タイの研修その4

現在、現地時間夜の9時を回っています。ついさっきホテルに帰ってきました。なぜこれほど遅くなったかは、最後に知らせます。まず、今日のブログには写真はありません。それには、理由があります。ホテルにスマホを忘れていきました。しかし、結果は持っていっても行かなくても、変わりませんでした。写真を写せないのです。

(1)日本人学校訪問
朝の6時半にホテルを出発して、タイの日本人学校に向かいました。なぜ、これほど早く出発したかというと、登校風景を見るためです。登校風景は、圧巻です。大型バス、マイクロバスに乗った小学生、中学生が次から次へとバスから降りてきます。それも、周りは、高い柵に囲まれていて、「施設内撮影厳禁」の看板が入り口にあります。門には警備員が配置され、二重に柵が設けられていました。生徒数、2703人、世界最大の日本人学校です。そして、戦前に設立され一番古いということです。
校長室に案内され、話題になったのはまずはセキュリティ。バスは、児童・生徒の家の前まで迎えに行きます。そして帰りも家まで送る。放課後は、日本人が通う塾に通ったり、日本人の住むマンションの敷地で遊んだり。現地のタイ人の子どもと遊ぶことはほとんどないということです。今回の訪問をコーディネートしてくれた教授の教え子の保護者の話では、「コンビニにも一人で行かせない」ということです。誘拐を恐れてのことだそうです。ちょっとビックリです。
その後、校長先生から日本人学校の抱える課題や問題点をレクチャーしていただき、初めて知ることばかりでした。恥ずかしながら、日本人学校は私立の学校で、授業料が必要ということを知りませんでした。 文科省の管轄で日本と同じ無償と思い込んでいました。中学校を卒業すると、多くの生徒が日本に戻るようです。ですから、受験勉強に力が入るということです。生徒は、関東方面、中部方面からの生徒が多く、休み時間に中学生に「大阪から来た人?」といっても誰もいませんでした。「なんでやねん‼️」と大阪風にツッコミを入れても白い目で見られました。
(2)日本大使館
次に訪問したのが日本大使館。世界にある日本大使館で最大の規模を誇るということです。さて、敷地の入り口に着くと、警備員が対応。厳重な扉が開くと、また同じ扉があります。建物に入っても、セキュリティを解除してドアを開けると、小部屋が現れまたドアがある厳重さです。さすが大使館ですね。
 説明をしてくれたのは、文科省から派遣されている寺島氏。実は彼と初日に夕食を共にしたとき、「どこかで出会ったぞ?」と思って尋ねてみると、やはり会っていました。私が教頭になって二年目に受講した文科省の中央研修で文科省からアドバイザーとして私のグループに来ていたのです。彼も「どこかでみた?」と思っていたらしく、互いに「タイで会うなんて!」と奇遇を確かめ合いました。
 彼の話は、タイの大使館の紹介と教育を中心とした活動の話です。タイでも若者が日本文化に触れるのは、POPカルチャー。漫画、アニメ、ゲーム、アイドルらしいです。なぜそこまで人気があるのかと質問すると、彼はわからないと言いながら、「やはり日本の漫画、アニメはストーリーがしっかりしていると彼らは言いますね」ということでした。
更に興味深いこと。私が日頃から感じていることが、寺島氏の話でも出てきました。タイでは日本のSSHをモデルに理数教育に力を入れているとのこと。以前に日本のSSHの高校とタイの高校で交流をしたとき、日本の高校生が押され気味だったと言うことです。もう少し詳しく聞かせて欲しいと頼むと、彼は次のように言いました。
 日本の高校生は、プレゼンの原稿をきちんと英文で書く。おそらく、タイの高校生よりも英語の力はあると思う。しかし、質疑応答の時になるとまるで日本の高校生は話せなくなる。一方、タイの高校生は原稿なんて用意しない。フリーでバンバン英語で話す。質問もガンガン英語でやってくる。
ということです。やはり日本の高校生はプレゼンが下手なのです。ここから引率の教授も交えて、日本の英語教育の在り方や国語教育の在り方など議論が白熱しました。
寺島氏には大変貴重なことを教えていただきありがとうございます。タイにいる期限は三年。日本に戻ったら是非布施高校でその体験を話してほしいですね。
(3)教育省での研修
 午後は教育省での研修です。タイの文科省ですね。そこで勤めているかなりの高級官僚から、タイの教育制度についてレクチャーを受けました。レクチャーはすべて英語です。堀内教授が日本語で要約してくれるのですが、最後の方は、タイの教育にずっと関わって来た堀内教授でも知らない新しい情報もあり、堀内教授とタイの官僚の英語のやりとりをひたすら聞くと言った状態です。私の力では1/4も正確に理解できていないと思いますので、ここでは詳しい内容は割愛します。
さて、冒頭のことです。なぜこれほど帰りが遅くなったかということです。夕食のあと、ホテルまでタクシーで帰ることになりました。3人ずつ3つのグループです。私たちは一番最初にスタートしたのですが、凄まじい渋滞にかかり、3.8キロの距離を1時間31分かかりました。渋滞の理由は二つ。日本では明らかに信号がなければならない複雑な交差点に信号が無い。だからどの車も我先にと交差点に突っ込んで行きます!!だから余計に渋滞する。二つ目は信号。なんと赤信号の時間が6分、青信号の時間がわずか16秒というアンバランス。これでは渋滞するのは当たり前です。疲れ果てました。