後期始業式で伝えたかったこと、伝えきれなかったこと

 今日(10月2日)は後期の始業式でした。そこで私が生徒のみなさんに伝えた話をまとめると以下のとおりです。式でお話をした後いつも思います...思いがちゃんと伝わってくれたかな?声で伝わることと文字で伝わることは少しニュアンスが違うかもしれませんが、私としてはとても大事なことを伝えたつもりですので、ブログという媒体を使って整理をさせてください。

 最近、ある本で読んだ話です。著者(精神科医)曰く、人も動物なのでいかに精神の働きであってもそこには医学的なメカニズム(仕掛け)がある...ということらしく、人に幸福を与えるメカニズム(仕掛け)というのも存在するそうです。私はそれだけでもちょっとびっくりしたのですが、なんと、そのメカニズムというのは3つしかないということでした。

 1つ目は脳内麻薬と言われるエンドルフィン等の物質が出た時の幸福感(快感)です。例えば、空腹の状態で美味しい料理をお腹一杯食べた時に感じる「あ~幸せ!」という満足感がこれにあたるそうです。

 2つ目は神経伝達物質ドーパミンが出た時の幸福感(高揚感)です。例えば、サッカーの試合の大事な場面で放ったシュートが相手ゴールに吸い込まれていったときの「やったぜ!」という高揚感がこれにあたるそうです。

 3つめはオキシトシンというホルモンが出た時の幸福感(安心感)です。例えば、愛する家族や仲間の顔を見た時のあのほっとする感じ...帰ってきた!という安堵感がこれにあたるということでした。

 私が今日、生徒のみなさんに話したかったことはここからです。ここから先は私の考えです。

 エンドルフィンの働きによる1つ目のメカニズムもドーパミンの働きによる2つ目のメカニズムもとても大事です。生理的な欲求が満たされないことが続くと精神的な安定さえ危うくなるでしょうし、頑張った結果得られる報酬系の幸福感を求めなければ何事にもモチベーションが保てなくなると思います。が、本当の本当に大事なのは3つめのオキシトシンによる幸福感(安心感)のような気がしています。理由は次の2つです。

 一つは、この幸福感(安心感)は自分だけがどんなに頑張っても得られないものであることです。良好な人間関係と強い絆(お互いを大切だと思う気持ち)がない限り成立しない幸福感だと思います。

 もう一つは、この幸福感がすべてのベースになっていると思うからです。ようやく歩きはじめた赤ちゃんが少しずつお母さんから距離をとって部屋の中を探検できるのは、母親を信じているから(絆があるから)であり、赤ちゃんが幸福感(安心感)を感じているからこそ少しずつでもテリトリーを広げていく(社会に出ていく)ことができるんだと思います。心の我が家というか、絶対的な信頼を前提とした「安全基地」のようなものがないと報酬系の幸福感(満足感)を得ようとさえ思えないような気がするのです。

 これを八尾高生の学校生活に置き換えて考えたらどうなるでしょう?成長のためには、高校生にだって(赤ちゃんにとっての)母親のような絶対的に信じられいつでも帰って来られる「安全基地」のような場所が必要です。例え1人でも、学校に「安全基地」がないと感じている生徒がいるとするならば悲しいことです。学校における「安全基地」は学校の中の誰かでも良いですし集団(組織)でも構いません。例えば、親友や信頼できる先生でも良いし、クラスやクラブ、仲良しグループでも構いません。八尾高生は互いに「安全基地」になり合える関係性であってほしいなぁと思います。

 「安全基地」はどんな時もどんな状態でも無条件で温かく迎え入れてくれる存在です。そんな存在になるためには大事なことがあると私は思っています。それは「言葉」です。

 人間は言葉でコミュニケーションをとります。言葉は声と文字でアウトプットされますが、時として誤解を生むこともあります。全く違う意図で伝わってしまったり、言葉が諍いのもとになることもあります。私も幾度となくそんな経験を重ねてきましたが、それらの経験から、言葉に関する特性(これは私が勝手に言っているだけのことです)を知っておけば上手くいくということを発見しました。

 まず、自分が発信する言葉を最初に見聞きするのは例外なく自分だということです。面と向かって声で伝えるときも声はまず自分の耳に響きます。自分の声が相手に届く前に自分の耳で聞いていると思うのです。文字はもっと顕著です。頭で考えて文字にしてペンで紙に書く...その文字を最初に見るのは間違いなく自分(書いた本人)です。もし相手を攻撃したり非難したりする言葉を発したとしたら、一番最初に傷つくのは自分自身だと思いますし、その言葉は巡り巡っていつか自分のところに返ってくるような気がしています。

 もう一つは、言葉は発した瞬間に自分のものではなくなるということです。「そんなつもりじゃなかったのに...」とか「そんな風に受け取られるんなら何にも言えない」とか思ったことはないですか?それは、自分が発した言葉が自分の意図とは違う形で伝わったからだと思います。だとすれば、自分が発する言葉は発した瞬間に相手(聴く人)のものになると考えた方が良いと思うようになりました。それでも人は言葉を発しないと社会生活を送れません。それなら細心の注意と覚悟を持って言葉を発するべきだと思います。私のようにおおぜいの方々の前でお話しする機会の多い人間は、いろんな人に思いを巡らせ言葉を選んでお話をさせていただかないと、気づかないうちに誰かを傷つけていることになりかねないと思っています。

 けれども、言葉は情報を伝える記号ではありません。思いを伝えるためには伝えたい思いの熱量も必要ですし、それを表現する能力も必要です。

 みなさんは高校生です。時にはぶつかり合う人間関係も必要です。しかし、どんなにぶつかっても反目しあっても、互いが互いの「安全基地」であることを放棄しないようにしてほしいと強く思います。

 今日、始業式でお話ししたことに加えて私の思いも書きました。伝えきれなかった部分です。母校というのは「母なる学校」です。八尾高校に集う一人ひとりが、互いのオキシトシンをいっぱい分泌させる母のような存在であり続けることを心から願っています。

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