1月24日の2年生の総合的な学習の時間で、過労死問題を学びました。過労死の問題に関わる弁護士さん、そして実際に家族を過労死の問題で亡くされた遺族の方の話を聞きました。私は、どうしても抜けられない所用があったため、この話を聞くことができず、とても残念な思いです。あとで、先生方に話を聞くと、「とても生徒たちは真剣に聞いていた」という報告を受けて、生徒達もこの問題について、大いに学んだのではないかと思います。
さて、ここで「なぜ遺族の方が、家族を亡くしたつらい思いを語るのか?」ということについて話をしたいと思います。「過労死で家族を亡くした」という報道を、よくマスコミで知ることがあります。突然訪れる「家族の死」は突然訪れるという場合が多いように思います。家族にとっては、突然訪れた家族の死に、ただひたすら驚愕するしかなすすべがないのではないのでしょうか?家族の死を知らされた遺族の方の気持ちというのは、どういうものでしょう?最初は、ただひたすら悲しみに包まれているのです。目の前の最愛の家族を失った気持ちは「悲しみ」という言葉が当てはまらないほどの喪失感なのです。
次に訪れる感情は、おそらく理解できないかもしれないでしょうが、亡くなった家族への「怒り」なのです。それは、「なぜ相談してくれなかったのか?」「死が訪れるまでに何かすることができなかったのか?」「心のどこかに、弱さはなかったのか?」「なぜ、前を向いて生きようとしてしてくれなかったのか?」という亡くなった家族への理不尽とも言えるような「怒り」が沸いてくるのです。おそらく、実際に家族を突然亡くした人でないとこの気持ちはわかりません。
そして、それを通り過ぎると、後に残る感情は「虚無」です。最愛の家族底を失った喪失感は、とてつもなく大きく、真っ黒で、光が届かない、深い、どこまで行っても底が見えないのです。そんな「虚無」が訪れます。この遺族に訪れる虚無を乗り越えようと思ったとき、そして遺族が前を向いて生きようと思ったときにできること。それは、亡くなった家族の「生き様」をこの世に残すことだと思います。自分の家族が「どのようにして死を迎えたか?」というより「どのような生き様をしていたか?」を語る事で、それを多くの人たちに聞いてもらい、理解してもらい、同じようなことが起こらないように世の中の役に立ちたいと、前を向いたときにはじめて、家族の心を引きずり込む「虚無」から抜け出すことができるのはないでしょうか。おそらく、今回語っていただいた遺族の方には、そんな思いがあったのではないかと思います。そうは言っても、亡くなった家族への思いを言葉にすることは簡単ではありません。自分の感情を言葉にするのは、とても難しいのです。おそらく、どんな言葉を当てはめても心の中にある感情を100%表現できないのではないでしょうか・・・。そんな思いが詰まった言葉として、今回の遺族の方の話を、生徒達には受け留めて欲しいと思います。
私も遺族の方の話を聞きたかった。そして、できるならば、一緒に話をしたかった。そんな思いです・・・。