ご挨拶

谷口校長

新年おめでとうございます。  皆様には、お健やかに新年をお迎えのことと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、本校では従前にもまして落ち着いた雰囲気で教育活動が展開できていますが、これも皆様方のお陰と感謝申し上げます。本校は再編統合により、この3月をもって閉校となります。2月26日の最後の卒業式、並びに閉校式まであと2ヵ月を切り、正味の日数で言いますとあとわずかとなりました。日一日と、寂しく切ない思いが募ります。
 そのような中ではありますが、学校教育目標である「挨拶の飛び交う 秩序ある元気な学校」の実現に一歩でも近づけるよう保護者や卒業生、しらとり会、並びに地域の皆様のご支援、ご協力を仰ぎながら、生徒・職員一丸となって最後の最後まで全力で努めてまいります。引き続き、ご指導、ご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。


平成23年1月1日          
 校長 谷 口 利 広

(平成23年1月1日)

平成22年度3学期

平成23年3月30日 本日午後、最後の職員会議を招集
平成23年3月29日 教師冥利に尽きる
平成23年3月28日 心残り
平成23年3月27日 「意思あるところに道は開ける」を上梓
平成23年3月26日 校庭のサクラ開花
平成23年3月25日 門標等の取り外し
平成23年3月24日 風評に惑わされることなく
平成23年3月23日 痛みを分かち合う
平成23年3月22日 善意の輪のさらなる広がりに期待
平成23年3月21日 称賛の声の中、恥ずかしい話
平成23年3月20日 217時間ぶりの“奇跡の生還”
平成23年3月19日 濃尾地震の死亡者数を超えた
平成23年3月18日 退職記念に出版
平成23年3月17日 死亡確認者が5千名超に
平成23年3月16日 奇跡の救出
平成23年3月15日 見極め、冷静な行動を
平成23年3月14日 全国民が一致団結して復興への道を
平成23年3月13日 気の滅入る毎日
平成23年3月12日 大変なことになった
平成23年3月11日 大きな地震が発生
平成23年3月10日 十日余りが経過
平成23年3月9日 異動内示の通知
平成23年3月8日 スイセンが満開
平成23年3月7日 驚きの走り
平成23年3月6日 放っておいた洋ランに花芽
平成23年3月5日 羽曳野高校の卒業式・閉校式
平成23年3月4日 PTAの役員会
平成23年3月3日 本校の校務員
平成23年3月2日 卒業は始業
平成23年3月1日 春弥生、異動の季節
平成23年2月28日 4人の恩師
平成23年2月27日 「40周年」でお会いしましょう
平成23年2月26日 卒業式・閉校式を挙行
平成23年2月25日 一丸となっての取り組み
平成23年2月24日 代表生徒の予行演習
平成23年2月23日 あと36日
平成23年2月22日 4人でリハーサル
平成23年2月21日 式場設営の細部の詰め
平成23年2月20日 サクラの開花予測
平成23年2月19日 予報では、晴れ時々曇りで暖かいと
平成23年2月18日 準備が着々と
平成23年2月17日 残念で堪らない
平成23年2月16日 放射冷却で強い冷え込み
平成23年2月15日 スイセンも冠雪
平成23年2月14日 生徒たちの登校日
平成23年2月13日 陽光が川面に輝く
平成23年2月12日 期待はずれの1日人間ドック
平成23年2月11日 久しぶりの本格的な積雪
平成23年2月10日 一堂に会するのも最後
平成23年2月9日 久しぶりのまとまった雨
平成23年2月8日 教育センターへの出張
平成23年2月7日 樹木の剪定
平成23年2月6日 ペースメーカーは不要
平成23年2月5日 煙霧
平成23年2月4日 羽曳野市立中学校と周辺府立高校との連絡協議会
平成23年2月3日 今日は節分
平成23年2月2日 無事モーニングを
平成23年2月1日 定期考査終了
平成23年1月31日 大乗川に氷が
平成23年1月30日 粘り強く
平成23年1月29日 淡路島も3週間遅れ
平成23年1月28日 ここ1週間、10日で
平成23年1月27日 暦の上ではもうすぐ春だが
平成23年1月26日 恵みの雨
平成23年1月25日 最後の授業
平成23年1月24日 開花が遅れそう
平成23年1月23日 卓球の日本選手権
平成23年1月22日 西浦高校の40周年
平成23年1月21日 最後の学校協議会
平成23年1月20日 PTAの役員会
平成23年1月19日 授業はあと5日
平成23年1月18日 震災記念日
平成23年1月17日 酸ヶ湯で3メートル
平成23年1月16日 今冬一番の冷え込み
平成23年1月15日 38年を振り返れば
平成23年1月14日 季節は着実に
平成23年1月13日 最後を飾る授業を担う
平成23年1月12日 卒業式・閉校式への出欠回答
平成23年1月11日 3学期始業式
平成23年1月10日 明日は3学期の始業式
平成23年1月9日 異業種の人たちとの勉強会
平成23年1月8日 大いに反省
平成23年1月7日 「百薬の長」
平成23年1月6日 隻腕での大キレット
平成23年1月5日 健康と体力
平成23年1月4日 仕事始め
平成23年1月3日 早稲田の総合優勝
平成23年1月2日 東洋大が往路優勝
平成23年1月1日 平成23年元日

本日午後、最後の職員会議を招集

 本日午後、職員会議を招集した。
 西浦高校33年の、最後の職員会議となった。

 昨日、今日と、何かと慌ただしく過ごした。そのような中、午前中に挨拶回りを終えた。この33年間、数え切れない多くの方からのご支援を賜った。この場をお借りして、御礼申し上げたい。

 「校長室から」は、本日が最後となる。三年間、飽きずにお付き合いいただいた皆様に感謝したい。


 私の話

 いよいよ今日、明日の2日間となり、今回が本校最後の職員会議になりました。
 さまざまな思いが巡ります。みなさんも、おそらく同様の思いでしょう。本校での勤務年数には長短がありますが、「西浦」のためにご尽力いただいたことには変わりありません。本当にご苦労様でした。

 今年度の総括については、各分掌からあがってきたものをもとに「学校評価報告」という形でまとめ、すでにホームページにも掲載しています。本日この場では、細々したことを申し上げるつもりはありません。
簡潔に私の思いをお話しします。

 とにかく、しっかりと覚悟を決めて、生徒たちの思いへの理解に努めながらもけっして妥協することなく、保護者の支援も仰ぎながら一致して粘り強く取り組んだことについては、一定の成果が上がりました。一方、準備不足や取り組みに甘さが見られたことについては、それなりの結果しか出なかったと私は思っています。何が前者で、どのことが後者に当てはまるのかは、みなさん一人ひとりがよくおわかりだと思います。
 退職される方を除き、4月1日から新しいところへ赴任されるわけですが、これまでの経験を、特にうまくいかなかったときのことを反省し、ぜひ次に生かしていただきたいと願います。

 私は本校で3年間勤めたわけですが、これといって何もできなかったばかりか、我が儘を通すばかりで、みなさんには申し訳なかったとの気持ちで一杯です。
3月31日で定年退職となりますが、教員生活38年の最後の3年間、西浦高校でみなさんと一緒に勤められたことをうれしく思います。

最後に、みなさんには健康にご留意願いますと共に、ますますのご発展とご活躍を祈念申し上げ、私からの最後の話しとさせていただきます。


(平成23年3月30日)

 

教師冥利に尽きる

 昨日、府立学校で常勤講師を務めているNさんから手紙をいただいた。Nさんは、私の前任校(大阪市内の府立高校)で2年間非常勤講師を務めて貰った。水泳が得意の、礼儀正しい青年であった。その後、兵庫県の私立中学校・高等学校に教諭として勤務したが、理由があって3年で退職したようだ。現在は府立支援学校で講師として勤めながら、公立学校の教諭をめざして採用試験に挑戦中と聞く。
交流をしていたわけではないが、今回の手紙によると本校のホームページをよく見てくれているようだ。便りには、「『校長室から』を毎日読んでおり、日々教訓として自分に言い聞かせております。中でも教師としての心得≠ヘプリントアウトして自宅と学校でいつでも見ることができるようにしてあります」とあった。「『校長室から』で定年退職を知り、大阪に戻ったときから先生の下でもう一度仕事がしたいと思っていただけに残念です」とも。
ありがたいことである。前任校での常勤講師時代、特別に力添えしたわけでもなかったのに、このように慕って貰え教師冥利に尽きるというものだ。

すぐに電話をかけ、少し話が出来た。相変わらず、律儀そのものであった。「粘り強く、採用選考突破に向けて努力を・・・・・・」と励ました。
彼なら、きっと成し遂げるだろう。

  府立高校における教師生活もあと数日を残すばかりだが、うれしい便りとなった。

(平成23年3月29日)

 

心残り

 本校校庭のサクラの開花状況を楽しみに登校したが、思ったほど進んでいなかった。昨日三郷町では最低気温が氷点下2度、最高気温も10度を下回った。今朝もかなり冷え込んだ。羽曳野地域も、奈良ほどではないにしても冷え込んだだろう。今日の日中は、かなり暖かくなりそうだ。予報では、明日はさらに気温が上がるようなので開花も一段と進むだろう。

  長く楽しませてくれているスイセンだが、盛りを過ぎ終わりに近づきつつある花もある。ただ全体としては、まだまだ美しく、あと10日は十分楽しめそうだ。
球根が一部残っていたのだろう、スイセンの前などにチューリップの芽が出てきて日に日に成長している。その数、50余り。こちらも、あと2週間で開いて来るだろう。大した生命力だ。しかしながらあと4日で閉校なので、近くで見ることの出来ないのが心残りである。
峰塚や河原城中学校などに差し上げたチューリップの状況も、気がかりだ。開花した様子を、ホームページなどで見ることが出来ればうれしいのだが。

(平成23年3月28日)

 

「意思あるところに道は開ける」を上梓

 三年間の「校長室から」をまとめた一冊、「私の学校経営実践・意思あるところに道は開ける」(四六版・540頁)が出来上がり、昨日届いた。
ホームページに掲載した700あまりからの約300編、何ら新鮮味はないが、自らの書いたものが一冊になるというのは、うれしいものである。
始業式、終業式、入学式や卒業式、及びさまざまな会合などで話したものも含まれているので、私にとってはよい記念になる。

  文章を書くことは苦にならないので、退職後は若い頃やっていた新聞や雑誌などへの投稿を再び始めようかなどと思ってはいるが・・・・・・。

(平成23年3月27日)

 

校庭のサクラ開花

 大乗川沿いに植えられている校庭のサクラの一本は、毎年他のサクラに先駆けて咲き始める。
昨日、下校の際、開花したひとひらを見つけた。この様子からして、他のサクラも火曜日くらいには咲き始めそうである。

(平成23年3月26日)

 

門標等の取り外し

 あと一週間だ。
昨日、正門並びに通用門の門標と校歌碑を取り外した。懐風館高校に設置する本校の記念室に展示するためだ。31日までそのままにしておきたかったのだが、石屋の作業の都合などもあり、やむなく昨日となった。
正門の門標と校歌碑はわりと簡単に外れたが、通用門のものは強力な接着剤で固定されていて長時間を要した。一時は、「門標が割れるかもしれないので、その点覚悟して欲しい」と石屋から言われた。
石屋のていねいかつ粘り強い作業のお陰で、取り外しが無事終わった。

取り外した跡は< 写真のとおりである。寂しい思いが、さらに募っている。


(平成23年3月25日)

 

風評に惑わされることなく

 福島原発から遠い千葉県松戸市や東京都の浄水場でも、暫定規制値より高い濃度の放射線物質が検出された。乳児には飲ませないようにとのことだが、長期にわたり接種した場合の健康への影響を考慮して設定したものであり、代わりの飲用水が無い場合は摂取してもただちに健康を害するものではないとのことだ。
不要な地域までにもミネラルウォーターなどの買占めが広まり、避難所生活者など緊急に必要とする人たちが困るような状況が出ることは避けなければならない。風評に惑わされることのないようにしたい。

以前に植えられた黄色いスイセンも、校庭で今見ごろとなっている。また、サクラの蕾が膨らみ、ピンク色も目に付くようになった(写真は、本日昼ごろに撮ったものだ)。あと3〜4日で開花しそうだ。

(平成23年3月24日)

 

痛みを分かち合う

 福島原発の被災に係わって、放射線物質に汚染された福島県、茨城県、群馬県、及び栃木県産の葉もの野菜や原乳などの摂取制限・出荷制限が広まっている。制限をかけることはやむを得ない処置だが、農家や酪農家のことを思うといたたまれない気持ちだ。消費する側は、きちんとした科学的合理性のある情報をもとに、行動しなければならない。風評被害は、出して欲しくない。また、電力会社や国は、責任をもって保障等に対応願いたい。それもスピーディーに。

いい天気だが、気温は低く肌寒い。東北地方はもっと冷え込んでいることだろう。東北への、春の訪れがスピードアップすることを願う。
西日本での節電は、周波数の違いなどもあり直接的に貢献することはできないものの、被災された方々の思いを共有するということでは大きな意味をもつと考える。全国民が一つになって、痛みを分かち合うことが大事である。そのうえで元気に活動し、その元気や勇気を被災された方々に送り届けることが求められる。

(平成23年3月23日)

 

善意の輪のさらなる広がりに期待

 昨日、被災者支援の募金活動等の輪が広がっていることに触れたが、日本赤十字社に寄せられた義捐金の総額が、57万件超、223億円を超えたと聞く。中央共同募金会などを合わせると、おそらく300億円を超えていることだろう。善意の輪が、さらに広がることを期待する。

  我が家のハクモクレンが開いてきたが、あいにくの雨で早く黄色くなってしまうと心配した。しかし、まだ開き切っていなかったことと、大した雨量ではなかったので、大きな影響は受けなかった。今日は暖かく陽光が降り注いでいるので、さらに開いて来るだろう。しばらく、雨にはご遠慮願いたいものだ。

  本校の閉校まで、今日を入れて10日である。

(平成23年3月22日)

 

称賛の声の中、恥ずかしい話

 昨日、9日ぶりに救助されたお二人は、食事も自力で食べられるなど思ったより元気とのこと、よかった、よかった。

被災者支援の募金活動等の輪が広がっている。喜ばしいことだ。個人で10億円を募金されたというニュースも聞く。もちろん、多寡を競う話しではないが、財力に余裕のある人は、子や孫に残すよりも、こういった際に思い切った行動をとっていただきたい。企業についても同様である。また海外からも、「我々が困っているとき、日本はいの一番に助けてくれた。今度は我々が支援する番だ」と多くの義援金や救援物資等が届けられているという。ありがたいことだ。

一方で、何かの間違いではないかと思いたいような大変残念な報道もある。コンビニやお寺などに置いてあった募金箱が盗まれたという件だ。悲惨な状況下での「日本人の秩序ある行動」に対し、多くの海外メディアによる称賛の声が上がっている折、とても恥ずかしい話しである。

(平成23年3月21日)

 

217時間ぶりの“奇跡の生還”

 本日午後4時ごろ、宮城県石巻市の被災現場で、80歳の女性と16歳の男性が瓦礫の下から救出された。震災発生から9日ぶりの救出であり、80歳の女性は「地震直後からずっと家の中にいた」と話しているそうだ。生存率が急激に低下するとされる被災後「72時間の壁」を大幅に超え、実に約217時間ぶりの“奇跡の生還”だ。衰弱が激しく病院に搬送されたそうだが、お二人の回復を祈る。

本校の備品等の他校などへの移送が急ピッチで進んでいることは前にお話ししたが、概ね9割方終えた。校長室の書籍類の片づけも、ほぼ終った。一昨日は、観葉植物の半数も運び出された。すべて前任者から引き継いだものだが、丹精込めて大事にして来たので、どれも元気である。新しい所で、さらに元気に育って欲しい。
私が家から持ってきている絵画が4点残っているが、いっぺんにすべてを片づけてしまうとあまりにも寂しいので、これらはせめて30日までは残したいと思っている。

  指導要録の点検・押印も終えた。最終の運営委員会と職員会議は、24日に招集している。

(平成23年3月20日)

 

濃尾地震の死亡者数を超えた

 今回の巨大地震による被災で死亡の確認された方の数が、とうとう阪神・淡路大震災の数を超えた。そればかりか、明治24年の濃尾地震の7237人をも超えて、明治以降では3番目となった。行方不明者は、届け出のあった数だけでも1万2千近く、その他に安否が確認できていない方が1万3千にのぼると聞く。
11日以来、テレビによるニュースを見ながら涙のこぼれない日はない。大津波が襲ったときの映像を見て想像を絶する大惨事と思ったが、ここまで死者・行方不明者が出るとは思わなかった。

原発被災への東京電力、自衛隊、警察、及び消防署等による懸命の対応は功を奏しつつあり、胸をなで下ろすとまでは行かないまでも少しは安心できる状態になってきた。
このまま大事に至らず終息を迎えたいものだ。

  被災地からの声で最も多いのは、ガソリンや軽油などを一刻も早く届けて欲しいというものだ。何とかしてあげたいが。

(平成23年3月19日)

 

退職記念に出版

 「校長室から」への寄稿が700回となったことは、昨日お知らせしたとおりだ。600回の献血、700回の寄稿、継続は力である。
その700余りから約300編を選択し、「私の学校経営実践」として1冊にしようと思っている。思っていると書いたが、昨秋から休日を利用してその編集作業を続けて来た。編集に当たり何度も読み直したが、その時々のことが思い浮かんだ。改めて、みなさんに支えていただいた3年間であったと実感する。感謝申し上げたい。

つい先日その作業を終え、校正も完了した。出来上がりを待つばかりだ。出版社にすべてを委ねる選択もできたが、少しでも費用を安価にとほとんどの作業を一人で行った。
4月1日付けで発行できる運びだ。

  平成6年に随筆集を、平成12年に山の紀行文集を上梓した。11年振りの出版である。この31日で定年退職するが、その記念とする。
「校長室から」の読者諸氏には、謹呈させていただきたい。

  1年半程前から小説も書いてきたが、それも書き上げた。こちらは今のところ出版する気はない。書き上げたことで満足している。

(平成23年3月18日)

 

死亡確認者が5千名超に

 アジサイの芽が動き始めた。ハクモクレンにも白いものが見え始めた(大阪では咲き始めているが)。校庭のサクラの蕾も膨らんできた。春は着々と歩んでいる。
だが昨日は、時折雪が舞うなど寒い一日であった。明日の朝くらいまで、この寒さは続くようだ。東北地方ではもっと低温だろうし、東日本巨大地震で被災された皆さんには、ひとしお寒さが堪えていることだろう。

被災地へのガソリンや軽油等の補給がままならず、救援物資の配分がうまくいっていないようだ。原発への対応に力が削がれ、救援対策全体への配慮が少しおろそかになっている。危機管理の大切さを、改めて感じさせられる。
  本日14時現在、死亡が確認された方は5,321名、警察へ届けられた行方不明者は9,329名で、合わせて1万4,600名超となった。これ以外にも、1万5,000名超の未確認者が。


「校長室から」への寄稿が、平成20年4月の着任以来、本日で700回となった。着任1年目が150回、2年目が215回、今年度は今日で335回となった。今年度は、昨年6月24日から今日まで(土・日・祝祭日を含め)266日の連続寄稿である。どちらかというとじり貧になることが世の常だが、1年目の倍以上となったことは胸を張ってもよいのかも。

(平成23年3月17日)

 

奇跡の救出

 巨大地震から5日目の昨日、安否不明者1万人と言われている岩手県大槌町で、津波に襲われた民家から75歳の女性が92時間ぶりに救出された。宮城県石巻市でも、25歳の男性が96時間ぶりに救助された。被災後72時間が生命線と聞くが、奇跡の救出である。こういった救出がこれからも続くことを祈る。

  一方、空港や港、鉄道の復旧作業が本格化し、救援物資の搬入の見通しがつきつつある。これもうれしいニュースだ。また、閉鎖されていた仙台空港は土砂やがれきが撤去され、15日朝から自衛隊ヘリが救援活動を始めた。また、船舶が着岸できなくなった釜石港(岩手県)は一部復旧し、今日から支援物資を積んだ大型船が入港し始めたと。また、仙台塩釜港(仙台市)の一部、八戸(青森県)、久慈(岩手県)の両港も近く使用できるようになるという。

  校庭のスイセンが満開であることは何度もお伝えしているが、切花にして被災地の避難所に届けることができれば、少しでも癒やしになるかなと思う。しかし、混乱している物資輸送に追い討ちをかけることになるので、ここは気持ちだけにしておく。

  昨夜、「閉校記念行事実行委員会」の最後の会議をもった。その席で、7年後に同窓会としらとり会の共催で、「40周年を祝う会」を開くことを確認した。

(平成23年3月16日)

 

見極め、冷静な行動を

 関東以北では日用品やガソリンなどが品薄になっていると聞く。小売店やガソリンスタンドには長蛇の列ができ、購入に長時間を要するとも。時間がかかっても購入できればよいが、計画停電の報道後、電池類が買占めで売り切れとなり手に入らないとのこと。その余波が近畿にも、そして全国に広がっているようだ。
娘の家族(小さい子ども3人)が埼玉に住んでいるが、生活のさまざまな面で支障がでているようだ。妻は電池や煮炊きを必要としない食料品等、当座必要とする物品を宅急便で本日送ったが、「10日はかかる」と言われたようだ。郵便小包や宅急便も殺到し、混乱しているのだろう。

  旅行業者から直接聞いた話だが、旅行のキャンセルが相次ぐ一方、海外からの、特に中国や東南アジアからの留学生の帰国希望が旅行社等に殺到しパンク状態であると。被曝を恐れての、母国両親からの要請であろう。原発被災については、海外からの捉え方は国内以上に深刻である。
何とかこのまま治まって欲しいと願うばかりだ。

  こういった混乱は、さらに続くであろう。情報が錯綜しているが、こういうときこそきちんと見極め、冷静な行動が求められる。

(平成23年3月15日)

 

全国民が一致団結して復興への道を

 本日正午現在の死者は1,700人、行方不明者は1,700名。これらとは別に、南三陸町で遺体が約千体、石巻市でも約千体。今回の震災における避難者は、53万人にのぼると。高台などで救助を待っている人が、まだ1万人もいるとも。

  東大阪市立弥刀東小学校、大阪府立藤井寺工業高等学校、大阪府立城東工業高等学校、大阪府立勝山高等学校、そして大阪府立西浦高等学校と五校でお世話になった。何の取り柄も無い私が、それでも何とか勤め上げることができたのは、周りのみなさんのご支援とご協力、そして慈悲深い寛容の心のお陰と、ただただ感謝申し上げるばかりである。加えて、短気で怒りっぽい私を支えてくれた糟糠の妻や子どもたち、そして親族一同にも感謝したい。何の取り柄も無いと申し上げたが、不遜を承知で申し上げればこんな私でもただ一つ人並みのところがある。それは、体が健康で頑丈であるということだ。丈夫に生み育ててくれたあの世の両親に感謝したい。
そのただ一つの取り柄を生かして、若いときから献血を続けて来た。40数年になる。三月が私の誕生月で、つい先日六十歳になった。その最初の日曜日であった昨日、いつものとおり、日本赤十字奈良血液センターにおいて献血をして来た。
この献血は、私にとって記念すべき献血となった。二百八十五ヶ月連続で、通算六百回を記録したのだ(六百回は記録にきちんと残っているものだけであり、この他に学生時代や社会人になって間もなくに献血した手帳が散逸して記録に留めないものが二十回程度ある)。通算回数は上に何人かおられるようだが、二百八十五ヶ月の連続は、もしかしたら世界記録かも。どちらにしても、自分の血液が病気やケガなどで困っている人のために役立っていると思うとうれしい。今後も機会あるごとに献血できればと思っている。
私は8時半にセンターに入ったので(9時からのスタート)トップバッターだったのだが、献血を終えて待合室に戻って驚いた。いつもの倍近くの人が、自分の番を待っていた。
今回の震災の反響であろうと推察する。

今回の震災に係わって、外国メディアが被災した日本人の態度・立ち居振る舞いを見て、相次いで「在り方・生き方」について賞賛の報道をしている。
これらを糧の一つとして、全国民が一致団結して自らは何をすべきかを、一人ひとりがしっかりと考え復興への道を歩まなければならない。

(平成23年3月14日)

 

気の滅入る毎日

 気の滅入る毎日である。

阪神淡路大震災のときは、身内の家屋が全壊するなどの直接的な被害を蒙ると共に惨状を目の当たりにした。
今回の惨状は生での目視はできていないが、気の滅入る度合いは限り無く大きい。

  今夜ある酒席に出た。料理には手をつけたが、酒類は飲まなかった。飲めなかった。

(平成23年3月13日)

 

大変なことになった

 大変なことになった。
巨大地震が発生し、宮城・岩手などの沿岸部では壊滅的な状態である。現在のところ、死者・行方不明者合わせて1,700名超だが、一つの町で1万人に近い方の行方が分からないというような情報もある。あってはならないことだが、阪神淡路大震災での死者・行方不明者の数を超えるようなことになるのかも。
大津波のエネルギーの恐怖をテレビの映像で思い知る。以前、スマトラ沖地震による津波の被害やサイクロンによるニューオリンズの被災状況を映像で見たが、今回の状況はその比ではない。
何時間もテレビ報道に釘付けになったが、いたたまれない気持ちである。

朝、庭のスイレン鉢に5ミリ程度の氷が張っていた。
避難所では、停電のため暖房が無いと聞く。被災者は寒く辛い思いをされていることだろう。

(平成23年3月12日)

 

大きな地震が発生

 15時前に、東北・関東でマグニチュード8以上の大きな地震が起こったようだ。
詳細は分からないが、大きな被害の出ないことを祈りたい。

(平成23年3月11日)

 

十日余りが経過

 卒業式・閉校式が終了して、十日余りが経過した。ここ数日、午後から出張が続いているが、出張先や別の場所でも、式にご臨席賜った方々にお会いできる。
御礼を申し上げる中、みなさんから「いい式でしたね」と言っていただく。お世辞も少しはあるかもしれないが、ほとんどの方が本校生の実情を知ってのご発言なので、私は素直に受け止めている。課題の多い中、それなりにやり遂げたという気持ちがあるからに他ならない。

今回の式は、プロにビデオ撮影して貰っている。現在編集中で、それはまだ見ていないが、参列者がビデオカメラやデジタルカメラの動画機能を使って撮ったものを幾つか見た。
私の式辞だが、粗が目立ちいろいろと反省点も多い。よかったのは、長過ぎなかったことだろう。卒業式が6分30秒、閉校式が5分30秒だった。どなたかの批評で、「礼」がよかったとも・・・・・・。
ほめられたのか、中身がなかったと指摘されたかわからない。多分、後者であろう。

(平成23年3月10日)

 

異動内示の通知

 本日午前、異動予定者の内示の通知を行った。
百パーセント希望がかなった職員がいる反面、そうでなかった人もいる。私もそのような経験をして来たので、希望がかなわなかった人たちの気持ちはよくわかる。申し訳なく思っている。
私としては、本校の閉校という特殊な事情の中、本人の意向は府教委にきちんと伝え何とか希望に沿った線でとお願いしてきた。しかしながら、人事はさまざまな事情を加味しながら総合的に判断されるもので、全員が百パーセント納得できるものとはなり得ない。
希望が百パーセントかなわなかった職員についても、通勤時間で見れば常識的な範囲であるし、いわゆる課題の山積している学校とはなっていない。
私の初めての異動の際(40歳のとき)は、ひどい扱いを受けた。促進人事の対象となり、本来ならば現任校よりも通勤に便利のよい学校への異動となるはずが、3回も乗り換えなければならない学校へ。通勤時間も3割も長くなった。そのような中、意欲が減退したが、すぐに「赴任先が力の発揮どころ」と思い直し精励した。

  4月からそれぞれの赴任先で、健康に留意しながら本校を含めこれまでの経験を生かして、赴任校の学校教育目標達成のために全力を尽くして欲しいものだ。

(平成23年3月9日)

 

スイセンが満開

 今日はいい天気だ。気温も10度を上回りそうだ。
スイセンが満開となった。
花が終わった後、分球してどんどん増え、来年以降もっともっと密に咲くだろう。花どきに、ぜひ訪れたいと思っている。

本日も、閉校に係わって備品等の他校への搬出作業が慌ただしく進んでいる。

(平成23年3月8日)

 

驚きの走り

 昨夕からの雨が残ったが、小雨で通勤には問題なかった。

10時からPTA総会が開かれた。決算報告などが、案どおり承認された。

 
昨日開かれた第66回びわ湖毎日マラソンをテレビ観戦した。優勝したケニアのキプサング選手の走りと3位になった堀端選手の粘りに感動した。
キプサング選手は38キロでスパートし、エチオピアの選手を振り切って最終的に3分という大差をつけた。ラスト4キロ余りで3分の差をつけるとは、常識では考えられない強さだ。その軽やかな走りは、他の選手を圧倒する見事なものであった。
42年前(大学1年のとき)、当時5千、1万などの世界記録を走るたびに更新していたケイノ(ケニア)選手の走りを神戸で目の当たりし、同じ人間かと圧倒されたことを思い出した。その後、皇帝と呼ばれ世界に君臨したゲプレセラシエ(エチオピア)選手や現在の世界王者ベケレ(エチオピア)選手の超人的なラストスパートに何度も驚かされているが、キプサング選手の今日の走りは、彼らに匹敵するものだ。彼はすでに2時間4分台の記録をもっているが、ゲプレセラシエ選手のもつ2時間3分59秒の世界記録を更新することも夢ではないだろう。これほど美しいフォームを見たことがない。非の打ちどころのないフォームである。今後に注目する。
一方、最後まで諦めることなく走り、3位(日本人1位で世界選手権代表内定)に入った堀端選手の粘り強い走りも圧巻であった。2度もスペシャルドリンクを取り損ね、また終盤の大事なところで、他の選手と接触しリズムを大きく崩すアクシデントを乗り越えての2時間9分25秒だ。不屈の走りは、称賛に値する。
24歳と若いし、稀に見る長身の大型ランナー、今後のさらなる飛躍に期待したい。

(平成23年3月7日)

