大阪府立城山高等学校(全日制課程)2007年度暫定ページ

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2008年3月

【学校長より】

 

「城山高校の歴史」シリーズ 第10回(最終回)

最後になりました。歴史シリーズ、巻頭言、そしてこのHPもです。60年、60年といってきましたが、実質は59年と半年です。本来なら、平成20年度に「60周年記念式典」を挙行するところなのでした。「60周年記念式典」の代わりが「閉校式」「城山わすれじの会」でした。

閉校記録誌はタイトルを「さらば 愛しき 城山高校」としています。由来は、後に記す「卒業式式辞」の中に触れていますのでそちらをお読みください。先月お約束した「毎日放送の放映」は、お知らせする前に放映となってしまい(3月4日午後6時16分〜「VOICE」)、見ることのできなかった皆様には申し訳のないことでありました。たくさんの方から、「よかった」「感動的であった」という声を寄せていただいております。

生徒の来なくなった学校はいっそう淋しさがつのります。最終回は、「卒業式式辞」と「閉校式式辞」をそのまま掲載させていただいて最後といたします。

 

卒業式式辞

本日ここに、大阪府教育委員会教育監山崎彰様を始めとする、多数のご来賓及び、多数の保護者のご臨席のもと、第32回卒業証書授与式を挙行できますことは、誠に喜びにたえません。ご来賓の皆様方には厚く御礼を申し上げます。

また、保護者の皆様には、この3年間の過ぎし日を思い起こされれば、感慨もまたひとしおのことと推察いたします。衷心よりお慶び申し上げます。

本日ここに園芸科24名、普通科11名、計35名についての卒業を認定いたします。3年生の皆さん、ご卒業本当におめでとう。この3年間長時間の電車、バス、あるいは自転車で、よく通ってくれました。よく頑張ってくれました。

先ほど、一人ひとりの名を私の手で書いた卒業証書を、皆さんに手渡すことができました。感慨深いものでした。

あなた方の3年間は、本校にとっても「特別な3年間」でした。あなた方は、東能勢分校時代以来の歴史を持つ本校にとって、「最後の入学生」でありました。

あなた方の3年間は余野の風、余野の雪、余野の四季とともにありました。他の府立校では味わえない豊かで厳しい自然とともにありました。

先生方は、この恵まれた自然環境を、存分に活かし、教材にして、あなた方に伝えてくれました。この地でなければ、この学校でなければ、感じられなかった空気があり、空間がありました。

そして、君達でなければ味わうことのなかった3年という時間が、そこにありました。

 

城山高校にとって最後の時間があなた方の時間と重なりました。城山高校にとっても、あなた方の人生にとっても、貴重な、貴重な3年、でありました。あなた方が、学校とともに担った運命を、如何にあなた方の「糧」に替えることができるか、それが私たち教職員の使命である、と考えてきました。

「閉校事業」を全て「あなた方の力と思い出に換える」その思いですべてをあなた方に注いでまいりました。

園芸科では「全員農ク」を合言葉に先生方はあなた方をプロジェクト学習、課題研究に引き込みました。あなた方はそれに見事に応え「各種のコンクールやコンテスト」に入賞し城山高校の名を大阪に、近畿に、全国に、轟かせ、確個たるものとして残してくれました。

園芸科最後の農業クラブ校内予選会には全員が出場し、はじめて普通科生徒も参加見学しました。私たちは、日ごろの成果を発表する君達をまぶしく眺め耳を傾けました。一緒に「農業クラブの歌」を歌うことができました。楽しい思い出です。

普通科の皆さん、あなた方は、最初から10数名で出発しました。人数は少なくとも、一人ひとり個性豊かで担任は3年間まさに一人ひとりに向き合って話を聞き、相談に乗り厳しい指導もしてきました。障害のあるクラスメートにも優しく接し、彼もまたあなた方の中で大きく成長しました。それらがすべて、クラスとしての魅力でした。その魅力が私たちを応援する気持ちにさせてくれました。

