WEB プリント(復習用) このページはパソコン用です >> スマホ・タブレット対応版(クリックしてください) <<
・授業でのプリントの答えを確認できます。UPに際して、プリントの画像は削除し、授業時の説明を若干加えています。
・{ 答え }の名を、マウスでクリックしてなぞると、答が青色で表示されます。(スマホ、タブレットでは表示されません)
・作成には注意していますが、誤りや、上手く動作しない可能性があります。(質問、要望は、社会科田中まで)
<プリントタイトル>
日A_21V 日露戦争へ(北清事変と日英同盟を経てロシアと開戦) 教科書P88~91 図表P238
<プリントタイトル>
日A_21V 日露戦争へ(北清事変と日英同盟を経てロシアと開戦) 教科書P88~91 図表P238
列強の中国進出 清は「眠れる獅子」と言われたが・・・
1840-42年{ アヘン }戦争:英のアヘン密輸に清が抗議、英と清の戦争。清敗北
1856-40年{ アロー }戦争:英のアロー号の清の臨検に抗議 清と英仏連合軍の戦争。清敗北
1894-95年 日清戦争:朝鮮の支配権を廻る、日清の戦争。清敗北
→下関条約:賠償金(2億両)、朝鮮の独立承認、領土の割譲:{ 遼東 }半島及び台湾、澎湖諸島、{ 沙市、重慶、蘇州、杭州 }の開港
三国{ ロシア・ドイツ・フランス }干渉により日本が遼東半島を返還した。
この事により、国民の間には{ 臥薪嘗胆 }という合い言葉がはやり、ロシアへの敵意が高まった。
>「臥薪嘗胆」の読み方とその意味は?
三国{ ロシア・ドイツ・フランス }干渉により日本が遼東半島を返還した。
この事により、国民の間には{ 臥薪嘗胆 }という合い言葉がはやり、ロシアへの敵意が高まった。
>「臥薪嘗胆」の読み方とその意味は?
列強の中国分割
・19世紀末、世界は{ 帝国 }主義の段階に入り、アフリカ・太平洋諸島に続きアジアでも列強による植民地化の動きが強まった。
・日清戦争後、列強は対日賠償金に喘ぐ清に借款を与えるのと引き替えに利権を得て、{ 中国分割 }をおこなった。
・19世紀末、世界は{ 帝国 }主義の段階に入り、アフリカ・太平洋諸島に続きアジアでも列強による植民地化の動きが強まった。
・日清戦争後、列強は対日賠償金に喘ぐ清に借款を与えるのと引き替えに利権を得て、{ 中国分割 }をおこなった。
②各国のおもな租借地
>教科書P89の【列強の中国侵略】の図を参考に配布プリントの図を色分けすること。
ドイツ... { 山東 }半島の膠州湾 cf.:杭州、広州
ロシア... { 遼東 }半島の旅順・大連
イギリス‥・ 威海衛と{ 九竜 }半島
フランス... { 広州 }湾
アメリカ... 中国分割に加わらず、1899年に国務長官の{ ジョン・ヘイ }が{ 門戸開放 }・機会均等、1900年に領土保全を宣言(通牒)。
注:アメリカは、伝統的政策のモンロー宣言(欧米両大陸の相互不干渉を主張するアメリカ合衆国の外交原則。次第に拡大解釈された)を捨てた!
北清事変
①清国の排外運動
・列強の中国分割が進展すると、清国ではスローガンとして{ 扶清滅洋 }をかかげる{ 義和団 }が勢力を拡大し、1900(明治33)年に北京の各国大使館を包囲({ 義和団 }事件という)。
・清国政府({ 西太后 }が権力の中心)もこれを支持して各国に宣戦布告。→これを{ 北清 }事変という。
・清国政府({ 西太后 }が権力の中心)もこれを支持して各国に宣戦布告。→これを{ 北清 }事変という。
②列強の出兵 日本・露・英・米等8カ国出兵、北京占領、清は降伏。
・1901年、{ 北京 }議定書で多額の賠償金の支払いや北京への駐兵権等承認。中国の半植民地化進行。
・1901年、{ 北京 }議定書で多額の賠償金の支払いや北京への駐兵権等承認。中国の半植民地化進行。
日英同盟
・北清事変の間にロシアが満州を占領したことは、日本・イギリスの脅威に。
・日本は{ 韓国 }に対する影響力を失うことを恐れた。
・元老の{ 伊藤博文 }や井上馨が唱えた{ 満韓交換 }論に基づく日露協商論。
・元老の山県有朋や{ 桂 }太郎首相らは、イギリス、と軍事同盟を結んでロシアをおさえる日英同盟論を主張し、 1902年に{ 日英同盟 }協約締結。
>日英同盟はどのような意図で締結されたのか。日露戦争にどのような影響を与えたのか。
・元老の{ 伊藤博文 }や井上馨が唱えた{ 満韓交換 }論に基づく日露協商論。
