昨日(10月2日)、後期の始業式がありました。その中で私から京都大学の本庶佑特別教授のお話をさせていただきました。ご存知のとおり本庶教授は、この度ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった著名な研究者です。学期の初めに、生徒の皆さんが少しでもポジティブになれる話ができれば・・・という思いで話しました。概略(あらすじ)ですが次のとおりです。
昨日報道されたとおり、京都大学の本庶佑(ほんじょたすく)特別教授がノーベル医学生理学賞を受賞されました。教授はある新聞社のインタビューの中で座右の銘を訊かれ「有志竟成(ゆうしきょうせい)」と仰ったそうです。「有志竟成」とは「強い志を持てば目的は必ず達成できる」という意味だそうです。
私の思い込みかもしれませんが、何かを成し遂げた人の座右の銘に「志」という文字を見つけることが多いような気がします。そこで、新聞等の記事を手掛かりとして、本庶教授の研究人生から「志」の正体に迫るアプローチをしてみたいと考えました。
まず参考になると思ったのは受賞決定後の記者会見です。教授はこの記者会見で「研究人生を歩み始めたきっかけ」を訊かれてこう答えています。 「小学校の校庭の天体望遠鏡で見た土星の輪」。小学生の佑少年は、土星の輪がなぜあんなふうにできているのか知りたくなり、この時に天文学者になろうと思ったそうです。思えばこれが研究人生の始まりだったのかもしれないと振り返っておられます。それから60年以上の時を経てこの少年はノーベル賞を受賞するほどの偉大な研究者になりました。ということは、教授の言う「志」はその間に生まれたということになります。
本庶教授の 「志」の正体に迫る大きなヒントは、実は別のインタビューの中にありました。教授が研究者としての矜持を語る中で出てきた言葉です。 「患者さんに『あんたのおかげ』と言われる以上の幸せはない」。この言葉を聞いたとき、私はひとつの疑問を抱きました。研究一筋で臨床経験のない本庶氏がなぜ患者さんの『あんたのおかげ』という言葉に幸せを感じるのか?一緒に苦労した研究者仲間ではなく、なぜ患者さんなのか?同時に私はこの言葉にこそ教授の「志」の正体が潜んでいるような気がしました。私の考えは次のとおりです。
土星の輪を見て天文学者に憧れた佑少年がやがて「誰かの役に立ちたい」と思うようになって研究の道に進み、76歳になってノーベル賞を受賞した。そして、この時に至って患者さんの『あんたのおかげ』という言葉が嬉しいというのですから、これを素直に考えれば、本庶教授の「志」の正体は「患者さんの役に立ちたい」という気持ちではないか・・・私はそう考えました。さらに進んで、教授の「志」が一般的な意味における「志」と同義であるならば、「志」=「誰かの役に立ちたいという気持ち」ということになるのではないか?そんなふうに考えたのです。
さて、ここからが大事です。このことを我が身に置き換えればどうなるのでしょうか?どの進路を選択したらいいのか、どの大学のどの学部を第1志望にすればいいのか・・・迷っている人は結構いるのではないでしょうか?自分には何が向いているのか・・・考えても考えても答えが出ずに苦しんでいる人もいると思います。そんな人は「志」の意味に立ち返ってアプローチの仕方をちょっと変えてみてはどうでしょう?一度悩むのをやめて、自分への問いを替えてみるのです。 「自分は誰の役に立ちたいのか?」「どんなことで人の役に立ちたいのか?」・・・これなら考えやすいかもしれません。そう考えたら答えは意外と近くに落ちているかもしれないと思えませんか?
例えば、サッカー命の高校生活を送ってきた人がいるとします。もしこれが小学生ならプロサッカー選手になりたいと答えることが多いかもしれません。 「サッカーのプレーをすることで子どもたちに夢や希望を届けたい」という「志」です。 しかし現実は甘くない。プロサッカー選手になるのは難しいとなった時、スポーツトレーナーや整形外科医という道もあります。これは、 「サッカー選手をサポートできる人になりたい」そのことによって間接的にではあるけれども「子どもたちに夢や希望を届けることに役立ちたい」という「志」です。同じようにスポーツライター、スポーツ番組のアナウンサーなどなど 「子どもたちに夢や希望を届ける」即ち「子どもたちの役に立つ」という「志」を達成させる道は無数にあるということに気づきます。こんなふうに考えれば新しい地平が見えてくるかもしれない。私はそう思うのです。
「志」が固まれば頑張る意志が強くなる。模擬試験の結果とか受験勉強が捗らない日常とか、そんな目の前の現象でめざすべき道を誤ることもなくなる。めざす方向が定まれば頭もクリアになる。そうなってくれれば良いのにと願っています。
八尾高生はまだまだ伸びます。自分の頭で考えて「志」を見つけ、苦しい今を踏ん張ってほしいと心から願っています。