大阪府立城山高等学校(全日制課程)2007年度暫定ページ

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2007年8月

【学校長より】

「城山高校の歴史」シリーズ 第4

 731日、東能勢分校時代の養護教諭でいらっしゃった足立はつみ先生(88歳)が来校されました。先生は、分校初代主事(代表者)伊庭勇先生から、城山高校初代校長藤原明先生まで、全ての主事、校長先生とお仕事を共にされ、分校、城山高校を見てこられました。現同窓会長・副会長の高校時代もご存知です。

 初代主事伊庭先生が、分校建設、運営のために自らの給与まで注ぎ込まれた話、農場管理の素晴らしかった2代主事原田正一先生、学校主事初代内山正良先生の奥様の「花山椒」の味、香り、色が絶品であったこと、初代分校教頭上野傳三郎先生には、母の看病を仕事に優先させるよう取り計らっていただいたことなど、これまで、どこにも話していなかったことまで、お聞かせいただきました。

 昭和20年代、先生は池田から余野までバスで通われていました。山の峰々は今よりもっと多くの季節の花が咲き乱れ、四季を存分に感じることができ、余野川の川べりも藤の花で覆われていたということです。バスは1日に3本しか走らず、舗装もされていないので、若い娘さん達も到着する頃には「砂塵」で頭が真っ白だったことなど、昨日のことのように話していただきました。

 なぜ足立先生がお見えになったかというと、記念誌作成のスタッフがお宅に伺ってお話を聞かせていただいた際、今度は学校で昔の写真を見ながら当時の教え子の方と語り合いたいということで実現したものです。こんな風に若いスタッフが一生懸命取材したことや、寄稿していただいた皆様や、多くの方々の熱い思いを記念誌に必ず反映させてまいります。ご期待下さい。

 

 野球部、大阪府予選出場

 7月16日の朝日新聞(大阪北摂版)を見ていただけたでしょうか?きっと「トピックス」で詳細が掲載されるでしょうが、園芸高校との連合チームが「9回裏の大逆転」劇を演じたのです。相手投手のスピードボールに手を焼いた我がチームは7回まで、「ノーヒットノーラン」0−3でリードされています。8回初ヒットが出て、初めてのチャンス、本校庄田君が代打に起用されましたが、残念打てず。

 しかし、なんと9回、ノーアウト満塁から「ヒット」「フォアボール」「ヒット」で一挙4得点。相手チームは茫然自失、こちらは「万歳三唱」、興奮の初勝利(本校にとっては)でした。その後の2回戦もとても良い試合をしました。チームとして、まとまりがあり集中力のあった園芸高校野球部に受け入れてもらって、たった3人で参加した本大会でしたが「城山高校史」に残る野球部の最後の戦いでした。園芸高校の部長さん、監督さん、選手の皆さん本当にありがとうございました。この模様はMBS毎日放送が8月31日(火)6時20分頃からの「VOICE」にて放送してくれます。ぜひ見てください。

(両校野球部の奮闘模様の放映予定が変更になり未定となっています。城山高校への取材は続いていますのでまた、この欄を通じて放映についてはお知らせすることができると思います。乞うご期待!8/8 記)

 

 放送部、全国大会へ

 これもトピックスで詳細をみていただければいいのですが、私の方からも。放送部といっても部員は1名、応援カメラマン1名が「「なんで太鼓やねん!!」というタイトルで、「第54回NHK杯全国高校放送コンテスト」大阪大会に応募しました。これが、なんと4位に入賞、晴れて東京の全国大会に出場ということになったのです。このコンテストは「アナウンス」「朗読」「ラジオドキュメント」「テレビドキュメント」「創作ラジオドラマ」「創作テレビドラマ」「校内放送研究発表会」などの部門に分かれ競うものです。「テレビドキュメント」部門にエントリーした佐藤陸平君作の上記作品でした。全国474作品から選ばれた代表183作品の中で予選を突破することは出来ませんでしたが、本当に良い経験になりました。転勤したにも関わらず、お休みに指導応援していただいた元顧問にも感謝です。

2007年8月1日 更新