・元老の山県有朋や{ 桂 }太郎首相らは、イギリス、と軍事同盟を結んでロシアをおさえる日英同盟論を主張し、 1902年に{ 日英同盟 }協約締結。
>日英同盟はどのような意図で締結されたのか。日露戦争にどのような影響を与えたのか。
日露戦争開戦と人々の生活
①開戦 日本とロシアは{ 朝鮮 }・満州の権をめぐる交渉中も、互い開戦準備を進めた。
1904年、日本艦隊が仁川(インチョン)港・旅順港を奇襲攻撃し、宣戦布告前に開戦。
1904年、日本艦隊が仁川(インチョン)港・旅順港を奇襲攻撃し、宣戦布告前に開戦。
|
|
②経過 1905年1月{ 旅順 }占領、3月{ 奉天 }会戦、5月{ 日本海 }海戦に日本は勝利するが、戦争継続は不可能(戦費不足等)。
・米大統領{ セオドア・ローズベルト }に戦争終結の調停依頼。 注:金子堅太郎とルーズベルトはハーバード大学の同窓。
<旅順港>
・天然の良港。
・ロシアの旅順艦隊の母港として、この港を守るため、旅順要塞を構築。
・湾口が狭いので、湾口に老朽船を沈める閉塞作戦を数次にわたって行う。
・最終的には、陸軍が旅順要塞を制圧して、砲撃により旅順艦隊を殲滅。
<参照> Google map
https://www.google.co.jp/maps/@38.7910011,121.2570969,12.68z?hl=ja
・ { 旅順 }の攻防(図表の写真、略)旅順は天然の良港。
・ 三国干渉による、遼東半島返還後は、ロシアが租借し、{ 旅順 }艦隊の本拠地として軍港として整備して防衛施設を強化(永久要塞化)
・ { バルチック }艦隊航跡図 (図表の写真、略)→日本海海戦でほぼ全滅。
>日本海開戦での日本の大勝の理由を考えよう。
・ 三国干渉による、遼東半島返還後は、ロシアが租借し、{ 旅順 }艦隊の本拠地として軍港として整備して防衛施設を強化(永久要塞化)
・ { バルチック }艦隊航跡図 (図表の写真、略)→日本海海戦でほぼ全滅。
>日本海開戦での日本の大勝の理由を考えよう。
③ロシアの状況
・軍事力には余裕があったが、ツァー(皇帝:ニコライⅡ)政府による労働者虐殺事件({ 血の日曜日 }事件」)が発生。 参照:大津事件
・全国でゼネラル・ストライキが発生、産業が麻痺し、戦争継続は困難になる。
・全国でゼネラル・ストライキが発生、産業が麻痺し、戦争継続は困難になる。
注:明石元二郎大佐の諜報、革命支援活動が背景にあるとも言われる。
ポーツマス条約と民衆
①講和 1905年、アメリカの{ ポーツマス }で講和条約調印。日本全権:小村寿太郎 VS ロシア全権:{ ウィッテ }
②内容 賠償金が無いことに注意!
(1)日本の{ 韓国 }における独占的支配権を認める。
(2){ 旅順 }・{ 大連 }の租借権、南満州鉄道の利権を日本に譲渡。
(3)賠償金は支払わないが{ 樺太 }の北緯50度以南を日本に割譲。
(4)沿海州沿岸の漁業権を日本に与える。
③主戦論・反戦論
主戦論:東京帝国大学教授ら七博士の主戦論の意見書。
反戦論:社会主義者の{ 幸徳秋水 }や堺利彦は『平民新聞』で。、キリスト教徒の{ 内村鑑三 }。
国民の気持ちを文学で表現。
、「君死にたまふことなかれ」 作者:{ 与謝野晶子 }
あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや・・・
③主戦論・反戦論
主戦論:東京帝国大学教授ら七博士の主戦論の意見書。
反戦論:社会主義者の{ 幸徳秋水 }や堺利彦は『平民新聞』で。、キリスト教徒の{ 内村鑑三 }。
国民の気持ちを文学で表現。
、「君死にたまふことなかれ」 作者:{ 与謝野晶子 }
あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや・・・
④講和反対運動
・ { 賠償金 }のないことが伝えられると、財界・政治家・ 国権主義者ら反発。戦争の犠牲と重税に耐えてきた民衆の不満爆発。
・1905年東京で{ 日比谷焼き討ち }事件が起こると{ 桂 }内閣は{ 戒厳 }令で鎮圧。
⑤日清戦争との比較
⑤日清戦争との比較
|
|
戒厳令:戦時・内乱などの非常時に際し車隊に行政・司法(裁判)の権限を認める法令。教P114、127
・1回目:1905年日比谷焼打事件 2回目:1923年{ 関東大震災 } 3回目:1936年{ 二・二六 }事件
>日露戦争がその後の日本に及ぼした影響をのベよ。