No.60 修学旅行の仕掛け

 11月7日から3泊4日の旅程で、熊本・長崎修学旅行に行ってまいりました。校長は、修学旅行団の団長として引率同行して参りますので、やはりすべての生徒の健康と安全の確保・維持が一番の任務となります。そのうえで、教育旅行としての目的といえる集団行動、地域文化との交流、地歴及び平和学習といった観点から、生徒たちが「新しい気づき」を得る、ということが肝要なこととなります。そのために、修学旅行と言う学習機会は、実は練り込まれた仕掛けを持っています。

 まず、仕掛けは現地集合・現地解散から始まります。300名近い集団が三々五々に新大阪駅の動輪広場に時間通りに集結する、あるいは解散して迅速に帰宅する、ということは、口で言うほど簡単なことではありません。思わぬアクシデントにあい遅延する場合もあります。それが仮にたった一人のことであっても、集団全体のスケジュールに多大な影響を与えます。小中学生ならば学校に集合して、みんなでバスに乗って新大阪に向かい、逆にみんなで新大阪からバスに乗って学校まで帰ってくるところです。しかし、高校の修学旅行は、リスクを取ってでも集団行動・社会行動の学習です。そういう意味では、修学旅行中の84時間は、どんなに細かく集団が分散しチーム行動を取ろうと、ずっと時間厳守の原則が貫かれていることになります。まず、ここに大きな気づきと学びがあります。

 次に、民泊という仕掛け。数名の小集団に分かれ、地域文化あるいは親でも教員でもない未知の大人に直に触れるという経験です。このことは昨日まで知らなかった人と「心と心を開きあう」という行動を求めます。コミュニケーションの苦手な生徒にとっては苦痛かもしれません。しかしこれも、生徒の成長に向けての大きな学習機会であり、社会に出ていくにあたり避けては通れない大事な関門です。民泊先でいただくご飯、お風呂、寝床。地元のことや仕事や人生についての話。どれもこれも自分にとっての普通とは違う経験。苦手なものも出てくるかもしれませんが、それでこそ最も大きな糧となる、そういう思いで、私たちは大切に考えています。一方、教員にとっては生徒たちが手離れして、民泊先にお任せする状態になりますので、一見、楽そうですが、実はすぐに駆け寄れない場所で24時間体制で不測の事態に備えるわけですので、精神的にはかえってもどかしく、気の休まらない状態が続きます。つまり、民家さんと生徒たちを信頼するしかないわけです。何か大事が起こった場合、子どもの安全を確保する立場にある教員としては、実はそばに置いておくほうが気分的に安心なのです。

 最後に、地歴的な学習、という仕掛け。今回の場合は、熊本・天草・雲仙・長崎という地域でしたので、豊かな海と島々、世界文化遺産とかくれキリシタンの歴史、長崎での原爆と平和学習、といったところが中心だったように思います。特に長崎でお聴きした被ばく体験者(90歳というご高齢でした)による講演は聴きごたえがあり、生徒たちも真剣に聴いていたと思います。講演者様から、とても聴く態度が良かったです、とお褒めの言葉をいただけたのが何よりも嬉しかったです。私自身、一番心に刻まれたことは、

あらゆる戦争は、常にそれぞれの国や民族にとっての正義と正義のぶつかり合いである。

というお言葉でした。正義の為に戦う、国や家族を侵略から守る為に戦う、という言葉の裏側に潜む不気味な真実を見極めないと、残虐な殺人行為(つまり戦争)もやむなし、と言う空気に流されてしまうぞ、という戒めのお言葉だったように思います。

カレンダー

2024年4月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30