へっだー

3F 方法

このページでは、私たちの手元に教科書がくる前に、一体どんな道のりをたどっているかについて知っていきましょう。

現在

 教科書ができてもすぐには使えません。作られた教科書は、文部科学省の教科用図書検定調査審議会という所で、一度内容を検定します。なぜ検定するのかというと、制作者ではない人が検定することで、その教科書が学校で使うにふさわしいものか客観的に調べることができるからです。
 教科書が検定され、合格すると、発行者は発行したい教科書の、書名、対象となる学年、著作者などをまとめた「書目」というものを文部科学大臣に届け出ます。文部科学大臣は書目をまとめた後、各都道府県の教育委員会を通じて、各市町村の教育委員会や国立、私立学校長に書目をまとめたもの(=教科書目録)を送ります。また、発行者も採択の参考にするべく、発行した教科書の見本を教育委員会や学校長に送ります。
 市町村の教育委員会は都道府県の教育委員会の助言や独自の研究の結果をもとに、この市町村で使うにふさわしい教科書を一つの教科につき一冊決めます。そして、発行された教科書を子ども達に配ります。

過去

 江戸時代は、『往来物』と『漢籍』の二種類の教科書が使われていました。往来物は、平民が通う寺子屋で使われていた市販の『読み、書き、算盤』の教科書です。漢籍とは、儒教の古典、歴史、詩を漢文で書かれたもので、武家の子ども達が使っていたものです。
 明治初期の学制発布から明治10年頃までは西洋で使われている教科書を学校ごとに自由に選び、翻訳して使われていましたが、明治14年に小学校教則綱領が発表され、国がある程度教える内容を決めました。そこで、著作者が教科書を教育当局へ届け出て、認可しなければ使用できない、という制度ができました。やがて国は、教科書を認可する制度から教科書の内容を検定する制度に変え、教育内容がある程度画一化されていきました。しかし、検定済みの教科書の内容が本当にふさわしいのか、という議論が起こり、次第に国が教科書を作るべきだ、という風潮になりました。そして、明治35年に、教育当局と教科書の著作者との間に採択に関する不正が明るみになると、国は早急に国定教科書を作る制度を作り上げ、明治36年には国定教科書を発行しました。それから昭和24年までは、改訂を重ねながら、すべての学校で国が作った一種類の教科書が使われました。昭和24年に、国定教科書が廃止され、現在の制度になりました。

未来

未来の教科書は、どのように採択されるのでしょうか。
 紙の教科書は現在のように検定されたものを使っているでしょう。
 しかし、第196回国会で正式に使用が認められたデジタル教科書は、今と変わっているでしょう。現在は検定が入らないことになっていますが、将来はデジタル教科書にも検定が入っていると考えられます。その検定は、教科書の内容に対してだけではないでしょう。
 例えば、デジタル教科書には、教科書内の様々なページに飛ぶため、多くのリンクを貼ることになります。そこで、誤って異なるリンクを貼ってしまうことも考えられます。もし、検定が入らなければリンクが間違っていることに気づかないまま教科書として配布してしまうかもしれません。そんなことがあってはいけないので、そういった技術的な面での検定が入るのではないでしょうか。

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