へっだー

2F 歴史

このページでは、教科書を時代や教科書の変わり目ごとで、教科書の移り変わりを見ていきます。小学校の教科書の移り変わりで見ていきましょう。

年代別

項目編

古代(飛鳥時代~平安時代)

 教科書の使用対象は限られた貴族の子弟でした。その中身は中国からの古典で高度で多くは写本でありました。

江戸中期(1716~1853年)

 この時代になると、学業をしたい武家子弟が増え、学校も増えました。庶民は寺子屋で勉強し、教科書の種類も増え写本から版本に変化しました。そのため寺子屋で使うための教科書も多数出版されました。江戸後期には相当多くの教科書が出版されたと思われます。武家子弟は中国から伝えられた漢文中心の漢籍、庶民は手紙ふうの昔の教科書である往来物で勉強していたそうです。

明治維新後

 開国したことで欧米などの近代学校制度へ変わっっていきます。そこで政府は教育の普及を進めていきました。どの教科書を使ってもいいという制度でした。

明治5年(1872年)

 学制が発布されます。教科書の多くは翻訳教科書でした。文明開化が起こり、一般人の啓蒙書としても教科書が普及します。学校では、教科書は読物という教科でよく使われました。社会の流れとして、明治10年代に近づくにつれ、自由民権運動に対して伝統的な保守思想や伝統思想家勢力が強まってきます。

明治10年代

 明治14年(1881年)に小学校教則綱領が発表されます。その結果、翻訳教科書は減っていき、国の文化・生活に根ざした教科書となっていきました。また望ましくない教科書名発表し、教育当局へどの教科書を使用すると届ける必要があり、その申請教科書を当局が認可しないと使用できなくなりました。

明治20年代

 明治20年(1887年)に教科書検定開始されました。これは明治36年(1903年)の国定教科書制度まで続きました。この制度によって、小学校教科書の定型が作り上げられました。明治25年(1892 年)には検定教科書(民間)出版され始めます。教科書は国語読本だけでなく、修身・地理などにも使用されるようになりました。明治20年代終わり頃には、小学校の教科書を国定にして、文部省が著作し発行すべきという意見がありました。。

明治36年(1903年)

国定教科書(国定第1期)が発行されます。教育当局と教科書の著作者との間に採択に関する不正が明るみになったためです。主要教科はこれ以外使用できなくなりました。この年から終戦まで各教科一種の教科書が全国の学校で用いられるように定められるようになります。

明治43年(1910年)

 国定第2期の教科書が発行されます。第1期の教科書は検定教科書と内容がほとんど一緒だったため批判があったためです。また学校制度も変更されました。

大正8年(1919年)

 国定第3期の教科書が発行されます。第一次世界大戦が終わり、情勢が変化したためです。

昭和8年(1933年)

 国定第4期の教科書が発行されます。東洋における日本のあり方の大きな違いや科学技術の進歩があったので改定されます。内容・外形共に国定教科書の修正が行われました。色刷りとなり、表紙・挿絵の新鮮さがわかります。

昭和10年代

 昭和11年(1936年) 、教育審議会が開かれます。ここでは小学校教育の再編について協議されたました。その結果、国定教科書の再編が決定されます。昭和16年(1941年) に国民学校制度がはじまり、国定第5期の教科書も発行されました。戦時下であるという背景のもと、教科書は大修正されました。軍事、皇国精神などの内容を含むことから、政府の政策に影響して教科書が改定されたかがわかります。

昭和20年代

 昭和20年(1945年)に、すみぬり教科書を使うようになります。第二次世界大戦がこの年に終わり、占領軍の政策として教科書の回収が行われました。国語読本の不適切な部分にはすみを塗るように占領軍に指示され、すみぬり教科書を使って勉強しました。この年の秋ごろには、学校が開かれ、暫定教科書として、国定第5期の教科書の不適切な部分を修正・削除した印刷教材で勉強していました。
 そして、昭和22年(1947年)に、新しい学校制度がはじまります。その結果、国民学校は小学校になりました。教科書は戦後の新しい理念に基づいたものがでした。初期は文部省が教科書を製作していましたが、このような国定教科書は廃止され、民間の教科書を文部省が検定し、使用を認める明治時代の検定制に戻りました。昭和22、33、43年の学習指導要領で検定1期本、2期本、3期本と改められて現在に至っています。これらは、アメリカの教科書の内容や体裁を参考にして作られました。また、印刷技術の向上により、色刷りがふえ美しい外形の教科書となっていきました。今の教科書は高い水準の教科書となっています。

教科書初期

江戸時代中期ごろから手書きの写本ではなく印刷の版本が使われるようになったことで、庶民も寺子屋などで勉強ができるようになりました。当時の教科書は、生活実用的なものが主体の手紙の往復文を収録したものを基とした往来物です。

字体

明治時代以前の教科書は手書きの写本と呼ばれるものでした。そのため、続き文字で書かれていました。明治時代が始まり印刷技術が発展すると、教科書は写本から版本に移り変わりました。そして終戦に近づくにつれ漢字・平仮名からカタカナで書かれるようになりました。終戦後は、現在のような平仮名・カタカナ・漢字の使い分けが行われるようになりました。

写真

現在使っている教科書のほとんどには写真が載っていいますよね。これはいつからなのでしょうか。1933年に初めて教科書が色刷りとなりましたが、まだ写真は掲載されていません。小学校の教科書では、1941年の理科に桜の木の白黒写真が載るようになり、1971年にはカラー写真も使われるようになりました。

教科

現在学んでいる教科はもともと教科としてなく、時代の流れと合わせて新しくできたものや廃止されたものがあります。ここでは教科書があるということは学校で教科として学んでいたものとします。明治以前からある教科は国語、習字、算数、地理(終戦に伴い社会へ)、歴史、道徳(国定教科書になってから修身という名に変わり、終戦と共に廃止)、理科、実業(高等科の小学校の科目として掲げられた)、家庭科です。明治初期からは図工、明治10年からは音楽がありました。

教科書の普及

現在、政府は小・中学校の生徒に教科書を無償で配給しています。この無償制度は、1951年以降、小学校1年に入学した児童に対し、義務教育無償の理想の実現への一つの試みとして、一部の教科書を無償給与しましたが、間もなく廃止されました。その後1963年度に小学校1年で再開しました。以後、学年進行方式によって毎年拡大され、1969年度に小・中学校の全学年に無償給与が完成し、現在に至っています。

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