 

私は、城山高校から巣立っていく皆さんの先輩に、「自立」「挑戦」「想像力を鍛えて」とお願いしてきました。今年は「城山わすれじ、全てを糧に」とお願いしておきます。

世の中はいつもあなた方のために環境を整えていてくれるわけではありません。苦しいときやつらい時がくるでしょう。そのとき、あなた方はこの3年間を忘れず、どんなときも、どんなことも自らの「糧(栄養)」にして生き抜いていく、と決意してください。上手くいかずとも、失敗をしようとも、あわてず、あせらず、あきらめず、全てをあなたの「栄養=糧」にしてほしいのです。

「あわてず、あせらず、あきらめず」生き抜いていけます。私たちは「閉校」という哀しい現実を「一荷合力」で乗り越えてきました。あなた方35名と私たち教職員の間には、同じ3年間を共有した「同志としての絆」がしっかりと結ばれており、それは永遠です。終生続く城山高校の同志であります。それぞれの身は八方に在っても、心の原点はいつもこの「城山高校」にあり、ここでは、苦しいときにも力を合わせれば乗り越える力となる、ことを知りました。また、「全てを糧にする気持ちがあっても」苦しいときがくるかもしれません。そういう時は、同志の私たちに相談をしてください。力になります、なれます。

朝日に輝く校舎、登下校の君達をずっと見つづけた坂道、余野の全ての風景と一緒にあなた方を見送り、将来に期待しています。

最後に、皆さんが心を一つにする訓練となった太鼓の演奏で、あなた方も城山高校を送ってください。閉校式に続く最後のお披露目になります。 会場の皆様に、「城山高校わすれじ」となっていただけるようあなた方の演奏する姿、太鼓の音色を会場いっぱいに轟かせてください。城山高校を送る最後の卒業生(すなわち)あなた方の姿は、今日、いらしていただいているすべての皆様の心に「永遠」となるでしょう。 

卒業、おめでとう!これからも、ともに、頑張りましょう。以上をもって大阪府立城山高等学校第32回卒業式の式辞といたします。

 

 

閉校式式辞

この余野幣ノ木の丘には、戦国の世、能勢の三惣領の一人余野山城守頼幸が築いた余野城がありました。「ルイスフロイスの日本史」、高山右近との逸話など、はかなくも美しい歴史が伝えられております。

太平洋戦争末期、この地は食糧増産のため、クヌギ林から「芋畑」となりました。戦後まもなく、その芋畑を、村人が、あげて中学校へと変貌させました。現在の東能勢中学校の校舎がこの場所に建設されたのでした。

中学校の新校舎誕生と機をいつにして同じ昭和23年、本校の前身、園芸高校東能勢分校が発足、昼間定時制の家庭科が、東能勢小学校の1教室をお借りし、15名の女生徒を前に授業が始まりました。戦前よりの「裁縫学校」の伝統が継承されたものといえます。家庭科は昭和53年の閉課程まで、多くの人材を輩出、東能勢村や大阪府に大きな貢献をしました。

我が分校は昭和25年、中学校の2教室を借りるべく、この地に移転してまいります。

今私たちが立つこの地における本校の歴史が始まります。翌26年農業科が、65坪の小さな畑、小学校で鍬を借りて始まりました。ホームプロジェクトにおける巡回指導や夜の開放講座を通じて東能勢にふさわしい農業の模索もはじめます。村の方々の分校への期待は高く、学校と村は緊密な関係を築き上げてまいります。熱きかかわりは、村と学校の野菜の共同出荷、地元名産品共同開発などに発展、分校はこの地の文化を担うべき存在となってまいります。

