大阪府立長野北高等学校の沿革と校長からのメッセージです。
校長メッセージ 「反省・克己」そして感謝(閉校記念誌より)
長野北高等学校は1974年に府立第92高等学校として開校しました。この地は戦前、大阪陸軍幼年学校があり、戦後は河内長野市の市民のためのグラウンドとして使われていました。
幼年学校時代からある本校プール東側の桜の古木は、長きにわたり本校に入学する新入生を 満開の花びらで迎え、新入生を迎えることがなくなった今もその美しい姿を私たちに見せてくれています。
初代校長、大原 健先生は「己の在り様に関して、明確な責任を持つこと」を社会人の基本条件と考え「反省・克己」という校訓を定めたとかつての記録に残しておられました。
今もこの校訓は正門前の碑に刻まれており、閉校後も長野高校の中庭に移設され、その姿 を残します。
開校当初の卒業生の方々とお話しする機会に、よい思い出であったと度々お聞かせいただく野外活動は開校当時から20数年続き、修学旅行の企画の模範として紹介されたこともあったそうです。新潟県の笹ヶ峰でテントを張り、キャンプ生活を送り、火打山に登るという厳しいもので、校訓に基づく教育理念を実践に繋いだ教育活動であったことが偲ばれます。また、
閉校にあたり過去の資料を調べていた際に、山岳部が1991年に河内長野チベット踏査隊として参加し、チベット高原を横断したと知り、その活動範囲の広さに驚きを覚えました。
近年は「地域に根差した学校」を学校の目標として活動してきました。生徒たちにもっと地域のことを知ってもらいたいと考え、本校独自の教育プログラム「郷土学」を設置し、毎年学校近隣の歴史や文化の残る地域を散策する地元探訪を実施しています。高野街道をは
じめ、観心寺や隣町富田林寺内町の散策は生徒たちが改めて地元を知ることができ、有意義 な学びになったと感じています。また、千代田中学校区青少年健全育成会からは長年にわたり、地域で活躍できる場を多数ご提供いただくなど、生徒たちの成長に多くのご支援をいただき、深く感謝しております。閉校が決まってからも、水泳部が2年連続でインターハイに出場、科学同好会が大阪府学生科学賞展にて最優秀の大阪府知事賞を受賞するなど、活躍の場を広げてきました。
しかしながら、少子化をはじめ、学区の撤廃や私学を含む授業料の無償化等、社会の変化のうねりは大きく、大阪府教育委員会の高等学校再編整備計画の対象となり、長野高校との機能統合という形で長野北高校は47年の歴史に幕を下ろすこととなりました。寂しく、悲しく、残念な気持ちでいっぱいです。
創立から今日まで温かく長野北高校を見守り、本校の発展のためにひとかたならぬご尽力をいただきました地域、同窓会、PTA、教職員の皆さまに心より敬意を表しますとともに、
厚くお礼を申し上げます。
~最後に45期生の皆さんへ~
授業中、先生の話を食い入るように聞いていたキミ。先生の質問にユニークな答えで授業を盛り上げたキミ。朝の廊下で「おはようございます」と笑顔で挨拶してくれたキミ。マスク越しに照れくさそうに「おはようございます」と返してくれたキミ。こんな時だからこそ行事を盛り上げたいと生徒会役員に立候補したキミ。少ない人数になりながらも最後まで部活動
を続けたキミ。放課後の誰もいない教室で一生懸命作品に取り組んでいたキミ。
後輩の居ない3年間、少なくなっていく先生、増えていく空き教室。最終年度となる今年はコロナウィルスによる臨時休校等により進路に向けた計画の変更や学校行事の縮小があり、学生生活に不安の残る中での最後の卒業生45期生の頑張りに、たくさんの元気と幸せな気持ちをもらいました。
これからもずっとキミたちの頑張りを自慢します。
「ありがとうございました」
大阪府立長野北高等学校 第15代校長 平松 敏機
