<80年の歩み4>

年 号

 

本校の沿箪・主な行事・動向

 

年 号
日本・世界の動向

 

S.21.2

「奉安殿・楠公霊殿」とりこわし

S.21.1.1

天皇の人間宣言

この年日本経済は最悪状態(ヤミとインフレが国民生活を覆う)

4.1

本年度は1年生を募集せず。併設中学校が設置され、2・3年生はその所属となる

S.22.3.31

教育基本法、学校教育法施行

4.29

開校35周年記念式を行なう

5.3

憲法の実施

S.23.4.1

学制改革により「大阪府立河南高等学校」に改称改組される(生徒数1,288名)

この頃連日合流のため、職員会議が開かれる

S.23.

占領政策の方向転換、東西対立、いわゆる「冷たい戦争」が表面化

4.23

富田林高校と生徒・職員交流のための抽選(職員、富田林高へ14名、富田林高より13名)

12.

極東軍事裁判、経済安定九原則

4.24

東・西高校合同職員会議

5.1

本年度より男女共学を実施。富田林高校と生徒・職員を交流し、新制高校として発足(富田林西高と改称)

この日を創立記念日とする

5.19

新制富田林町立中学校へ校舎を全面貸与し、本校は富田林高校と同居する

10.24

第1回体育祭

S.24.1.14

第1回文化祭

S.24.7.〜8.

下山、三鷹、松川事件

3.5

第1回卒業式

11.3

湯川博士、日本人初のノーベル賞受賞

3.19

富田林高等女学校台35回卒業式(女学校最後の卒業式)

S.25.

全面講和か単独講和かの論争

4.10

本年度より普通科課程、工業科課程を設置する

6.25

朝鮮戦争はじまる

6.

学校5日制を実施(大阪府では25年中頃には、公立高校でほぼ完全に周5日制実施。31年まで)

8.

レッドパージ(〜12.)

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目次

校歌

河南高校全景

学校方針・校旗・校章

沿革の概要

創立より大正末期まで

前身校の開校式に向けて

前身校開校の頃の学生生活

新校舎への移転

郡立女学校への改組

高等女学校の授業

校名三選の軌跡

河南高校「松原分校」のこと

80年の歩み<昭和初期から現代まで>
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