 

放っておいた洋ランに花芽

 御祝いなどで、洋ラン等の鉢植えをいただくことがある。花が終わった後、来年も咲かせたいと誰もが思うが、うまく咲かせることはなかなか難しい。私は庭木の剪定等は得意とするが、洋ランや観葉植物など鉢植えの栽培については、不勉強で不得手だ。ただ、10数年前に親友(大先輩だが)からいただいたクンシラン(ランと呼ばれるが、ランの仲間ではない)については、たまたま管理がうまくいっているのか毎年たくさんの花を咲かせる。大事に育てていたものを弱らせては申し訳ないと、丹精しているからだろう。今年も多くの花芽をつけ、それが順調に育っている。今月末には開花するだろう。楽しみだ。

昨日、あっと驚くことがあった。6〜7年前に妻が知人からいただいたシンビジューム(洋ランの代表的な一種)に、花芽がついているのに気がついたのだ。丹精込めて育成しているのであれば、そんなに驚くこともないのだろうが、ほったらかしであったのでまさかの思いが。妻は自分で購入してきたものでも、私に世話を任せきりだ。このシンビジュームについても同様であった。仕方なく任せられた私は、花が終わった最初の1年、何とか咲かせたいと大事にした。水も肥料もやり、夏場は日差しを遮り、晩秋からは霜にあてないように家に取り込んだ。それでも花芽はつかなかった。次の年からは外へ放りっぱなしで、ほとんど気に掛けなかった。ただ枯らしてしまうと可愛そうだから、時折り水だけはやってきた。厳寒期、外気温は氷点下4度くらいまで下がるが、外へ置いたままであったので鉢土は凍っていたことだろう。鉢の下から根が出て安定が悪いため、風などで時々ひっくり返っていたが、1ヶ月もそのままということもあった。ひどい仕打ちをしてきたのだ。枯れないのが不思議なくらいの状態であった。当然、一度も花芽をつけることはなかった。
その洋ランに、初めて花芽がついたのだ。それも、二つも。驚きを通り越し、その生命力の強さに圧倒されている。愛おしくなり、今朝は枯れた葉や鉢下から出ている根などを整理すると共に、葉の一本一本をきれいに拭いてやった。そして、活性剤を与えた。急に手をかけたからといっても、これまでのひどい仕打ちのためみすぼらしい姿である。花芽をつけなかったから、すぐにあきらめてしまったのだ。飽くこと無く可能性を求めなかったのだ。なんと可愛そうなことをしてしまったと、反省することしきり。
今夕からは家に取り込み、罪滅ぼしのまねごとをしている。何とか美しく咲かせてやりたいとものである。
我が家のシンビジュームよ、ごめんね。

(平成23年3月6日)

 

羽曳野高校の卒業式・閉校式

 4日(金)、羽曳野高校の卒業式・閉校式に出席した。
本校の式では、受け付け業務等で同窓会からの応援があり、大いに助かった。羽曳野高校の場合は、懐風館高校の職員や保護者からの手厚い応援があったのであろう。

どうしても本校生と比較して見てしまうが、羽曳野高校の卒業証書授与の際、学級担任の呼名に応えて7割の卒業生からきちんとした「はい」の声があった。一部悪ふざけした生徒も居たが、全体的にはよかったと思う。校歌も式歌も、しっかりと歌っていた。ただ礼に関しては、本校生が上回ったように思ったが・・・・・・。特に、代表生徒の所作は本校の方がよかったように私は感じた。
何をするにしても、結局のところ本校にしろどこであれ、きめ細かく指導した点についてはよい結果が出るし、行き届かなかった点については、それなりに終わってしまうということだろう。
あきらめずに粘り強く指導すれば、必ず結果はついてくる。自明の理である。

(平成23年3月5日)

 

PTAの役員会

 出かける際、吐く息がひときわ白かった。案の定、三郷町は氷点下2度。寒いはずである。

  昨日は午後からPTAの役員会が開かれた。7日(月)に総会を開くので、主にその準備のため。終了後、スイセンの前で記念撮影を行った。

今日は、羽曳野高校の卒業式・閉校式が開かれる。私も出席させていただく。これから出発だ。

(平成23年3月4日)

 

本校の校務員

 本日は雛祭り。二人の娘が小学校低学年ごろまでは、この季節、雛人形の檀飾りをしていたが、絶えて久しい。

明け方の最低気温は三郷町で0度、羽曳野地域で2度だった。真冬に比べればそれほど低くはないが、暖かさに慣れた体には気温以上に寒く感じた。6日(日)には、最高気温が15度くらいまで上がると聞くが・・・・・・。

体育館前にヒラドツツジの生垣が続くが、その近くに紅梅が一本植わっている。背も低くひっそりと目立たないが、今満開である。

昨日、スイセンの咲き揃う中、校務員の二人と写真を撮った。本校の最終年度、4月のチューリップ、9月のミニヒマワリ、そしてスイセンと見事に咲かせてきたが、二人の弛まぬ世話があったからだ。
  美化や営繕での活躍を含め二人は、西浦の大いなる功労者だ。功績を称えたい。

(平成23年3月3日)

 

卒業は始業

 式当日の朝(2/26)、知人で著名な書家(元府立学校体育科教員)である左 青石(佐藤洋明)氏から書額が届いた。私が三十年も前から座右の銘としており、今回の卒業式の式辞の中でも述べた「飽くこと無く 可能性を求めて」を揮毫し額装されたものが。
手紙が添えられ、次のように認められていた。

 
卒業は始業(カメンス commence)
卒業というと「教育は終わった。もう修行は終わった」・・・・・・やれやれという気持ちになって勉強を止めてしまう。本を読まなくなり、考えなくなる。働き始めると、地位・サラリー・娯楽といったもの以外は求めなくなる。
そうではなく、学校を出てから本当の意味において、学ばなければならない。
イギリスや米国では、卒業して称号をもらうことをカメンス(始業)という。卒業でなく始業。学校を出て、さらに上級学校へ進む人はもちろん、就職する人もカメンスでなければならない。
人生学、社会学、事業学など、皆これから始まる。そういう意味で新たな入学である。
飽くこと無く可能性を求めて・・・・・・。

三学戒・・・佐藤一斎
・ 少にして学べば 則ち壮にして為す有り
・ 壮にして学べば 則ち老いて衰えず
・ 老いて学べば  則ち死して朽ちず(寿し『いのちながし』)


また、その書額とは別に「盤ぱく」と揮毫したものもいただいた。「ぱく」は、石に薄と書く。
「盤ぱく」には、次のように添えられていた。

人生、緊張ばかりでは息がつまります。「盤ぱく」(両足を前に投げ出して座る。あぐらをかく)の如く、リラックスすることも大事かと思います。


「卒業は始業」と「盤ぱく」。定年退職を目前に控えた私に対する、深い思いやりのエールと受け止めている。有り難いことである。
なお、左 青石氏は、論語の勉強会・「南河内照隅会」の先輩会員でもある。

(平成23年3月2日)

 

春弥生、異動の季節

 3月、春弥生。
冷たい雨が降っている。暗くなるころまで続くようだ。このところ高温が続いたので、寒く感じる。明日、天気は回復するようだが、金曜くらいまではこれまでのように暖かくはないと聞く。
午前中、教職員は式場や受付場所等の片付けに忙しかった。

異動の季節だ。本校では、閉校に伴って全員が異動することになる。異動先の本人あての内示は、これまでよりも早くなり9日の予定である、全員希望どおりにいけばよいのだが・・・・・・。

(平成23年3月1日)

 

4人の恩師

 愛媛県・宇和島市立清渓中学校(昭和49年に城東中学校に統合)2年のとき、学級担任のN先生からの「そんなに体を動かすことが好きなら体育の先生になる道もあるぞ」の一言が、教員をめざすきっかけとなった。また当時、清渓中学校には、T先生とU先生という異なるタイプの、二人の体育の先生がおられた。お二人には、個人的にもいろいろとご指導賜った。それぞれ尊敬できる立派な先生であられたが、不遜にも私は、お二人を足して二で割ったら理想の体育教師であろうと考えていた。体育科教諭であった27年間は、お二人を目標とさせていただいた。
小生意気であった私に対して粘り強くご指導賜り、教員への道を示唆いただいた三人の先生方に心から感謝申し上げたい。お三方との出会いが無ければ、違った道を歩んでいたのかもしれない。
そしてもう一人、愛媛県立宇和島東高校3年の時に学級担任であったW先生も恩人のお一人である。W先生については、本編・平成20年9月24日付「教育の原点はほめ励ますことに尽きる」で触れている。W先生からの温かい励ましが、私を強く勇気づけた。
大学卒業当時、都会では高校急増期でもあり、卒業一年目から教諭を務めさせて貰った。その点においても恵まれたと思っている。定年まで一体育教師として貫き通すことが自らの生き方と決めていたが、51歳で管理職を務めることになった。教諭として28年、管理職として10年、多くの生徒たちとのさまざまな出会いがあった。
わがままと不遜の38年間の教員生活であったと大いに反省している。

(平成23年2月28日)

 

「40周年」でお会いしましょう

 ここ数日、庭に出ることが少なかったが、このところの陽気でツバキが咲き始め、オウバイやスミレも咲いてきた。ハクモクレンも、あと一週間か10日で開いてきそうだ。

一夜明けて、昨日の式を振り返りたい。
少し余裕を見て数多く椅子を準備したが、ほぼ満席となった。最終的な人数を把握できていないが、保護者を含めて570〜580名ではなかったか。もしかしたら、600名を超えたのかもしれない。大勢の人に祝福され、卒業生は幸せである。多くの方から「いい式だった」と言われ、私も同様の思いである。
とにかく、31期生卒業生諸君の式に臨む姿勢がよかった。それが何よりである。服装・頭髪・式での態度、どれをとっても及第点をクリアーしたと私は思う。日ごろの彼らをよくご存じの方は、特によくわかっていただけるだろう。何人もの方から、「『卒業の言葉』がとてもよかった。感動した」と言われた。感動がこみあげ、胸が詰まったとも。もちろん、私もそのように感じた。
これらの大部分は、本校教職員の指導の賜物である。こんなにも大勢の方のご臨席を仰ぐことができ、31期生たちは「大勢の方に見守って貰える。祝福していただいている。しっかりしなければ・・・・・・」と思ったに違いない。それが立派な態度につながったことに疑う余地はない。そう意味において、出席者全員で式を盛り上げていただいたと言えよう。
閉校式での最後の「校歌斉唱」のとき、思いがこみ上げ歌声が途切れ途切れになり声にならなかった。卒業生たちにとっても、全出席者にとっても、心に残る式となったことだろう。

  夕刻から市内のホテルで催された同窓会主催のパーティーも、300名近くの熱気に溢れ大いに盛り上がった。「閉校」という二文字は、これ以上ない深い悲しみではあるが、「西浦」という絆で結ばれた人々がこれを乗り越えて、「西浦」を語り継いでいかねばならない。
「40周年」で、またみなさんにお会いしたいものである。

  式に間に合うかと気を揉ませたスイセンだったが、当日は7〜8分咲きとなり卒業生たちを祝福してくれた。式終了後、大勢の人たちが、スイセンの前で記念撮影をしていた。この日のためにと、誠心誠意管理に努めてくれた校務員のお二人に心から感謝申し上げたい。これらのスイセンは、来年、再来年はもちろんのこと、いつまでも咲き続けてくれることだろう。

(平成23年2月27日)

 

卒業式・閉校式を挙行

 本日十時から本校体育館を式場として、第31回卒業式を、引き続き閉校式を挙行した。これ以上ないくらい天候に恵まれた。スイセンも七分咲きとなり来賓・保護者など550名を超える皆様のご臨席を賜って滞りなく終えることができた。午後2時からは、多数の関係者ご出席の下、懐風館高校において記念碑の除幕式も行った。
また、夕刻からは天王寺都ホテルにおいて、同窓会主催のパーティーが開かれた。こちらにも270名の出席者があり、西浦33年間の思い出話に花が咲いた。

みなさんのお陰で、すべてを遺漏無く終えることができた。感謝に堪えない。


第31回卒業式 式 辞

正門から入って来られた皆さんはお気づきだと思いますが、前庭ではスイセンの花が咲き揃って来ました。今日の日のためにと、昨年秋PTA役員のみなさんが中心となって植えつけたものです。玄関脇の白梅も開花が少し遅れましたが、馥郁と咲いています。この佳き日、本校第31回卒業式がこのように賑々しくかつ厳かに挙行されますことは、慶びに堪えません。と同時に、本校最後の卒業式であり、寂しさを禁じ得ないのは関係者共通の思いでありましょう。

ご多用の中、ご臨席賜りました大阪府教育委員会 中西教育長 様、大阪府議会議員 阪倉久晴 様、羽曳野市長 北川嗣雄 様をはじめご来賓の皆様方、並びにご臨席のすべての皆様に対しまして、厚く御礼申し上げます。
送る側の在校生の居ない式ということで、同窓会はじめ皆様にご出席を広く呼びかけましたところ、このように5百名を優に超える大勢の皆様にご臨席賜りました。ありがとうございます。

31期生諸君、卒業おめでとう。今私の手で君らの代表に卒業証書を渡したが、君たちは、西浦高校の栄えある卒業生となったわけだ。多くの試練を乗り越えてここまで漕ぎ着けたことに対し、心から賛辞を送りたい。
諸君らを含めて、西浦高校の卒業生は1万1千8百6名になった。

  保護者の皆様、お子さんのご卒業、まことにおめでとうございます。心から祝福申し上げます。お子さんの高等学校卒業は、保護者にとりまして大きな節目、言葉では言い尽くせぬ大きな喜びでありましょう。今夜はぜひ、ご家族お揃いでお祝いをしてください。
 
さて、卒業生諸君は、これからそれぞれの人生を歩むわけだが、人生行路はいつも順風満帆とは限らない。人生は、恵まれたことばかりではないのだ。どちらかというと、うまくいかないときの方が多いのかもしれない。だが、そのようなときもけっして腐らず、諦めず、まじめにコツコツと努力を継続することが大事だ。そうすれば、必ず春は訪れる。そう信じる。

  私は「飽くこと無く 可能性を求めて」という言葉が好きで、30年も前から座右の銘として来た。「飽くこと無く 可能性を求めて」とは、途中で投げることなく、可能性を求めて努力しようという意味である。
人間の可能性は無限だ。私は山歩きをするが、高い山に登り自分の歩いて来た道を振り返ったとき、「あんなにも遠いところから歩いて来たのか」と自分自身の歩みに驚くことがある。一歩一歩の積み重ねが、いかに大事かを強く感じる瞬間だ。人間の一歩はとても小さいが、粘り強く積み重ねていくとそれは大きなものになる。一歩一歩の積み重ねが大きな力となるのだ。
君たちの卒業アルバムにも、私の拙い字だがこの「飽くこと無く 可能性を求めて」を載せて貰った。折々に、君たちが「可能性を求めて 努力しなければ・・・・・・」と思ってくれるならこの上ない喜びである。
「飽くこと無く 可能性を求めて」お互いに努力を積み重ねていこう。

  最後に、とにかく健康が第一である。健康に留意し、生涯を通して学び続けること、努力することを忘れないで、自らの人生を愚直に生き抜いて欲しい。
諸君がさまざまな困難を乗り越えて自己実現を図っていくことを切に望む。

  31期生諸君の人生行路における健闘を祈って式辞とします。



閉校式 式辞

ご来賓をはじめ皆様には、長時間に亘って引き続きのご臨席、まことにありがとうございます。心から御礼申し上げます。

さて、本校は地元の皆様の熱い期待を背に、昭和53年4月に開校しました。以来、33年に亘って営々と教育活動を展開し、本日の卒業生を含め1万1千8百6名の優秀な人材を輩出してきました。そのような中、府立高校再編の対象となり、今ここに閉校式を行わなければならないという大変残念な事態になりました。

歴代校長をはじめ本校関係者の献身的な多大の労苦、並びに地元の皆様からの賜りましたご支援・ご協力を思うとき、断腸の思いを禁じ得ません。

  今、断腸の思いと申し上げました。「断腸の思い」の意味や由来はよくご存知だと思いますが、31期生諸君もおりますので皆様への失礼を省みず、簡単に説明しておきます。

  中国の春秋時代、晋の武将、桓温が長江三峡、揚子江を旅したとき、家来の一人が捕まえた子猿を追って、母猿が百里余りを岸伝いについて来たそうです。船が岸に近づいたとき母猿はやっと船に飛び移りましたが、そのまま息絶えてしまったようです。母猿の腹を切り裂いてみると、その腸はずたずたに断ち切れていたとのことです。「断腸の思い」は、子猿のことを思ってその悲しみと辛さで、母猿の腸がずたずたに切れてしまったという故事からきています。
まさに、西浦高校関係者の偽らざる心境です。

  西浦高校は、3月31日をもって閉校しますが、西浦がこの33年間に営々脈脈と築いて来た歴史と伝統は絶えさせることなく、新しい学校、懐風館高校が継承してくれることと思います。懐風館高校の校長先生も、本日ご臨席いただいておりますが、改めてよろしくお願いする次第です。

  西浦高校の歴史と伝統は、そして西浦高校の魂は、永遠に不滅です。西浦高校に係わったすべての人々が校歌を高らかに歌い、西浦高校のことを子々孫々まで語り継いでいきましょう。西浦高校に係わったみなさんすべてが、その先頭に立ってください。もちろん、私もその一人になります。
最後の校長として、西浦高校に勤められたことを私の誇りとします。

  北海道大学の前身、札幌農学校の初代教頭クラーク博士が離任しアメリカへ帰られる際、あの有名な「少年よ 大志を抱け Boys be ambicious like the oldman.」の言葉を遺されました。私も、この3月末で定年退職です。クラーク博士の偉業には遠く及びませんが、校長として最後の三年間、西浦高校のために微力ながら全力を傾注しました。
退職に当たり、一言遺したいと思います。

  「That’s why it’s important to keep challenging yourself , and creates new values. Impossibility is nothing. 」  飽くことなく可能性を求めてチャレンジを

  最後になりましたが、西浦高校を支えていただいた多くの皆様からの格別のご厚誼に対しまして、改めて厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
これにて、式辞といたします。


「軌跡 西浦の33年を語る会」開会の挨拶

みなさん、改めましてこんばんは。本日は多くの方が早朝よりお出かけいただき、午前中の式にもご参列いただきました。そしてこの「語る会」へのご出席、まことにありがとうございます。心から御礼を申し上げます。

さて、閉校式でもお話させていただきましたとおり、西浦高校は閉校となりますが、西浦の歴史と伝統はいつまでも語り継いで行かねばなりません。その先頭に立つのが同窓会であり、しらとり会であります。しらとり会につきましては、今年度の総会できちんと会則を定め、会員対象は西浦高校に係わった全保護者、全教職員となりました。この点につきましては、後ほど堂上会長からもお話があると思います。未加入の保護者のみなさんや教職員は、ぜひともこの機会にしらとり会にご加入いただきたい。このように思います。
先日、本校の学校協議会の席で委員のお一人から、「閉校しても西浦の精神は永遠に続く、現在創立33年だが、ぜひとりあえず40周年を祝う会をやればいいじゃないか」とのお話がありました。それを聞きまして、私はなるほどと思いました。今後、同窓会並びにしらとり会がさらに連携を強化しまして、ぜひ実現していただきたいなとこのように思う次第です。
「西浦の33年を語る会」ということで、今宵はいろいろと思い出話に花を咲かせていただければと思います。
最後に、この33年間に賜りました西浦高校へのご支援、ご協力に対しまして。重ねて御礼を申し上げ挨拶といたします。ありがとうございました。


閉校記念誌 巻頭挨拶
「西浦」を子々孫々まで

平成21年夏、本校上空を楠山 一彦 元校長(第6代)と共に、ヘリコプターで旋回する機会を得た。近隣に散在する数多くの古墳が悠久の歴史を語っていた。校歌の一節に「古代の道に風かよふ 河内飛鳥のただ中の 古墳群がる古市に 蒼穹に静もる白鳥陵 羽曳が丘の春秋に」(金森 保 氏作詞)とあるが、この地が太古の歴史の息吹く風光明媚な地であることを改めて実感した。
校舎屋上からは、指呼の間に二上山を望むことができる。その南に金剛・葛城、さらに南方に岩湧や和泉葛城の山々を遠望し、北東に眼を移せば玉手山の北奥に高安・信貴・生駒が鎮座する。周辺には田畑も多く残り、敢えて申し上げるまでもなく緑豊かな環境である。

  西浦高等学校は昭和53年4月、地元の皆様の大きな期待を背に第百十八番目の府立高校として、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)・白鳥伝説で名高い羽曳野・軽里に近い西浦地区に創立なった。爾来、三十三年に亘って松村督之・安井良一・大黒 宏・大塚 隆・芝口達也・楠山一彦・川俣 勲・豊田兼典・岡田 昭の歴代校長の下、幾多の試練を乗り越えながら営々粛々と教育活動を展開してきた。この間、1万1千8百有余の有為な人材を輩出し、現在、卒業生は社会の中核として各界で活躍されている。頼もしい限りである。

  この我らの「西浦」が府立高校再編整備の対象となり、羽曳野高校と統合され平成23年3月をもって閉校となる。歴代校長をはじめ、「西浦」の発展に係わってきた方々に思いを馳せるとき、断腸の思いを禁じ得ない。そのような中、平成20年4月、私は第10代校長として着任した。西浦の最後の三年間、「けっしてあきらめない。念ずれば 花ひらく」の気持ちで経営に当たってきた。地域からの信頼を回復し、より望ましい形で閉校を迎えたいと「挨拶の飛び交う 秩序ある元気な学校」の実現を目標に、微力ではあるが全力を傾注して学校改善に努めてきた。
どちらかと言うと沈滞ムードが漂っていた校内では、私の不徳のいたすところもありすぐには理解を得ることは困難であったが、支えていただいた方も少なくなかった。可能性を求めて飽くこと無く、ブレない粘り強い実践を継続する中、次第に本校関係者や地域の多くの方から「谷口、がんばれ」の温かい声援を賜るようになった。そして、地域の皆様からの信頼は徐々に回復してきた。これも偏に、保護者・しらとり会会員・卒業生・学校協議会委員・地域住民・府教育委員会、及び教頭、事務長をはじめ支えて貰った職員・旧職員のお陰だと、ただただ感謝するばかりである。

  最終年度、最後の生徒31期生を花一杯で包んでやりたいと、PTAが中心となって前庭花壇に4月5千球のチューリップを、9月5百輪のミニヒマワリを、そして新春、卒業式と閉校式に合わせて2千球のスイセンを咲かせた。何れも見事に開花し、最終年度を賑々しく彩った。チューリップについては6月に球根を掘り上げ、植え付けの際にご協力いただいた峰塚中学校と河原城中学校、及び保護者や地域の皆様方に配布した。閉校となっても、本校の花壇を彩ったチューリップが今春以降、それぞれの庭で咲いてくれるのだと思うと頬が緩む。
平成22年9月23日に開かれた同窓会総会は、本校校舎を使用しての最後の総会となったが、総勢6百名を超える出席者があった。卒業生・旧職員をはじめ西浦関係者の底力を強く感じた。

  学校改善の強い思いを胸に経営に当たってきた。最後の卒業式、閉校式が近づくにつれ募る寂しさは如何ともし難く、つい茫然としてしまうことも度々であった。それだけ「西浦」への思いが強いのであろう。
「西浦」の歴史と伝統は、新校「懐風館」が継承してくれることを願う。一方、我々一人ひとりも、今後は同窓会やしらとり会などが核となって、「西浦」のことを子々孫々まで語り継いでいかねばならない。課せられた義務である。私も、その先頭に立つ一人となる。

  「西浦」に係わった全員が、「 西浦高校よ、永遠なれ!」の気持ちをもって、前に進もうではないか。

「大阪府立西浦高等学校第31回卒業証書授与式・閉校式御来賓出席者名簿」 (←クリックするとPDFデータが開きます)
 

(平成23年2月26日)

 

一丸となっての取り組み

 組織体として一つのことを成し遂げるまでには、成功に導くためには、全員の力を結集することが必須である。今回の卒業式・閉校式の挙行に当たっての本校教職員の一丸となった取り組みに、ただただ頭の下がる思いである。

今回の挙行に当たり、随分と前に教頭・事務長・首席との協議の中で、終わってから「ああすればよかった、こうするべきであった」と思わないように、事前の準備に最善を尽くそうと誓い合った。いよいよ明日に迫ったが、「やるべきことは、手を尽くした」の思いが強い。人間の行うことなので、当日不手際も生じる可能性もある。アクシデントもあるだろう。後悔はしない。
「人事は尽くした。あとは天命を待つばかりだ」の心境である。

明日、ご臨席賜ります皆様には、衷心より感謝申し上げたい。31期生諸君のために、「西浦」ために、どうかよろしくお願いしたい。

  気を揉ませたスイセンだが、見ごろになってきた。今日は、18度くらいまで気温が上がると聞く。さらに開き、明日は七分咲き近くになりそうだ。
文字どおり、花が添えられることになる。


最後のPTA新聞
  「感謝あるのみ」

  保護者の皆様には、日ごろは本校のPTA活動にご支援・ご協力を賜り、誠にありがとうございます。また、本校の教育活動の推進に多大のご支援をいただいておりますこと、感謝に堪えません。

西浦高校は、地元の皆様の熱い期待を背に、昭和五十三年に設立されました。以来、33年にわたって教育活動を営々と展開して来ましたが、ご存知のとおり、この3月をもって閉じます。
歴代の校長をはじめ、保護者・しらとり会・1万1千8百有余の卒業生・ 地域の方々、そして教職員など関係者の献身的なご尽力により、ここまで来ることができました。これまで皆様から賜りました多大のご支援、ご協力に対しまして、心から御礼申し上げます。特にPTA役員の皆様には、いつも貴重なお時間を割かれての、生徒のために、学校のためにとの誠心誠意でのご尽力、ただただ頭の下がる思いでした。
   この3年間のご厚情に対しまして、衷心より御礼申し上げます。皆様への恩義は、チューリップ、ヒマワリ、そしてスイセンの花と共に、決して忘れはしません。教師生活の最後、西浦高校の校長として勤められたことを幸せに思い、私の誇りといたします。

  閉校のふた文字、これほど悲しく辛いことはありませんが、西浦高校がこの33年間に営々脈脈と築いて来た歴史と伝統は絶えさせることなく、新しい学校、懐風館高校が継承してくれることでしょう。

  西浦高校の歴史と伝統は、そして 西浦高校の魂は、永遠に不滅です。西浦高校に係わったすべての人々が校歌を高らかに歌い、西浦高校のことを子々孫々まで語り継いで行きましょう。みなさんにも、その先頭に立っていただきたいと願います。
もちろん、私もその一人になります。

(平成23年2月25日)

 

代表生徒の予行演習

 未明に雨が降ったようだ。夕刻にもひと雨あるとの予報だが、26日はやむ無く運動場の一部を駐車場として使用予定なので、少ない雨量を望むが。
26日は、まあまあの天気となりそうなので(翌日は雨の予報)、喜んでいる。

本日午前、当日表彰される生徒などの予行演習が行なわれた。当該の生徒たちはきちんと設営された式場を見て、それも大量の椅子が整然と並べられ、紅白の幕が張られた式場の様子を目の当たりにし、驚きの表情を見せた。座り方、立ち方、礼の仕方などを、当日司会を務める首席教諭から改めて指導された。当日も、立派な態度で臨んでくれることだろう。
明日は、全体の予行演習である。美化など校内のあらゆる環境が整えられ、式場が整然と設営されても、主役である生徒の態度が望ましくなければ、式の成功はおぼつかない。そのためにも、予行演習が大事である。

一般の生徒も代表生徒を見習って立派な態度で臨み、終了後、当日の参列者から「感動した」などと称賛の声をいただけるような「式」にして欲しい。そのようになれば、何より生徒自身にとって「心に残る卒業式・閉校式」となるだろう。

(平成23年2月24日)

 

あと36日

 昨日にもまして気温が上がると聞く。予報では、最高気温は17度とも。4月中旬の陽気だ。
スイセンが、どんどん開いている。眺めながら思わず微笑んでしまう。玄関脇の白梅も開花した。26日には、三分咲きが期待できそうだ(写真は、本日12時ごろ撮ったもの)。
サクラはもちろん満開がよいが、ウメの見ごろは三分咲きくらいだと私は思う。開花間際の蕾がたくさんある状態が、最も風情がある。
 
卒業式・閉校式まで、あと4日。年度末まで36日。西浦の閉校と共に、38年にわたる私の教員生活の幕も閉じられようとしているが、今さまざまなことが次々に浮かぶ。それらの中でも、授業で、部活動で、生徒たちと共に一緒に走ったことが何よりの思い出である。けっして過去を美化するわけではないが、とにかく率先垂範の指導に徹した38年であったとの自負がある。自らは動かず、「もっと走れ、もっと走れ」と口先や笛などで叱咤するのみの指導者も居なくは無いが、そういったやり方には縁がなかった。汗をかくことを厭わなかった。

  府立藤井寺工業高校(現藤井寺工科高校)に、23歳から40歳までの18年間勤務した。教師としての基礎を藤工で培い、同僚と鎬を削った。そのころ私は、陰で生徒から「ガンガン」と言われていた。「ガンガン行かんかい」が私の口癖であり、自らも猪突猛進しながら「ガンガン行け」と生徒に檄を飛ばした。スポーツ刈りの、生徒たちから見るとやくざな怖い教師であった。
私の体育の授業では、生徒たちは徹底的に走った(走らされた)。平均的な授業より3〜5倍は走ったであろう。筋力トレーニングを含め、鍛練的なものも多かった。当然のことながら、体力は著しく向上した。1,500m走の記録などは、全国平均を大きく上回った。それも、10秒や20秒のレベルではなかった。
走ることが苦手な生徒は辛かったであろう。苦痛であっただろう。私に習った生徒たちは気の毒であったとも言える。ただ私は記録が低くても、上手に出来なくても、まじめに努力している生徒には高い評価を与えた。いつも、本人が持っている能力の何パーセントの力で取り組んでいるかの観点で評価した。
速くても、上手でも、手抜きしている生徒には辛い点を・・・・・・。そのことを徹底したので、手抜きする生徒はいなかった。何より生徒以上に私が自らを追い込むから、生徒たちが手抜きできなかったのかも。
可愛そうだったと、言えなくもないが。

