教諭からの寄稿

Contributions from teachers

18期生いまむかし

18期教諭 大久保 彰

 世間の仕事にアフターサービスは付き物です。ですが、学校や教員にその機能はありません。物ではなくて人なのですから、「あとは自分でしっかり」と送り出すのは当たり前のこと。卒業後にどうしているかなと心配することもありますが、そんな気持ちはすぐに打ち消します。自分の人生を切り拓くたくましさは備わったはず、周囲の幸福や世界の平和を望む優しさや知性も育ったはず、とポジティブに考えます。そうするしかないからです。
 それでも細いパイプがつながることはあり、アフターサービスは無理でも、最近の様子くらいはわかります。そんなパイプを通じて、今回ささやかなアンケートをとってみました。寄せてくれた回答を参考にしながら、いまこの文章を書いています。
 中学生で「9.11」と遭遇した世代の18期生は、高校に入っても世界を意識せざるを得ませんでした。米英のイラク攻撃、スマトラ沖大地震と津波、拉致被害者の帰還、荒川静香さんの金メダル、自衛隊のイラク派遣、鳥インフルエンザの流行・・・日本で暮らすことは地球で暮らすことと同じである、という真理を体感した学年かもしれません。それが遠因でしょうか、国境の壁を軽々と飛び越えた卒業生がたくさんいます。留学、結婚、就職など理由は様々ですが、卒業後海外に深い縁ができたのです。たとえば高校時代に英語に苦労していたAさんは、いまは英語が堪能になり、東南アジアで日本語教師をしています。
 卒業後9年経ったいま、高校時代で一番記憶に残っていることはなんでしょうと尋ねてみました。なんと全員が文化祭と答えました。7月頃から準備を始め、8月下旬に学校が始まると各クラスで一斉に練習が。演劇を選んだクラスでも、全員で盛り上がれるダンスが不可欠。一週間前ともなると、教室や廊下はダンスの練習でごったがえします。体育祭も同じ。他人との交流が苦手なBさんを誘って早朝練習を重ねた或るクラスは、20人21脚で優勝しました。自分の意志で懸命にとりくんだからこそ思い出に刻みこまれます。18期生にとって、行事こそが学校生活の華だったのです。
 行事の主体が女子であることは日根野高校の大きな特徴ですが、18期生も同様でした。たとえ主役を男子に譲っても実行部隊は女子。リーダーも女子。練習中は指示も歓声も女声ばかり。男子にはかわいそうですが、日根野高校は女子校なのです。ですから、自分に恋の花が咲かなかった原因はこの女子過剰にあった、というCさんの回答には思わず肯いてしまいました。
 書きたいことはたくさんあります。北海道の夜の散歩の星々のきらめき、部活動の歓声、卒業後に公務員になった人が多いこと、ガングロにして登校し、見て見てとばかりに真っ先に職員室に顔を見せたDさん、人権映画「パッチギ!」や「アタック・ナンバーハーフ」の生き生きとした感想文、ファイヤストームのフォークダンスの最後にみんなありがとう!と叫んだ生徒会長・・キリがありません。でも紙面が尽きようとしています。
最後に、一番印象に残った取組みを書いて結びとします。それは遠足の行先を生徒が決めた体育館の光景。用意された複数のメニューの内、行きたいものを選んで各自がフロアを移動したのです。いちご狩りに行きたい人はあちらの隅へ。バーベキューしたい人はこっちへ・・・何度も集散を繰り返し、人数の少ない案が一つずつ消えていきます。いちご狩り実現に必死だったEくんの顔が今も脳裏によみがえります。結果は無難にUSJに決まったのですが、担任と生徒が一緒に笑い転げながら自分たちの学校生活を選びとる姿がそこにありました。かっこいいと思いましたよ、私は。みんなこれからも頑張って。