、一人ひとりの生徒を大切にする学校、地域とともにある学校として、各方面より高い評価をいただいています。今年度からは普通科専門コース制として、更に深化、発展して参ります。この創造と活力に溢れる学び舎に、39期生のみなさんを迎えることができることを本当にうれしく思っています。

平成27年(2015年)からは、本校にたまがわ高等支援学校の共生推進教室が本校に設置され、昨年度初めて卒業生を出し、今年度が4年目になります。本校は多様性の尊重を大切にする学校です。障がいのある生徒もない生徒も互いにその個性を尊重し合い、発揮しながら「自分らしく」生きることが「ともに学び、ともに育つ」意義です。先ほど入学を許可した243名の生徒一人一人が、かけがえのない存在として、この金剛高校で自分らしさを輝かせ、学び、育つことを願っています。

さて、新入生のみなさん、あなた方は吉野源三郎の小説「君たちはどう生きるか」を知っていますか。最近、漫画化され、200万部を超える人気となっています。

この問いは、人間にとって永遠の問いです。人間は他の動物と違い、本能だけに基づいて生きているのではありません。人間は意識を持ち、言葉を獲得することで、自分を外側から見つめ考えることができる生き物です。その結果、生きる意味を問い、生き方を考えざるを得ない存在なのです。

この「いかに生きるか」の問いは「自由」と「平等」という近代民主主義の根幹の理念と密接な関係があります。近代は、人間の平等を基盤に個人の自由な生き方を可能にしました。よって「いかに生きるか」は親や先生やその他の人が決めるものではなくなったのです。一人ひとりの人間が自らの人生の中で決めるものとなったのです。

大変、大きな問いです。そして難しい問いでもあります。特に子どもと大人の中間にある思春期においては、この問いが非常に重たいものになります。私自身も中学、高校の時代は、それこそ、この問いの前で、悩みに悩み、試行錯誤の連続でした。

みなさん、大いに悩んで下さい。悩むことは決して悪いことではありません。むしろ悩めない方がおかしいのです。自らの人生を大切にしたいと願うからこそ、「いかに生きるか」に悩むのです。

ただ、この大きな問いに答えることは、とてつもなく難しいことです。

しかし、みなさん、安心して下さい。先ほど人類は、進化の過程で言葉を獲得したと言いました。付け加えれば文字も作り出したのです。このことは自分以外の他者とつながることを可能にしたのです。言葉の獲得は、自分以外の他者の経験を想像力を通じて取り込むこと可能にします。また、文字の使用は、遙か遠い過去や遠く離れた場所での知見の獲得を可能にしたのです。

それが「学び」です。私たちは「学び」を通じて、自己の直接経験を超えた知見を獲得することができるのです。この「学び」こそが、「いかに生きるか」に対して、指針を与えてくれるのです。

ここで指針の一つとして、新入生のみなさんに先人の知恵の言葉を贈ります。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉です。

 紀元前5世紀後半、ギリシャのアテネのポリスは民主政の衰退期でした。全てはその場その場の都合により決まり、相手を言い負かすためだけの弁論術を教えるソフィストがもてはやされていました。そんな中でソクラテスは誰彼となく対話を挑み、その対話法によって普遍的な真理を追究したのです。しかしその態度は、若い人々を惑わす危険な人物と見なされ、裁判にかけられ、弁明の機会も与えられて無罪を主張しましたが、多数決で有罪とされます。ソクラテスは脱獄の機会もあったものの、「悪法も法なり」と法に従うことを潔しとし、自ら毒人参の液を呑んで刑に服したのです。

彼は哲学者として、はじめて「いかに生きるべきか」を問いました。

 彼は、若者に向かって次のように言います。

「一番大切なことは、ただ単に生きることではなく、善く生きることだ。」

簡易平明ですが、奥深い言葉です。

単に生きるとは、

動物的な本能にのみ従い、欲求や欲望の充足のままに生きること

あるいは、その場の漠然とした流れやあいまいな雰囲気に従って生きること

を意味しているとも解釈できます。

また、善く生きるとは

自己の資質や能力を発揮して、自分らしい人生を生きること

他者とのつながりを大切にし、違いを尊重しながら支え合い生きること

真理や正義を追究し、社会をより善くするために、人のためになる行いを積み重ねて生きること

を意味しているとも解釈できます。

どう解釈しても間違いではありませんが、大切なのは、「いかに生きるか」の問いの前で、「単に生きる」のではなく、「善く生きようとしているか」と絶えず、振り返ることです。この振り返りが「学び」と「経験」に向かわせるのです。

どうか、新入生のみなさんには、かけがえのない人生を充実したものにするために、「いかに生きるか」を問い、「単に生きることではなく、善く生きているか」と自らを振り返り、「学び」と「経験」を通して、人間として大きく成長して欲しい。

金剛高校教職員は、あなた方の「学び」と「経験」による人間的成長をチーム一丸となって全力で支援します。

 最後になりましたが、保護者の皆様には、今日まで、ご苦労を重ねつつ、慈しんでこられた、お子様のご入学を、心よりお祝い申し上げます。私たちが大切に考えるのは、かけがえのないお子様の人間的成長です。教職員一同、保護者のみなさまと心をあわせ、真の愛情を持って、きびしく取り組んでまいりたいと思います。このことにつきまして、何卒ご理解・ご協力のほどお願い申し上げます。また、お子様について少しでもご心配なことがありましたら、どうぞ遠慮なくご相談下さい。

金剛高校教職員は、教え、導き、援助する専門家として、チーム一丸となって、お子様に向き合い関わり続けます。

新入生の皆さんには、今日の気持ちを忘れず、どうか、自分を信じ、仲間を信じ、先生方を信じ、未来を切り開いてください。

そして、合格者説明会で申し上げたように、「サンキュウ」の学年、すなわち、「ありがとう」の気持ちを最も大切にする学年として、謙虚な姿勢を持ち、「善く」生きようとして下さい。

そうすれば、心の扉は開かれ、「いかに生きるか」進む道は切り拓かれます。

「強い金剛」「楽しい金剛」「夢のある金剛」はあなたたち一人ひとりが「学び」と「経験」によって作りあげるのです。

これを私からの式辞といたします。

平成30年4月9日    

金剛高等学校 校長    上本 雅也

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