55歳のイタリア留学


大阪府立今宮高等学校 英語、イタリア語教諭  中川信雄

 

 今宮高校の学校設定科目である「イタリア語文化研究」を2002年に担当開始以来、実際にイタリアで暮らして学ぶ必要性を感じたので55歳にしてイタリア留学を決意しました。幸い、56歳まで大阪府の教員に長期研修制度があることを知り、2008年4月より2009年3月まで、イタリアの国立Firenze大学文化センターに留学して春夏秋冬の1年間の4課程を修了しました。このBlog開設を機に、3年前の経験を思い出しながら拙い文章を綴ります。

 

1.   イタリアの下宿生活 (家賃850 Euro→800 Euro→380 Euro)

 ルネサンス芸術の発祥地、「花の都」、Firenze市内で3軒の家に下宿しました。一軒目は2食付きで、家主の母親と高校生の娘、下宿人のメキシコ人女子学生が住む下宿でした。しかしあまりに不潔で家賃が850 Euroもしたので、すぐに下宿を替えました。2軒目は美しい家で2食付きでしたが、こんどは過度に清潔好きの女性家主で電子レンジ以外使うことができず、家賃800 Euroでも好きな物が食べられず体重が5kgも減ったので、学校の教務主任の女性の下宿に移り後半の6ヶ月を過ごしました。この3軒目の下宿はとても古い屋敷で色々と不便ではありましたが、380 Euroと安くて生活に必要なものはすべて利用することができ、学校から徒歩20分、台所浴室トイレ共用の下宿で3食自炊をしました。家主がとても良い方で、学校でも下宿でも大変お世話になり、いい思い出ができました。

下宿の写真    表示  

2.  研修内容

 イタリア語の実習授業とイタリア文化の講義を午前8時45分から午後1時まで受講し、昼休みをはさんで午後3時から5時まではFirenze市内の美術館や博物館での校外実習に参加しました。さらに、土日に行われるバス旅行にも参加し、Firenze近郊の名所、遺跡を訪問しました。

 

3.  イタリア語の能力別クラスと成績 

 授業最初日に行われるテストの成績によってクラス分けが行われ、春夏秋の課程では中級のクラスで学習し、最後の冬季課程では上級クラスで学習しました。イタリア語の期末テストは、

  聴き取りを含む筆記テスト (上級では、初見の3つの題目から1つ選び、2時間以内に辞書なしでイタリア語の小論文を書きました。)

  スピーチや面接による口頭のテスト

を受験し、イタリア語の成績は30点満点で、私の成績は春季は29点、夏季は30点、秋季は30点、冬季は28点でした。

最初のクラスの写真表示 

4. イタリア語上級クラス(20)の授業の内容

 授業はとても速くて、容赦がありませんでした。イタリア人の書いた評論、新聞記事を使い、時事問題についての文章を読んだり、グループ討論や全体発表などを他の国から来た留学生達とイタリア語で行い、宿題はあるテーマについての300語以上の作文や、周りのイタリア人に自分たちで考えた質問による意識調査などが課されました。

 

5. 校外学習訪問場所

 学校の見学旅行や個人的旅行でイタリア各地、多くの場所を訪問しました。イタリアだけにとどまらず、フランス、スイス、英国、スペイン、ギリシャ、ポルトガルに足を伸ばし、訪問地総数は290カ所、そのうち4割の116カ所が世界遺産でした。

 (1) 教会建築については、ビザンチン ( Ravenna ) 、ロマネスク ( AssisiFirenze )、ゴシック ( Milano, Orvieto, Siena, Paris )、ルネサンス( Firenze )、バロック( Roma ) の各建築様式の違いを実際に見ることができました。Ravenna Sicilia の教会や霊廟では多くのモザイク絵画を見ました。Duomo 正面の彫刻が最も素晴らしかったのは Orvieto Duomo です。

  近代建築としては、スペインの Barcellona Gaudi Domenech の作品を多く見ました。

 イタリアの訪問地 表示  OrvietoのDuomo 表示    SienaのDuomo 表示    FirenzeのDuomo 表示

(2) 文明遺跡については、地元のToscana地方諸都市に多く残るローマ時代以前のエトルリア文明の美術作品や遺物を見ることができました。さらにギリシャ、アテネのAcropolisを始め、

SiciliaAgrigentoの古代ギリシャ神殿、RomaからPompei、英国まで広がる古代ローマ遺跡を見ることができました。

 エトルリア時代の像表示    Agrigentoのギリシャ神殿 表示

(3) Firenzeではルネッサンスを支えたMedici家のために働いた多くの芸術家達の有名な絵画や彫刻を見ました。

 Uffizi美術館、10年かけた修復前後のRaffaello「鶸の聖母」 表示

(4) エトルリア文明から現代に至るまで、イタリア文化の繁栄を支えたのは、ブドウとオリーブと豚を代表とする、豊かな大地から生まれる豊かな食材であることを実体験しました。

 

(5) イタリア語の授業で学んだことは、イタリアの方言はあまりに異なりすぎて、ナポリ方言も難しく、ジェノバの方言はFirenzeの人には全く理解出来ないことがわかりました。文学の講義では、DantePetrarcaBocaccioが使ったToscanaの方言が、イタリア統一運動の仕上げとしての共通語となったことを学びました。

 

(6) 英語の教師としては、英国のLondon, Oxford, さらにShakespeareの生地Stratford-upon-Avonを訪れ、授業で使える映像と資料を得ることができました。

 

6. 20083月から20093月までに撮影した写真とビデオ

写真は5680枚、ビデオは29時間撮影し、帰国後授業で使えるようにCDDVDにまとめました。

 

7. 集めたCanzone(イタリアの歌)Operaや民謡も含め、478曲になります。

 

8. 学んだイタリア語単語数は11,246語でした。2008年3月〜20093月に電子辞書で調べたイタリア語の単語は、どんなに眠くても毎晩 Excelに記録していきました。どんな場面で誰がその語を使ったのかも例文に添えました。

   ★酷使した電子辞書は指の当たる所が剥げている 表示  毎日記録したイタリア語単語帳は1年間で11246語 表示

 

9. 異文化体験

イタリアには日本にない不可解なシステムが多いので不便なことも多く、日本の素晴らしさを再認識しました。一方、イタリア人は昔ながらの食文化や、芸術の伝統を守る良い点もあります。

 

(1) 日本人と比べ、イタリア人には消費者のための工夫とサービス精神が欠けているように思われます。技術者は無駄な空間だらけの構造のバスや、おつりを返さない自販機や、切り口のないビニール袋入り製品を製造する。バスの運転手は停留所の案内はしないし、客がいても乱暴にドアを閉め、急発進、急停車を繰り返します。列車はどのホームから発車するか5分前までわからないし、車両の掃除なんかしません。スーパーの店員はおしゃべりを続けて客を待たすし、郵便局の職員もぐずぐずと仕事をして、釣り銭を間違えます。1〜2ヶ月毎に公共交通機関のストライキが行われ、1時間かけて学校から歩いて帰ったこともありました。

 

(2) イタリアの芸術や食文化の伝統を守る精神はすばらしいです。余計なことを考えない代わりにデザイン、色の美しさを追及するし、塩だけを使った豚肉ハム、サラミソーセージ、ワイン、オリーブ、野菜の美味しさを守ります。

 

(3) イタリア人は、すべてにおいてぐずぐず、のろのろな生活ぶりですが、それがslow food運動や、Cittaslow運動などの環境を守る運動につながっているのだと感じました。

 

(4) 日本の技術力の高さ、細かい所まで工夫された生活道具や製品はすばらしいと再認識しました。