(平成23年2月23日)

 

4人でリハーサル

 昨日今日と、26日までとっておきたいような上天気だ。最高気温は、15度くらいまで上がるようである。

10時から全教職員で、閉校式参列者に配布する記念誌や記念品等の袋分けを行った。大人数分なので作業量は大きかったが、全員の協力でもって約75分で終えることができた。
校庭のスイセンも大分開いてきたが、まだ2割といったところだ。26日には、何とか5分咲きくらいになって欲しいものだ(写真は、本日9時ごろに撮ったもの)。

午後から、教頭・事務長・首席の4人で式典のリハーサルを行った。今回は、来賓の一部の方や我々が壇上に座るので、いつもの卒業式とは少し勝手が違い若干の戸惑いも隠せないのだが、本日の予行でかなりの部分は解消できた。

(平成23年2月22日)

 

式場設営の細部の詰め

 快晴である。朝は冷え込んだが、気持ちのよい天候だ。

9時から運営委員会、10時から職員会議と続いた。会議終了後、式場(本校体育館)設営に係わって細部の詰めを全職員で実施した。あと式場設営で残されたのは、式場内側に紅白の幕を張ることと大花瓶への花を生けることくらいになった。
早め早めに準備でき、喜んでいる。


(平成23年2月21日)

 

サクラの開花予測

 民間気象関連会社3社の、サクラ(ソメイヨシノ)の開花予測が出揃った。それによると、大阪では3月24〜28日となっている。平年は30日なので、若干早いという予測である。
先日も書いたが、花芽が日に日に成長しているのがわかる。

横浜国際女子マラソンが開かれたが、日本選手が好記録で1位、2位を占めた。今年は、韓国で世界陸上が開催されるが、優勝した尾崎選手は代表に内定した。世界陸上での活躍を期待する。

(平成23年2月20日)

 

予報では、晴れ時々曇りで暖かいと

 26日の天候がどのようになるか気になっていたが、週間予報が発表になりそれによると、晴れ時々曇りだそうだ。最高気温が13度、最低気温が5度と、まずまずの比較的温かい日となりそうだ。
あくまでも予報とはいえ、昨年はあいにくの雨だったので正直ほっとしている。予報が外れないことを祈るばかりだ。

(平成23年2月19日)

 

準備が着々と

 夜通し降り続いた雨だったが、5時半ごろには止んだ。最寄り駅まで約2キロを歩く私には、ありがたかった。いつものように古市駅からは「超速歩」で進んだが、気温が高く学校へ着くころには背中あたりが少し湿った。

懐風館高校の敷地に設置の、「閉校記念モニュメント」が既に完成していることは既報のとおりだ(当然のことながら、まだ写真でご紹介できないが)。卒業式・閉校式終了後、その日の14時から除幕式を行う。多くの方に、ご参列賜りたいものだ。

昨秋植えたスイセンのことばかり触れているが、その他の何箇所かでも、何年も前に植えたと思われるスイセンが可憐に咲いている(写真参照・本日9時ごろ撮影)。

  卒業式・閉校式まで、あと1週間である。準備が、教職員全員の協力により着々と順調に進んでいる。ありがたいことだ。

(平成23年2月18日)

 

残念で堪らない

 曇って日差しは時折しかないが、暖かい。外気温が16度くらいまで上がるという。数日前の寒さが嘘のようだ。

今日改めて、運動場の隅から隅を歩いてみたが、本校の運動場はとにかく広い。対角線は130メートルがとれる。これだけ広い運動場は、なかなか無いだろう。前任校である府立勝山高校の運動場も広かったが、本校の方がひと回り広い。
歩き回りながら、膝が悪くなければジョギングや加速走、快調走などを思いっ切りやるのにと、残念で堪らない。

  閉校後は数年かけて改修し、支援学校(以前は養護学校と呼ばれていた)になることが決まっているが、運動場も含め教育に係わることに転用されるということで喜んでいる。

(平成23年2月17日)

 

放射冷却で強い冷え込み

 予報どおり、放射冷却で今朝は冷え込んだ。最低気温は、三郷町で氷点下4度、羽曳野では氷点下2度であった。大和川にかかる橋はきつい霜で、歩くとしゃりしゃりと鳴った。
   天気は、これ以上ないほどの上天気。青空が広がっている。窓からは陽光が差し込み、室温が10時には16度、13時には20度とぐんぐん上がった。

先日、運動場と玄関脇に掲揚している国旗を新しいものに替えたが、本日はそよぐ風に翩翻とひるがえり青空に映える。仰ぎ見ながら、何とも言えぬ清々しさを感じている。

8時ごろにスイセンの様子を見に行ったが、土が凍り寒さでぐったりしていた。11時に再び行くと、土も緩み春の日差しの下、元気を取り戻しつつあった。明日はさらに気温が上がるようだ。かなりの数開花してきそうである。

先日来、今年度の教職員の評価の開示面談を実施しいているが、今日は8名の方に開示した。順調に進み、あと1名を残すのみとなった。

(平成23年2月16日)

 

スイセンも冠雪

 昨日は昼ごろから降り始めた雪が、夕刻には4〜5センチ積もった。帰りは道路が滑るし、ぬかるむし、靴の中までしみてきて大変だった。特に、学校から最寄り駅までは雪もかなり降っていたので、車からのはね返し(融けた雪)を気にしながら、結構労力を要した。電車の遅れは、さほどでもなかった。
昼間の雪がこのように積もったのは、とても珍しいことだ。昨日は夜中の積雪を心配したが、ほとんどなかったようだ。朝、学校周辺の道路の雪はすっかり融けていた。

スイセンの植わっているところも冠雪し、その中でけなげに咲いている。玄関脇の白梅も開花が少し遅れ加減だが、26日には咲いて来るだろう(写真は、本日9時に撮影したもの)。こちらも楽しみである。

(平成23年2月15日)

 

生徒たちの登校日

 朝、寒く感じた。後から知ったが、羽曳野地域の最低気温は1度、三郷町は氷点下3度であった。12時現在で、室温が13度までしか上がっていない。今日は、終日、気温が低い予報である。

今日は生徒たちの登校日、久しぶりに元気な顔を見ることができた。卒業テストの答案の返却もなされた。

校庭のスイセンだが、思ったほど開花が進んでいなかった。少しがっかりした。17日の木曜あたりから少し暖かくなりそうなので期待したい。

12時ごろから雪が降り始めた。気温が低いからだろう、3時前から融けずに積もるようになった。運動場や周囲の田畑などは真っ白である。夜半にかけて、かなりの積雪になるかも・・・・・・。

(平成23年2月14日)

 

陽光が川面に輝く

 朝、90分ほど散歩をした。余分な汗をかきたくなかったので上はセーターで出かけたが、それでも薄っすらと汗をかいた。大和川の堤も歩いたが、陽光が川面に輝き春を強く感じた。
途中、あちらこちらに植わっているサクラの花芽につい目が止まったが、大きく生育してきたことが一目瞭然だ。
校庭のスイセンも、今日の暖かい日差しで多くが開いて来るだろう。連休明けの14日が楽しみだ。

午後から会合があり出かけた。

(平成23年2月13日)

 

期待はずれの1日人間ドック

 3月末で38年の教師生活を終えるわけだが、今日初めて人間ドック入りした。
石持ちで、膝痛(変形性膝関節症)があり、尿酸値が一時高かった(現在は正常範囲)他は、自覚症状は何もないのだが、節目でもあり受けてみようと思い立った。

がっかりであった。というのは、一日ドックとはいえ、職場で毎年受検する通常の検診よりも多くの検査項目でなされるものと勝手に思い込んでいた。ところが何のことはない、通常の検診以外で行われたのは眼底検査と骨密度の検査のみであった。もっとも、ガンに係わる7項目の検査をオプションで受けたのだが、これとて採取した血液からの検査である。短時間で終了した。
半日使ってわざわざ大阪市内まで出かけたが、「何だこれは」の思いで戻ってきた。期待はずれであった。

結果は10日ほどで、自宅に届けられるそうだ。

(平成23年2月12日)

 

久しぶりの本格的な積雪

 予報どおり、久しぶりの本格的な積雪。積雪量は10センチ近く、早朝庭に出て写真を撮った。バルコニーからの周りの雪景色は、きれいだった。30年くらい前までは、奈良でも年に2〜3回の積雪があったが、最近では珍しい。積雪のあったときは、必ず道路は渋滞、電車も遅れるので、ランニングで通勤した。
昼過ぎまで降り続いたが、気温が比較的高く夕方4時ごろには道路の雪も溶けた。

久しぶりの雪は、子どものときのようにうれしくもあるが、北国の豪雪は本当に大変だろう。今冬、除雪作業ですでに120名を超える方が事故死している。
12日の夜からも、また積雪があると聞く。

(平成23年2月11日)

 

一堂に会するのも最後

 ここ数日、日差しの弱い日が続いていたが、今日は晴れ間が広がり気持ちのよい天気となった。夜中から昼過ぎにかけて近畿でも相応の積雪があると盛んに喧伝されているが、どうなるのだろう。そのとおりであるとすれば、久しぶりのことである。

一昨日、「教育センターを訪れることも、今日で最後かな」と書いたが、今日の午前、センターに府立学校の校長・事務長に招集がかかっていることを失念していた。もちろん出席したのだが、来年度に係わっての事柄が府教育委員会から伝達された。
これから年度末の間に何回か、来年度の人事に係わっての書類手交などで府庁を訪れるが、一堂に校長が会するのは年度内最後であった(3/9に安全衛生に係わっての研修会・説明会があるが、教頭・事務長が代理を務める学校も少なくない)。
これで最後ということが多くなり、何かにつけ感慨深い。
  「校長室から」への寄稿が、本日で今年度300回となった。232日連続であり、平成20年4月1日からの合計回数が665回となった。

(平成23年2月10日)

 

久しぶりのまとまった雨

 卒業式、閉校式の準備が、教頭・事務長・首席を中心に着々と進んでいる。私は、本当に恵まれている。みなさんに支えられていることを、強く実感する。ありがたいことだ。

昨日は、予報よりも降り始めが遅かったが、久しぶりのまとまった雨となった。通勤時も、最寄り駅までは少し降った。小糠雨程度だったので、私は傘をささなかったが。
年明けから極端に雨量が少なく、草木には恵みの雨となった。ここのところの暖かさと相俟って、サクラの花芽も随分と大きくなった。この分だと、今年の開花も早いことだろう。

昨年、我が家のハクモクレンが3月の7日ごろに咲いてきて驚いたが、今年の生育状況も早く、開花は昨年と同時期になりそうだ。モクレンは、よく咲いた翌年は花つきが悪くなるのが普通と聞くが、我が家のハクモクレンは毎年花つきがよい。今年も「よくもここまで」と思うくらい、たくさんの蕾をつけて順調に生育している。
前庭の角で我が家のシンホルツリーとなっており、開花の時期には道行く人にちょっとした幸せ気分をプレゼントすることになる。大木に育ち、花がらの後始末や落ち葉の処理など大変な手間がかかっているのだが、救われる時間だ。
 

(平成23年2月9日)

 

教育センターへの出張

 昨日は、午後から気温が下がった(実際は、上がらなかったというのが正しいのかも)。ここ数日暖かかったので余計に寒く感じた。
今日は15時ごろから雨の予報。日付が変わるころまで降り続くようだ。午後から大阪市内にある府の教育センターに出張するが、多少濡れても支障ないように今日はコートを変えた。
年に15回程度教育センターに出張するが、雨に遭うことが多い。ここ10年を振り返ってみると、3割程度の確率で雨に遭っているような気がする。

府の教育センターは、地下鉄御堂筋線の「あびこ」駅から徒歩12分位の所にある。駅前から商店街を抜けることになるが、途中商店街を右に少し入った所にAというグリルがあった。夫婦と思われるお二人が賄う14〜15人で一杯になるような小さな店だったが、900円のコーヒー付きのランチが実においしく、昼食によく利用させて貰った。特に愛想よくされるというわけではないが、店の雰囲気もよかった。
過去形で書いているのには、わけがある。昨年夏閉じてしまわれたのだ(私にとっては突然)。移転されたのか、商売を畳まれたのか定かでない。いつも楽しみにしていただけに残念に思っている。そう思っているのは、私だけではないだろう。

  そういった教育センターへの出張も、もしかしたら今日で最後かもしれない。
 

(平成23年2月8日)

 

樹木の剪定

 今朝は大分暖かく、手袋が不要であった。

スイセンがもっと開いて来たかと思ったが、期待したほどではなかった。明日は夕刻から雨の予報だが、乾いていたので待ちきれず11時前に水を遣った。26日に見ごろとなることは間違いない。

昨日、今日と、校庭に植わっている樹木の剪定のため業者が入った。随分とすっきりした。
 

(平成23年2月7日)

 

ペースメーカーは不要

 献血のため、郡山市筒井にある日本赤十字奈良血液センターを訪ねた。9時からの開業だが、朝早くから来られている方が少なからずおられる。年齢層は、30代、40代が多いように見える。奈良血液センターでは、数年前から土曜日の献血は受け付けていない。センター側にも理由があるのだろうが、献血しようとする側にとってはとても不便である。

午後からは、別府・大分毎日マラソンのテレビ観戦。3位に日本選手が入ったが、女子に比べてマラソンでの日本男子の影が薄い。若手に有望選手がいなくはない。実業団チームに所属し駅伝での活躍も余儀なくされる反動とも言えなくはないが、本格的にマラソンに取り組む選手が少ない。
それとテレビ観戦していて最近強く思うことだが、大きいレースでは最近必ずペースメーカーがつく。以前は、序盤から速いペースで思い切って突っ込む選手がいたりして面白かったが、後半のみの勝負となり興味は半減だ。先日の大阪国際女子でも、初めてペースメーカーがついた。
どうにかして欲しいと思うのは、私だけではないと思うが。
 

(平成23年2月6日)

 

煙霧

 煙霧だろうか。霞んでいる。一昨日夜の天気予報で、女性予報官が「煙霧」について説明していたように思う。他のことをしていて、聞き取れなかった。
気になって辞典を開くと、「風によって地面から巻き上げられた塵や砂ぼこり、煙、煤煙、火山から噴出して降下している火山灰、海塩粒子などが風に流されて浮遊している状態を指す。火山灰と海塩粒子以外はいわゆる風塵と呼ばれる現象である。風塵は微粒子が舞い上がる現象、煙霧はそれによって視程が悪化する現象である」と。「気象庁は、煙霧または霧・靄と見られる現象が発生しているとき、湿度が75%以上ならば霧や靄(もや)、75%未満ならば煙霧と定義している」と。また、「煙霧の発生後に気温の低下によって湿度が高くなったりすると、煙霧と同時に霧や靄が発生することがある(個体の微粒子と液体の微粒子が同時に浮遊している状態)。よって、たとえ煙霧が発生していたとしても、霧が混じっている時は霧、靄が混じっているときは靄として、それぞれ扱われる。そのため煙霧として扱われる場合には湿度が低い場合が多い」とも。

これから黄砂も飛来し、黄砂による煙霧も度々発生することだろう。

 
朝一番に、駅前の床屋へ向かった。きれいにして貰うことをいやがる人は少ないと思う。私も、散髪をして貰うのが幼いころから好きだ。
周りの者と比較してまだそんなに伸びていないと思われる状態でも、「すっきりして来なさい」と小さいころ母親に急かされた。何かにつけ素直でなかった私だが、散髪だけはいやがらずに床屋へ向かったものだ。父の見苦しい頭髪も、一度たりとも見たことが無い。私も耳に少しでもかかったりすると気になるほうで、父や母の影響が大であると思うことしきり。
そういった性分なので、孫たちの頭髪にもつい干渉してしまう。帰省して来ると、私の初仕事は散髪に連れて行くことになる。娘も心得たもので、伸びたままで連れて帰って来る。理由は言わずもがな、散髪代が助かるからだ。
上は小学校4年。今のところ短いスポーツ刈りだが、これから生意気になって格好をつけて伸ばしたがるだろう。当分は許さないつもりだが、いつまで爺の威厳を保つことができるか・・・・・・。
 

(平成23年2月5日)

 

羽曳野市立中学校と周辺府立高校との連絡協議会

今日は立春だったが、それにふさわしい暖かい一日となった。

本日、藤井寺市内で羽曳野市立中学校(6校)と周辺府立高校(8校)の校長・教頭26名が一同に会し、連絡協議会を開いた。何年も前からこの時期に開かれているが、昨年から府立高校の参加校が倍以上に増えた。高校側からすると、羽曳野市立の6中学校の生徒の進路希望動向などが把握できる。また中学校側からは、地元の高校の取り組みや特色など最近の様子がわかるなどの利点がある。会には、毎回羽曳野市の教育長も出席される。
高校側の校長では私が最年長ということで、開会の挨拶をすることになったが、その場をお借りして33年間のご支援に対して御礼を申し上げた。なお、26日の卒業式・閉校式には、教育長や6中学校長の臨席も賜ることになっている。
3時間にわたる長時間になったが、情報交換のみならず懇親を深めることもでき有意義な会合となった。

私の開会の挨拶

みなさん、こんばんは。
藤田教育長 様、また中学校のみなさんには、日ごろは大変お世話になっております。ありがとうございます。
寒い日が続いていましたが、おとといあたりからやっと寒気も緩みました。今日は立春です。春は名のみとは言いながらも、これから少しずつ暖かくなるのではと思います。

  年度末、生徒の進路に関してや来年度に向けての人事、或いは校内体制の構築など、何かと気忙しくされていることと思います。特に生徒の進学に係わっては、私立学校の授業料保護者負担の無償化などに係わっての公立と私立の関係等、これまでなかった問題も生起しています。1月17日現在での公立中学校長会のとりまとめによれば、府全体で私学の専願者が三千八百人増と聞きます。ここ三年減少傾向にありましたが、志願動向に異変が起こっています。高校側としては、頭を悩ますところです。そういった中、いろいろと情報交換しながらこの難局を乗り切っていくことが求められていると考えます。

  自校について、少しお話させていただきます。ご存知のとおり、西浦高校はこの三月末をもって閉校となります。この33年間に賜りましたご支援やご厚情に対しまして、心から御礼申し上げます。26日に最後の卒業式を引き続き閉校式を挙行するわけですが、在校生の居ない式ということで、一人でも多くの方に出席願いたいと広く呼びかけましたところ、保護者を除いて350名を超えるみなさんのご臨席を賜ることになりました。藤田教育長、そして6中学校校長も全員ご出席いただけるということで、いつものことながら本当にありがたく思っています。当日は、よろしくお願い申し上げます。

  最後に、本会も昨年度から高校の方は範囲を広げての開催ということになりましたが、今後さらにより有意義な会合になりますことを祈念申し上げ、開会の挨拶とさせていただきます。
 

(平成23年2月4日)

 

今日は節分

 昨日から急に寒さが緩んだせいか、今朝は気温のわりに寒く感じた。日中は、13度くらいまで上がるようだ。
今日は節分。明日から、暦の上では「春」だ。


花の街

江間章子作詞・團伊玖磨作曲

七色の谷を越えて
流れて行く 風のリボン
輪になって 輪になって
かけていったよ
歌いながら かけていったよ

美しい海を見たよ
あふれていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で
泣いていたよ 街の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
ひとりさびしく ないていたよ


私は「春」と聞くと、すぐにこの歌が思い浮かぶ。江間章子の作詞、團伊玖磨の作曲で、昭和22年に作られた。大好きな歌の一つである。江間章子さんは、あの「夏の思い出」の作詞者でもある。
娘たちがまだ幼かったとき、親族の結婚披露宴において家族4人で歌った。25年以上も前のことだ。今でも新郎新婦であったご当人たちから「よかった」と言われる。

江間章子さんは、平成17年に91歳で他界されたが、音楽の教科書(教育芸術社「中学生の音楽1」及び同「中学生の音楽2・3下」)の中で、「春の街」について次のように述べておられる。

「花の街」は私の幻想(げんそう)の街です。戦争が終わり、平和が訪れた地上は、瓦礫(がれき)の山と一面の焦土(しょうど)に覆(おお)われていました。その中に立った私は夢を描(えが)いたのです。ハイビスカスなどの花が中空(なかぞら)に浮(う)かんでいる、平和という名から生まれた美しい花の街を。
詩の中にある「泣いていたよ 街の角で……」の部分は、戦争によってさまざまな苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものです。この詩が曲となっていっそう私の幻想の世界は広がり、果てしなく未来へ続く「花の街」となりました。


一番の歌詞の最後「歌いながら」のところは、「春よ春よと」書かれているものも多いようだが、原詩は「歌いながら」である。私も長く「春よ春よと」と唄っていた。


午前中、校務員が前庭のスイセンに植物活性剤を散布してくれた。昨日からの暖かい陽光と相俟って、開花を促すことだろう。

午後から、懐風館高校の第1回入学者選抜委員会が同校会議室で開かれる。本校からも、教頭・首席・教務部長の3名が出席する。
 

(平成23年2月3日)

 

無事モーニングを

 予報どおり、寒さが緩んだ。暖房なしの校長室だが、午後2時には室温が19度まで上がった。明日以降は、最高気温がさらに1度くらい上がるようだ。

明後日は立春。「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」である。


卒業式・閉校式まで3週間余りとなった。
閉校に伴って不要となる備品等を、懐風館高校をはじめ近辺の学校に引き取って貰うが、その作業がテストの終了した今日から本格化した。今朝は、8時前から大型のトラック等が何台も入り、終日作業が続いた。横目にしながら複雑な心境である。


ボテの入った(脂肪で膨らんだ)みっともない体に、無事モーニングを着せることができるかどうか少し心配だ。式までちょうど1ヶ月前の1月25日に、久しぶりに体重を測った。これまでの経験から、何とか着ることのできる体重はわかっているのだが、それをオーバーすること2キロ。
1週間経った今朝、再度測った。前回からは、600グラムの減。この1週間、特別なことをしたわけではないが、いつもどこかで意識してきたことが表れたのであろう。あと1.4キロである。今日からはさらに強く意識して、何とかクリアーしなければならない。
ちなみにモーニングは、42歳のときに教え子の仲人をした折りに購入したものだ。当時はランナーとしてまだまだ現役そのもの、体は絞れていた。その後、ズボンは10年前にウェストを3〜4センチ広げたが、上着はそのままである。
以前、卒業式の写真を見た友人が「ぴちぴちで窮屈そうじゃないか。礼をしたときボタンが飛ばないか」と。

そのような無様なことだけは、もちろん避けたいが・・・・・・。
 

(平成23年2月2日)

 

定期考査終了

 今日から2月。昨朝に比べると、大分寒さが緩んだと感じる朝だった。

卒業に向けての最後の定期テストも、本日無事終了した。生徒諸君は、がんばったことと思う。明日からは授業も無く(卒業式の予行演習など、登校しなければならない日はある)、26日の卒業式・閉校式を迎えることになる。式に臨むことができるのは、もちろん、卒業を認定された生徒に限られることは言うまでもない。卒業できることを祈っている。

テスト終了後、集会が開かれ、教頭や部長などから今後の予定や式までの生活の送り方、式に臨む態度などについて講話や諸注意がなされた。

2/26の式には、保護者を含めると500名を上回る数の出席者(来賓64名、招待者40名、旧職員・しらとり会会員等87名、同窓生163名)がある。お膳立ては、徐々に整いつつある。後は、「主役である卒業生の式に臨む態度」が問われることになる。

全員の力で、心に残る式にしたいものだ。
 

(平成23年2月1日)

 

大乗川に氷が

 今朝はいつもにもまして冷え込んだ。羽曳野地域の最低気温は氷点下1.5度、三郷では氷点下3度であった。通勤途上、ここ数日では最も寒く、大和川を渡る際、耳が痛かった。本校の裏に大乗川という小さな川が流れているが、淀んでいるところ何箇所にも氷が張った。明後日、2日の水曜日から寒さが緩むと聞くが・・・・・・。

昼前、30分くらいかけ前庭のスイセンに水をたっぷりと与えた。風もあり冷たかったが、「ありがとう」の声が聞こえるようであった。

卒業テスト4日目も無事終了した。あと1日である。午後から、第7地区の養護教諭研究会が本校で開かれた。


地区養護教諭研究会 開会の挨拶

みなさん、こんにちは。西浦高校へようこそお越しいたたきました。研究会へのご出席、ご苦労様です。
寒い日が続いております。今朝は特に気温が低く、本校の裏に大乗川という小さな川が流れていますが、淀んでいる箇所には氷が張っていました。本校に赴任して3年になりますが初めてのことです。

インフルエンザについては、高校でもいくつかの学校で学年休業や学級休業が出ているようですが、みなさんのところでは如何でしょうか。本校でも先日、学級休業を覚悟しなければならないような状況に近づいたのですが、何とかそれには至らず、現在沈静化しつつあります。

  日ごろは、各学校で学校運営の柱となってご活躍いただいていることと思います。敬意を表します。
私は、養護教諭並びに保健主事が保健室経営をきちんと押さえることが、学校運営全体にとって大変重要であると以前から考えています。学校によって課題の異なることは当然ですが、どのような学校におきましても保健室の重要性は変わりありません。そういった意味において、みなさんの学校の校長は、いつも大船に乗った気持ちで過ごしていることと思います。私もその最たる一人であります。保健主事を兼務する養護教諭がきちんと要所を押さえているからです。

  本校はご存じのとおり、再編統合の対象となりこの3月で閉校となります。2月26日に最後の卒業式・閉校式を行いますが、あと1ヶ月を切りました。現在、卒業に向けての定期考査中ですが、これも明日が最終日です。大詰めに来ているのです。

  今日はさまざまな協議題がおありだと思います。本日の会合が実り多いものになりますことを祈念すると共に、これまで本校に対しましてみなさんから賜りましたご支援やご厚情に感謝申し上げ、簡単ではありますがご挨拶といたします。
 

(平成23年1月31日)

 

粘り強く

 本日未明、先日来カタールのドーハで開催されているサッカー・アジアカップの決勝が行われた。日本が延長の末、オーストラリアを2対1で破り、2年振り4度目の優勝を果たした。また、第30回の大阪国際女子マラソンが長居陸上競技場発着で開催され、赤羽選手が初優勝を飾った。2位、3位にも日本選手が入った。
両方とも最初から最後までテレビ観戦したが、両方に共通してのキーワードは「粘り強く」であろうと私は思った。サッカーは、延長を含め120分を超える文字どおりの死闘であった。両チームとも一歩も譲らぬ白熱の戦いとなったが、好プレーの続出する中、勝利の女神はザッケローニ監督率いる日本チームに味方した。日本チームの勝利への執念が、わずかに上回ったように思った。サッカーはこれまで、ここ一番というところで苦杯を嘗めることが多かったが、今回の準決勝・韓国戦におけるPK戦での勝利など粘り強さを随所に見せ、溜飲を下げた。

あいにくの強風と低温、過酷な気象条件の中のマラソンも最後2選手のマッチレースとなったが、前回大会(優勝候補ながら途中棄権となった)の雪辱を期した赤羽選手の気迫と老獪さが優った。2位に入ったフルマラソン2回目の伊藤選手の粘り強さにも、感動を覚えた。今後が大いに期待される。

「飽くこと無く 可能性を求めて、粘り強く精進する」ことの大切さを、改めて認識した一日となった。
 

(平成23年1月30日)

 

淡路島も3週間遅れ

 前に住んでいた家から移した木、自然に生えてきたものも含め、我が庭にナンテンが何本もある。ナンテンの、その風情がとても好きだ。環境が合うのかご近所の人が驚かれるほど、どれもたくさんの実をつける。その可愛い実も、小鳥たちに食べ尽くされほぼ終わりである。

  庭土が渇いている。朝、9時ごろ、たっぷりと水をやった。防寒をして臨んだが、念入りにやるので20分以上もかかり体が冷えた。

  昨秋、我が家でも日本スイセンを15球植えた。今朝は水を得て、喜んでいる。あと1週間くらいで開いてきそうだ。遅れているツバキ(四海波)の開花だが、こちらもあと1週間くらいで・・・・・・。新聞によれば、淡路島のスイセンも見頃に近づいていると聞く。ただ、こちらも例年より3週間遅れているとのこと。
 

(平成23年1月29日)

 

ここ1週間、10日で

 毎朝、通用門付近で生徒に挨拶を投げかけるが、目を凝らして付近に植わっているサクラやケヤキの芽を観察していると、厳寒の中でも日一刻と成長しているのがわかる。

開花が遅れ加減だった秋に植えた前庭のスイセンが、ここ1週間、10日で、ダッダと咲いて来そうな気配だ。
校庭の数ヶ所で、これまで(何年も前に)植えられたスイセンを見ることができる。これらの中には、開花してからすでに三週間以上経過したものもある。蕾が見え始めてから開花までの時間が、一ヵ月半も二ヶ月もかかっているような気がする。
今回秋に植えたものは、蕾が見えてから2〜3週間で開花しそうだ。これまでから植えられていたものも日本スイセンと思われるが、種類によって開花に向けてのスピードが微妙に異なるようだ。どちらにしても、2/26にはよい状態になりそうなので喜んでいる。
 

(平成23年1月28日)

 

暦の上ではもうすぐ春だが

 通勤時はコートを着ているし、わりと早足で歩くのでそう寒くは感じない。日中、何度か校舎内外を見回って歩くが、そのようなとき外はとても寒く感じる。 羽曳野地域は、今日も最高気温が6度くらいまでしか上がらない。この寒さが月曜日まで続くようだ。予報では火曜日に一旦緩み、最高気温も11度くらいまで上がるとのこと。最高気温が10度を超えると、少しは暖かく感じるだろう。

4日は立春だ。立春から立夏までが暦の上での春だが、水温むを実感するには、今しばらくかかりそうだ。「これから三寒四温を繰り返しながら徐々に暖かくなってくることだろう」などと口走りそうにもなるが、このところずっと寒く、三寒四温の印象はほとんど無い。もっとも三寒四温は、シベリア高気圧の影響を受けやすい中国大陸北部や朝鮮半島などでは顕著であるらしいが、元々日本ではそうでないとも・・・・・・。

