No.62 托鉢の話を聴きました(3学期始業式)

 この休みに、タイ文化研究の専門の方とお話しする機会があり、良いお話が聴けましたのでご紹介しようと思います。みんな知っていると思いますが、タイではお坊さんが托鉢で街中を歩かれます。民家を回ってはあちこちでお経をあげ、そこの家の人から食べ物をわけてもらいます。ただそれだけのことなのですが、少し注意することがあります。信者が僧侶に食べ物を提供するのですが、それに対し「お礼」を言っているのが食べ物をもらう僧侶ではなく、食べ物をあげる信者の方だということです。これはお経をあげてもらうということに対して食べ物でお礼をするという意味だけでなく、信者がお坊さんに托鉢することで「自分が功徳を積めたことに感謝する。」という意味があるそうです。だから、もらったお坊さんがお礼を言うのではなく、食べ物を提供した信者のほうが「善い行いをさせていただいてありがとうございました。」と手を合わせて感謝の心を伝える、そんな絵面になっているとのことでした。

 この話を聴いてみなさんはどう思いますか。ポイントは、このやり取りが単純な取引行為ではないということです。では何かというと、信者がお坊さんに托鉢することで徳を積んでいるという修養行為なのです。食べ物をもらったお坊さんがその後どうしているかというと、みんなお寺に持ち帰って全部の食べ物を一度一か所に集めるそうです。その後ひとり一人のお坊さんが、自分が一日に食べる分だけの食料を得て、残ったものは(だいぶ残るらしい。)貧しい人や野良犬や野良猫も含めておなかをすかせているものたちに分け与えていくとのことでした。

 どうでしょうか。まず、他人の役に立つことをして自分が成長できる、という考え方がいいと思いませんか。誰かの幸せのためになっている。そう思える行為の素晴らしさを感じさせてくれます。私たちは何か具体的な見返りを期待して行動することが多い。それはそんなものなのかもしれませんが、そこで止まってしまっては、なにか物足りないものがあります。見返りはないけれど、自然に感謝の気持ちを持つことができるということが本当の豊さの証しだと思います。

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