本日2月2日と来週の9日に1年生が司馬遼太郎記念館を訪問します。今日は、5時間目に二つのクラスが訪問したので、一緒に行ってきました。
今の高校生に、それも1年生に、司馬遼太郎はどのように映るのだろう。そんなことを思いながら、一緒に館内を回った。「小説を読んだことある?」と聞いたら、ほとんど生徒は「無い」と答えるだろう。「司馬さん、知ってる?」と聞いたら、「知らない。だって東大阪に住んでないもの・・・」と言うかもしれない。これが情報社会の恐ろしさかもしれない。情報の伝達速度が、あまりにも早い分、人間の脳がそれに追いついていない。どんどん、情報が忘れられていく。
私が、司馬さんの小説に初めて出会ったのは、中学校3年生である。「燃えよ、剣」を夏休みの宿題に読んだ。土方歳三の小説である。それから、高校3年生まで遠ざかった。司馬さんにのめり込んだのは、高校3年生から大学1年生である。「竜馬がゆく」を読んでからである。自分の生き方の根幹を決めてくれた小説だ。それ以来、司馬作品のほとんどをむさぼり読んだ。こんなことを思ったり、感じたりした人は、私だけではない。多くの日本人の中に司馬さんの言葉が生きている。それほど、日本人に計り知れない影響を与えた文化人である。
私も含め、司馬さんに心酔している者にとって、司馬遼太郎記念館は特別な意味がある。高校生にもわかりやすく言えば、それは「聖地」である。アニメや映画の登場場所を巡る「聖地巡礼」。それに該当すると言ってもらえれば、少しはこの記念館の意味は伝わるだろうか?
私の夢。それは、引退した後に司馬さんが「街道をゆく」で訪ねた場所を回ることである。それこそ、おっさんの「聖地巡礼」だ。