「落合文庫」記念講演会

平成19年12月14日(金)浪切ホール大ホール

「落合文庫」岸和田市有形文化財指定記念講演会

 落合文庫は、本校の前身である旧制岸和田中学校の第五代校長落合保(おちあいやすし)先生が中心となり収集した和漢書類(1582点)で、有名なものでは 「解体新書」・「学問ノスゝメ」・「後漢書」などがあります。この度、岸和田市有形文化財に指定され、記念講演会を開催しました。
 開会挨拶、大阪府教育委員会の綛山哲男教育長の祝辞、本校の卒業生でもある野口聖岸和田市長の祝辞に続いて、次の講演・報告が行われました。
 以下はその概要です。(字数の都合上、丁寧語は略して簡潔にまとめています。)

 

落合校長の業績

講演「落合校長の業績―『岸和田高等学校の第一世紀』にみる落合校長と学びの時空間―」

「落合文庫」岸和田市有形文化財指定記念講演会

 この機会を頂いたことを光栄に思い、お話させていただく。
 落合保先生は、明治四三年に旧制岸和田中学校に着任、大正10年校長となり、昭和17年に退職された。本校110年の歴史の中で、21年間の校長である。
 落合先生は、生徒に対して厳しく、かつ人間味豊かで、全校生徒に親しまれる存在でもあった。
 先生は、地域に呼びかけ、自らも購入し、和漢書、教科書、古文書・郷土史資料など、水準の高いものを収集された。
 昭和57年、落合文庫は、慶應義塾大学の大沼晴暉先生により調査され、昭和60年『大阪府立岸和田高等学校和漢書目録』、昭和62二年『追補』が出版された。
 岸和田中学校では、本物に触れ、深く考える教育があった。本校には、落合文庫の他、生物剥製や美術品、理科実験具や、旧制中学時代の生徒のノートなど教育資料が残されている。これらを総合的に整理・活用し、「爽やかで骨太の人材育成」に努めたい。

 

「落合文庫の価値」

慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 大沼晴暉 教授

「落合文庫」岸和田市有形文化財指定記念講演会

 初めて岸和田高校を訪問したのは今日と同じ昭和57年12月14日。奇しき縁を感じる。
 芭蕉の言葉に「不易流行」がある。書物は、人が不易を残そうとしたものである。
 今日紹介するのはすべて「落合文庫」の本である。落合校長が存命なら、集めた志、苦心などが物語られる。亡くなれば物語は失われるが、終わりではない。文化財になり、金庫に保存するだけでは意味がない。見て、触って、読んで、次の創造に活用されること、物語を紡ぐことが大切である。収集家は一期一会の機会を捉えて本を集め、次の世代に思いを託す。蔵書は里山と同じ。様々な木が集まり山になり、山脈となって美しさがある。貴重本だけに注目せず、全体の構成が大事である。
 落合文庫は、考経、伊勢物語、貞永式目など版の多いものを集めている。「北斎漫画」や「解体新書」など、知っていても見た人は少ない。実物を学校で触ることができることが、他校にはない素晴らしい岸和田高校の特徴である。
 江戸半ばから明治までの理化学書も収集されている。近代化の基礎となったものである。当時、西洋の理化学は、中国での漢訳が漢文として読まれた。直接ヨーロッパから来たものでは、落合文庫にある『理学初歩』は和綴じ本であるが、洋書風に左開きである。また、木版で、明治になって、レ点などを記入し、漢文と同じ方法で読まれた英語本もある。
 堺県など地方で刷られた教科書もある。当時、中央で作った教科書を地方で復刻・翻刻した。現在、中央の図書館では見ることができない。文化財指定の理由の一つであろう。
 落合校長は、教育者として教科書、物理化学の人として理化学書、版種の興味から孝経や伊勢物語・貞永式目、そして管理職として法制史の書物を集めた。
 蔵書がもつ、個々の本の有機的なつながりを捉え、考えて、新しい物語を作り出してほしい。

 

授業活用実践報告

岸和田高校 徳野寧伸 教諭

「落合文庫」岸和田市有形文化財指定記念講演会

 授業テーマは「解体新書と蘭学事始で学ぶ」とし、鎖国体制下、西洋医学の普及に心血を注いだ杉田玄白らの学問・研究に対する姿勢から、「勉強とは、学問とは何か」を考えさせた。
 「解体新書」は、オランダ語の医学解剖書「ターヘルアナトミア」の翻訳書で、漢文で書かれた四冊と序図一冊の計五冊からなる。序図の人体解剖図は、平賀源内に洋風画を学んだ秋田藩の画家小田野直武が描いた。当時の版画や浮世絵の技術が使われ、美術史の観点からも貴重な資料である。
 「蘭学事始」は、杉田玄白が、晩年、書き残したもので、当時の医学界や翻訳の苦労がわかる。
 人体解剖は、当時は「腑分け」とよばれ、めったに行われず、あっても、死体処理は穢れるという理由から、専門の医者ではなく、被差別民に委ねられていた。このような迷信、誤まった考えにとらわれる限り、医学や自然科学の進歩も、社会進歩もありえない。
 「腑分け」を体験した杉田玄白・前野良沢らは、本当の医学を広めるため、正確な解剖図のある「ターヘルアナトミア」を翻訳した。「蘭学事始」には、「艪櫂のない船で、大海に乗り出した」が、玄白自身「オランダ語の二五文字」も知らなかったとある。情熱があったからこその翻訳であった。
 授業では最後に、「彼らの仕事・生き方から何を感じたか」をワークシートに記載した。
 本校所蔵の「解体新書」は、1774年の初版本で、全国で十数冊しか残っていない。授業で使うのは本校唯一であろう。本校にこれがあるのは、地元泉州の文化力と経済力であり、地域の人々の本校への支えによるものである。その期待に応えて、岸高生の中から「第二の杉田玄白、前野良沢」が出ることを期待している。

 

激励の言葉

明治大学文学部 落合弘樹 准教授

「落合文庫」岸和田市有形文化財指定記念講演会

 落合保校長は私の曽祖父の弟である。祖父の落合勇は親元を離れて旧制岸和田中学に入学し、叔父の落合校長に教育を受け、のち大阪大学で憲法を教えた。教育者・研究者という立場は、落合校長は自然科学、祖父は社会科学、私は人文科学と、分野は異なるが、「家業」として受け継いでいる。
 落合校長は明治期の教育で育ったが、「岸和田藩志」や孝経の研究など文系の教養は、江戸社会の文化との連続性を感じる。
 歴史は様々な「文化継承」の融合体である。岸和田中学も、質実剛健の精神と、大正デモクラシー期の自由な精神が「文化融合」し、今日に「文化継承」された。
 現物教育の伝統に感銘した。「解体新書」は大学入試では書名と著者だけで十分だが、内容に触れることで教養の幅が広がる。これが岸和田高校の文化である。今は、錚々たる人材を輩出する母校の魅力はわからなくても、卒業後には強く感じる。伝統と文化を、誇りを持って引き継いでほしい。
 大学では、教わる受動性より研究する能動性、「受信」より「発信」が大事になる。落合校長の「自己の研究課題」を見つけ「これを仕上げるべく没頭すべきである」ということである。日々の勉強のみならず、芸術への関心、スポーツによる鍛錬、青春時代の友情は、人間形成の大切な要素である。感動や発見を蓄積し、充実した生活を送り、全国に、さらに世界に発信できるよう励んでほしい。

 

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