  天気の移り変わりが、三寒四温の七日周期から四日周期に変わってくると本格的な春近しと言われる。四日周期を調べて見ると、「まず移動性高気圧が通過すると気温が上昇し、次の日には低気圧が通り雨となる。三日目は天気が回復し、強い西風が吹き気温が下がる。四日目には移動性高気圧が近づき風が弱くなりしだいに気温が上がる」ことを指すと言う。
三寒四温の七日周期から四日周期に移り変る時期は、例年だと三月上旬であるとも。

どちらにしても、2月26日は暖かい一日となって欲しいものだ。
 

(平成23年1月27日)

 

恵みの雨

 夜中、羽曳野地域は雨が降ったようだ。それも、しばらくぶりのまとまった雨が。「木の芽起こしの雨」という言葉もあるが、乾いていたので草木には恵みの雨となったことだろう。特に前庭のスイセンには開花を促進する雨になってくれたと思う。事実、一日、二日で開いてきそうなものもある(写真参照)。これからどんどん開いてくるだろう。

  本日から卒業テストが始まった。2月1日までの正味5日間だが、全力を尽くしてくれることだろう。期待する。

卒業式・閉校式まで、あと一ヵ月。午後からは職員会議を開く。
 

(平成23年1月26日)

 

最後の授業

 8時15分ごろから40分くらいにかけて、傘の要らないくらいの微かな雨が降った。昼前から日が差しているが、気温は一日、あまり上がらないようだ。

生徒諸君にとっても、本校にとっても、本日は最後の授業であったが、無事終了した。明日から最後のテスト(〜2/1)が始まる。

  私の教諭としての最後の授業は、平成13年の2月末であった。前年、教頭選考に合格し異動、その年は待機の一年であった。翌年度4月から昇任できるかどうかは3月末にならないとわからない状態だったのだ。最後の授業になるかどうかは微妙であり、結果としてあれが最後の授業であったということになった。

  教諭で定年を迎える場合はもちろんはっきりするのだが、複雑な思いであった。
 

(平成23年1月25日)

 

開花が遅れそう

 朝方はどんよりとした全面の曇り空。大して低い気温ではないが、日も差さず寒く感じた。校長室の室温は、10時半現在、14度。先ほどからお日さんも時折覗くようになったので、これから少しは上がってくると思われる。
授業は、今日明日で終了。明後日から卒業テストの開始(〜2/1)である。明日は、前日のため半ドンだ。生徒たちは、悔いの残らぬようにがんばってくれることだろう。

校庭のスイセンだが、寒さが厳しいせいか予想より開花が遅れそうだ。植えつけた当初は、早く咲き始めて2/26には盛りを過ぎてしまうのではと心配したものだが、今は開花が2月下旬になるのではと気を揉んでいる。
せめて5分咲きくらいには・・・・・・。
 

(平成23年1月24日)

 

卓球の日本選手権

 卓球の日本選手権が先日来開かれていたが、本日最終日の模様がテレビ中継され観た。一流選手の反応のよさには感嘆の連続であった。卓球界も、男女を問わず若手の台頭が著しい。女子シングルスで優勝に輝いた石川選手は17歳、男子シングルスでベスト8に残った丹羽選手(ジュニアの部シングルス2連覇)は16歳である。
女子ダブルスを制し、シングルスでも準優勝に輝いた藤井選手は、妻の元同僚(大先輩)のお孫さんだ。女子では平野・福原・石川の活躍がクローズアップされることが多いが、世界選手権などでも日本代表として活躍している。昨秋のアジア大会では、ダブルスで銅メダルに輝いた。藤井選手のさらなる活躍に期待する。
 

(平成23年1月23日)

 

西浦高校の40周年

 昨日の学校協議会の折、委員のお一人から「西浦高校の40周年の祝いもぜひやればよい」とのお言葉を賜った(現在、33年目)。なるほどと思った。学校としての形は無いが、係わった人たちの心に永遠に生き続けるわけだから・・・・・・。
同窓会会長やしらとり会(保護者と旧職員の会)会長も協議会に出席しておられた。その方向で考えていただけるだろう。
 

(平成23年1月22日)

 

最後の学校協議会

 本日午後、今年度3回目の学校協議会を開いた。
協議会の趣旨は、学校の展開している教育活動が保護者や地域住民のニーズに合ったものになっているかどうかを、有識者や地域の皆様の目で点検していただく。そしてそこで賜ったご意見やご提言を、スピーディーに学校運営に生かしていくことにある。
これまで、委員のみなさんからは貴重なご意見やご提言を賜った。そして、それらをスピーディかつタイムリーに生かすよう私なりに努めてきたつもりである。本校が曲がりなりにも、よい流れになってきたことは、委員のみなさんからの貴重なご意見やご提言に寄るところが大きかったと大いに感謝している。


開会の挨拶

年が明けましてから大分経過しましたが、委員の皆様には、お健やかによいお年をお迎えのことと思います。今学期もどうぞよろしくお願い申し上げます。本日は、今年度3回目の協議会を開催しましたところご多用の中、ご出席賜りましてありがとうございます。

さて、例年3年生の3学期は短いのですが、もう来週26日の水曜日から卒業テストということで、授業はあと二日のみになりました。いよいよ大詰めに近づいています。
2月26日に最後の卒業式、引き続いて閉校式を開きますが、委員の皆様には、こちらも全員ご臨席いただけるということで、大変ありがたく思っております。併せて御礼申し上げます。
今回は送る側の在校生が居ない式であります。そのような中、一人でも多くの方に出席していただきたいと広く呼びかけましたところ、本日現在で卒業生の保護者を除き350名の方から出席回答を賜っております。これに保護者を合わせますと有に500名を超えることになります。最後を飾るにふさわしい人数になったと喜んでおります。これも、委員の皆様が陰に陽にご支援いただいています賜物と、感謝申し上げます。


本日は最初に教務・生徒指導・進路指導の各部長から近況報告をさせていただき、その後協議に入りますが、今年度の、また33年間の締め括りということで特にテーマは設けず、自由にご協議いただければと思います。
よろしくお願いいたしまして、開会の挨拶とさせていただきます。


謝 辞

  ご協議ありがとうございました。
委員の皆様からはいつも本当に貴重なご意見やご提言を賜りましたこと、心から感謝しております。それらを学校運営にスピーディかつタイムリーに生かすよう私なりに努めてきたつもりではありますが、私の力不足もあり十分でなかったかも知れません。
委員それぞれに多大のご支援を賜ったわけですが、先程来からありますように増田先生には特に、協議会開設の初年度から本当に長い間委員としてお世話になりました。感謝に堪えません。ありがとうございました。

本校はこの3月末で閉校となりますが、33年間、営々脈々と築いてまいりました西浦の歴史と伝統は、子々孫々まで継承していかねばなりません。
これまで委員の皆様から賜りましたご厚情に対しまして、重ねて心から御礼申し上げ、はなはだ簡単ではありますが私からの謝辞とさせていただきます。ありがとうございました。
 

(平成23年1月21日)

 

PTAの役員会

 今日20日は、二十四節気のひとつ「大寒」である。
いい天気で、窓際は陽射しも強く、暖房なしの校長室でも室温が11時現在18度まで上がっている。
本日、おとなりの懐風館高校では、耐寒登山が実施され二上山に登っている。今ごろは、山頂で昼食だろうか。歩くには、もう少し冷えたほうが耐寒にふさわしいが、立ち番の教員は助かっているだろう。
無事の終了を祈る。

昨日は午後、PTAの役員会があった。
最後のPTA新聞に係わってのことや卒業式・閉校式、並びに3/7に開く最後の総会などについて協議した。みなさんそれぞれにお忙しい中、運営に本当によくご協力いただいている。今年度は3年生の保護者のみの手薄の中、卒業された前会長以下3名に顧問として残っていただき、サポートを賜っている。サポートどころか、中心的役割を担っていると言っても過言ではない。誠にありがたいことである。

明日は、最後の学校協議会を予定している。
 

(平成23年1月20日)

 

授業はあと5日

 26日(水)から卒業テストに入るので、授業は正味、本日を入れてあと5日となった。
インフルエンザ流行の兆しがあり、学級閉鎖などの懸念がある。何とかそうならないように願っているが、これだけは思うようにならない。
とにかく、生徒諸君にはうがいと手洗いの励行に努めて欲しい。

  在校生の居ない最後の卒業式並びに閉校式を、一人でも多くの人たちにご臨席願えればと呼びかけをして来たが、ありがたいことに多くの方々のご賛同を得ることができた。
昨日現在、来賓60名、招待者55名、旧職員60名、卒業生170名の計355名。この数に卒業生のご家族が加わる。最終的に500名を上回る人数になりそうである。
ご多用の中、ご臨席賜る皆様には、心から感謝申し上げたい。
 

(平成23年1月19日)

 

震災記念日

 昨日は、震災記念日であった。 16年前に発生した阪神・淡路大震災の悲惨さを記憶に留め、次世代に受け継いでいくために設けられたものだ。近畿に住んでいた者に限らず、20歳以上の日本人ならばあの忌々しい悲惨な地震のことは、忘れようにも忘れられない出来事である。
地震が発生したのは平成7年1月17日(火)午前5時46分、この地震による死者は6,434名、行方不明者3名、負傷者は43,792名と甚大な被害であった。ただ死者は関東大震災の10万人に比べると約1/16である。これは被災地域が関東大震災より狭かったこともあるが、大正時代に比べると建築物の不燃化が進んでいること、住宅の耐震性が高くなったことも大きいと言われている。
私も神戸や芦屋に住んでいた妻方の親類の家屋が、全壊・半壊の被害に遭った。幸い命を失うことはなかったが、家を失ってしまうという大きな痛手を蒙った。
地震後、最初の日曜日(22日)に妻と義母、妻の姉夫婦の5人で、水や食料などの救援物資を持って見舞いに駆けつけた。電車で行くことが出来たのは西宮北口までであった。途中、電車から見えた建物の多くも屋根などが傷み、シートを被っていた。西宮北口駅もかなりの損傷であった。そこから夙川・芦屋川・岡本・御影・六甲と折り畳みの台車に物資を積んで歩いた。見渡す限りすべてが被災し、木造家屋の全壊が目立った。まだ煙の昇っている家もあった。とにかく、悲惨という言葉だけでは語り尽くせぬ、まるで地獄のような状況であった。戦争被災の体験はもちろん無いが、原子爆弾で被災した写真や映像で見る「広島」のようでもあった。
親類の家も、木造2階建て2戸が全壊でぺしゃんこ、鉄筋のマンションもドアが開かないほど損傷していた。親族は近くの高校の体育館や市役所に避難しており、無事が確認できホっとした。あの例の高速道路の損壊箇所も、遠くからだがこの目で見た。
阪神・淡路大震災では、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などのライフラインは寸断されて、広範囲において全く機能しなくなった。以後、都市型災害や地震対策を語る上で、「ライフライン」の早期の復旧、「活断層」などへの配慮、建築工法上の留意点、「仮設住宅」「罹災認定」等の行政の対策などが注目されるようになった。現地において被災者支援のボランティア活動に参加した人の数は一日平均2万人超、3ヶ月間で延べ117万人とも言われている。被災地でのボランティア活動の重要度に対する一般の認識も飛躍的に高まった。現地には行かずに被災負傷者のための献血・義援金拠出・物資提供などの後方支援に携わった人々も含めると、その数はさらに大きかっただろう。このために、この年は日本における「ボランティア元年」とも言われる。後に、国は1月17日を「防災とボランティアの日」、17日を中心とした前後3日の計7日間を「防災とボランティア週間」と定めた。

ボランティアの活躍を見て、「日本人の底力」を感じたのは私だけではないだろう。

あれから16年、世界に例の無い早いスピードで復興を遂げたとはいうものの、まだまだその痕跡はあちらこちらに残っていると聞く。特に精神的なダメージを完全に払拭することは、強い人であっても不可能に近いだろう。昨夜のテレビでも、そのあたりを伝えようとしていた。

地震の被害から完全に免れるということは不可能かも知れないが、備えあれば被害を軽微にすることはできる。阪神・淡路大震災の教訓を風化させないように、次世代に語り継いでいかねばならない。
 

(平成23年1月18日)

 

酸ヶ湯で3メートル

 大阪や奈良では雪景色を見ることはできなかったが、日本海側各地では大雪のようである。屋根の雪下ろしなど大変な作業を余儀なくされ、特に若い人手のないお家では深刻な状況であろう。ちなみに、今日現在で最も積雪量の多い地点は、温泉で有名な青森県の酸ヶ湯で3メートルを超えているらしい。酸ヶ湯は八甲田山麓にあり、10年くらい前に八甲田大岳に登った際、千人風呂と呼ばれる大きな温泉に浸かったことを憶えている。なお、酸ヶ湯では平成17年3月、5メートルの積雪を記録している。
午前中、時折しか日差しも無く、校長室もいつもより室温が2〜3度低い。

月曜日などの休み明け、朝校長室に入っていの一番に目をやるのは、鉢物の植物である。弱っていないだろうかと気になるのだ。水遣りには細心の注意を払っているので、生き生きとしている。一昨年、何年も花をつけなかったエンジェルベイビー(デンドロビューム)が12月からいくつも花をつけ喜んだのだが、今シーズンは今のところ咲く気配が無く、寂しい気がしている。特に水遣りなど、手入れを変えたわけではないのに・・・・・・。
遅くなってもよいから、一つ二つでも花芽をつけてくれないかと気を揉んでいる。

  本校生のインフルエンザ感染者は、12時現在、3名である。
 

(平成23年1月17日)

 

今冬一番の冷え込み

 この三年間、一貫して「休まず、遅れず登校させる」を学校教育目標の第一としてきた。欠席数は減ったが、生徒の遅刻が相変わらず多い。在籍数などさまざまな条件を考慮しての遅刻率は、昨年と比較して改善できていない。遅刻についても、家庭の協力無しでの改善はあり得ない。残り少なくなったが、家庭との連携をさらに強化して改善に努めたい。

今日は、各地で今冬最も冷え込んだ日となった。私の住んでいる所でも最高気温が1度と、とても寒い一日となった。テレビニュースによれば、国内における観測箇所の90%以上で最低気温が氷点下であったとのこと。睡蓮鉢に張った氷が、終日溶けなかった。朝一番に、今年初めてとなる献血のため県の血液センターを訪ねたが、私の車のセンサーでは八時半前後の外気温が氷点下2度であった。日本海側では各地で大雪、明日にかけてさらに積雪があるとの予報。もしかしたら、明朝は奈良でも雪景色が見られるのかも知れない。

  本日、全国都道府県対抗女子駅伝が京都で開かれた。レースの方は、京都が序盤の遅れを挽回し2年振り13回目の優勝を飾った。大阪は10位、愛媛は26位だった。京都でも早朝積雪があり、大会関係者はコース整備などで大変なご苦労があったことだろう。男子の方は、来週広島での開催だ。駅伝やマラソンレースのテレビ観戦は、私の大きな楽しみである。
 

(平成23年1月16日)

 

38年を振り返れば

 今日は特に予定もなく、終日、家でゆっくりした。

教師になって38年。これまで、直接授業を担当しなかった生徒を含め、赴任した五つの学校でおよそ1万1千名を超える生徒と出会った。一緒に勤務させていただいた教職員の数も、細かく数えたことはないが恐らく千人を超えるだろう。このような出会いの多さは、他の職業では到底経験することのできぬことである。

振り返れば、当然だが専門の「体育」や「保健」の授業はもちろんのこと、生徒たちの指導全般において全力で取り組んだとの自負はある。が、一方で係わった生徒たちに果たして十分なことができたのであろうかの思いも強い。若かりしころは情熱に任せての暴走もあり、周りの先輩方や同僚にご心配やご迷惑をお掛けしたことも多くあった。さまざまな面で、至らぬ点が多々あったことは否めぬ。ベテランと言われるような年齢になってからも、失敗の連続であった。悔いの残らぬようにやるべきことはやったと胸を張ることのできる人もおられるだろうが、残念ながら私はそうではない。反省すべきことは、数多くあるように思う。それは何だと問われても、すぐに挙げることができないことも事実だが。そのような中、健康には恵まれ、勤務に大きく穴を空けるようなことは無かったことがせめてもの救いである。

これまで出会った教え子たちから、多くのことを学ばせて貰った。ありがたく思っている。勤務した五つの学校で指導を仰ぎ、また切磋琢磨した先輩や同僚、並びに後輩の皆さんにも感謝申し上げたい。学校は違ったが縁あって一緒に仕事をさせていただいたみなさんにも、同様の気持ちである。

私に好きな道を歩ませてくれた父が生きていたら(23年前に没)、今の自分に対してどのような声をかけてくれるだろうかと思う。そのようなことを考えてしまうというのも、歳を重ねたからであろう。
 

(平成23年1月15日)

 

季節は着実に

 寒い日が続いているが、そのような中でも玄関脇の白梅が寒さに負けず蕾を徐々に膨らませている。あと3週間で咲き始めるだろう。去年も卒業式当日、馥郁たる香を放ってくれた。写真は、本日10時ごろ撮ったものだ。
もう一つの写真はスイセンだが、今回植えたものではなく、以前から校庭に植わっているものだ。こちらも今日撮影したものである。

もうすぐ大寒(1月20日)。厳寒の中でも、季節は着実に歩んでいる。
 

(平成23年1月14日)

 

最後を飾る授業を担う

 スイセンの花芽が目立ってきた。毎日のように観察しているが、実に可愛い。撫でてやりたい気持ちだ。今日は校務員が、寒い中、液肥を与えてくれた。植えつけた頃は、あまり早く咲き始めると困るなと思ったものだが、今は果たしてきちんと咲くのだろうかと・・・・・・、また2月26日の式当日、美しく咲き揃ってくれるのだろうかと心配している。チューリップのときも、ミニヒマワリのときも同様であった。

26日から最後のテストに入るため、授業は本日を入れて9日となった。教科・科目によっては、あと2時間、1時間というところもある。
本校の教諭で定年退職という方は、今年度はいない。4月からは全員が異動し他校で教鞭をとることになる。これからも教師生活は続くというものの閉校という特殊な状況があり、それぞれに深い感慨があることだろう。
生徒諸君も残り少ない授業を集中して受けると共に、本校教員も西浦高校33年の最後を飾る授業を担っていることをしっかりと自覚し、悔いの残らぬ最高の授業を展開していただきたい。
 

(平成23年1月13日)

 

卒業式・閉校式への出欠回答

 朝の気温が昨日と比べ5度も高かった。夜中に雨が降った影響だろう湿度も適度に高く、呼吸が楽であった。
本校の校長室は南に面しており暖かい。今、午前11時だが、室温16度である。今冬は、今のところ暖房なしで過ごしている。寒いのも今月一杯だろう。

卒業式・閉校式への出欠回答をいただく期限が、明後日に迫っている。大勢の方に来ていただけそうで喜んでいる。ご回答未提出のみなさんには、よろしくお願いしたい。
 

(平成23年1月12日)

 

3学期始業式

 本日、8時55分から底冷えする体育館で、3学期の始業式を行った。私は覇気満堂、気合十分であったので大して寒いとは思わなかったが、生徒たちは寒かっただろう。
私の講話の後、生徒指導・進路指導・教務の三部長と学年主任から話があった。出席している生徒は元気そうだったが、欠席者が若干多いように見えたのが気になった。インフルエンザの流行の兆しもあるようなので心配する。


始業式 講話

生徒諸君、おはよう。新年、おめでとう。
君らの元気な顔を見ることができ、とてもうれしく思う。休みの最後に三連休があり、いつもの冬休みより3日も休みが多かった。ゆっくりできたのではないだろうか。

  さて、いよいよ君らにとっても、西浦高校にとっても最終となる学期が始まった。この26日からは、最後のテストが始まる。高校生活も、本当にあとわずかとなってきたのだ。「悔いの残らぬように、とにかく全力を尽くしなさい」と言い続けてきたが、ゴールは間近に迫ってきた。卒業に向けて、最後の力を振り絞って欲しい。
冬休みに入ってから昨日にかけて、駅伝、ラグビー、バスケットボール、バレーボール、サッカーなど、さまざまな種目の全国大会が開かれた。それぞれに、見ている人に、応援する人に感動を与えたわけだが、何に胸を打たれるのかというと、一生懸命に必死で取り組む姿が感動を生むのである。全力を出し切ろうとする姿に感動するのである。
勝ち負けを度外視して、がんばる姿が感動を呼ぶのである。

  「立つ鳥跡を濁さず」という言葉がある。これは、何でも最後をぴしっときめて終わることが大事であるという意味だ。これまで歩んできた道のりの中には、もしかしたら全力を出し切れなかったことがあったのかも・・・・・・。でも終わってしまったことは仕方がない。反省しつつもそれは傍らに置き、これまで力を出し惜しみしたかなという人も今日からはそれぞれが持っている力を出し切って、全力で取り組んで欲しい。力を出し尽くして欲しい。そのような中で、必ず道は拓けると思う。
そのようになれば、高校生活はよい思い出となっていつまでも残るであろう。
有終の美を飾って欲しい。
 

(平成23年1月11日)

 

明日は3学期の始業式

 最低気温はそれほど低くなかったが、最高気温が4度しか上がらない寒い一日であった。そのような中、時折、日が射したので合間を縫って庭に撒き水をした。スイセンも日に日に草丈が伸びてきた。

最近、どこへ行っても、どなたにお会いしても、「あとわずかですね」「いよいよですね」と声をかけていただく。気に掛けていただき、幸せである。ありがたいことである。

明日は、いよいよ3学期の始業式である。私が全校生徒を前に話しができる機会は、残りわずかとなった。
大事にしなければならない。
 

(平成23年1月10日)

 

異業種の人たちとの勉強会

 月1回開かれる、古典に係わっての勉強会に出席した。家から遠い所での開催なのだが、有意義な勉強会なので余程のことが無い限り出席する。例会には30名くらいが参加し、15分程度の休憩をはさんで会主宰者から3時間の講義・講話がある。ときには、外部講師をお招きしての講義やフィールドワークも実施される。
異業種の人たちの集まりで会員の平均年齢は60歳を上回っているが、みなさん若々しく好奇心や向学心が旺盛である。書道の大家や実業界で功成り名を遂げた方など多士済々だが、偉そうな素振りをされる方は皆無、至って謙虚である。30代、40代の方もおられるが、会員に共通しているのは、「仁・義・孝・忠・恕の欠如など心の教育の荒廃への憂い」であろう。今の世の中を何とかしなければの、共通の思いがある。

例会終了後は懇親会がもたれる。今夜も肩書きや年齢を離れ、ざっくばらんの楽しいひとときを過ごした。

今日で、「校長室から」への寄稿が200日連続(今年度通算270回)となった。
 

(平成23年1月9日)

 

大いに反省

 昨夜の予報でも今朝は今冬一番の冷え込みと聞いていたが、そのとおりとなった。最低気温は氷点下4度だった。庭の睡蓮鉢には氷が張り、樹木にも霜が。

昨日の職員会議において、カミナリを落とした。服務に係わって、ある職員の認識の甘さに感情を抑えきれなかった。「瞬間湯沸かし器」と言われてはいるが、会議の席では初めてのことだ。
服務規律に関しては、本校職員に対し日ごろからその厳正を口酸っぱく求めている。校長として当然の事である。会議の席で、あるベテラン教員が考えられないような質問をしてきた。あまりの常識の無さに堪忍袋の緒が切れた。その職員に対しては、質問してきた内容について会議の1時間ほど前に一対一で、やさしく噛んで含めるように諭したところだった。
内容詳細についてここでは触れないが、「学校の常識は、社会の非常識」と言われても返す言葉が見つからないような低レベルのものだ。西浦に着任して2年9ヶ月、保護者や地域のみなさんからの信頼回復に努め、少しはよい流れになってきたと喜んでいる矢先の残念な事象である。

振り返れば、そのような職員が存在していたということ自体、私の校長としての指導力の無さを露呈したということだろう。
大いに反省し、さらに気を引き締めて臨まなければならない。
 

(平成23年1月8日)

 

「百薬の長」

 今日は職員会議もあるので朝から職員が揃った。本格的なスタートである。調子を崩している職員はいないようで安心した。天気も上々、何となく気合が入る。ただ明日から三連休をはさんで11日の火曜日に始業式と、今年は変則である。いいのか悪いのか・・・・・・。

若いときは暮れから三が日にかけては飲み過ぎ、食べ過ぎで胃の調子を崩すことが多かった。いくら若いと言っても、四日も五日も大酒が続くと胃も肝臓も悲鳴をあげてしまう。今は自然に自制できる。とは言っても、たまには飲み過ぎてしまうこともあるが、次の日は押さえるといった調子で連続することは稀である。
健康管理には留意しつつ「百薬の長」と上手に付き合っていきたいものだ。

始業式で全校生徒に会えるのが楽しみである。
 

(平成23年1月7日)

 

隻腕での大キレット

 前にもこの欄で触れたことがあるような気もするが、44歳の夏、穂高連峰の大キレット(北穂高岳から南岳にかけての危険度の高い崖)を初めて越えた。私は南岳側から進んだのだが、そのとき北穂方向から30歳半ばくらいに見えた隻腕の登山者とすれ違った。滑落すれば千メートルも落ちてしまうような、五体満足で元気な者であっても尻込みするほどの危険な箇所を、片腕しかない登山者がチャレンジするのを目の当たりにしたのだ。家に戻ってからも死亡事故などのニュースは聞かなかったので、無事クリアーされたと思われる。これは、けっして作り話ではない。
  驚くと同時に、可能性の無限であることを改めて思い知った。
 
  膝の調子が思わしくない。腰も然り。平地でもまともに歩けていない現状を見て、家人や近親者は「もう高山は無理だね。信貴山くらいが関の山だね」と言われる(心配しているのだろうが)。退職1年目の正月(平成24年1月)、取り敢えずの目標としている南米大陸最高峰アコングァ(6,962m・アルゼンチン)に挑む件だが、けっしてあきらめない。松葉杖を突いてでも登頂するという気持ちでいる。
 
  『為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』
  上杉鷹山(うえすぎ ようざん) 米沢藩(山形県)藩主
 
  一生懸命に努力してもできないこともある。でも、『為せば成る』の精神でやってみることが大切なのではないか。失敗は「いい経験」として次に生かすことかできる。
  失敗は成功の基だ。救いようの無い失敗は、何もしないことである。
 

(平成23年1月6日)

 

健康と体力

 昨日午後、後輩教諭(他校に勤務)が休暇をとってわざわざ訪ねて来てくれた。彼は、つい先日も近畿の教科研究会で発表した。日ごろから体をはっての生徒指導など、さまざまな場面で活躍している。30分足らずの短い時間であったが、全身に気迫が漲り会話の節々にがんばっている様子が窺えた。退職前の老兵に、活を入れに来てくれたのだろう。大いに刺激を受け、元気を貰えた。
  管理職には縁のないところを歩んでいる彼だが、こういった教師が大阪の教育を、ひいては日本の教育を支えているのだと思う。
 
   歳をとっても、強い向学心や探究心を持ち続けることが大事であることは論を俟たない。私の周りにも、好奇心旺盛に文化的研究やスポーツ活動など、さまざまな分野で熱心に取り組んでいる先輩方がたくさん居られる。一方で、若いころは威勢のよかった方が、年老いて気力の面で衰えの目立つことも少なくない。
  気迫や意欲の源になるのが、健康と体力であることも論を俟たない。
 
 

(平成23年1月5日)

 

仕事始め

 仕事始めだ。
  通勤する人はまだ少なく、電車は閑散としていた。8時05分に学校に着いた。
 
  着替えてすぐに、一週間ぶりの校庭をひと回りした。特に異状は見られず、またこれまでのところ、生徒のケガなどの報告も無い。前庭のスイセンは草丈が2〜3センチ伸びたように見え生き生きと成育している。花芽もいくつか見え始めた。下旬から咲き始めるだろう。校長室の鉢植えも元気だった。
 
  出勤している職員と新年の挨拶を交わしたが、今日は年休を取っている職員も多く校内は閑散としている。
 
  7日に運営委員会、職員会議を開く。始業式は三連休のため11日である。
 

(平成23年1月4日)

 

早稲田の総合優勝

 山陰などでは、大雪のためさまざまな被害が出ているが、近畿は穏やかな天候が続いている。ありがたいことだ。

  箱根駅伝は早稲田大が6区の山下りで逆転し、小差で逃げ切った。大会新記録で18年ぶり13度目の総合優勝に輝いた。早稲田大は10月の出雲・11月の全日本大学と合わせ、今年度の大学駅伝三冠となった。他の大学も含め今回目立ったのは、4年生の活躍である。下級生のときは芽が出ずとも、コツコツと辛抱強く努力を積み重ねる中で、メンバーに選ばれ結果を出す選手には思わず目頭が熱くなる。私自身もそうであったので、思わず拍手を送りたくなる。
  今年の三が日も、例年の如く駅伝の観戦三昧となった。

  午後から、家族三人で住んでいる地域の氏神様である「春日神社」に初詣した。

  明日は、「仕事始め」である。前庭のスイセンや校長室の鉢植え植物に会えるのが楽しみだ。

(平成23年1月3日)

 

東洋大が往路優勝

 元日よりも、さらによい天気であった。眩しいほどの強い日差しであった。

  8時15分に箱根駅伝の往路がスタート、炬燵で観戦三昧。柏原選手の箱根の山登りにおける三年連続の大活躍もあって、総合三連覇を狙う東洋大が往路優勝を飾った。贔屓の早稲田大は、27秒差の2位。上々の出来である。早稲田の総合優勝は、私の見るところまず間違いないであろう。

  午後からは、我が家から500メートルくらいの所にある妻の実家にきょうだい四家族(妻は四姉妹)が揃い、亡き両親を偲びながら会食。
  7時半ごろ戻り、年賀状書きをした。

(平成23年1月2日)

 

