本日、3月1日、昨夜の春の嵐も過ぎ去り、天気も回復した中で、午前10時より体育館で卒業式が挙行されました。
71期生のみなさん、卒業おめでとう!
あなた達から標準服が導入され、去年と今年では、体育館での風景が一変しましたね。誰一人として、去年のような服装で参列する生徒はいませんでした。人それぞれ、思いはあるでしょう。だけど、ルールを守るというのは、自分の意見を言うことができる最低条件です。それをきちんと全員が守ったあなた達を、まずは素晴しく思います。
それはさておき、素晴しい卒業式でしたね。こんなに晴れやかな気持ちにさせてくれる卒業式は、初めてかもしれません。答辞を聞いていて、あなた達の過ごした高校生活が素晴しいものであったのだと、改めて確認させてもらいました。あなた達とは、2年間の付き合いでした。タイの修学旅行、楽しかったですね。初めて異国の地を踏んだ生徒もいたでしょう。貴重な体験でしたよね。そして、あなた達の仲間と一緒にシカゴにも行きました。そのとき思ったのは、「布施の生徒って、底力がある!」ということです。
そして何より感動したのは、あなた達がリーダーシップを発揮した体育祭、そして創造祭です。感動しましたよ!やっぱり、「布施高、最高!」です。
卒業生が退場して、来賓を引率して体育館を出たとき、ビックリしました。卒業生が、廊下で待ってくれていたのです。その間を通って校長室に戻る間、卒業生が拍手をしてくれました。こんな体験は、校長になって初めてです。今だから正直に言います。涙をこらえるのが大変でした。
71期生の皆さん、卒業おめでとう、そして 素晴しい卒業式を経験させてくれたあなた達に、ありがとう!と言いたい。
以下、私が卒業生に送った最後の言葉を掲載します。
大阪府立布施高等学校
第71回卒業証書授与式 式辞
昨夜は、春の嵐が吹き、ひときわ厳しかったこの冬の寒さの中に、確実に春の兆しを感じる今日、大阪府立布施高等学校第七〇回卒業証書授与式を挙行いたしましたところ、大阪府教育委員会ご代表 城野 敦子様をはじめ、元府議会議員 谷川 孝様、地域の小・中学校の校長先生方、また、同窓会、PTAのみなさまなど、多数のご来賓の御臨席を賜りました。高いところからではございますが、厚く御礼申し上げます。
ただいま、354名の皆さんに、卒業証書を授与いたしました。
保護者の皆様方には、お子様が本校での課程を無事修了され、本日の晴れの卒業の日を迎えられましたこと、さぞ、お喜びのことと存じます。
教職員を代表し、心からお祝い申し上げますとともに、本校にお寄せいただいたご理解とご協力に対しまして、深く感謝を申し上げる次第でございます。
さて、七一期生のみなさん、卒業、おめでとうございます。
みなさんにとっては、ついこの間、布施高校の門をくぐったという思いがあるのではないでしょうか。
皆さんは今日を境に、それぞれの道に進んでいくわけですが、高校生活で学んだことを糧として、確かな足取りでこれからの人生を、歩んでほしいと思います。
それでは、卒業にあたり皆さんの前途を祝し、私の思いを述べさせていただいて、餞の言葉にしたいと思います。
今から私が紹介するのは、外国人がとある国を訪れたときの手記です。どこの国かを考えてください。最初に紹介するのは、大学の工学部の教師であった英国人ディクソンの手記です。
「ひとつの事実がたちどころに明白になる。つまり上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。群衆のあいだでこれほど目につくことは無い。彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。彼らは生活のきびしい現実に対して、ヨーロッパ人ほど敏感ではないらしい。西洋の都会の群集によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆からキャッキャッと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群集はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中には悲哀など存在しないかと思われてくる。むろん、生活に悲しみや惨めさが存在しないはずはない。それでも、人びとの愛想のいい物腰ほど、外国人の心を打ち魅了するものはないという事実は残るのである。」
次は、スイス通商調査団のリンダウの手記です。
