石巻駅で震災ボランティアの方がバスに搭乗されました。バスは石巻の街を巡りながら、語り部の方の話を聞きました。 バスの中は、先程までのおしゃべりも止み、語り部の方の話に耳を傾けます。
いくら地震や津波のニュースや映像をテレビの画面を通して見ていても、やはり現地に足を運ばなければ分からないことがたくさんあります。市内を流れる旧北上川。その河口付近をまたぐ大きな橋がありました。3.11当日、避難をするために車で移動中、その橋の上で津波に遭遇した人たちは、命を救われたと聞きました。だけど、二日間救助が来るまで橋の上で過ごしたということです。津波で流された人達が、助けを求めるのが橋の上から見えたと言います。でも、どうしようもできなかった。その悔しさを聞きました。あまりの悲惨な状況に、少し心を病んでしまった人もいたと聞きました。
また、津波は海水だけでなく、海底のヘドロまで運んできます。そのヘドロには、重金属も含まれており、せっかく津波から命を守ったのに、津波が運んだヘドロの毒で命を落とした人が少なからずいたことも聞きました。
石巻市で甚大な被害にあった地区でバスを降りました。周りは何もありません。ですが、震災前の写真を見せてもらうと、そこには沢山の家が建っていました。草の陰には、家が建っていた土台の跡が今も残っています。
震災資料館で、映像を観ました。「がんばろう石巻」「復興するぞ」という力強い大きく書かれたスローガン。それを地元の人たちや中学生が描いている映像を観て、目頭があつくなりました。僕の周りで映像を観ていた生徒たちも、同じ思いだったとおもいます。鼻をすする音があちこちから聞こえてきました。
街の多くに「ここまで津波がきましたきました」という表示があります。避難ビルの表示がいくつもあります。やはり、大阪とは違います。ここで震災学習をできたことは、私達にとって本当に貴重な体験でした。私たちも、阪神淡路大震災を経験しました。だけど、どこかで「過去のこと」のことになっていないか、改めて考えなければならないことだと思います。