平成23年元日

 平成23年が明けた。
  厚い雲に覆われ、初日の出は拝めなかった。9時半ごろから時折り覗かせ、昼前ごろからは暖かい日が射した。例年どおり、ニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)のテレビ観戦で私の正月がスタートし、11時ごろから家族三人で年明けを祝った。

  奈良は天候に恵まれ、静かで穏やかな元日となった。閉校まで3ケ月、さらに気を引き締めて臨みたい。

  夕方から大阪市内の姉の家を訪ね、姉の家族6人と会食。11時ごろ帰宅した。

(平成23年1月1日)

 

平成22年度3学期

平成23年3月30日 本日午後、最後の職員会議を招集
平成23年3月29日 教師冥利に尽きる
平成23年3月28日 心残り
平成23年3月27日 「意思あるところに道は開ける」を上梓
平成23年3月26日 校庭のサクラ開花
平成23年3月25日 門標等の取り外し
平成23年3月24日 風評に惑わされることなく
平成23年3月23日 痛みを分かち合う
平成23年3月22日 善意の輪のさらなる広がりに期待
平成23年3月21日 称賛の声の中、恥ずかしい話
平成23年3月20日 217時間ぶりの“奇跡の生還”
平成23年3月19日 濃尾地震の死亡者数を超えた
平成23年3月18日 退職記念に出版
平成23年3月17日 死亡確認者が5千名超に
平成23年3月16日 奇跡の救出
平成23年3月15日 見極め、冷静な行動を
平成23年3月14日 全国民が一致団結して復興への道を
平成23年3月13日 気の滅入る毎日
平成23年3月12日 大変なことになった
平成23年3月11日 大きな地震が発生
平成23年3月10日 十日余りが経過
平成23年3月9日 異動内示の通知
平成23年3月8日 スイセンが満開
平成23年3月7日 驚きの走り
平成23年3月6日 放っておいた洋ランに花芽
平成23年3月5日 羽曳野高校の卒業式・閉校式
平成23年3月4日 PTAの役員会
平成23年3月3日 本校の校務員
平成23年3月2日 卒業は始業
平成23年3月1日 春弥生、異動の季節
平成23年2月28日 4人の恩師
平成23年2月27日 「40周年」でお会いしましょう
平成23年2月26日 卒業式・閉校式を挙行
平成23年2月25日 一丸となっての取り組み
平成23年2月24日 代表生徒の予行演習
平成23年2月23日 あと36日
平成23年2月22日 4人でリハーサル
平成23年2月21日 式場設営の細部の詰め
平成23年2月20日 サクラの開花予測
平成23年2月19日 予報では、晴れ時々曇りで暖かいと
平成23年2月18日 準備が着々と
平成23年2月17日 残念で堪らない
平成23年2月16日 放射冷却で強い冷え込み
平成23年2月15日 スイセンも冠雪
平成23年2月14日 生徒たちの登校日
平成23年2月13日 陽光が川面に輝く
平成23年2月12日 期待はずれの1日人間ドック
平成23年2月11日 久しぶりの本格的な積雪
平成23年2月10日 一堂に会するのも最後
平成23年2月9日 久しぶりのまとまった雨
平成23年2月8日 教育センターへの出張
平成23年2月7日 樹木の剪定
平成23年2月6日 ペースメーカーは不要
平成23年2月5日 煙霧
平成23年2月4日 羽曳野市立中学校と周辺府立高校との連絡協議会
平成23年2月3日 今日は節分
平成23年2月2日 無事モーニングを
平成23年2月1日 定期考査終了
平成23年1月31日 大乗川に氷が
平成23年1月30日 粘り強く
平成23年1月29日 淡路島も3週間遅れ
平成23年1月28日 ここ1週間、10日で
平成23年1月27日 暦の上ではもうすぐ春だが
平成23年1月26日 恵みの雨
平成23年1月25日 最後の授業
平成23年1月24日 開花が遅れそう
平成23年1月23日 卓球の日本選手権
平成23年1月22日 西浦高校の40周年
平成23年1月21日 最後の学校協議会
平成23年1月20日 PTAの役員会
平成23年1月19日 授業はあと5日
平成23年1月18日 震災記念日
平成23年1月17日 酸ヶ湯で3メートル
平成23年1月16日 今冬一番の冷え込み
平成23年1月15日 38年を振り返れば
平成23年1月14日 季節は着実に
平成23年1月13日 最後を飾る授業を担う
平成23年1月12日 卒業式・閉校式への出欠回答
平成23年1月11日 3学期始業式
平成23年1月10日 明日は3学期の始業式
平成23年1月9日 異業種の人たちとの勉強会
平成23年1月8日 大いに反省
平成23年1月7日 「百薬の長」
平成23年1月6日 隻腕での大キレット
平成23年1月5日 健康と体力
平成23年1月4日 仕事始め
平成23年1月3日 早稲田の総合優勝
平成23年1月2日 東洋大が往路優勝
平成23年1月1日 平成23年元日

本日午後、最後の職員会議を招集

 本日午後、職員会議を招集した。
 西浦高校33年の、最後の職員会議となった。

 昨日、今日と、何かと慌ただしく過ごした。そのような中、午前中に挨拶回りを終えた。この33年間、数え切れない多くの方からのご支援を賜った。この場をお借りして、御礼申し上げたい。

 「校長室から」は、本日が最後となる。三年間、飽きずにお付き合いいただいた皆様に感謝したい。


 私の話

 いよいよ今日、明日の2日間となり、今回が本校最後の職員会議になりました。
 さまざまな思いが巡ります。みなさんも、おそらく同様の思いでしょう。本校での勤務年数には長短がありますが、「西浦」のためにご尽力いただいたことには変わりありません。本当にご苦労様でした。

 今年度の総括については、各分掌からあがってきたものをもとに「学校評価報告」という形でまとめ、すでにホームページにも掲載しています。本日この場では、細々したことを申し上げるつもりはありません。
簡潔に私の思いをお話しします。

 とにかく、しっかりと覚悟を決めて、生徒たちの思いへの理解に努めながらもけっして妥協することなく、保護者の支援も仰ぎながら一致して粘り強く取り組んだことについては、一定の成果が上がりました。一方、準備不足や取り組みに甘さが見られたことについては、それなりの結果しか出なかったと私は思っています。何が前者で、どのことが後者に当てはまるのかは、みなさん一人ひとりがよくおわかりだと思います。
 退職される方を除き、4月1日から新しいところへ赴任されるわけですが、これまでの経験を、特にうまくいかなかったときのことを反省し、ぜひ次に生かしていただきたいと願います。

 私は本校で3年間勤めたわけですが、これといって何もできなかったばかりか、我が儘を通すばかりで、みなさんには申し訳なかったとの気持ちで一杯です。
3月31日で定年退職となりますが、教員生活38年の最後の3年間、西浦高校でみなさんと一緒に勤められたことをうれしく思います。

最後に、みなさんには健康にご留意願いますと共に、ますますのご発展とご活躍を祈念申し上げ、私からの最後の話しとさせていただきます。


(平成23年3月30日)

 

教師冥利に尽きる

 昨日、府立学校で常勤講師を務めているNさんから手紙をいただいた。Nさんは、私の前任校(大阪市内の府立高校)で2年間非常勤講師を務めて貰った。水泳が得意の、礼儀正しい青年であった。その後、兵庫県の私立中学校・高等学校に教諭として勤務したが、理由があって3年で退職したようだ。現在は府立支援学校で講師として勤めながら、公立学校の教諭をめざして採用試験に挑戦中と聞く。
交流をしていたわけではないが、今回の手紙によると本校のホームページをよく見てくれているようだ。便りには、「『校長室から』を毎日読んでおり、日々教訓として自分に言い聞かせております。中でも教師としての心得≠ヘプリントアウトして自宅と学校でいつでも見ることができるようにしてあります」とあった。「『校長室から』で定年退職を知り、大阪に戻ったときから先生の下でもう一度仕事がしたいと思っていただけに残念です」とも。
ありがたいことである。前任校での常勤講師時代、特別に力添えしたわけでもなかったのに、このように慕って貰え教師冥利に尽きるというものだ。

すぐに電話をかけ、少し話が出来た。相変わらず、律儀そのものであった。「粘り強く、採用選考突破に向けて努力を・・・・・・」と励ました。
彼なら、きっと成し遂げるだろう。

  府立高校における教師生活もあと数日を残すばかりだが、うれしい便りとなった。

(平成23年3月29日)

 

心残り

 本校校庭のサクラの開花状況を楽しみに登校したが、思ったほど進んでいなかった。昨日三郷町では最低気温が氷点下2度、最高気温も10度を下回った。今朝もかなり冷え込んだ。羽曳野地域も、奈良ほどではないにしても冷え込んだだろう。今日の日中は、かなり暖かくなりそうだ。予報では、明日はさらに気温が上がるようなので開花も一段と進むだろう。

  長く楽しませてくれているスイセンだが、盛りを過ぎ終わりに近づきつつある花もある。ただ全体としては、まだまだ美しく、あと10日は十分楽しめそうだ。
球根が一部残っていたのだろう、スイセンの前などにチューリップの芽が出てきて日に日に成長している。その数、50余り。こちらも、あと2週間で開いて来るだろう。大した生命力だ。しかしながらあと4日で閉校なので、近くで見ることの出来ないのが心残りである。
峰塚や河原城中学校などに差し上げたチューリップの状況も、気がかりだ。開花した様子を、ホームページなどで見ることが出来ればうれしいのだが。

(平成23年3月28日)

 

「意思あるところに道は開ける」を上梓

 三年間の「校長室から」をまとめた一冊、「私の学校経営実践・意思あるところに道は開ける」(四六版・540頁)が出来上がり、昨日届いた。
ホームページに掲載した700あまりからの約300編、何ら新鮮味はないが、自らの書いたものが一冊になるというのは、うれしいものである。
始業式、終業式、入学式や卒業式、及びさまざまな会合などで話したものも含まれているので、私にとってはよい記念になる。

  文章を書くことは苦にならないので、退職後は若い頃やっていた新聞や雑誌などへの投稿を再び始めようかなどと思ってはいるが・・・・・・。

(平成23年3月27日)

 

校庭のサクラ開花

 大乗川沿いに植えられている校庭のサクラの一本は、毎年他のサクラに先駆けて咲き始める。
昨日、下校の際、開花したひとひらを見つけた。この様子からして、他のサクラも火曜日くらいには咲き始めそうである。

(平成23年3月26日)

 

門標等の取り外し

 あと一週間だ。
昨日、正門並びに通用門の門標と校歌碑を取り外した。懐風館高校に設置する本校の記念室に展示するためだ。31日までそのままにしておきたかったのだが、石屋の作業の都合などもあり、やむなく昨日となった。
正門の門標と校歌碑はわりと簡単に外れたが、通用門のものは強力な接着剤で固定されていて長時間を要した。一時は、「門標が割れるかもしれないので、その点覚悟して欲しい」と石屋から言われた。
石屋のていねいかつ粘り強い作業のお陰で、取り外しが無事終わった。

取り外した跡は< 写真のとおりである。寂しい思いが、さらに募っている。


(平成23年3月25日)

 

風評に惑わされることなく

 福島原発から遠い千葉県松戸市や東京都の浄水場でも、暫定規制値より高い濃度の放射線物質が検出された。乳児には飲ませないようにとのことだが、長期にわたり接種した場合の健康への影響を考慮して設定したものであり、代わりの飲用水が無い場合は摂取してもただちに健康を害するものではないとのことだ。
不要な地域までにもミネラルウォーターなどの買占めが広まり、避難所生活者など緊急に必要とする人たちが困るような状況が出ることは避けなければならない。風評に惑わされることのないようにしたい。

以前に植えられた黄色いスイセンも、校庭で今見ごろとなっている。また、サクラの蕾が膨らみ、ピンク色も目に付くようになった(写真は、本日昼ごろに撮ったものだ)。あと3〜4日で開花しそうだ。

(平成23年3月24日)

 

痛みを分かち合う

 福島原発の被災に係わって、放射線物質に汚染された福島県、茨城県、群馬県、及び栃木県産の葉もの野菜や原乳などの摂取制限・出荷制限が広まっている。制限をかけることはやむを得ない処置だが、農家や酪農家のことを思うといたたまれない気持ちだ。消費する側は、きちんとした科学的合理性のある情報をもとに、行動しなければならない。風評被害は、出して欲しくない。また、電力会社や国は、責任をもって保障等に対応願いたい。それもスピーディーに。

いい天気だが、気温は低く肌寒い。東北地方はもっと冷え込んでいることだろう。東北への、春の訪れがスピードアップすることを願う。
西日本での節電は、周波数の違いなどもあり直接的に貢献することはできないものの、被災された方々の思いを共有するということでは大きな意味をもつと考える。全国民が一つになって、痛みを分かち合うことが大事である。そのうえで元気に活動し、その元気や勇気を被災された方々に送り届けることが求められる。

(平成23年3月23日)

 

善意の輪のさらなる広がりに期待

 昨日、被災者支援の募金活動等の輪が広がっていることに触れたが、日本赤十字社に寄せられた義捐金の総額が、57万件超、223億円を超えたと聞く。中央共同募金会などを合わせると、おそらく300億円を超えていることだろう。善意の輪が、さらに広がることを期待する。

  我が家のハクモクレンが開いてきたが、あいにくの雨で早く黄色くなってしまうと心配した。しかし、まだ開き切っていなかったことと、大した雨量ではなかったので、大きな影響は受けなかった。今日は暖かく陽光が降り注いでいるので、さらに開いて来るだろう。しばらく、雨にはご遠慮願いたいものだ。

  本校の閉校まで、今日を入れて10日である。

(平成23年3月22日)

 

称賛の声の中、恥ずかしい話

 昨日、9日ぶりに救助されたお二人は、食事も自力で食べられるなど思ったより元気とのこと、よかった、よかった。

被災者支援の募金活動等の輪が広がっている。喜ばしいことだ。個人で10億円を募金されたというニュースも聞く。もちろん、多寡を競う話しではないが、財力に余裕のある人は、子や孫に残すよりも、こういった際に思い切った行動をとっていただきたい。企業についても同様である。また海外からも、「我々が困っているとき、日本はいの一番に助けてくれた。今度は我々が支援する番だ」と多くの義援金や救援物資等が届けられているという。ありがたいことだ。

一方で、何かの間違いではないかと思いたいような大変残念な報道もある。コンビニやお寺などに置いてあった募金箱が盗まれたという件だ。悲惨な状況下での「日本人の秩序ある行動」に対し、多くの海外メディアによる称賛の声が上がっている折、とても恥ずかしい話しである。

(平成23年3月21日)

 

217時間ぶりの“奇跡の生還”

 本日午後4時ごろ、宮城県石巻市の被災現場で、80歳の女性と16歳の男性が瓦礫の下から救出された。震災発生から9日ぶりの救出であり、80歳の女性は「地震直後からずっと家の中にいた」と話しているそうだ。生存率が急激に低下するとされる被災後「72時間の壁」を大幅に超え、実に約217時間ぶりの“奇跡の生還”だ。衰弱が激しく病院に搬送されたそうだが、お二人の回復を祈る。

本校の備品等の他校などへの移送が急ピッチで進んでいることは前にお話ししたが、概ね9割方終えた。校長室の書籍類の片づけも、ほぼ終った。一昨日は、観葉植物の半数も運び出された。すべて前任者から引き継いだものだが、丹精込めて大事にして来たので、どれも元気である。新しい所で、さらに元気に育って欲しい。
私が家から持ってきている絵画が4点残っているが、いっぺんにすべてを片づけてしまうとあまりにも寂しいので、これらはせめて30日までは残したいと思っている。

  指導要録の点検・押印も終えた。最終の運営委員会と職員会議は、24日に招集している。

(平成23年3月20日)

 

濃尾地震の死亡者数を超えた

 今回の巨大地震による被災で死亡の確認された方の数が、とうとう阪神・淡路大震災の数を超えた。そればかりか、明治24年の濃尾地震の7237人をも超えて、明治以降では3番目となった。行方不明者は、届け出のあった数だけでも1万2千近く、その他に安否が確認できていない方が1万3千にのぼると聞く。
11日以来、テレビによるニュースを見ながら涙のこぼれない日はない。大津波が襲ったときの映像を見て想像を絶する大惨事と思ったが、ここまで死者・行方不明者が出るとは思わなかった。

原発被災への東京電力、自衛隊、警察、及び消防署等による懸命の対応は功を奏しつつあり、胸をなで下ろすとまでは行かないまでも少しは安心できる状態になってきた。
このまま大事に至らず終息を迎えたいものだ。

  被災地からの声で最も多いのは、ガソリンや軽油などを一刻も早く届けて欲しいというものだ。何とかしてあげたいが。

(平成23年3月19日)

 

退職記念に出版

 「校長室から」への寄稿が700回となったことは、昨日お知らせしたとおりだ。600回の献血、700回の寄稿、継続は力である。
その700余りから約300編を選択し、「私の学校経営実践」として1冊にしようと思っている。思っていると書いたが、昨秋から休日を利用してその編集作業を続けて来た。編集に当たり何度も読み直したが、その時々のことが思い浮かんだ。改めて、みなさんに支えていただいた3年間であったと実感する。感謝申し上げたい。

つい先日その作業を終え、校正も完了した。出来上がりを待つばかりだ。出版社にすべてを委ねる選択もできたが、少しでも費用を安価にとほとんどの作業を一人で行った。
4月1日付けで発行できる運びだ。

  平成6年に随筆集を、平成12年に山の紀行文集を上梓した。11年振りの出版である。この31日で定年退職するが、その記念とする。
「校長室から」の読者諸氏には、謹呈させていただきたい。

  1年半程前から小説も書いてきたが、それも書き上げた。こちらは今のところ出版する気はない。書き上げたことで満足している。

(平成23年3月18日)

 

死亡確認者が5千名超に

 アジサイの芽が動き始めた。ハクモクレンにも白いものが見え始めた(大阪では咲き始めているが)。校庭のサクラの蕾も膨らんできた。春は着々と歩んでいる。
だが昨日は、時折雪が舞うなど寒い一日であった。明日の朝くらいまで、この寒さは続くようだ。東北地方ではもっと低温だろうし、東日本巨大地震で被災された皆さんには、ひとしお寒さが堪えていることだろう。

被災地へのガソリンや軽油等の補給がままならず、救援物資の配分がうまくいっていないようだ。原発への対応に力が削がれ、救援対策全体への配慮が少しおろそかになっている。危機管理の大切さを、改めて感じさせられる。
  本日14時現在、死亡が確認された方は5,321名、警察へ届けられた行方不明者は9,329名で、合わせて1万4,600名超となった。これ以外にも、1万5,000名超の未確認者が。


「校長室から」への寄稿が、平成20年4月の着任以来、本日で700回となった。着任1年目が150回、2年目が215回、今年度は今日で335回となった。今年度は、昨年6月24日から今日まで(土・日・祝祭日を含め)266日の連続寄稿である。どちらかというとじり貧になることが世の常だが、1年目の倍以上となったことは胸を張ってもよいのかも。

(平成23年3月17日)

 

奇跡の救出

 巨大地震から5日目の昨日、安否不明者1万人と言われている岩手県大槌町で、津波に襲われた民家から75歳の女性が92時間ぶりに救出された。宮城県石巻市でも、25歳の男性が96時間ぶりに救助された。被災後72時間が生命線と聞くが、奇跡の救出である。こういった救出がこれからも続くことを祈る。

  一方、空港や港、鉄道の復旧作業が本格化し、救援物資の搬入の見通しがつきつつある。これもうれしいニュースだ。また、閉鎖されていた仙台空港は土砂やがれきが撤去され、15日朝から自衛隊ヘリが救援活動を始めた。また、船舶が着岸できなくなった釜石港(岩手県)は一部復旧し、今日から支援物資を積んだ大型船が入港し始めたと。また、仙台塩釜港(仙台市)の一部、八戸(青森県)、久慈(岩手県)の両港も近く使用できるようになるという。

  校庭のスイセンが満開であることは何度もお伝えしているが、切花にして被災地の避難所に届けることができれば、少しでも癒やしになるかなと思う。しかし、混乱している物資輸送に追い討ちをかけることになるので、ここは気持ちだけにしておく。

  昨夜、「閉校記念行事実行委員会」の最後の会議をもった。その席で、7年後に同窓会としらとり会の共催で、「40周年を祝う会」を開くことを確認した。

(平成23年3月16日)

 

見極め、冷静な行動を

 関東以北では日用品やガソリンなどが品薄になっていると聞く。小売店やガソリンスタンドには長蛇の列ができ、購入に長時間を要するとも。時間がかかっても購入できればよいが、計画停電の報道後、電池類が買占めで売り切れとなり手に入らないとのこと。その余波が近畿にも、そして全国に広がっているようだ。
娘の家族(小さい子ども3人)が埼玉に住んでいるが、生活のさまざまな面で支障がでているようだ。妻は電池や煮炊きを必要としない食料品等、当座必要とする物品を宅急便で本日送ったが、「10日はかかる」と言われたようだ。郵便小包や宅急便も殺到し、混乱しているのだろう。

  旅行業者から直接聞いた話だが、旅行のキャンセルが相次ぐ一方、海外からの、特に中国や東南アジアからの留学生の帰国希望が旅行社等に殺到しパンク状態であると。被曝を恐れての、母国両親からの要請であろう。原発被災については、海外からの捉え方は国内以上に深刻である。
何とかこのまま治まって欲しいと願うばかりだ。

  こういった混乱は、さらに続くであろう。情報が錯綜しているが、こういうときこそきちんと見極め、冷静な行動が求められる。

(平成23年3月15日)

 

全国民が一致団結して復興への道を

 本日正午現在の死者は1,700人、行方不明者は1,700名。これらとは別に、南三陸町で遺体が約千体、石巻市でも約千体。今回の震災における避難者は、53万人にのぼると。高台などで救助を待っている人が、まだ1万人もいるとも。

  東大阪市立弥刀東小学校、大阪府立藤井寺工業高等学校、大阪府立城東工業高等学校、大阪府立勝山高等学校、そして大阪府立西浦高等学校と五校でお世話になった。何の取り柄も無い私が、それでも何とか勤め上げることができたのは、周りのみなさんのご支援とご協力、そして慈悲深い寛容の心のお陰と、ただただ感謝申し上げるばかりである。加えて、短気で怒りっぽい私を支えてくれた糟糠の妻や子どもたち、そして親族一同にも感謝したい。何の取り柄も無いと申し上げたが、不遜を承知で申し上げればこんな私でもただ一つ人並みのところがある。それは、体が健康で頑丈であるということだ。丈夫に生み育ててくれたあの世の両親に感謝したい。
そのただ一つの取り柄を生かして、若いときから献血を続けて来た。40数年になる。三月が私の誕生月で、つい先日六十歳になった。その最初の日曜日であった昨日、いつものとおり、日本赤十字奈良血液センターにおいて献血をして来た。
この献血は、私にとって記念すべき献血となった。二百八十五ヶ月連続で、通算六百回を記録したのだ(六百回は記録にきちんと残っているものだけであり、この他に学生時代や社会人になって間もなくに献血した手帳が散逸して記録に留めないものが二十回程度ある)。通算回数は上に何人かおられるようだが、二百八十五ヶ月の連続は、もしかしたら世界記録かも。どちらにしても、自分の血液が病気やケガなどで困っている人のために役立っていると思うとうれしい。今後も機会あるごとに献血できればと思っている。
私は8時半にセンターに入ったので(9時からのスタート)トップバッターだったのだが、献血を終えて待合室に戻って驚いた。いつもの倍近くの人が、自分の番を待っていた。
今回の震災の反響であろうと推察する。

今回の震災に係わって、外国メディアが被災した日本人の態度・立ち居振る舞いを見て、相次いで「在り方・生き方」について賞賛の報道をしている。
これらを糧の一つとして、全国民が一致団結して自らは何をすべきかを、一人ひとりがしっかりと考え復興への道を歩まなければならない。

(平成23年3月14日)

 

気の滅入る毎日

 気の滅入る毎日である。

阪神淡路大震災のときは、身内の家屋が全壊するなどの直接的な被害を蒙ると共に惨状を目の当たりにした。
今回の惨状は生での目視はできていないが、気の滅入る度合いは限り無く大きい。

  今夜ある酒席に出た。料理には手をつけたが、酒類は飲まなかった。飲めなかった。

(平成23年3月13日)

 

大変なことになった

 大変なことになった。
巨大地震が発生し、宮城・岩手などの沿岸部では壊滅的な状態である。現在のところ、死者・行方不明者合わせて1,700名超だが、一つの町で1万人に近い方の行方が分からないというような情報もある。あってはならないことだが、阪神淡路大震災での死者・行方不明者の数を超えるようなことになるのかも。
大津波のエネルギーの恐怖をテレビの映像で思い知る。以前、スマトラ沖地震による津波の被害やサイクロンによるニューオリンズの被災状況を映像で見たが、今回の状況はその比ではない。
何時間もテレビ報道に釘付けになったが、いたたまれない気持ちである。

朝、庭のスイレン鉢に5ミリ程度の氷が張っていた。
避難所では、停電のため暖房が無いと聞く。被災者は寒く辛い思いをされていることだろう。

(平成23年3月12日)

 

大きな地震が発生

 15時前に、東北・関東でマグニチュード8以上の大きな地震が起こったようだ。
詳細は分からないが、大きな被害の出ないことを祈りたい。

(平成23年3月11日)

 

十日余りが経過

 卒業式・閉校式が終了して、十日余りが経過した。ここ数日、午後から出張が続いているが、出張先や別の場所でも、式にご臨席賜った方々にお会いできる。
御礼を申し上げる中、みなさんから「いい式でしたね」と言っていただく。お世辞も少しはあるかもしれないが、ほとんどの方が本校生の実情を知ってのご発言なので、私は素直に受け止めている。課題の多い中、それなりにやり遂げたという気持ちがあるからに他ならない。

今回の式は、プロにビデオ撮影して貰っている。現在編集中で、それはまだ見ていないが、参列者がビデオカメラやデジタルカメラの動画機能を使って撮ったものを幾つか見た。
私の式辞だが、粗が目立ちいろいろと反省点も多い。よかったのは、長過ぎなかったことだろう。卒業式が6分30秒、閉校式が5分30秒だった。どなたかの批評で、「礼」がよかったとも・・・・・・。
ほめられたのか、中身がなかったと指摘されたかわからない。多分、後者であろう。

(平成23年3月10日)

 

異動内示の通知

 本日午前、異動予定者の内示の通知を行った。
百パーセント希望がかなった職員がいる反面、そうでなかった人もいる。私もそのような経験をして来たので、希望がかなわなかった人たちの気持ちはよくわかる。申し訳なく思っている。
私としては、本校の閉校という特殊な事情の中、本人の意向は府教委にきちんと伝え何とか希望に沿った線でとお願いしてきた。しかしながら、人事はさまざまな事情を加味しながら総合的に判断されるもので、全員が百パーセント納得できるものとはなり得ない。
希望が百パーセントかなわなかった職員についても、通勤時間で見れば常識的な範囲であるし、いわゆる課題の山積している学校とはなっていない。
私の初めての異動の際(40歳のとき)は、ひどい扱いを受けた。促進人事の対象となり、本来ならば現任校よりも通勤に便利のよい学校への異動となるはずが、3回も乗り換えなければならない学校へ。通勤時間も3割も長くなった。そのような中、意欲が減退したが、すぐに「赴任先が力の発揮どころ」と思い直し精励した。

  4月からそれぞれの赴任先で、健康に留意しながら本校を含めこれまでの経験を生かして、赴任校の学校教育目標達成のために全力を尽くして欲しいものだ。

(平成23年3月9日)

 

スイセンが満開

 今日はいい天気だ。気温も10度を上回りそうだ。
スイセンが満開となった。
花が終わった後、分球してどんどん増え、来年以降もっともっと密に咲くだろう。花どきに、ぜひ訪れたいと思っている。

本日も、閉校に係わって備品等の他校への搬出作業が慌ただしく進んでいる。

(平成23年3月8日)

 

驚きの走り

 昨夕からの雨が残ったが、小雨で通勤には問題なかった。

10時からPTA総会が開かれた。決算報告などが、案どおり承認された。

 
昨日開かれた第66回びわ湖毎日マラソンをテレビ観戦した。優勝したケニアのキプサング選手の走りと3位になった堀端選手の粘りに感動した。
キプサング選手は38キロでスパートし、エチオピアの選手を振り切って最終的に3分という大差をつけた。ラスト4キロ余りで3分の差をつけるとは、常識では考えられない強さだ。その軽やかな走りは、他の選手を圧倒する見事なものであった。
42年前(大学1年のとき)、当時5千、1万などの世界記録を走るたびに更新していたケイノ(ケニア)選手の走りを神戸で目の当たりし、同じ人間かと圧倒されたことを思い出した。その後、皇帝と呼ばれ世界に君臨したゲプレセラシエ(エチオピア)選手や現在の世界王者ベケレ(エチオピア)選手の超人的なラストスパートに何度も驚かされているが、キプサング選手の今日の走りは、彼らに匹敵するものだ。彼はすでに2時間4分台の記録をもっているが、ゲプレセラシエ選手のもつ2時間3分59秒の世界記録を更新することも夢ではないだろう。これほど美しいフォームを見たことがない。非の打ちどころのないフォームである。今後に注目する。
一方、最後まで諦めることなく走り、3位(日本人1位で世界選手権代表内定)に入った堀端選手の粘り強い走りも圧巻であった。2度もスペシャルドリンクを取り損ね、また終盤の大事なところで、他の選手と接触しリズムを大きく崩すアクシデントを乗り越えての2時間9分25秒だ。不屈の走りは、称賛に値する。
24歳と若いし、稀に見る長身の大型ランナー、今後のさらなる飛躍に期待したい。

(平成23年3月7日)

 

放っておいた洋ランに花芽

 御祝いなどで、洋ラン等の鉢植えをいただくことがある。花が終わった後、来年も咲かせたいと誰もが思うが、うまく咲かせることはなかなか難しい。私は庭木の剪定等は得意とするが、洋ランや観葉植物など鉢植えの栽培については、不勉強で不得手だ。ただ、10数年前に親友(大先輩だが)からいただいたクンシラン(ランと呼ばれるが、ランの仲間ではない)については、たまたま管理がうまくいっているのか毎年たくさんの花を咲かせる。大事に育てていたものを弱らせては申し訳ないと、丹精しているからだろう。今年も多くの花芽をつけ、それが順調に育っている。今月末には開花するだろう。楽しみだ。

