1月10日のニュースを見て印象に残ったもう一つの事について述べたいと思います。それは、横浜市で起こったいじめの事件です。皆さんもご存じのように福島県から横浜市に避難してきた小学生(当時)が、「菌」と呼ばれたり、蹴られたり、お金を払わされたりした事件が昨年に報道されました。この件について、被害者側が、150万の金額を払わされたことをいじめとして認定してほしいと横浜市教育委員会に申し出たというニュースです。横浜市教育委員会の第三者委員会が、金銭の件については、いじめとして認定していなかったのです。何故かというと、加害者側の聞き取りも踏まえて、「お金をおごった行為」と認定していたからです。
このニュースを聞いて、正直びっくりしました。小学生が総額150万円にも上る金額をおごりますか?少し想像力を働かせれば、容易にわかることです。被害者の生徒が、「またいじめが始まると思って、何もできずにただ怖くてしかたなくて、いじめが起こらないようにお金をだした」と言っているのは、当然予想される事態で、なぜこのようなことが想像できなかったのか?これでは、いじめはなくなりません。第三者委員会がこのような見解を出せば、被害者が何を頼りにいじめの解決を望めばいいのか・・・。正直、ショックでした。
この福島の避難生活をしている児童生徒を対象にして起こったいじめを知った時、正直かなりショックでした。あれほど、東日本大震災の時に「絆」ということを大切にした日本人なのに・・・と思いました。
このいじめの件で、作家の塩野七生さんが、加害者側の責任を強く訴えています。月刊文藝春秋の2017年1月号「日本人へ164回」の記事です。塩野さんも「想像力の欠如」を強く戒めています。少し長くなりますが、記事を引用したいと思います。
「 これを知ったときにまず感じたのが、最大の責任は加害者児童の両親、それもとくに母親、にあるということだった。またこれは、起こるべくして起こった問題でもある、とも思った。
食卓でこんな話が交わされる。母親が言う。ウチは小さい子もいるし、福島産のお米も野菜も買わないことにしたわ。放射能やら何やら、バイ菌もついているかもしれないから。父親は、それに賛成はしないが反対もしない。このような会話を聴いた子が学校で、福島からの避難児童に残酷に当たっても、誰が非難できよう。両親の会話の中には、あの人たちって賠償金を相当もらってたらしいわよ、という話もあったかもしれない。賠償金なんて、小学生の頭から生まれる考えではない。
子供は、親をまねることで育つのである。だからこそ育児は、大変だが立派な仕事なのだ。子供の無知で残酷な振る舞いは、大人の無知と残酷さの反映にすぎない。福島の原発事故の直後、東京にいてさえ放射能を怖れ、子供連れで関西や九州に避難した女流作家が二人いた。良識派をもって任ずるマスコミは、この二人の行為を賞賛した。あのときに私が感じたのは、わが子を思えば避難したいと思っていても事情があってできない母親が大勢いるのに、何という無神経な行為か、という想いだった。
想像力とは、相手の身になって考える能力、である。作家のくせに、それさえもないのか、そして、それさえもない人を賞め讃えるマスコミの、恥ずかしくないのかと思うほどの想像力の欠如。
日本人がよく口する「キズナ」なんて、この程度のシロモノである。あれからの5年余り、福島の人たちがどれほど風評被害に苦しんできたか。横浜で起きたいじめも、そのうちの一つだと思うべきである。
確かに学校側の対応にも問題はあった。だが、学校側にだけ責任を負わせることはできない。にもかかわらず、市当局もマスコミも、非難を向けたのは学校側に対してだけで、加害児童の親たちの責任に言及した人は皆無に等しかった。日本の"良識派"の、中身を見る想いになる。」
同じ日の「NHKスペシャル」で福島の現状を訴える番組がありました。福島原発事故からかなりの時期を経た今に、自殺率が急上昇しているという事実です。二つの事例が紹介されていました。一つは、東京に避難した高齢者の方。久しぶりに故郷に帰って目にしたのは、自分の畑の横に積まれたおびただしい汚染土の風景。その方は、次の日も何も言わずに同じ風景をずっと見ていたと言います。そして、東京に帰ったのち、自ら命を絶ちました。二例目は故郷に帰還し、農業で生計を立てていこうと前向きに明るく生きていこうとした若い夫婦。米つくりの再開は並大抵のことではありませんでした。それでも、できた米に放射能は検出されないところまでこぎつけたのです。でも、風評被害で、本来の金額の2/3でしか売れない。作れば作るほど赤字になる。明るい夫婦は、だんだん口数が少なくなりました。母親と一緒にでかけた弘前の桜祭りの旅行の5日後、夫婦はふるさとが見渡せる山の中で命を絶ちました。
この番組を見て、改めて福島の事、東北の事、東日本大震災の事を、もう一度私たちは心に刻み込まなければならないと思いました。私は、前任の市岡高校で東北の修学旅行に行っています。震災学習もプログラムに組み込まれていました。私にとって、震災後初めて足を踏み入れる東北でした。本当に考えさせられました。人の心の痛みを感じさせられました。この経験は、来年私たちが東北に修学旅行に行く時に、又紹介したいと思います。