「私は、いつも農夫達の素晴らしい歓迎を受けたことを決して忘れないであろう。火を求めて農家の玄関に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持って来てくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。・・・最も大胆な者は私の服の生地を手で触り、ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出していくこともあった。幾つかの金属製のボタンを与えると・・・『大変有難う』と、皆揃って何度も繰り返しお礼を言う。そして、跪いて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層の中でさえそんな態度に出会って、全く驚いた次第である。私が遠ざかっていくと、道のはずれ迄見送ってくれて、殆ど見えなくなってもまだ、『さよなら、またみょうにち』と私に叫んでいる、あの友情の籠もった声が聞こえるのだ」
さて、みなさん、この国はどこの国か、わかりましたか?この国は、そう、日本です。そして、時代は明治の初めです。最初の風景は、東京です。そして、二番目の描写は、長崎の農村です。約150年前の日本人を見た外国人の手記なのです。この2つの手記は、『逝きし世の面影』という渡辺京二氏の著書から紹介しました。この本には、外国人からみた明治の日本がたくさん紹介されています。明治のころの日本人が、どんな人たちだったのか、日本人が、どれほど幸福で陽気で満ち足りた人であったかがわかります。
今年は、明治維新150年です。明治という元号の『明』には文明開化の意志、『冶』にはきちんと治めようという意志が現れています。この時代の雰囲気を最も表しているのが、司馬遼太郎氏が書いた「坂の上の雲」です。
「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。」
で始まる冒頭の一節ほど、この時代の人々の気持ちの高揚を伝えるものはありません。
明治の時代は、西洋列強に追いつこうと、富国強兵政策が取られました。そして、いつの間にか、富国よりも強兵が重んじられるようになり、ほぼ150年間の真ん中で日本は敗戦を迎えます。戦後、目覚しい復興、高度経済成長を日本は遂げました。それはまるで、明治から始まった「富国強兵」から、「強兵」を取り去ってひたすら「富国」を追い求めた様でもあります。そして、昭和が終わり平成になったころ、この「富国」も終わりを告げます。
明治は、近代化の坂を登り始めた時代です。平成は、その坂を上り終えた時代。いま、その平成の世も終わりを迎えようとしています。これから先の新しい時代、その時代が下り坂なのか、上り坂なのか、はたまた、この登りきった状態が続くのか、誰にもわかりません。しかし、一つだけ確かなのは、日本がどの様な坂に向かうかは、あなた達若者の肩にかかっているという事です。
私からのお願いがあります。どの様な坂を歩くにしろ、最初に紹介したような、「幸福で陽気で満ち足りた日本人、そして日本の社会」であってほしいという事です。そんな社会をあなた達に作ってほしいという事です。大切なことは、精神の豊かさです。明治の時代、日本人は貧乏でした。しかし、決して不幸ではなかったと思います。陽気に笑いあい、そして互いに助け合い、謙虚に生きていたのです。布施高校を卒業して、あなた達は、別々の道を歩みます。それぞれの人生を歩んでいくでしょう。その人生を歩む中で、幸福とは何かをもう一度考えて欲しいと思います。そして、一人一人が社会の幸福のために何ができるのかを考えて欲しいと思います。
最後にもう一つ手記を紹介します。東北を馬で旅したイギリス人女性、イザベラ・バードの手記です。彼女が山形のある駅舎で休憩をしているときの経験です。
「家の女たちは私が暑がっているのを見てしとやかに扇をとりだし、まるまる一時間も私を煽いでくれた。代金を尋ねるといらないと言い、何も受けとろうとしなかった。・・・それだけではなく、彼女らは一包みのお菓子を差し出し、主人は扇に自分の名を書いて、私が受けとるよう言ってきかなかった。私は英国製のピンをいくつかしか彼らにやれないのが悲しかった。・・・私は彼らに、日本のことをおぼえているかぎりあなたたちを忘れることはないと心から告げて、彼らの親切にひどく心をうたれながら出発した」
明治の人たちの豊かな心を感じてもらえたでしょうか?
以上が、私があなたたちに贈る最後の言葉です。
本日卒業証書を授与したすべての人の未来が、幸せなものとなることを心より願って、贐の言葉といたします。
平成30年3月1日
布施高等学校校長 上野 佳哉