「城山高校の歴史」シリーズ 第7回
今回は、40周年記念誌からみていただきましょう。
30周年から40周年のころは、中学校卒業生徒数急増期でありました。今では考えられない48人学級や44人13クラス、という学校が多くありました。城山高校でも昭和60年普通科が3クラスになったことがありました。ところが、はやくも40周年のこの記念誌に、当時のPTA会長清水忠司さんは急減期への懸念を表明し、「城山高校の存廃に関わる」と記しておられます。
急増から急減へ。あれから20年です。
さて、一方、昭和58年(1983)テニスコートが完成、グランドが昭和62年(1987)竣工されました。グランドについては、第3代上松稔校長先生が次のように書かれています。
「懸案の運動場の問題につきましては、豊能町、同窓会、PTA、城友会(PTAのOBの組織)等々の方々により『城山高校運動場整備促進委員会』を設置し府に陳情、一方予定地の土地所有者及び耕作者の方々には大変ご無理なことをお願いいたしました。このことにつきましては特に久保町長、町議会議員、町教育委員会の方々、大阪府議会議員の上田新一先生、平野クニ子先生らの強力なご援助をいただきました。(後略)」
こうして現在の城山高校の姿が完成しました。1978年から、1988年の頃、生徒として学生時代をすごされたのが、現在の生徒の保護者の方の世代です。すこし、時代を振り返り懐かしんでみましょうか。主に、40周年記念誌に掲載されている記事をピックアップしてみました。
昭和53(1978)成田空港開港
昭和54(1979)国公立大学共通一次試験始まる
昭和55(1980)出生率史上最低
昭和56(1981)神戸ポートピア博覧会
昭和57(1982)中曽根内閣スタート
昭和58(1983)東京デイズニーランド開園
昭和59(1984)ロサンゼルスオリンピック開かる
昭和60(1985)大鳴門橋開通
昭和61(1986)チェルノブイリ原発事故
昭和62(1987)国鉄がJRに民営化される
昭和63(1988)瀬戸大橋開通。ソウルオリンピック開催
2007年12月3日 更新
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