今回のアセンブリでは、
「何のための国語教育か」ということをあえて問題提起したわけですが、
もちろんこれは、
それは何のためにやっているのか!
とか、
どんな力がついたというのか!
といった詰問する問いではありません。
むしろ逆に、
教室を構成する私たちを解放することを目指したものでした。
問いは、
「国語を学ぶよろこびとは何か」
と置き換えてもよかったのです。
または、
「よろこびのある国語教室とはどのようなものか」でも。
糸井重里さんの本を読んでいたら、
おもしろく、
なるほど、と思う、ものの見方が紹介されていました。
つぎのようなものです。
ぼくらが使ってるモノサシがあります。
社内で秘密に使っているものでもあるのですが、
誰が使ってもいいや、と、ふと思えたので、
発表してしまいます。
「よろこんでもらう」を確かめるモノサシです。
_______________________
☆じぶんと仲間
☆取引先と関係者
☆お客さまとその周辺
☆社会と歴史
_______________________
それぞれの☆の横にある人たちが、
「よろこんでくれる」と思えたら、
☆を★に塗りつぶします。
★★★★ の仕事は、がんばってやるべきです。★★★☆ の場合は、まだ検討したいところです。
★☆★★ だと、長続きしないと思われます。
☆★★★ これは、うまくいきません。
‥‥というふうに使います。
いろんなことに、当てはめて使ってもらえたら、
これを発表したことが、ぼくらにとって★★★★です。
これは、
学校のこと、
そして、日々の教室にも当てはまると思いました。
☆じぶんと教師仲間
☆委員会とか管理的立場
☆生徒たちと保護者など
☆社会と歴史
このように、
総合的に考えることによって、
現実的で、
かつ、
本質的なよろこびが可能になるのではないでしょうか。
どれもが、
大事。
(五)