昨日、あっと驚くことがあった。6〜7年前に妻が知人からいただいたシンビジューム(洋ランの代表的な一種)に、花芽がついているのに気がついたのだ。丹精込めて育成しているのであれば、そんなに驚くこともないのだろうが、ほったらかしであったのでまさかの思いが。妻は自分で購入してきたものでも、私に世話を任せきりだ。このシンビジュームについても同様であった。仕方なく任せられた私は、花が終わった最初の1年、何とか咲かせたいと大事にした。水も肥料もやり、夏場は日差しを遮り、晩秋からは霜にあてないように家に取り込んだ。それでも花芽はつかなかった。次の年からは外へ放りっぱなしで、ほとんど気に掛けなかった。ただ枯らしてしまうと可愛そうだから、時折り水だけはやってきた。厳寒期、外気温は氷点下4度くらいまで下がるが、外へ置いたままであったので鉢土は凍っていたことだろう。鉢の下から根が出て安定が悪いため、風などで時々ひっくり返っていたが、1ヶ月もそのままということもあった。ひどい仕打ちをしてきたのだ。枯れないのが不思議なくらいの状態であった。当然、一度も花芽をつけることはなかった。
その洋ランに、初めて花芽がついたのだ。それも、二つも。驚きを通り越し、その生命力の強さに圧倒されている。愛おしくなり、今朝は枯れた葉や鉢下から出ている根などを整理すると共に、葉の一本一本をきれいに拭いてやった。そして、活性剤を与えた。急に手をかけたからといっても、これまでのひどい仕打ちのためみすぼらしい姿である。花芽をつけなかったから、すぐにあきらめてしまったのだ。飽くこと無く可能性を求めなかったのだ。なんと可愛そうなことをしてしまったと、反省することしきり。
今夕からは家に取り込み、罪滅ぼしのまねごとをしている。何とか美しく咲かせてやりたいとものである。
我が家のシンビジュームよ、ごめんね。

(平成23年3月6日)

 

羽曳野高校の卒業式・閉校式

 4日(金)、羽曳野高校の卒業式・閉校式に出席した。
本校の式では、受け付け業務等で同窓会からの応援があり、大いに助かった。羽曳野高校の場合は、懐風館高校の職員や保護者からの手厚い応援があったのであろう。

どうしても本校生と比較して見てしまうが、羽曳野高校の卒業証書授与の際、学級担任の呼名に応えて7割の卒業生からきちんとした「はい」の声があった。一部悪ふざけした生徒も居たが、全体的にはよかったと思う。校歌も式歌も、しっかりと歌っていた。ただ礼に関しては、本校生が上回ったように思ったが・・・・・・。特に、代表生徒の所作は本校の方がよかったように私は感じた。
何をするにしても、結局のところ本校にしろどこであれ、きめ細かく指導した点についてはよい結果が出るし、行き届かなかった点については、それなりに終わってしまうということだろう。
あきらめずに粘り強く指導すれば、必ず結果はついてくる。自明の理である。

(平成23年3月5日)

 

PTAの役員会

 出かける際、吐く息がひときわ白かった。案の定、三郷町は氷点下2度。寒いはずである。

  昨日は午後からPTAの役員会が開かれた。7日(月)に総会を開くので、主にその準備のため。終了後、スイセンの前で記念撮影を行った。

今日は、羽曳野高校の卒業式・閉校式が開かれる。私も出席させていただく。これから出発だ。

(平成23年3月4日)

 

本校の校務員

 本日は雛祭り。二人の娘が小学校低学年ごろまでは、この季節、雛人形の檀飾りをしていたが、絶えて久しい。

明け方の最低気温は三郷町で0度、羽曳野地域で2度だった。真冬に比べればそれほど低くはないが、暖かさに慣れた体には気温以上に寒く感じた。6日(日)には、最高気温が15度くらいまで上がると聞くが・・・・・・。

体育館前にヒラドツツジの生垣が続くが、その近くに紅梅が一本植わっている。背も低くひっそりと目立たないが、今満開である。

昨日、スイセンの咲き揃う中、校務員の二人と写真を撮った。本校の最終年度、4月のチューリップ、9月のミニヒマワリ、そしてスイセンと見事に咲かせてきたが、二人の弛まぬ世話があったからだ。
  美化や営繕での活躍を含め二人は、西浦の大いなる功労者だ。功績を称えたい。

(平成23年3月3日)

 

卒業は始業

 式当日の朝(2/26)、知人で著名な書家(元府立学校体育科教員)である左 青石(佐藤洋明)氏から書額が届いた。私が三十年も前から座右の銘としており、今回の卒業式の式辞の中でも述べた「飽くこと無く 可能性を求めて」を揮毫し額装されたものが。
手紙が添えられ、次のように認められていた。

 
卒業は始業(カメンス commence)
卒業というと「教育は終わった。もう修行は終わった」・・・・・・やれやれという気持ちになって勉強を止めてしまう。本を読まなくなり、考えなくなる。働き始めると、地位・サラリー・娯楽といったもの以外は求めなくなる。
そうではなく、学校を出てから本当の意味において、学ばなければならない。
イギリスや米国では、卒業して称号をもらうことをカメンス(始業)という。卒業でなく始業。学校を出て、さらに上級学校へ進む人はもちろん、就職する人もカメンスでなければならない。
人生学、社会学、事業学など、皆これから始まる。そういう意味で新たな入学である。
飽くこと無く可能性を求めて・・・・・・。

三学戒・・・佐藤一斎
・ 少にして学べば 則ち壮にして為す有り
・ 壮にして学べば 則ち老いて衰えず
・ 老いて学べば  則ち死して朽ちず(寿し『いのちながし』)


また、その書額とは別に「盤ぱく」と揮毫したものもいただいた。「ぱく」は、石に薄と書く。
「盤ぱく」には、次のように添えられていた。

人生、緊張ばかりでは息がつまります。「盤ぱく」(両足を前に投げ出して座る。あぐらをかく)の如く、リラックスすることも大事かと思います。


「卒業は始業」と「盤ぱく」。定年退職を目前に控えた私に対する、深い思いやりのエールと受け止めている。有り難いことである。
なお、左 青石氏は、論語の勉強会・「南河内照隅会」の先輩会員でもある。

(平成23年3月2日)

 

春弥生、異動の季節

 3月、春弥生。
冷たい雨が降っている。暗くなるころまで続くようだ。このところ高温が続いたので、寒く感じる。明日、天気は回復するようだが、金曜くらいまではこれまでのように暖かくはないと聞く。
午前中、教職員は式場や受付場所等の片付けに忙しかった。

異動の季節だ。本校では、閉校に伴って全員が異動することになる。異動先の本人あての内示は、これまでよりも早くなり9日の予定である、全員希望どおりにいけばよいのだが・・・・・・。

(平成23年3月1日)

 

4人の恩師

 愛媛県・宇和島市立清渓中学校(昭和49年に城東中学校に統合)2年のとき、学級担任のN先生からの「そんなに体を動かすことが好きなら体育の先生になる道もあるぞ」の一言が、教員をめざすきっかけとなった。また当時、清渓中学校には、T先生とU先生という異なるタイプの、二人の体育の先生がおられた。お二人には、個人的にもいろいろとご指導賜った。それぞれ尊敬できる立派な先生であられたが、不遜にも私は、お二人を足して二で割ったら理想の体育教師であろうと考えていた。体育科教諭であった27年間は、お二人を目標とさせていただいた。
小生意気であった私に対して粘り強くご指導賜り、教員への道を示唆いただいた三人の先生方に心から感謝申し上げたい。お三方との出会いが無ければ、違った道を歩んでいたのかもしれない。
そしてもう一人、愛媛県立宇和島東高校3年の時に学級担任であったW先生も恩人のお一人である。W先生については、本編・平成20年9月24日付「教育の原点はほめ励ますことに尽きる」で触れている。W先生からの温かい励ましが、私を強く勇気づけた。
大学卒業当時、都会では高校急増期でもあり、卒業一年目から教諭を務めさせて貰った。その点においても恵まれたと思っている。定年まで一体育教師として貫き通すことが自らの生き方と決めていたが、51歳で管理職を務めることになった。教諭として28年、管理職として10年、多くの生徒たちとのさまざまな出会いがあった。
わがままと不遜の38年間の教員生活であったと大いに反省している。

(平成23年2月28日)

 

「40周年」でお会いしましょう

 ここ数日、庭に出ることが少なかったが、このところの陽気でツバキが咲き始め、オウバイやスミレも咲いてきた。ハクモクレンも、あと一週間か10日で開いてきそうだ。

一夜明けて、昨日の式を振り返りたい。
少し余裕を見て数多く椅子を準備したが、ほぼ満席となった。最終的な人数を把握できていないが、保護者を含めて570〜580名ではなかったか。もしかしたら、600名を超えたのかもしれない。大勢の人に祝福され、卒業生は幸せである。多くの方から「いい式だった」と言われ、私も同様の思いである。
とにかく、31期生卒業生諸君の式に臨む姿勢がよかった。それが何よりである。服装・頭髪・式での態度、どれをとっても及第点をクリアーしたと私は思う。日ごろの彼らをよくご存じの方は、特によくわかっていただけるだろう。何人もの方から、「『卒業の言葉』がとてもよかった。感動した」と言われた。感動がこみあげ、胸が詰まったとも。もちろん、私もそのように感じた。
これらの大部分は、本校教職員の指導の賜物である。こんなにも大勢の方のご臨席を仰ぐことができ、31期生たちは「大勢の方に見守って貰える。祝福していただいている。しっかりしなければ・・・・・・」と思ったに違いない。それが立派な態度につながったことに疑う余地はない。そう意味において、出席者全員で式を盛り上げていただいたと言えよう。
閉校式での最後の「校歌斉唱」のとき、思いがこみ上げ歌声が途切れ途切れになり声にならなかった。卒業生たちにとっても、全出席者にとっても、心に残る式となったことだろう。

  夕刻から市内のホテルで催された同窓会主催のパーティーも、300名近くの熱気に溢れ大いに盛り上がった。「閉校」という二文字は、これ以上ない深い悲しみではあるが、「西浦」という絆で結ばれた人々がこれを乗り越えて、「西浦」を語り継いでいかねばならない。
「40周年」で、またみなさんにお会いしたいものである。

  式に間に合うかと気を揉ませたスイセンだったが、当日は7〜8分咲きとなり卒業生たちを祝福してくれた。式終了後、大勢の人たちが、スイセンの前で記念撮影をしていた。この日のためにと、誠心誠意管理に努めてくれた校務員のお二人に心から感謝申し上げたい。これらのスイセンは、来年、再来年はもちろんのこと、いつまでも咲き続けてくれることだろう。

(平成23年2月27日)

 

卒業式・閉校式を挙行

 本日十時から本校体育館を式場として、第31回卒業式を、引き続き閉校式を挙行した。これ以上ないくらい天候に恵まれた。スイセンも七分咲きとなり来賓・保護者など550名を超える皆様のご臨席を賜って滞りなく終えることができた。午後2時からは、多数の関係者ご出席の下、懐風館高校において記念碑の除幕式も行った。
また、夕刻からは天王寺都ホテルにおいて、同窓会主催のパーティーが開かれた。こちらにも270名の出席者があり、西浦33年間の思い出話に花が咲いた。

みなさんのお陰で、すべてを遺漏無く終えることができた。感謝に堪えない。


第31回卒業式 式 辞

正門から入って来られた皆さんはお気づきだと思いますが、前庭ではスイセンの花が咲き揃って来ました。今日の日のためにと、昨年秋PTA役員のみなさんが中心となって植えつけたものです。玄関脇の白梅も開花が少し遅れましたが、馥郁と咲いています。この佳き日、本校第31回卒業式がこのように賑々しくかつ厳かに挙行されますことは、慶びに堪えません。と同時に、本校最後の卒業式であり、寂しさを禁じ得ないのは関係者共通の思いでありましょう。

ご多用の中、ご臨席賜りました大阪府教育委員会 中西教育長 様、大阪府議会議員 阪倉久晴 様、羽曳野市長 北川嗣雄 様をはじめご来賓の皆様方、並びにご臨席のすべての皆様に対しまして、厚く御礼申し上げます。
送る側の在校生の居ない式ということで、同窓会はじめ皆様にご出席を広く呼びかけましたところ、このように5百名を優に超える大勢の皆様にご臨席賜りました。ありがとうございます。

31期生諸君、卒業おめでとう。今私の手で君らの代表に卒業証書を渡したが、君たちは、西浦高校の栄えある卒業生となったわけだ。多くの試練を乗り越えてここまで漕ぎ着けたことに対し、心から賛辞を送りたい。
諸君らを含めて、西浦高校の卒業生は1万1千8百6名になった。

  保護者の皆様、お子さんのご卒業、まことにおめでとうございます。心から祝福申し上げます。お子さんの高等学校卒業は、保護者にとりまして大きな節目、言葉では言い尽くせぬ大きな喜びでありましょう。今夜はぜひ、ご家族お揃いでお祝いをしてください。
 
さて、卒業生諸君は、これからそれぞれの人生を歩むわけだが、人生行路はいつも順風満帆とは限らない。人生は、恵まれたことばかりではないのだ。どちらかというと、うまくいかないときの方が多いのかもしれない。だが、そのようなときもけっして腐らず、諦めず、まじめにコツコツと努力を継続することが大事だ。そうすれば、必ず春は訪れる。そう信じる。

  私は「飽くこと無く 可能性を求めて」という言葉が好きで、30年も前から座右の銘として来た。「飽くこと無く 可能性を求めて」とは、途中で投げることなく、可能性を求めて努力しようという意味である。
人間の可能性は無限だ。私は山歩きをするが、高い山に登り自分の歩いて来た道を振り返ったとき、「あんなにも遠いところから歩いて来たのか」と自分自身の歩みに驚くことがある。一歩一歩の積み重ねが、いかに大事かを強く感じる瞬間だ。人間の一歩はとても小さいが、粘り強く積み重ねていくとそれは大きなものになる。一歩一歩の積み重ねが大きな力となるのだ。
君たちの卒業アルバムにも、私の拙い字だがこの「飽くこと無く 可能性を求めて」を載せて貰った。折々に、君たちが「可能性を求めて 努力しなければ・・・・・・」と思ってくれるならこの上ない喜びである。
「飽くこと無く 可能性を求めて」お互いに努力を積み重ねていこう。

  最後に、とにかく健康が第一である。健康に留意し、生涯を通して学び続けること、努力することを忘れないで、自らの人生を愚直に生き抜いて欲しい。
諸君がさまざまな困難を乗り越えて自己実現を図っていくことを切に望む。

  31期生諸君の人生行路における健闘を祈って式辞とします。



閉校式 式辞

ご来賓をはじめ皆様には、長時間に亘って引き続きのご臨席、まことにありがとうございます。心から御礼申し上げます。

さて、本校は地元の皆様の熱い期待を背に、昭和53年4月に開校しました。以来、33年に亘って営々と教育活動を展開し、本日の卒業生を含め1万1千8百6名の優秀な人材を輩出してきました。そのような中、府立高校再編の対象となり、今ここに閉校式を行わなければならないという大変残念な事態になりました。

歴代校長をはじめ本校関係者の献身的な多大の労苦、並びに地元の皆様からの賜りましたご支援・ご協力を思うとき、断腸の思いを禁じ得ません。

  今、断腸の思いと申し上げました。「断腸の思い」の意味や由来はよくご存知だと思いますが、31期生諸君もおりますので皆様への失礼を省みず、簡単に説明しておきます。

  中国の春秋時代、晋の武将、桓温が長江三峡、揚子江を旅したとき、家来の一人が捕まえた子猿を追って、母猿が百里余りを岸伝いについて来たそうです。船が岸に近づいたとき母猿はやっと船に飛び移りましたが、そのまま息絶えてしまったようです。母猿の腹を切り裂いてみると、その腸はずたずたに断ち切れていたとのことです。「断腸の思い」は、子猿のことを思ってその悲しみと辛さで、母猿の腸がずたずたに切れてしまったという故事からきています。
まさに、西浦高校関係者の偽らざる心境です。

  西浦高校は、3月31日をもって閉校しますが、西浦がこの33年間に営々脈脈と築いて来た歴史と伝統は絶えさせることなく、新しい学校、懐風館高校が継承してくれることと思います。懐風館高校の校長先生も、本日ご臨席いただいておりますが、改めてよろしくお願いする次第です。

  西浦高校の歴史と伝統は、そして西浦高校の魂は、永遠に不滅です。西浦高校に係わったすべての人々が校歌を高らかに歌い、西浦高校のことを子々孫々まで語り継いでいきましょう。西浦高校に係わったみなさんすべてが、その先頭に立ってください。もちろん、私もその一人になります。
最後の校長として、西浦高校に勤められたことを私の誇りとします。

  北海道大学の前身、札幌農学校の初代教頭クラーク博士が離任しアメリカへ帰られる際、あの有名な「少年よ 大志を抱け Boys be ambicious like the oldman.」の言葉を遺されました。私も、この3月末で定年退職です。クラーク博士の偉業には遠く及びませんが、校長として最後の三年間、西浦高校のために微力ながら全力を傾注しました。
退職に当たり、一言遺したいと思います。

  「That’s why it’s important to keep challenging yourself , and creates new values. Impossibility is nothing. 」  飽くことなく可能性を求めてチャレンジを

  最後になりましたが、西浦高校を支えていただいた多くの皆様からの格別のご厚誼に対しまして、改めて厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
これにて、式辞といたします。


「軌跡 西浦の33年を語る会」開会の挨拶

みなさん、改めましてこんばんは。本日は多くの方が早朝よりお出かけいただき、午前中の式にもご参列いただきました。そしてこの「語る会」へのご出席、まことにありがとうございます。心から御礼を申し上げます。

さて、閉校式でもお話させていただきましたとおり、西浦高校は閉校となりますが、西浦の歴史と伝統はいつまでも語り継いで行かねばなりません。その先頭に立つのが同窓会であり、しらとり会であります。しらとり会につきましては、今年度の総会できちんと会則を定め、会員対象は西浦高校に係わった全保護者、全教職員となりました。この点につきましては、後ほど堂上会長からもお話があると思います。未加入の保護者のみなさんや教職員は、ぜひともこの機会にしらとり会にご加入いただきたい。このように思います。
先日、本校の学校協議会の席で委員のお一人から、「閉校しても西浦の精神は永遠に続く、現在創立33年だが、ぜひとりあえず40周年を祝う会をやればいいじゃないか」とのお話がありました。それを聞きまして、私はなるほどと思いました。今後、同窓会並びにしらとり会がさらに連携を強化しまして、ぜひ実現していただきたいなとこのように思う次第です。
「西浦の33年を語る会」ということで、今宵はいろいろと思い出話に花を咲かせていただければと思います。
最後に、この33年間に賜りました西浦高校へのご支援、ご協力に対しまして。重ねて御礼を申し上げ挨拶といたします。ありがとうございました。


閉校記念誌 巻頭挨拶
「西浦」を子々孫々まで

平成21年夏、本校上空を楠山 一彦 元校長(第6代)と共に、ヘリコプターで旋回する機会を得た。近隣に散在する数多くの古墳が悠久の歴史を語っていた。校歌の一節に「古代の道に風かよふ 河内飛鳥のただ中の 古墳群がる古市に 蒼穹に静もる白鳥陵 羽曳が丘の春秋に」(金森 保 氏作詞)とあるが、この地が太古の歴史の息吹く風光明媚な地であることを改めて実感した。
校舎屋上からは、指呼の間に二上山を望むことができる。その南に金剛・葛城、さらに南方に岩湧や和泉葛城の山々を遠望し、北東に眼を移せば玉手山の北奥に高安・信貴・生駒が鎮座する。周辺には田畑も多く残り、敢えて申し上げるまでもなく緑豊かな環境である。

  西浦高等学校は昭和53年4月、地元の皆様の大きな期待を背に第百十八番目の府立高校として、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)・白鳥伝説で名高い羽曳野・軽里に近い西浦地区に創立なった。爾来、三十三年に亘って松村督之・安井良一・大黒 宏・大塚 隆・芝口達也・楠山一彦・川俣 勲・豊田兼典・岡田 昭の歴代校長の下、幾多の試練を乗り越えながら営々粛々と教育活動を展開してきた。この間、1万1千8百有余の有為な人材を輩出し、現在、卒業生は社会の中核として各界で活躍されている。頼もしい限りである。

  この我らの「西浦」が府立高校再編整備の対象となり、羽曳野高校と統合され平成23年3月をもって閉校となる。歴代校長をはじめ、「西浦」の発展に係わってきた方々に思いを馳せるとき、断腸の思いを禁じ得ない。そのような中、平成20年4月、私は第10代校長として着任した。西浦の最後の三年間、「けっしてあきらめない。念ずれば 花ひらく」の気持ちで経営に当たってきた。地域からの信頼を回復し、より望ましい形で閉校を迎えたいと「挨拶の飛び交う 秩序ある元気な学校」の実現を目標に、微力ではあるが全力を傾注して学校改善に努めてきた。
どちらかと言うと沈滞ムードが漂っていた校内では、私の不徳のいたすところもありすぐには理解を得ることは困難であったが、支えていただいた方も少なくなかった。可能性を求めて飽くこと無く、ブレない粘り強い実践を継続する中、次第に本校関係者や地域の多くの方から「谷口、がんばれ」の温かい声援を賜るようになった。そして、地域の皆様からの信頼は徐々に回復してきた。これも偏に、保護者・しらとり会会員・卒業生・学校協議会委員・地域住民・府教育委員会、及び教頭、事務長をはじめ支えて貰った職員・旧職員のお陰だと、ただただ感謝するばかりである。

  最終年度、最後の生徒31期生を花一杯で包んでやりたいと、PTAが中心となって前庭花壇に4月5千球のチューリップを、9月5百輪のミニヒマワリを、そして新春、卒業式と閉校式に合わせて2千球のスイセンを咲かせた。何れも見事に開花し、最終年度を賑々しく彩った。チューリップについては6月に球根を掘り上げ、植え付けの際にご協力いただいた峰塚中学校と河原城中学校、及び保護者や地域の皆様方に配布した。閉校となっても、本校の花壇を彩ったチューリップが今春以降、それぞれの庭で咲いてくれるのだと思うと頬が緩む。
平成22年9月23日に開かれた同窓会総会は、本校校舎を使用しての最後の総会となったが、総勢6百名を超える出席者があった。卒業生・旧職員をはじめ西浦関係者の底力を強く感じた。

  学校改善の強い思いを胸に経営に当たってきた。最後の卒業式、閉校式が近づくにつれ募る寂しさは如何ともし難く、つい茫然としてしまうことも度々であった。それだけ「西浦」への思いが強いのであろう。
「西浦」の歴史と伝統は、新校「懐風館」が継承してくれることを願う。一方、我々一人ひとりも、今後は同窓会やしらとり会などが核となって、「西浦」のことを子々孫々まで語り継いでいかねばならない。課せられた義務である。私も、その先頭に立つ一人となる。

  「西浦」に係わった全員が、「 西浦高校よ、永遠なれ!」の気持ちをもって、前に進もうではないか。

「大阪府立西浦高等学校第31回卒業証書授与式・閉校式御来賓出席者名簿」 (←クリックするとPDFデータが開きます)
 

(平成23年2月26日)

 

一丸となっての取り組み

 組織体として一つのことを成し遂げるまでには、成功に導くためには、全員の力を結集することが必須である。今回の卒業式・閉校式の挙行に当たっての本校教職員の一丸となった取り組みに、ただただ頭の下がる思いである。

今回の挙行に当たり、随分と前に教頭・事務長・首席との協議の中で、終わってから「ああすればよかった、こうするべきであった」と思わないように、事前の準備に最善を尽くそうと誓い合った。いよいよ明日に迫ったが、「やるべきことは、手を尽くした」の思いが強い。人間の行うことなので、当日不手際も生じる可能性もある。アクシデントもあるだろう。後悔はしない。
「人事は尽くした。あとは天命を待つばかりだ」の心境である。

明日、ご臨席賜ります皆様には、衷心より感謝申し上げたい。31期生諸君のために、「西浦」ために、どうかよろしくお願いしたい。

  気を揉ませたスイセンだが、見ごろになってきた。今日は、18度くらいまで気温が上がると聞く。さらに開き、明日は七分咲き近くになりそうだ。
文字どおり、花が添えられることになる。


最後のPTA新聞
  「感謝あるのみ」

  保護者の皆様には、日ごろは本校のPTA活動にご支援・ご協力を賜り、誠にありがとうございます。また、本校の教育活動の推進に多大のご支援をいただいておりますこと、感謝に堪えません。

西浦高校は、地元の皆様の熱い期待を背に、昭和五十三年に設立されました。以来、33年にわたって教育活動を営々と展開して来ましたが、ご存知のとおり、この3月をもって閉じます。
歴代の校長をはじめ、保護者・しらとり会・1万1千8百有余の卒業生・ 地域の方々、そして教職員など関係者の献身的なご尽力により、ここまで来ることができました。これまで皆様から賜りました多大のご支援、ご協力に対しまして、心から御礼申し上げます。特にPTA役員の皆様には、いつも貴重なお時間を割かれての、生徒のために、学校のためにとの誠心誠意でのご尽力、ただただ頭の下がる思いでした。
   この3年間のご厚情に対しまして、衷心より御礼申し上げます。皆様への恩義は、チューリップ、ヒマワリ、そしてスイセンの花と共に、決して忘れはしません。教師生活の最後、西浦高校の校長として勤められたことを幸せに思い、私の誇りといたします。

  閉校のふた文字、これほど悲しく辛いことはありませんが、西浦高校がこの33年間に営々脈脈と築いて来た歴史と伝統は絶えさせることなく、新しい学校、懐風館高校が継承してくれることでしょう。

  西浦高校の歴史と伝統は、そして 西浦高校の魂は、永遠に不滅です。西浦高校に係わったすべての人々が校歌を高らかに歌い、西浦高校のことを子々孫々まで語り継いで行きましょう。みなさんにも、その先頭に立っていただきたいと願います。
もちろん、私もその一人になります。

(平成23年2月25日)

 

代表生徒の予行演習

 未明に雨が降ったようだ。夕刻にもひと雨あるとの予報だが、26日はやむ無く運動場の一部を駐車場として使用予定なので、少ない雨量を望むが。
26日は、まあまあの天気となりそうなので(翌日は雨の予報)、喜んでいる。

本日午前、当日表彰される生徒などの予行演習が行なわれた。当該の生徒たちはきちんと設営された式場を見て、それも大量の椅子が整然と並べられ、紅白の幕が張られた式場の様子を目の当たりにし、驚きの表情を見せた。座り方、立ち方、礼の仕方などを、当日司会を務める首席教諭から改めて指導された。当日も、立派な態度で臨んでくれることだろう。
明日は、全体の予行演習である。美化など校内のあらゆる環境が整えられ、式場が整然と設営されても、主役である生徒の態度が望ましくなければ、式の成功はおぼつかない。そのためにも、予行演習が大事である。

一般の生徒も代表生徒を見習って立派な態度で臨み、終了後、当日の参列者から「感動した」などと称賛の声をいただけるような「式」にして欲しい。そのようになれば、何より生徒自身にとって「心に残る卒業式・閉校式」となるだろう。

(平成23年2月24日)

 

あと36日

 昨日にもまして気温が上がると聞く。予報では、最高気温は17度とも。4月中旬の陽気だ。
スイセンが、どんどん開いている。眺めながら思わず微笑んでしまう。玄関脇の白梅も開花した。26日には、三分咲きが期待できそうだ(写真は、本日12時ごろ撮ったもの)。
サクラはもちろん満開がよいが、ウメの見ごろは三分咲きくらいだと私は思う。開花間際の蕾がたくさんある状態が、最も風情がある。
 
卒業式・閉校式まで、あと4日。年度末まで36日。西浦の閉校と共に、38年にわたる私の教員生活の幕も閉じられようとしているが、今さまざまなことが次々に浮かぶ。それらの中でも、授業で、部活動で、生徒たちと共に一緒に走ったことが何よりの思い出である。けっして過去を美化するわけではないが、とにかく率先垂範の指導に徹した38年であったとの自負がある。自らは動かず、「もっと走れ、もっと走れ」と口先や笛などで叱咤するのみの指導者も居なくは無いが、そういったやり方には縁がなかった。汗をかくことを厭わなかった。

  府立藤井寺工業高校(現藤井寺工科高校)に、23歳から40歳までの18年間勤務した。教師としての基礎を藤工で培い、同僚と鎬を削った。そのころ私は、陰で生徒から「ガンガン」と言われていた。「ガンガン行かんかい」が私の口癖であり、自らも猪突猛進しながら「ガンガン行け」と生徒に檄を飛ばした。スポーツ刈りの、生徒たちから見るとやくざな怖い教師であった。
私の体育の授業では、生徒たちは徹底的に走った(走らされた)。平均的な授業より3〜5倍は走ったであろう。筋力トレーニングを含め、鍛練的なものも多かった。当然のことながら、体力は著しく向上した。1,500m走の記録などは、全国平均を大きく上回った。それも、10秒や20秒のレベルではなかった。
走ることが苦手な生徒は辛かったであろう。苦痛であっただろう。私に習った生徒たちは気の毒であったとも言える。ただ私は記録が低くても、上手に出来なくても、まじめに努力している生徒には高い評価を与えた。いつも、本人が持っている能力の何パーセントの力で取り組んでいるかの観点で評価した。
速くても、上手でも、手抜きしている生徒には辛い点を・・・・・・。そのことを徹底したので、手抜きする生徒はいなかった。何より生徒以上に私が自らを追い込むから、生徒たちが手抜きできなかったのかも。
可愛そうだったと、言えなくもないが。

(平成23年2月23日)

 

