日本の異常な状況ー参院選公示に際して思うこと

 いよいよ明日、第24回参議院選挙の公示があります。投票日は7月10日です。テレビ、新聞、週刊誌など、マスコミでも大きく選挙が取り上げられるようになってきました。争点はいろいろあります。社会保障や景気、消費税問題に安保法制など、いろいろ取り上げられていますが、一番の話題は、18歳での選挙権が認めれられたことですね。このことをめぐって、全国で様々な取り組みが行われています。その主要なテーマは、「若者に選挙に関心を持ってもらおう、政治に関心をもってもらおう」というものです。全国的には主権者教育、大阪では「政治的教養を育む教育」という名称で呼ばれている取り組みです。このような取り組みが全国で行われていることに異議を唱えたり、反対を表明するというような意図は一切ありません。が、このような状況に、今の日本の異常さを感じるのは、私だけでしょうか?少し私の思いを述べてみたいと思います。

 選挙権とは、政治に参加するための権利の一つであり、歴史的にみれば、人類の基本的人権の一つとして闘いとられてきた権利の一つです。まずは、選挙自体がなかった時代から、選挙を実施することへ、そして国民の一部の者から徐々に普通選挙へ選挙権は拡大されてきたのです。こう書いてしまうと社会の教科書のようになってしまいますが、そのような基本的人権を獲得する闘いの歴史に参加してきた人たちにとっては、「選挙権とは、政治に参加したくてしたくてたまらないなかでようやく手にした権利」なのですから、選挙に行かないなんていうことは、あり得なかったのです。選挙をボイコットすることは、それはそれで政治的メッセージとして意味があるわけで、今の日本のように「関心がないから行かない」ということとはわけが違います。だから、選挙に興味をもってもらおうと躍起になっている今の日本の状況は、世界的にみても、世界史的に見ても「異常な状態」に見えてしまうのです。欧米の若者のみならず、世界の若者は10代のころからもっと政治に対して自分の意見を持っているし、自分の意見を表明し、行動しています。
 
 なぜ、このような状況になってしまったのでしょうか?私は、二つの原因があると思います。一つは、教育基本法で政治教育の必要性を謳いながら、実際には何も行ってこなかった教育の問題です。1968年から69年に起こった大学紛争は、その後高校へも飛び火し、多くの学校で学園紛争となりました。このことを経験した政府-文部省は、政治教育に「及び腰」なってしまったのではないでしょうか。18歳からの選挙権に関して、昨年度あたりから高校生の政治に関するかかわり方を見直した文科省は様々な通知を出しましたが、その通知を報じたマスコミは「大学紛争以来の見直し」と枕詞を付けたのです。如何に政治教育に消極的だったかわかります。

 二つ目は、日本の政治状況です。欧米諸国では、二大政党制であろうと少数連立政党制であろうと、政権の交代というものが頻繁に起こります。日本人の感覚では、ぴんと来ないかもしれませんが、これは「自分の投票行動によって、国の政治が変わるんだ!」ということが実感できるということです。こういう経験を何度も何度も繰り返ししているわけですし、親も祖父母も同じような経験をしています。歴史があるのです。ところが、日本では戦後自民党の長期政権が続きました。21世紀に入ってやっと政権交代が起こりましたが、今回の各党の支持率を見てみると、政権交代が起こるまでに各党の支持率が拮抗しているとは言えない状況です。日本人は戦後多くの選挙行動をしてきましたが、自らの選挙行動が政権の交代にかかわるかもしれないとおもって投票所に出かけたのは、たった1回しかなかったのです。これでは、自らの投票行動が国を変える!とは強く思えなくても仕方がないと言えるでしょう。

 世界的に見てこの異常な日本の状態は、この二つが主要な原因と私は思っています。一方、現在は個々人が政治へのメッセージを発しやすくなっています。例えば、今回の選挙の争点の一つである「待機児童問題」。この問題は、一つのツイッターから始まったのです。皆さんもご存知のように「保育園落ちた日本死ね!!!」ですよね。このツイッターに多くの人々が共感を覚え、そして国会で取り上げられるまでになったのです。現在は、個人と政治の距離が非常に近い時代であるともいえます。

 こんな時代なんだから、政治に無関心であってはダメ!と私は言いたい。わざわざ学校で模擬投票をやらなければ政治に関心を持てないような日本の若者は、明らかに世界レベルから数段階遅れています。これでは、世界に通用しません。

がんばれ!日本の若者、目覚めよ、若人!君たちに日本の未来はかかっている!