80年の歩み:新校舎への移転

(上の写真は大正3年3月27日 実科高等女学校第1回卒業式後の記念撮影写真)

新校舎への移転

 このようにして発足・開校した、前身校である「南河内郡立実科高等女学校」は、大正3年3月27日、第1回卒業証書授与式で本科生53名、選科修了生23名で合計76名の卒業生を世に送り出したのをはじめ、大正3年度第2回67名、4年度第3回68名、5年度第4回42名、6年度第5回71名で結局、実科高等女学校としては324名となった。
 ところで実科高等女学校設置の際に、以後2年間に新校舎建築の予定で元裁縫学校の校舎を仮校舎として使用してきたが、「民間経済の変動に伴い、暫く民力の休養を顧慮しそのまま数年を経過した。然るに、一面、生徒の数は年を追うて増加し、仮校舎もまた荒廃に傾き、殊に借家なるをもってその所有者においても建築物の処分を急ぎ、久しくはこれを使用し得ざる状況」(『大阪府南河内郡立河南高等女学校新築記念誌」)から、大正5年2月25日の通常郡会で2カ年間の継続事業として校舎の移転建築が決議され、その予算総額1万5千円であった。  
 同年7月5日第1期工事起工式。同年12月4日から新校舎での投業を始めている。場所は現富囲林市立第一中学校の戸井在地である。
 第1期工事の竣工は12月8日となっているが、その後、第2期工事をはじめ、表門、庭園など、その他、付属建築物全部が完成したのは大正8年8月のことで総額4万3千円弱であった。大正6年11月末日に電話を架設したことが仰々しく記録されているのもおもしろい。
大正4年11月21日、同窓会発会式が行われ、翌々6年1月6日に第1回同窓会総会が開かれた。

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目次

表紙

校歌

河南高校全景

学校方針・校旗・校章

沿革の概要

創立より大正末期まで

前身校の開校式に向けて

前身校開校の頃の学生生活

郡立女学校への改組

高等女学校の授業

校名三選の軌跡

河南高校「松原分校」のこと

80年の歩み<昭和初期から現代まで>
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