4人でリハーサル

 昨日今日と、26日までとっておきたいような上天気だ。最高気温は、15度くらいまで上がるようである。

10時から全教職員で、閉校式参列者に配布する記念誌や記念品等の袋分けを行った。大人数分なので作業量は大きかったが、全員の協力でもって約75分で終えることができた。
校庭のスイセンも大分開いてきたが、まだ2割といったところだ。26日には、何とか5分咲きくらいになって欲しいものだ(写真は、本日9時ごろに撮ったもの)。

午後から、教頭・事務長・首席の4人で式典のリハーサルを行った。今回は、来賓の一部の方や我々が壇上に座るので、いつもの卒業式とは少し勝手が違い若干の戸惑いも隠せないのだが、本日の予行でかなりの部分は解消できた。

(平成23年2月22日)

 

式場設営の細部の詰め

 快晴である。朝は冷え込んだが、気持ちのよい天候だ。

9時から運営委員会、10時から職員会議と続いた。会議終了後、式場(本校体育館)設営に係わって細部の詰めを全職員で実施した。あと式場設営で残されたのは、式場内側に紅白の幕を張ることと大花瓶への花を生けることくらいになった。
早め早めに準備でき、喜んでいる。


(平成23年2月21日)

 

サクラの開花予測

 民間気象関連会社3社の、サクラ(ソメイヨシノ)の開花予測が出揃った。それによると、大阪では3月24〜28日となっている。平年は30日なので、若干早いという予測である。
先日も書いたが、花芽が日に日に成長しているのがわかる。

横浜国際女子マラソンが開かれたが、日本選手が好記録で1位、2位を占めた。今年は、韓国で世界陸上が開催されるが、優勝した尾崎選手は代表に内定した。世界陸上での活躍を期待する。

(平成23年2月20日)

 

予報では、晴れ時々曇りで暖かいと

 26日の天候がどのようになるか気になっていたが、週間予報が発表になりそれによると、晴れ時々曇りだそうだ。最高気温が13度、最低気温が5度と、まずまずの比較的温かい日となりそうだ。
あくまでも予報とはいえ、昨年はあいにくの雨だったので正直ほっとしている。予報が外れないことを祈るばかりだ。

(平成23年2月19日)

 

準備が着々と

 夜通し降り続いた雨だったが、5時半ごろには止んだ。最寄り駅まで約2キロを歩く私には、ありがたかった。いつものように古市駅からは「超速歩」で進んだが、気温が高く学校へ着くころには背中あたりが少し湿った。

懐風館高校の敷地に設置の、「閉校記念モニュメント」が既に完成していることは既報のとおりだ(当然のことながら、まだ写真でご紹介できないが)。卒業式・閉校式終了後、その日の14時から除幕式を行う。多くの方に、ご参列賜りたいものだ。

昨秋植えたスイセンのことばかり触れているが、その他の何箇所かでも、何年も前に植えたと思われるスイセンが可憐に咲いている(写真参照・本日9時ごろ撮影)。

  卒業式・閉校式まで、あと1週間である。準備が、教職員全員の協力により着々と順調に進んでいる。ありがたいことだ。

(平成23年2月18日)

 

残念で堪らない

 曇って日差しは時折しかないが、暖かい。外気温が16度くらいまで上がるという。数日前の寒さが嘘のようだ。

今日改めて、運動場の隅から隅を歩いてみたが、本校の運動場はとにかく広い。対角線は130メートルがとれる。これだけ広い運動場は、なかなか無いだろう。前任校である府立勝山高校の運動場も広かったが、本校の方がひと回り広い。
歩き回りながら、膝が悪くなければジョギングや加速走、快調走などを思いっ切りやるのにと、残念で堪らない。

  閉校後は数年かけて改修し、支援学校(以前は養護学校と呼ばれていた)になることが決まっているが、運動場も含め教育に係わることに転用されるということで喜んでいる。

(平成23年2月17日)

 

放射冷却で強い冷え込み

 予報どおり、放射冷却で今朝は冷え込んだ。最低気温は、三郷町で氷点下4度、羽曳野では氷点下2度であった。大和川にかかる橋はきつい霜で、歩くとしゃりしゃりと鳴った。
   天気は、これ以上ないほどの上天気。青空が広がっている。窓からは陽光が差し込み、室温が10時には16度、13時には20度とぐんぐん上がった。

先日、運動場と玄関脇に掲揚している国旗を新しいものに替えたが、本日はそよぐ風に翩翻とひるがえり青空に映える。仰ぎ見ながら、何とも言えぬ清々しさを感じている。

8時ごろにスイセンの様子を見に行ったが、土が凍り寒さでぐったりしていた。11時に再び行くと、土も緩み春の日差しの下、元気を取り戻しつつあった。明日はさらに気温が上がるようだ。かなりの数開花してきそうである。

先日来、今年度の教職員の評価の開示面談を実施しいているが、今日は8名の方に開示した。順調に進み、あと1名を残すのみとなった。

(平成23年2月16日)

 

スイセンも冠雪

 昨日は昼ごろから降り始めた雪が、夕刻には4〜5センチ積もった。帰りは道路が滑るし、ぬかるむし、靴の中までしみてきて大変だった。特に、学校から最寄り駅までは雪もかなり降っていたので、車からのはね返し(融けた雪)を気にしながら、結構労力を要した。電車の遅れは、さほどでもなかった。
昼間の雪がこのように積もったのは、とても珍しいことだ。昨日は夜中の積雪を心配したが、ほとんどなかったようだ。朝、学校周辺の道路の雪はすっかり融けていた。

スイセンの植わっているところも冠雪し、その中でけなげに咲いている。玄関脇の白梅も開花が少し遅れ加減だが、26日には咲いて来るだろう(写真は、本日9時に撮影したもの)。こちらも楽しみである。

(平成23年2月15日)

 

生徒たちの登校日

 朝、寒く感じた。後から知ったが、羽曳野地域の最低気温は1度、三郷町は氷点下3度であった。12時現在で、室温が13度までしか上がっていない。今日は、終日、気温が低い予報である。

今日は生徒たちの登校日、久しぶりに元気な顔を見ることができた。卒業テストの答案の返却もなされた。

校庭のスイセンだが、思ったほど開花が進んでいなかった。少しがっかりした。17日の木曜あたりから少し暖かくなりそうなので期待したい。

12時ごろから雪が降り始めた。気温が低いからだろう、3時前から融けずに積もるようになった。運動場や周囲の田畑などは真っ白である。夜半にかけて、かなりの積雪になるかも・・・・・・。

(平成23年2月14日)

 

陽光が川面に輝く

 朝、90分ほど散歩をした。余分な汗をかきたくなかったので上はセーターで出かけたが、それでも薄っすらと汗をかいた。大和川の堤も歩いたが、陽光が川面に輝き春を強く感じた。
途中、あちらこちらに植わっているサクラの花芽につい目が止まったが、大きく生育してきたことが一目瞭然だ。
校庭のスイセンも、今日の暖かい日差しで多くが開いて来るだろう。連休明けの14日が楽しみだ。

午後から会合があり出かけた。

(平成23年2月13日)

 

期待はずれの1日人間ドック

 3月末で38年の教師生活を終えるわけだが、今日初めて人間ドック入りした。
石持ちで、膝痛(変形性膝関節症)があり、尿酸値が一時高かった(現在は正常範囲)他は、自覚症状は何もないのだが、節目でもあり受けてみようと思い立った。

がっかりであった。というのは、一日ドックとはいえ、職場で毎年受検する通常の検診よりも多くの検査項目でなされるものと勝手に思い込んでいた。ところが何のことはない、通常の検診以外で行われたのは眼底検査と骨密度の検査のみであった。もっとも、ガンに係わる7項目の検査をオプションで受けたのだが、これとて採取した血液からの検査である。短時間で終了した。
半日使ってわざわざ大阪市内まで出かけたが、「何だこれは」の思いで戻ってきた。期待はずれであった。

結果は10日ほどで、自宅に届けられるそうだ。

(平成23年2月12日)

 

久しぶりの本格的な積雪

 予報どおり、久しぶりの本格的な積雪。積雪量は10センチ近く、早朝庭に出て写真を撮った。バルコニーからの周りの雪景色は、きれいだった。30年くらい前までは、奈良でも年に2〜3回の積雪があったが、最近では珍しい。積雪のあったときは、必ず道路は渋滞、電車も遅れるので、ランニングで通勤した。
昼過ぎまで降り続いたが、気温が比較的高く夕方4時ごろには道路の雪も溶けた。

久しぶりの雪は、子どものときのようにうれしくもあるが、北国の豪雪は本当に大変だろう。今冬、除雪作業ですでに120名を超える方が事故死している。
12日の夜からも、また積雪があると聞く。

(平成23年2月11日)

 

一堂に会するのも最後

 ここ数日、日差しの弱い日が続いていたが、今日は晴れ間が広がり気持ちのよい天気となった。夜中から昼過ぎにかけて近畿でも相応の積雪があると盛んに喧伝されているが、どうなるのだろう。そのとおりであるとすれば、久しぶりのことである。

一昨日、「教育センターを訪れることも、今日で最後かな」と書いたが、今日の午前、センターに府立学校の校長・事務長に招集がかかっていることを失念していた。もちろん出席したのだが、来年度に係わっての事柄が府教育委員会から伝達された。
これから年度末の間に何回か、来年度の人事に係わっての書類手交などで府庁を訪れるが、一堂に校長が会するのは年度内最後であった(3/9に安全衛生に係わっての研修会・説明会があるが、教頭・事務長が代理を務める学校も少なくない)。
これで最後ということが多くなり、何かにつけ感慨深い。
  「校長室から」への寄稿が、本日で今年度300回となった。232日連続であり、平成20年4月1日からの合計回数が665回となった。

(平成23年2月10日)

 

久しぶりのまとまった雨

 卒業式、閉校式の準備が、教頭・事務長・首席を中心に着々と進んでいる。私は、本当に恵まれている。みなさんに支えられていることを、強く実感する。ありがたいことだ。

昨日は、予報よりも降り始めが遅かったが、久しぶりのまとまった雨となった。通勤時も、最寄り駅までは少し降った。小糠雨程度だったので、私は傘をささなかったが。
年明けから極端に雨量が少なく、草木には恵みの雨となった。ここのところの暖かさと相俟って、サクラの花芽も随分と大きくなった。この分だと、今年の開花も早いことだろう。

昨年、我が家のハクモクレンが3月の7日ごろに咲いてきて驚いたが、今年の生育状況も早く、開花は昨年と同時期になりそうだ。モクレンは、よく咲いた翌年は花つきが悪くなるのが普通と聞くが、我が家のハクモクレンは毎年花つきがよい。今年も「よくもここまで」と思うくらい、たくさんの蕾をつけて順調に生育している。
前庭の角で我が家のシンホルツリーとなっており、開花の時期には道行く人にちょっとした幸せ気分をプレゼントすることになる。大木に育ち、花がらの後始末や落ち葉の処理など大変な手間がかかっているのだが、救われる時間だ。
 

(平成23年2月9日)

 

教育センターへの出張

 昨日は、午後から気温が下がった(実際は、上がらなかったというのが正しいのかも)。ここ数日暖かかったので余計に寒く感じた。
今日は15時ごろから雨の予報。日付が変わるころまで降り続くようだ。午後から大阪市内にある府の教育センターに出張するが、多少濡れても支障ないように今日はコートを変えた。
年に15回程度教育センターに出張するが、雨に遭うことが多い。ここ10年を振り返ってみると、3割程度の確率で雨に遭っているような気がする。

府の教育センターは、地下鉄御堂筋線の「あびこ」駅から徒歩12分位の所にある。駅前から商店街を抜けることになるが、途中商店街を右に少し入った所にAというグリルがあった。夫婦と思われるお二人が賄う14〜15人で一杯になるような小さな店だったが、900円のコーヒー付きのランチが実においしく、昼食によく利用させて貰った。特に愛想よくされるというわけではないが、店の雰囲気もよかった。
過去形で書いているのには、わけがある。昨年夏閉じてしまわれたのだ(私にとっては突然)。移転されたのか、商売を畳まれたのか定かでない。いつも楽しみにしていただけに残念に思っている。そう思っているのは、私だけではないだろう。

  そういった教育センターへの出張も、もしかしたら今日で最後かもしれない。
 

(平成23年2月8日)

 

樹木の剪定

 今朝は大分暖かく、手袋が不要であった。

スイセンがもっと開いて来たかと思ったが、期待したほどではなかった。明日は夕刻から雨の予報だが、乾いていたので待ちきれず11時前に水を遣った。26日に見ごろとなることは間違いない。

昨日、今日と、校庭に植わっている樹木の剪定のため業者が入った。随分とすっきりした。
 

(平成23年2月7日)

 

ペースメーカーは不要

 献血のため、郡山市筒井にある日本赤十字奈良血液センターを訪ねた。9時からの開業だが、朝早くから来られている方が少なからずおられる。年齢層は、30代、40代が多いように見える。奈良血液センターでは、数年前から土曜日の献血は受け付けていない。センター側にも理由があるのだろうが、献血しようとする側にとってはとても不便である。

午後からは、別府・大分毎日マラソンのテレビ観戦。3位に日本選手が入ったが、女子に比べてマラソンでの日本男子の影が薄い。若手に有望選手がいなくはない。実業団チームに所属し駅伝での活躍も余儀なくされる反動とも言えなくはないが、本格的にマラソンに取り組む選手が少ない。
それとテレビ観戦していて最近強く思うことだが、大きいレースでは最近必ずペースメーカーがつく。以前は、序盤から速いペースで思い切って突っ込む選手がいたりして面白かったが、後半のみの勝負となり興味は半減だ。先日の大阪国際女子でも、初めてペースメーカーがついた。
どうにかして欲しいと思うのは、私だけではないと思うが。
 

(平成23年2月6日)

 

煙霧

 煙霧だろうか。霞んでいる。一昨日夜の天気予報で、女性予報官が「煙霧」について説明していたように思う。他のことをしていて、聞き取れなかった。
気になって辞典を開くと、「風によって地面から巻き上げられた塵や砂ぼこり、煙、煤煙、火山から噴出して降下している火山灰、海塩粒子などが風に流されて浮遊している状態を指す。火山灰と海塩粒子以外はいわゆる風塵と呼ばれる現象である。風塵は微粒子が舞い上がる現象、煙霧はそれによって視程が悪化する現象である」と。「気象庁は、煙霧または霧・靄と見られる現象が発生しているとき、湿度が75%以上ならば霧や靄(もや)、75%未満ならば煙霧と定義している」と。また、「煙霧の発生後に気温の低下によって湿度が高くなったりすると、煙霧と同時に霧や靄が発生することがある(個体の微粒子と液体の微粒子が同時に浮遊している状態)。よって、たとえ煙霧が発生していたとしても、霧が混じっている時は霧、靄が混じっているときは靄として、それぞれ扱われる。そのため煙霧として扱われる場合には湿度が低い場合が多い」とも。

これから黄砂も飛来し、黄砂による煙霧も度々発生することだろう。

 
朝一番に、駅前の床屋へ向かった。きれいにして貰うことをいやがる人は少ないと思う。私も、散髪をして貰うのが幼いころから好きだ。
周りの者と比較してまだそんなに伸びていないと思われる状態でも、「すっきりして来なさい」と小さいころ母親に急かされた。何かにつけ素直でなかった私だが、散髪だけはいやがらずに床屋へ向かったものだ。父の見苦しい頭髪も、一度たりとも見たことが無い。私も耳に少しでもかかったりすると気になるほうで、父や母の影響が大であると思うことしきり。
そういった性分なので、孫たちの頭髪にもつい干渉してしまう。帰省して来ると、私の初仕事は散髪に連れて行くことになる。娘も心得たもので、伸びたままで連れて帰って来る。理由は言わずもがな、散髪代が助かるからだ。
上は小学校4年。今のところ短いスポーツ刈りだが、これから生意気になって格好をつけて伸ばしたがるだろう。当分は許さないつもりだが、いつまで爺の威厳を保つことができるか・・・・・・。
 

(平成23年2月5日)

 

羽曳野市立中学校と周辺府立高校との連絡協議会

今日は立春だったが、それにふさわしい暖かい一日となった。

本日、藤井寺市内で羽曳野市立中学校(6校)と周辺府立高校(8校)の校長・教頭26名が一同に会し、連絡協議会を開いた。何年も前からこの時期に開かれているが、昨年から府立高校の参加校が倍以上に増えた。高校側からすると、羽曳野市立の6中学校の生徒の進路希望動向などが把握できる。また中学校側からは、地元の高校の取り組みや特色など最近の様子がわかるなどの利点がある。会には、毎回羽曳野市の教育長も出席される。
高校側の校長では私が最年長ということで、開会の挨拶をすることになったが、その場をお借りして33年間のご支援に対して御礼を申し上げた。なお、26日の卒業式・閉校式には、教育長や6中学校長の臨席も賜ることになっている。
3時間にわたる長時間になったが、情報交換のみならず懇親を深めることもでき有意義な会合となった。

私の開会の挨拶

みなさん、こんばんは。
藤田教育長 様、また中学校のみなさんには、日ごろは大変お世話になっております。ありがとうございます。
寒い日が続いていましたが、おとといあたりからやっと寒気も緩みました。今日は立春です。春は名のみとは言いながらも、これから少しずつ暖かくなるのではと思います。

  年度末、生徒の進路に関してや来年度に向けての人事、或いは校内体制の構築など、何かと気忙しくされていることと思います。特に生徒の進学に係わっては、私立学校の授業料保護者負担の無償化などに係わっての公立と私立の関係等、これまでなかった問題も生起しています。1月17日現在での公立中学校長会のとりまとめによれば、府全体で私学の専願者が三千八百人増と聞きます。ここ三年減少傾向にありましたが、志願動向に異変が起こっています。高校側としては、頭を悩ますところです。そういった中、いろいろと情報交換しながらこの難局を乗り切っていくことが求められていると考えます。

  自校について、少しお話させていただきます。ご存知のとおり、西浦高校はこの三月末をもって閉校となります。この33年間に賜りましたご支援やご厚情に対しまして、心から御礼申し上げます。26日に最後の卒業式を引き続き閉校式を挙行するわけですが、在校生の居ない式ということで、一人でも多くの方に出席願いたいと広く呼びかけましたところ、保護者を除いて350名を超えるみなさんのご臨席を賜ることになりました。藤田教育長、そして6中学校校長も全員ご出席いただけるということで、いつものことながら本当にありがたく思っています。当日は、よろしくお願い申し上げます。

  最後に、本会も昨年度から高校の方は範囲を広げての開催ということになりましたが、今後さらにより有意義な会合になりますことを祈念申し上げ、開会の挨拶とさせていただきます。
 

(平成23年2月4日)

 

今日は節分

 昨日から急に寒さが緩んだせいか、今朝は気温のわりに寒く感じた。日中は、13度くらいまで上がるようだ。
今日は節分。明日から、暦の上では「春」だ。


花の街

江間章子作詞・團伊玖磨作曲

七色の谷を越えて
流れて行く 風のリボン
輪になって 輪になって
かけていったよ
歌いながら かけていったよ

美しい海を見たよ
あふれていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で
泣いていたよ 街の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
ひとりさびしく ないていたよ


私は「春」と聞くと、すぐにこの歌が思い浮かぶ。江間章子の作詞、團伊玖磨の作曲で、昭和22年に作られた。大好きな歌の一つである。江間章子さんは、あの「夏の思い出」の作詞者でもある。
娘たちがまだ幼かったとき、親族の結婚披露宴において家族4人で歌った。25年以上も前のことだ。今でも新郎新婦であったご当人たちから「よかった」と言われる。

江間章子さんは、平成17年に91歳で他界されたが、音楽の教科書(教育芸術社「中学生の音楽1」及び同「中学生の音楽2・3下」)の中で、「春の街」について次のように述べておられる。

「花の街」は私の幻想(げんそう)の街です。戦争が終わり、平和が訪れた地上は、瓦礫(がれき)の山と一面の焦土(しょうど)に覆(おお)われていました。その中に立った私は夢を描(えが)いたのです。ハイビスカスなどの花が中空(なかぞら)に浮(う)かんでいる、平和という名から生まれた美しい花の街を。
詩の中にある「泣いていたよ 街の角で……」の部分は、戦争によってさまざまな苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものです。この詩が曲となっていっそう私の幻想の世界は広がり、果てしなく未来へ続く「花の街」となりました。


一番の歌詞の最後「歌いながら」のところは、「春よ春よと」書かれているものも多いようだが、原詩は「歌いながら」である。私も長く「春よ春よと」と唄っていた。


午前中、校務員が前庭のスイセンに植物活性剤を散布してくれた。昨日からの暖かい陽光と相俟って、開花を促すことだろう。

午後から、懐風館高校の第1回入学者選抜委員会が同校会議室で開かれる。本校からも、教頭・首席・教務部長の3名が出席する。
 

(平成23年2月3日)

 

無事モーニングを

 予報どおり、寒さが緩んだ。暖房なしの校長室だが、午後2時には室温が19度まで上がった。明日以降は、最高気温がさらに1度くらい上がるようだ。

明後日は立春。「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」である。


卒業式・閉校式まで3週間余りとなった。
閉校に伴って不要となる備品等を、懐風館高校をはじめ近辺の学校に引き取って貰うが、その作業がテストの終了した今日から本格化した。今朝は、8時前から大型のトラック等が何台も入り、終日作業が続いた。横目にしながら複雑な心境である。


ボテの入った(脂肪で膨らんだ)みっともない体に、無事モーニングを着せることができるかどうか少し心配だ。式までちょうど1ヶ月前の1月25日に、久しぶりに体重を測った。これまでの経験から、何とか着ることのできる体重はわかっているのだが、それをオーバーすること2キロ。
1週間経った今朝、再度測った。前回からは、600グラムの減。この1週間、特別なことをしたわけではないが、いつもどこかで意識してきたことが表れたのであろう。あと1.4キロである。今日からはさらに強く意識して、何とかクリアーしなければならない。
ちなみにモーニングは、42歳のときに教え子の仲人をした折りに購入したものだ。当時はランナーとしてまだまだ現役そのもの、体は絞れていた。その後、ズボンは10年前にウェストを3〜4センチ広げたが、上着はそのままである。
以前、卒業式の写真を見た友人が「ぴちぴちで窮屈そうじゃないか。礼をしたときボタンが飛ばないか」と。

そのような無様なことだけは、もちろん避けたいが・・・・・・。
 

(平成23年2月2日)

 

定期考査終了

 今日から2月。昨朝に比べると、大分寒さが緩んだと感じる朝だった。

卒業に向けての最後の定期テストも、本日無事終了した。生徒諸君は、がんばったことと思う。明日からは授業も無く(卒業式の予行演習など、登校しなければならない日はある)、26日の卒業式・閉校式を迎えることになる。式に臨むことができるのは、もちろん、卒業を認定された生徒に限られることは言うまでもない。卒業できることを祈っている。

テスト終了後、集会が開かれ、教頭や部長などから今後の予定や式までの生活の送り方、式に臨む態度などについて講話や諸注意がなされた。

2/26の式には、保護者を含めると500名を上回る数の出席者(来賓64名、招待者40名、旧職員・しらとり会会員等87名、同窓生163名)がある。お膳立ては、徐々に整いつつある。後は、「主役である卒業生の式に臨む態度」が問われることになる。

全員の力で、心に残る式にしたいものだ。
 

(平成23年2月1日)

 

大乗川に氷が

 今朝はいつもにもまして冷え込んだ。羽曳野地域の最低気温は氷点下1.5度、三郷では氷点下3度であった。通勤途上、ここ数日では最も寒く、大和川を渡る際、耳が痛かった。本校の裏に大乗川という小さな川が流れているが、淀んでいるところ何箇所にも氷が張った。明後日、2日の水曜日から寒さが緩むと聞くが・・・・・・。

昼前、30分くらいかけ前庭のスイセンに水をたっぷりと与えた。風もあり冷たかったが、「ありがとう」の声が聞こえるようであった。

卒業テスト4日目も無事終了した。あと1日である。午後から、第7地区の養護教諭研究会が本校で開かれた。


地区養護教諭研究会 開会の挨拶

みなさん、こんにちは。西浦高校へようこそお越しいたたきました。研究会へのご出席、ご苦労様です。
寒い日が続いております。今朝は特に気温が低く、本校の裏に大乗川という小さな川が流れていますが、淀んでいる箇所には氷が張っていました。本校に赴任して3年になりますが初めてのことです。

インフルエンザについては、高校でもいくつかの学校で学年休業や学級休業が出ているようですが、みなさんのところでは如何でしょうか。本校でも先日、学級休業を覚悟しなければならないような状況に近づいたのですが、何とかそれには至らず、現在沈静化しつつあります。

  日ごろは、各学校で学校運営の柱となってご活躍いただいていることと思います。敬意を表します。
私は、養護教諭並びに保健主事が保健室経営をきちんと押さえることが、学校運営全体にとって大変重要であると以前から考えています。学校によって課題の異なることは当然ですが、どのような学校におきましても保健室の重要性は変わりありません。そういった意味において、みなさんの学校の校長は、いつも大船に乗った気持ちで過ごしていることと思います。私もその最たる一人であります。保健主事を兼務する養護教諭がきちんと要所を押さえているからです。

  本校はご存じのとおり、再編統合の対象となりこの3月で閉校となります。2月26日に最後の卒業式・閉校式を行いますが、あと1ヶ月を切りました。現在、卒業に向けての定期考査中ですが、これも明日が最終日です。大詰めに来ているのです。

  今日はさまざまな協議題がおありだと思います。本日の会合が実り多いものになりますことを祈念すると共に、これまで本校に対しましてみなさんから賜りましたご支援やご厚情に感謝申し上げ、簡単ではありますがご挨拶といたします。
 

(平成23年1月31日)

 

粘り強く

 本日未明、先日来カタールのドーハで開催されているサッカー・アジアカップの決勝が行われた。日本が延長の末、オーストラリアを2対1で破り、2年振り4度目の優勝を果たした。また、第30回の大阪国際女子マラソンが長居陸上競技場発着で開催され、赤羽選手が初優勝を飾った。2位、3位にも日本選手が入った。
両方とも最初から最後までテレビ観戦したが、両方に共通してのキーワードは「粘り強く」であろうと私は思った。サッカーは、延長を含め120分を超える文字どおりの死闘であった。両チームとも一歩も譲らぬ白熱の戦いとなったが、好プレーの続出する中、勝利の女神はザッケローニ監督率いる日本チームに味方した。日本チームの勝利への執念が、わずかに上回ったように思った。サッカーはこれまで、ここ一番というところで苦杯を嘗めることが多かったが、今回の準決勝・韓国戦におけるPK戦での勝利など粘り強さを随所に見せ、溜飲を下げた。

あいにくの強風と低温、過酷な気象条件の中のマラソンも最後2選手のマッチレースとなったが、前回大会(優勝候補ながら途中棄権となった)の雪辱を期した赤羽選手の気迫と老獪さが優った。2位に入ったフルマラソン2回目の伊藤選手の粘り強さにも、感動を覚えた。今後が大いに期待される。

「飽くこと無く 可能性を求めて、粘り強く精進する」ことの大切さを、改めて認識した一日となった。
 

(平成23年1月30日)

 

淡路島も3週間遅れ

 前に住んでいた家から移した木、自然に生えてきたものも含め、我が庭にナンテンが何本もある。ナンテンの、その風情がとても好きだ。環境が合うのかご近所の人が驚かれるほど、どれもたくさんの実をつける。その可愛い実も、小鳥たちに食べ尽くされほぼ終わりである。

  庭土が渇いている。朝、9時ごろ、たっぷりと水をやった。防寒をして臨んだが、念入りにやるので20分以上もかかり体が冷えた。

  昨秋、我が家でも日本スイセンを15球植えた。今朝は水を得て、喜んでいる。あと1週間くらいで開いてきそうだ。遅れているツバキ(四海波)の開花だが、こちらもあと1週間くらいで・・・・・・。新聞によれば、淡路島のスイセンも見頃に近づいていると聞く。ただ、こちらも例年より3週間遅れているとのこと。
 

(平成23年1月29日)

 

ここ1週間、10日で

 毎朝、通用門付近で生徒に挨拶を投げかけるが、目を凝らして付近に植わっているサクラやケヤキの芽を観察していると、厳寒の中でも日一刻と成長しているのがわかる。

開花が遅れ加減だった秋に植えた前庭のスイセンが、ここ1週間、10日で、ダッダと咲いて来そうな気配だ。
校庭の数ヶ所で、これまで(何年も前に)植えられたスイセンを見ることができる。これらの中には、開花してからすでに三週間以上経過したものもある。蕾が見え始めてから開花までの時間が、一ヵ月半も二ヶ月もかかっているような気がする。
今回秋に植えたものは、蕾が見えてから2〜3週間で開花しそうだ。これまでから植えられていたものも日本スイセンと思われるが、種類によって開花に向けてのスピードが微妙に異なるようだ。どちらにしても、2/26にはよい状態になりそうなので喜んでいる。
 

(平成23年1月28日)

 

暦の上ではもうすぐ春だが

 通勤時はコートを着ているし、わりと早足で歩くのでそう寒くは感じない。日中、何度か校舎内外を見回って歩くが、そのようなとき外はとても寒く感じる。 羽曳野地域は、今日も最高気温が6度くらいまでしか上がらない。この寒さが月曜日まで続くようだ。予報では火曜日に一旦緩み、最高気温も11度くらいまで上がるとのこと。最高気温が10度を超えると、少しは暖かく感じるだろう。

4日は立春だ。立春から立夏までが暦の上での春だが、水温むを実感するには、今しばらくかかりそうだ。「これから三寒四温を繰り返しながら徐々に暖かくなってくることだろう」などと口走りそうにもなるが、このところずっと寒く、三寒四温の印象はほとんど無い。もっとも三寒四温は、シベリア高気圧の影響を受けやすい中国大陸北部や朝鮮半島などでは顕著であるらしいが、元々日本ではそうでないとも・・・・・・。

  天気の移り変わりが、三寒四温の七日周期から四日周期に変わってくると本格的な春近しと言われる。四日周期を調べて見ると、「まず移動性高気圧が通過すると気温が上昇し、次の日には低気圧が通り雨となる。三日目は天気が回復し、強い西風が吹き気温が下がる。四日目には移動性高気圧が近づき風が弱くなりしだいに気温が上がる」ことを指すと言う。
三寒四温の七日周期から四日周期に移り変る時期は、例年だと三月上旬であるとも。

