前身校の開校式に向けて


 明治45年4月1日、杉本美之助氏学校長を拝命し、6日、2年生の入学試験実施、受験者14名全員を合格とする。7日、職員会護を開き、生徒徽章、制服(袴の裾に自色のチップを一筋直線につける)を決めている。8日、入学式で新入生本科1年生62名を迎え、さきの2年生入学者14名、選科生27名の合言百03名となった。さらに、11日に元女子技芸学校生徒の編入試験を行ない、2年に45名、3年に61名を入学さぜるなど総勢226名となった。4月14日、職員生徒一同、富田林町開基証秀上人記念祭に参拝したりしている。また同日元女子技芸学校卒業生を招いて茶話会を開く。
 思うに、これは今でいう新入生歓迎行事で、特に開校発足記念、先輩Eとの交流、それに創設にあたって奔走してくれた、いわぱ産みの親ともいうべき地域社会の関係者への表敬などをも兼ねたものだろう。
 こうしていよいよ明治45年G912)4月29日、大阪府知事(代理)梶山延太郎事務官、大里猪熊・大阪府立富田林中学校長をはじめ、来賓120名余りを迎え、開校式が挙行され、「南河内郡立実科高等女学校」が正式に発足したのである。この日をもってわれわれは現在、本校の創立された日として平成4年(1992)4月29日を満80年目とするのである。もちろん、その後の「高等女学校」への改組や校名の変更などについてはあとで触れることとして現在われわれが毎年の「創立記念日」としている5月1日は、終戦後の学制改革によって富田林高校との職員生徒の交流を終えて新しく正式に発足した日であって、ここでいう前身校の開設をもって本校の創立とみなす立場とはその趣旨が異なっている。(下の写真左上が初代校長 杉本美之助 明治45年4月〜大正5年5月)

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目次

表紙

校歌

河南高校全景

学校方針・校旗・校章

沿革の概要

創立より大正末期まで

前身校開校の頃の学生生活

新校舎への移転

郡立女学校への改組

高等女学校の授業

校名三選の軌跡

河南高校「松原分校」のこと

80年の歩み<昭和初期から現代まで>
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