澱江春の
應援歌第一作詞者不詳
原曲:『アムール川の流血や』(栗林宇一作曲)
(第一高等学校第11回記念祭寮歌)
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※錦城=大阪城
※図南(となん)の翼
=大事業をしようとする志、計画(『荘子』逍遥遊より)
=想像上の巨鳥「鵬」が遥か南に向かって飛びたとうとする意から南に発展すること、大事業を計画することを図南という。(『大辞泉』小学館)
野口藤三郎(53期)
作詞者は不詳(多分当時の生徒の一人)だが、曲は明治34年に栗林宇一が『アムール川の流血や』の曲(旧制一高寮歌)として発表した名曲中の名曲である。
また、歌詞が何時ごろ出来たものかも不明であるが、初代楽友会会長の故・白井次郎先輩(39期)や森繁久彌氏(45期)なども愛唱しておられるから、多分大正末期には出来ていたのだろう。
昭和9年に北野の生徒となった私も、その年の12月、花園ラグビー場で天王寺に惜敗し、場外の広場で紅蓮の炎に包まれて燃えてゆく応援団旗を眺めつつ、この歌を歌って全員が泣いた思い出は心に焼きついて離れない。まさに、花園原頭夕陽涙(澤田麗壮君(52期)作の漢詩)である。
また、この曲は四分音符=114の勇壮華麗なマーチテムポだが、ゆっくりとアンダンテで歌うのもなかなかの味がある。けだし日本の代表的名曲であるといえるだろう。
※記念CDのこの応援歌の第一番第4節の歌詞を「ただまぼろしの エイに負う」と歌われているのは甚だ戴けない。まことに情けなく残念に思う。
なお、ここに収めたMIDIファイルのテンポは四分音符=100。
参考●『六稜百年 その憶い出』pp.57-59 (1973)
『創立120周年記念音楽会プログラム』p.25 (1993)