どちらにしても、2月26日は暖かい一日となって欲しいものだ。
 

(平成23年1月27日)

 

恵みの雨

 夜中、羽曳野地域は雨が降ったようだ。それも、しばらくぶりのまとまった雨が。「木の芽起こしの雨」という言葉もあるが、乾いていたので草木には恵みの雨となったことだろう。特に前庭のスイセンには開花を促進する雨になってくれたと思う。事実、一日、二日で開いてきそうなものもある(写真参照)。これからどんどん開いてくるだろう。

  本日から卒業テストが始まった。2月1日までの正味5日間だが、全力を尽くしてくれることだろう。期待する。

卒業式・閉校式まで、あと一ヵ月。午後からは職員会議を開く。
 

(平成23年1月26日)

 

最後の授業

 8時15分ごろから40分くらいにかけて、傘の要らないくらいの微かな雨が降った。昼前から日が差しているが、気温は一日、あまり上がらないようだ。

生徒諸君にとっても、本校にとっても、本日は最後の授業であったが、無事終了した。明日から最後のテスト(〜2/1)が始まる。

  私の教諭としての最後の授業は、平成13年の2月末であった。前年、教頭選考に合格し異動、その年は待機の一年であった。翌年度4月から昇任できるかどうかは3月末にならないとわからない状態だったのだ。最後の授業になるかどうかは微妙であり、結果としてあれが最後の授業であったということになった。

  教諭で定年を迎える場合はもちろんはっきりするのだが、複雑な思いであった。
 

(平成23年1月25日)

 

開花が遅れそう

 朝方はどんよりとした全面の曇り空。大して低い気温ではないが、日も差さず寒く感じた。校長室の室温は、10時半現在、14度。先ほどからお日さんも時折覗くようになったので、これから少しは上がってくると思われる。
授業は、今日明日で終了。明後日から卒業テストの開始(〜2/1)である。明日は、前日のため半ドンだ。生徒たちは、悔いの残らぬようにがんばってくれることだろう。

校庭のスイセンだが、寒さが厳しいせいか予想より開花が遅れそうだ。植えつけた当初は、早く咲き始めて2/26には盛りを過ぎてしまうのではと心配したものだが、今は開花が2月下旬になるのではと気を揉んでいる。
せめて5分咲きくらいには・・・・・・。
 

(平成23年1月24日)

 

卓球の日本選手権

 卓球の日本選手権が先日来開かれていたが、本日最終日の模様がテレビ中継され観た。一流選手の反応のよさには感嘆の連続であった。卓球界も、男女を問わず若手の台頭が著しい。女子シングルスで優勝に輝いた石川選手は17歳、男子シングルスでベスト8に残った丹羽選手(ジュニアの部シングルス2連覇)は16歳である。
女子ダブルスを制し、シングルスでも準優勝に輝いた藤井選手は、妻の元同僚(大先輩)のお孫さんだ。女子では平野・福原・石川の活躍がクローズアップされることが多いが、世界選手権などでも日本代表として活躍している。昨秋のアジア大会では、ダブルスで銅メダルに輝いた。藤井選手のさらなる活躍に期待する。
 

(平成23年1月23日)

 

西浦高校の40周年

 昨日の学校協議会の折、委員のお一人から「西浦高校の40周年の祝いもぜひやればよい」とのお言葉を賜った(現在、33年目)。なるほどと思った。学校としての形は無いが、係わった人たちの心に永遠に生き続けるわけだから・・・・・・。
同窓会会長やしらとり会(保護者と旧職員の会)会長も協議会に出席しておられた。その方向で考えていただけるだろう。
 

(平成23年1月22日)

 

最後の学校協議会

 本日午後、今年度3回目の学校協議会を開いた。
協議会の趣旨は、学校の展開している教育活動が保護者や地域住民のニーズに合ったものになっているかどうかを、有識者や地域の皆様の目で点検していただく。そしてそこで賜ったご意見やご提言を、スピーディーに学校運営に生かしていくことにある。
これまで、委員のみなさんからは貴重なご意見やご提言を賜った。そして、それらをスピーディかつタイムリーに生かすよう私なりに努めてきたつもりである。本校が曲がりなりにも、よい流れになってきたことは、委員のみなさんからの貴重なご意見やご提言に寄るところが大きかったと大いに感謝している。


開会の挨拶

年が明けましてから大分経過しましたが、委員の皆様には、お健やかによいお年をお迎えのことと思います。今学期もどうぞよろしくお願い申し上げます。本日は、今年度3回目の協議会を開催しましたところご多用の中、ご出席賜りましてありがとうございます。

さて、例年3年生の3学期は短いのですが、もう来週26日の水曜日から卒業テストということで、授業はあと二日のみになりました。いよいよ大詰めに近づいています。
2月26日に最後の卒業式、引き続いて閉校式を開きますが、委員の皆様には、こちらも全員ご臨席いただけるということで、大変ありがたく思っております。併せて御礼申し上げます。
今回は送る側の在校生が居ない式であります。そのような中、一人でも多くの方に出席していただきたいと広く呼びかけましたところ、本日現在で卒業生の保護者を除き350名の方から出席回答を賜っております。これに保護者を合わせますと有に500名を超えることになります。最後を飾るにふさわしい人数になったと喜んでおります。これも、委員の皆様が陰に陽にご支援いただいています賜物と、感謝申し上げます。


本日は最初に教務・生徒指導・進路指導の各部長から近況報告をさせていただき、その後協議に入りますが、今年度の、また33年間の締め括りということで特にテーマは設けず、自由にご協議いただければと思います。
よろしくお願いいたしまして、開会の挨拶とさせていただきます。


謝 辞

  ご協議ありがとうございました。
委員の皆様からはいつも本当に貴重なご意見やご提言を賜りましたこと、心から感謝しております。それらを学校運営にスピーディかつタイムリーに生かすよう私なりに努めてきたつもりではありますが、私の力不足もあり十分でなかったかも知れません。
委員それぞれに多大のご支援を賜ったわけですが、先程来からありますように増田先生には特に、協議会開設の初年度から本当に長い間委員としてお世話になりました。感謝に堪えません。ありがとうございました。

本校はこの3月末で閉校となりますが、33年間、営々脈々と築いてまいりました西浦の歴史と伝統は、子々孫々まで継承していかねばなりません。
これまで委員の皆様から賜りましたご厚情に対しまして、重ねて心から御礼申し上げ、はなはだ簡単ではありますが私からの謝辞とさせていただきます。ありがとうございました。
 

(平成23年1月21日)

 

PTAの役員会

 今日20日は、二十四節気のひとつ「大寒」である。
いい天気で、窓際は陽射しも強く、暖房なしの校長室でも室温が11時現在18度まで上がっている。
本日、おとなりの懐風館高校では、耐寒登山が実施され二上山に登っている。今ごろは、山頂で昼食だろうか。歩くには、もう少し冷えたほうが耐寒にふさわしいが、立ち番の教員は助かっているだろう。
無事の終了を祈る。

昨日は午後、PTAの役員会があった。
最後のPTA新聞に係わってのことや卒業式・閉校式、並びに3/7に開く最後の総会などについて協議した。みなさんそれぞれにお忙しい中、運営に本当によくご協力いただいている。今年度は3年生の保護者のみの手薄の中、卒業された前会長以下3名に顧問として残っていただき、サポートを賜っている。サポートどころか、中心的役割を担っていると言っても過言ではない。誠にありがたいことである。

明日は、最後の学校協議会を予定している。
 

(平成23年1月20日)

 

授業はあと5日

 26日(水)から卒業テストに入るので、授業は正味、本日を入れてあと5日となった。
インフルエンザ流行の兆しがあり、学級閉鎖などの懸念がある。何とかそうならないように願っているが、これだけは思うようにならない。
とにかく、生徒諸君にはうがいと手洗いの励行に努めて欲しい。

  在校生の居ない最後の卒業式並びに閉校式を、一人でも多くの人たちにご臨席願えればと呼びかけをして来たが、ありがたいことに多くの方々のご賛同を得ることができた。
昨日現在、来賓60名、招待者55名、旧職員60名、卒業生170名の計355名。この数に卒業生のご家族が加わる。最終的に500名を上回る人数になりそうである。
ご多用の中、ご臨席賜る皆様には、心から感謝申し上げたい。
 

(平成23年1月19日)

 

震災記念日

 昨日は、震災記念日であった。 16年前に発生した阪神・淡路大震災の悲惨さを記憶に留め、次世代に受け継いでいくために設けられたものだ。近畿に住んでいた者に限らず、20歳以上の日本人ならばあの忌々しい悲惨な地震のことは、忘れようにも忘れられない出来事である。
地震が発生したのは平成7年1月17日(火)午前5時46分、この地震による死者は6,434名、行方不明者3名、負傷者は43,792名と甚大な被害であった。ただ死者は関東大震災の10万人に比べると約1/16である。これは被災地域が関東大震災より狭かったこともあるが、大正時代に比べると建築物の不燃化が進んでいること、住宅の耐震性が高くなったことも大きいと言われている。
私も神戸や芦屋に住んでいた妻方の親類の家屋が、全壊・半壊の被害に遭った。幸い命を失うことはなかったが、家を失ってしまうという大きな痛手を蒙った。
地震後、最初の日曜日(22日)に妻と義母、妻の姉夫婦の5人で、水や食料などの救援物資を持って見舞いに駆けつけた。電車で行くことが出来たのは西宮北口までであった。途中、電車から見えた建物の多くも屋根などが傷み、シートを被っていた。西宮北口駅もかなりの損傷であった。そこから夙川・芦屋川・岡本・御影・六甲と折り畳みの台車に物資を積んで歩いた。見渡す限りすべてが被災し、木造家屋の全壊が目立った。まだ煙の昇っている家もあった。とにかく、悲惨という言葉だけでは語り尽くせぬ、まるで地獄のような状況であった。戦争被災の体験はもちろん無いが、原子爆弾で被災した写真や映像で見る「広島」のようでもあった。
親類の家も、木造2階建て2戸が全壊でぺしゃんこ、鉄筋のマンションもドアが開かないほど損傷していた。親族は近くの高校の体育館や市役所に避難しており、無事が確認できホっとした。あの例の高速道路の損壊箇所も、遠くからだがこの目で見た。
阪神・淡路大震災では、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などのライフラインは寸断されて、広範囲において全く機能しなくなった。以後、都市型災害や地震対策を語る上で、「ライフライン」の早期の復旧、「活断層」などへの配慮、建築工法上の留意点、「仮設住宅」「罹災認定」等の行政の対策などが注目されるようになった。現地において被災者支援のボランティア活動に参加した人の数は一日平均2万人超、3ヶ月間で延べ117万人とも言われている。被災地でのボランティア活動の重要度に対する一般の認識も飛躍的に高まった。現地には行かずに被災負傷者のための献血・義援金拠出・物資提供などの後方支援に携わった人々も含めると、その数はさらに大きかっただろう。このために、この年は日本における「ボランティア元年」とも言われる。後に、国は1月17日を「防災とボランティアの日」、17日を中心とした前後3日の計7日間を「防災とボランティア週間」と定めた。

ボランティアの活躍を見て、「日本人の底力」を感じたのは私だけではないだろう。

あれから16年、世界に例の無い早いスピードで復興を遂げたとはいうものの、まだまだその痕跡はあちらこちらに残っていると聞く。特に精神的なダメージを完全に払拭することは、強い人であっても不可能に近いだろう。昨夜のテレビでも、そのあたりを伝えようとしていた。

地震の被害から完全に免れるということは不可能かも知れないが、備えあれば被害を軽微にすることはできる。阪神・淡路大震災の教訓を風化させないように、次世代に語り継いでいかねばならない。
 

(平成23年1月18日)

 

酸ヶ湯で3メートル

 大阪や奈良では雪景色を見ることはできなかったが、日本海側各地では大雪のようである。屋根の雪下ろしなど大変な作業を余儀なくされ、特に若い人手のないお家では深刻な状況であろう。ちなみに、今日現在で最も積雪量の多い地点は、温泉で有名な青森県の酸ヶ湯で3メートルを超えているらしい。酸ヶ湯は八甲田山麓にあり、10年くらい前に八甲田大岳に登った際、千人風呂と呼ばれる大きな温泉に浸かったことを憶えている。なお、酸ヶ湯では平成17年3月、5メートルの積雪を記録している。
午前中、時折しか日差しも無く、校長室もいつもより室温が2〜3度低い。

月曜日などの休み明け、朝校長室に入っていの一番に目をやるのは、鉢物の植物である。弱っていないだろうかと気になるのだ。水遣りには細心の注意を払っているので、生き生きとしている。一昨年、何年も花をつけなかったエンジェルベイビー(デンドロビューム)が12月からいくつも花をつけ喜んだのだが、今シーズンは今のところ咲く気配が無く、寂しい気がしている。特に水遣りなど、手入れを変えたわけではないのに・・・・・・。
遅くなってもよいから、一つ二つでも花芽をつけてくれないかと気を揉んでいる。

  本校生のインフルエンザ感染者は、12時現在、3名である。
 

(平成23年1月17日)

 

今冬一番の冷え込み

 この三年間、一貫して「休まず、遅れず登校させる」を学校教育目標の第一としてきた。欠席数は減ったが、生徒の遅刻が相変わらず多い。在籍数などさまざまな条件を考慮しての遅刻率は、昨年と比較して改善できていない。遅刻についても、家庭の協力無しでの改善はあり得ない。残り少なくなったが、家庭との連携をさらに強化して改善に努めたい。

今日は、各地で今冬最も冷え込んだ日となった。私の住んでいる所でも最高気温が1度と、とても寒い一日となった。テレビニュースによれば、国内における観測箇所の90%以上で最低気温が氷点下であったとのこと。睡蓮鉢に張った氷が、終日溶けなかった。朝一番に、今年初めてとなる献血のため県の血液センターを訪ねたが、私の車のセンサーでは八時半前後の外気温が氷点下2度であった。日本海側では各地で大雪、明日にかけてさらに積雪があるとの予報。もしかしたら、明朝は奈良でも雪景色が見られるのかも知れない。

  本日、全国都道府県対抗女子駅伝が京都で開かれた。レースの方は、京都が序盤の遅れを挽回し2年振り13回目の優勝を飾った。大阪は10位、愛媛は26位だった。京都でも早朝積雪があり、大会関係者はコース整備などで大変なご苦労があったことだろう。男子の方は、来週広島での開催だ。駅伝やマラソンレースのテレビ観戦は、私の大きな楽しみである。
 

(平成23年1月16日)

 

38年を振り返れば

 今日は特に予定もなく、終日、家でゆっくりした。

教師になって38年。これまで、直接授業を担当しなかった生徒を含め、赴任した五つの学校でおよそ1万1千名を超える生徒と出会った。一緒に勤務させていただいた教職員の数も、細かく数えたことはないが恐らく千人を超えるだろう。このような出会いの多さは、他の職業では到底経験することのできぬことである。

振り返れば、当然だが専門の「体育」や「保健」の授業はもちろんのこと、生徒たちの指導全般において全力で取り組んだとの自負はある。が、一方で係わった生徒たちに果たして十分なことができたのであろうかの思いも強い。若かりしころは情熱に任せての暴走もあり、周りの先輩方や同僚にご心配やご迷惑をお掛けしたことも多くあった。さまざまな面で、至らぬ点が多々あったことは否めぬ。ベテランと言われるような年齢になってからも、失敗の連続であった。悔いの残らぬようにやるべきことはやったと胸を張ることのできる人もおられるだろうが、残念ながら私はそうではない。反省すべきことは、数多くあるように思う。それは何だと問われても、すぐに挙げることができないことも事実だが。そのような中、健康には恵まれ、勤務に大きく穴を空けるようなことは無かったことがせめてもの救いである。

これまで出会った教え子たちから、多くのことを学ばせて貰った。ありがたく思っている。勤務した五つの学校で指導を仰ぎ、また切磋琢磨した先輩や同僚、並びに後輩の皆さんにも感謝申し上げたい。学校は違ったが縁あって一緒に仕事をさせていただいたみなさんにも、同様の気持ちである。

私に好きな道を歩ませてくれた父が生きていたら(23年前に没)、今の自分に対してどのような声をかけてくれるだろうかと思う。そのようなことを考えてしまうというのも、歳を重ねたからであろう。
 

(平成23年1月15日)

 

季節は着実に

 寒い日が続いているが、そのような中でも玄関脇の白梅が寒さに負けず蕾を徐々に膨らませている。あと3週間で咲き始めるだろう。去年も卒業式当日、馥郁たる香を放ってくれた。写真は、本日10時ごろ撮ったものだ。
もう一つの写真はスイセンだが、今回植えたものではなく、以前から校庭に植わっているものだ。こちらも今日撮影したものである。

もうすぐ大寒(1月20日)。厳寒の中でも、季節は着実に歩んでいる。
 

(平成23年1月14日)

 

最後を飾る授業を担う

 スイセンの花芽が目立ってきた。毎日のように観察しているが、実に可愛い。撫でてやりたい気持ちだ。今日は校務員が、寒い中、液肥を与えてくれた。植えつけた頃は、あまり早く咲き始めると困るなと思ったものだが、今は果たしてきちんと咲くのだろうかと・・・・・・、また2月26日の式当日、美しく咲き揃ってくれるのだろうかと心配している。チューリップのときも、ミニヒマワリのときも同様であった。

26日から最後のテストに入るため、授業は本日を入れて9日となった。教科・科目によっては、あと2時間、1時間というところもある。
本校の教諭で定年退職という方は、今年度はいない。4月からは全員が異動し他校で教鞭をとることになる。これからも教師生活は続くというものの閉校という特殊な状況があり、それぞれに深い感慨があることだろう。
生徒諸君も残り少ない授業を集中して受けると共に、本校教員も西浦高校33年の最後を飾る授業を担っていることをしっかりと自覚し、悔いの残らぬ最高の授業を展開していただきたい。
 

(平成23年1月13日)

 

卒業式・閉校式への出欠回答

 朝の気温が昨日と比べ5度も高かった。夜中に雨が降った影響だろう湿度も適度に高く、呼吸が楽であった。
本校の校長室は南に面しており暖かい。今、午前11時だが、室温16度である。今冬は、今のところ暖房なしで過ごしている。寒いのも今月一杯だろう。

卒業式・閉校式への出欠回答をいただく期限が、明後日に迫っている。大勢の方に来ていただけそうで喜んでいる。ご回答未提出のみなさんには、よろしくお願いしたい。
 

(平成23年1月12日)

 

3学期始業式

 本日、8時55分から底冷えする体育館で、3学期の始業式を行った。私は覇気満堂、気合十分であったので大して寒いとは思わなかったが、生徒たちは寒かっただろう。
私の講話の後、生徒指導・進路指導・教務の三部長と学年主任から話があった。出席している生徒は元気そうだったが、欠席者が若干多いように見えたのが気になった。インフルエンザの流行の兆しもあるようなので心配する。


始業式 講話

生徒諸君、おはよう。新年、おめでとう。
君らの元気な顔を見ることができ、とてもうれしく思う。休みの最後に三連休があり、いつもの冬休みより3日も休みが多かった。ゆっくりできたのではないだろうか。

  さて、いよいよ君らにとっても、西浦高校にとっても最終となる学期が始まった。この26日からは、最後のテストが始まる。高校生活も、本当にあとわずかとなってきたのだ。「悔いの残らぬように、とにかく全力を尽くしなさい」と言い続けてきたが、ゴールは間近に迫ってきた。卒業に向けて、最後の力を振り絞って欲しい。
冬休みに入ってから昨日にかけて、駅伝、ラグビー、バスケットボール、バレーボール、サッカーなど、さまざまな種目の全国大会が開かれた。それぞれに、見ている人に、応援する人に感動を与えたわけだが、何に胸を打たれるのかというと、一生懸命に必死で取り組む姿が感動を生むのである。全力を出し切ろうとする姿に感動するのである。
勝ち負けを度外視して、がんばる姿が感動を呼ぶのである。

  「立つ鳥跡を濁さず」という言葉がある。これは、何でも最後をぴしっときめて終わることが大事であるという意味だ。これまで歩んできた道のりの中には、もしかしたら全力を出し切れなかったことがあったのかも・・・・・・。でも終わってしまったことは仕方がない。反省しつつもそれは傍らに置き、これまで力を出し惜しみしたかなという人も今日からはそれぞれが持っている力を出し切って、全力で取り組んで欲しい。力を出し尽くして欲しい。そのような中で、必ず道は拓けると思う。
そのようになれば、高校生活はよい思い出となっていつまでも残るであろう。
有終の美を飾って欲しい。
 

(平成23年1月11日)

 

明日は3学期の始業式

 最低気温はそれほど低くなかったが、最高気温が4度しか上がらない寒い一日であった。そのような中、時折、日が射したので合間を縫って庭に撒き水をした。スイセンも日に日に草丈が伸びてきた。

最近、どこへ行っても、どなたにお会いしても、「あとわずかですね」「いよいよですね」と声をかけていただく。気に掛けていただき、幸せである。ありがたいことである。

明日は、いよいよ3学期の始業式である。私が全校生徒を前に話しができる機会は、残りわずかとなった。
大事にしなければならない。
 

(平成23年1月10日)

 

異業種の人たちとの勉強会

 月1回開かれる、古典に係わっての勉強会に出席した。家から遠い所での開催なのだが、有意義な勉強会なので余程のことが無い限り出席する。例会には30名くらいが参加し、15分程度の休憩をはさんで会主宰者から3時間の講義・講話がある。ときには、外部講師をお招きしての講義やフィールドワークも実施される。
異業種の人たちの集まりで会員の平均年齢は60歳を上回っているが、みなさん若々しく好奇心や向学心が旺盛である。書道の大家や実業界で功成り名を遂げた方など多士済々だが、偉そうな素振りをされる方は皆無、至って謙虚である。30代、40代の方もおられるが、会員に共通しているのは、「仁・義・孝・忠・恕の欠如など心の教育の荒廃への憂い」であろう。今の世の中を何とかしなければの、共通の思いがある。

例会終了後は懇親会がもたれる。今夜も肩書きや年齢を離れ、ざっくばらんの楽しいひとときを過ごした。

今日で、「校長室から」への寄稿が200日連続(今年度通算270回)となった。
 

(平成23年1月9日)

 

大いに反省

 昨夜の予報でも今朝は今冬一番の冷え込みと聞いていたが、そのとおりとなった。最低気温は氷点下4度だった。庭の睡蓮鉢には氷が張り、樹木にも霜が。

昨日の職員会議において、カミナリを落とした。服務に係わって、ある職員の認識の甘さに感情を抑えきれなかった。「瞬間湯沸かし器」と言われてはいるが、会議の席では初めてのことだ。
服務規律に関しては、本校職員に対し日ごろからその厳正を口酸っぱく求めている。校長として当然の事である。会議の席で、あるベテラン教員が考えられないような質問をしてきた。あまりの常識の無さに堪忍袋の緒が切れた。その職員に対しては、質問してきた内容について会議の1時間ほど前に一対一で、やさしく噛んで含めるように諭したところだった。
内容詳細についてここでは触れないが、「学校の常識は、社会の非常識」と言われても返す言葉が見つからないような低レベルのものだ。西浦に着任して2年9ヶ月、保護者や地域のみなさんからの信頼回復に努め、少しはよい流れになってきたと喜んでいる矢先の残念な事象である。

振り返れば、そのような職員が存在していたということ自体、私の校長としての指導力の無さを露呈したということだろう。
大いに反省し、さらに気を引き締めて臨まなければならない。
 

(平成23年1月8日)

 

「百薬の長」

 今日は職員会議もあるので朝から職員が揃った。本格的なスタートである。調子を崩している職員はいないようで安心した。天気も上々、何となく気合が入る。ただ明日から三連休をはさんで11日の火曜日に始業式と、今年は変則である。いいのか悪いのか・・・・・・。

若いときは暮れから三が日にかけては飲み過ぎ、食べ過ぎで胃の調子を崩すことが多かった。いくら若いと言っても、四日も五日も大酒が続くと胃も肝臓も悲鳴をあげてしまう。今は自然に自制できる。とは言っても、たまには飲み過ぎてしまうこともあるが、次の日は押さえるといった調子で連続することは稀である。
健康管理には留意しつつ「百薬の長」と上手に付き合っていきたいものだ。

始業式で全校生徒に会えるのが楽しみである。
 

(平成23年1月7日)

 

隻腕での大キレット

 前にもこの欄で触れたことがあるような気もするが、44歳の夏、穂高連峰の大キレット(北穂高岳から南岳にかけての危険度の高い崖)を初めて越えた。私は南岳側から進んだのだが、そのとき北穂方向から30歳半ばくらいに見えた隻腕の登山者とすれ違った。滑落すれば千メートルも落ちてしまうような、五体満足で元気な者であっても尻込みするほどの危険な箇所を、片腕しかない登山者がチャレンジするのを目の当たりにしたのだ。家に戻ってからも死亡事故などのニュースは聞かなかったので、無事クリアーされたと思われる。これは、けっして作り話ではない。
  驚くと同時に、可能性の無限であることを改めて思い知った。
 
  膝の調子が思わしくない。腰も然り。平地でもまともに歩けていない現状を見て、家人や近親者は「もう高山は無理だね。信貴山くらいが関の山だね」と言われる(心配しているのだろうが)。退職1年目の正月(平成24年1月)、取り敢えずの目標としている南米大陸最高峰アコングァ(6,962m・アルゼンチン)に挑む件だが、けっしてあきらめない。松葉杖を突いてでも登頂するという気持ちでいる。
 
  『為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』
  上杉鷹山(うえすぎ ようざん) 米沢藩(山形県)藩主
 
  一生懸命に努力してもできないこともある。でも、『為せば成る』の精神でやってみることが大切なのではないか。失敗は「いい経験」として次に生かすことかできる。
  失敗は成功の基だ。救いようの無い失敗は、何もしないことである。
 

(平成23年1月6日)

 

健康と体力

 昨日午後、後輩教諭(他校に勤務)が休暇をとってわざわざ訪ねて来てくれた。彼は、つい先日も近畿の教科研究会で発表した。日ごろから体をはっての生徒指導など、さまざまな場面で活躍している。30分足らずの短い時間であったが、全身に気迫が漲り会話の節々にがんばっている様子が窺えた。退職前の老兵に、活を入れに来てくれたのだろう。大いに刺激を受け、元気を貰えた。
  管理職には縁のないところを歩んでいる彼だが、こういった教師が大阪の教育を、ひいては日本の教育を支えているのだと思う。
 
   歳をとっても、強い向学心や探究心を持ち続けることが大事であることは論を俟たない。私の周りにも、好奇心旺盛に文化的研究やスポーツ活動など、さまざまな分野で熱心に取り組んでいる先輩方がたくさん居られる。一方で、若いころは威勢のよかった方が、年老いて気力の面で衰えの目立つことも少なくない。
  気迫や意欲の源になるのが、健康と体力であることも論を俟たない。
 
 

(平成23年1月5日)

 

仕事始め

 仕事始めだ。
  通勤する人はまだ少なく、電車は閑散としていた。8時05分に学校に着いた。
 
  着替えてすぐに、一週間ぶりの校庭をひと回りした。特に異状は見られず、またこれまでのところ、生徒のケガなどの報告も無い。前庭のスイセンは草丈が2〜3センチ伸びたように見え生き生きと成育している。花芽もいくつか見え始めた。下旬から咲き始めるだろう。校長室の鉢植えも元気だった。
 
  出勤している職員と新年の挨拶を交わしたが、今日は年休を取っている職員も多く校内は閑散としている。
 
  7日に運営委員会、職員会議を開く。始業式は三連休のため11日である。
 

(平成23年1月4日)

 

早稲田の総合優勝

 山陰などでは、大雪のためさまざまな被害が出ているが、近畿は穏やかな天候が続いている。ありがたいことだ。

  箱根駅伝は早稲田大が6区の山下りで逆転し、小差で逃げ切った。大会新記録で18年ぶり13度目の総合優勝に輝いた。早稲田大は10月の出雲・11月の全日本大学と合わせ、今年度の大学駅伝三冠となった。他の大学も含め今回目立ったのは、4年生の活躍である。下級生のときは芽が出ずとも、コツコツと辛抱強く努力を積み重ねる中で、メンバーに選ばれ結果を出す選手には思わず目頭が熱くなる。私自身もそうであったので、思わず拍手を送りたくなる。
  今年の三が日も、例年の如く駅伝の観戦三昧となった。

  午後から、家族三人で住んでいる地域の氏神様である「春日神社」に初詣した。

  明日は、「仕事始め」である。前庭のスイセンや校長室の鉢植え植物に会えるのが楽しみだ。

(平成23年1月3日)

 

東洋大が往路優勝

 元日よりも、さらによい天気であった。眩しいほどの強い日差しであった。

  8時15分に箱根駅伝の往路がスタート、炬燵で観戦三昧。柏原選手の箱根の山登りにおける三年連続の大活躍もあって、総合三連覇を狙う東洋大が往路優勝を飾った。贔屓の早稲田大は、27秒差の2位。上々の出来である。早稲田の総合優勝は、私の見るところまず間違いないであろう。

  午後からは、我が家から500メートルくらいの所にある妻の実家にきょうだい四家族(妻は四姉妹)が揃い、亡き両親を偲びながら会食。
  7時半ごろ戻り、年賀状書きをした。

(平成23年1月2日)

 

平成23年元日

 平成23年が明けた。
  厚い雲に覆われ、初日の出は拝めなかった。9時半ごろから時折り覗かせ、昼前ごろからは暖かい日が射した。例年どおり、ニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)のテレビ観戦で私の正月がスタートし、11時ごろから家族三人で年明けを祝った。

  奈良は天候に恵まれ、静かで穏やかな元日となった。閉校まで3ケ月、さらに気を引き締めて臨みたい。

  夕方から大阪市内の姉の家を訪ね、姉の家族6人と会食。11時ごろ帰宅した。

(平成23年1月1日)