この情熱の交流が、村長をはじめとする村の方々の胸を打ち、村をあげての大阪府への校舎建築予算の請願、そして獲得ということになります。しかし、建築そのものは自らの手で、でありました。生徒、教員、村の方々も一緒になって山をけずりモッコで土を運び、坂道や階段、校舎まで「手づくり」でありました。

昭和28年、自分達の校舎が中学校の横に完成いたします。この喜びは、「新校舎落成記念誌」「10周年記念誌」に溢れております。そして定時制であった分校は昭和38年全日制となり家庭科が家政科と名称が変わったのもこの年でございます。

分校が歴史を刻む間、日本社会は大きな変化を遂げます。新幹線の開通、東京オリンピック、大阪万国博。昭和47年には農業科が園芸科に、昭和49年には普通科が設置、昭和51年、本校は第105番目の府立高校として独立したのであります。東能勢村は、翌、昭和52年豊能町として新たに町制をしいています。

城山高校では、初代藤原明校長先生の「温故知新」を旗印に分校の歴史継承と城山独自の新たな伝統形成に力が尽くされていきます。学校規模の小ささを長所に、と余野の地の環境と自然を最大限に活用して生徒の心を慰め育む努力を積み重ねてまいります。

園芸科では「豊能のこの地でしかできない教育」を実践、日本初の、科目「有機農業」、ビオトープからバタフライガーデンへ連なる「環境教育」、DNAシーケンサーを駆使した遺伝子研究、など日本の農業教育のなかでも特筆すべき先進的な取り組みを行ってまいりました。それは数々の受賞歴や研究発表がもの語るように内外の高い評価をえてまいりました。

普通科では「小さいからこそ可能な教育」で、一人ひとりの課題に着目、先進的な情報教育を導入するなど、それぞれの教科が工夫を重ね、教師と生徒は、他校に見られぬ濃密な関係を築いてまいりました。

入学当初は「長時間の通学」「全く違う環境」が適応不全を起こすことがあっても、年を経る毎に、先生と生徒、生徒と生徒、学校や余野の環境に適応し城山高校へ来てよかったと卒業していってくれました。

閉校が決まってからの各種事業は、どれも思い出深いものばかりです。府教育委員会の多大なご支援のもと、教職員、保護者、同窓会が一体となって生徒諸君の明日を支えるべく、何をやるにも、「みんなで」のぞんでまいりました。ことに、記念事業委員会を中心に豊能町の伝統産業や文化を学ぶ取り組み、町内保育所小・中学校との連携事業、最終年度の「スウィムフェスタ」「しろやまフェスinユーベル」などはその集大成にふさわしい、素晴らしい事業・行事となりました。地域の皆様には最後まで応援していただき感謝の念この上もございません。

皆様方にお届けいたします、記録誌「さらば 愛しき城山高校」のタイトルは、本日の卒業生が農業クラブ大阪府予選で冠したものです。私一人の言葉では語りつくせない、関わった多くの方々の想いがページとページ、行間に溢れ、そこで東能勢分校と城山高校は輝きに満ちております。

  「愛しき東能勢分校」「愛しき城山高校」は、3310名の卒業生のみならず、歴代校長先生をはじめとする両校を創りあげ、育んでいただいたすべての皆様の心持ちであろうと存じます。これからは、かつて本校であった園芸高校に、園芸科の良き伝統が継承され、また新たな歴史がはじまります。

東能勢分校と城山高校の記録は、園芸高校記念室内及び豊能町立郷土資料館、図書館に残ります。園芸高校正門すぐ西側の一角には城山高校記念庭園が設置されます。

「さらば城山高校、さらば東能勢分校」であります。両校の思い出は関係したすべての人の心に永遠であり、この幣ノ木の丘から消えることはありません。

60年にわたって東能勢分校、城山高校を支えていただいたすべての皆様に感謝の念を捧げ、閉校の式辞といたします。

本日は閉校の式にご出席いただき本当にありがとうございました。

平成二十年三月一日

大阪府立城山高等学校

11代校長 小山正辰