インクルーシブな学校を目指して(1学期終業式)

 昨日、たくさんの部活・生徒会のみなさんが佐野支援学校のみなさんと交流活動をしました。いろいろと合同練習や試合をしたわけですが、交流なのですから、なにかしらの気づきや熱い思いを共有できたらいいな、と思って行ったわけです。このクラブ交流はもう何年も続いている日根野高校と佐野支援学校の合同行事で、参加する一人ひとりが互いに自分の個性を出し合って触れ合う場として時を刻んできました。大切だな、と思うことは目線が同じであること。ものごとの違いを「好き嫌い」や「いい悪い」や「上か下か」というような単純な比較の世界に持ち込まないことです。

 そのためにどうしても必要なことは、自分との違いを異質と感じないピュアな感性です。赤ちゃんが犬を全然怖がらない様子に近いとでも言えばいいのでしょうか。人はいろんな経験を積み上げながら成長していくわけですが、と同時に(残念ながら)違いを純粋に認めることが段々と難しくなっていきます。敵か味方かというほど極端な仕訳をすることは少ないですが、異質なものはできるだけ傍に近づけないよう本能的に判断するようになり同質化を求めるようになります。それを排除の論理とまで言ってしまうときつ過ぎますが、似たもの同士でまとまるようになって、それぞれでグループを作るようになります。

 それに対してインクルーシブな世界というのがあります。インクルーシブの意味は分かりますか。含むという意味、インクルードの形容詞ですから「包括的あるいが包摂的」つまり、包み込んでしまう、くらいの意味でしょうかね。違いを認め合わず持ち別れするのではなく、認め合って互いに持ち合う。共生する。この場合の違いとは、身体的な場合もあるでしょうし、考え方や心の場合もあるでしょう。人はみんないろんな違いを持って生まれてきて生きていきます。でも違うからといって「あんたらはあんたらで好きにしたらええやん。うちらもうちらで勝手にするからほっといて」と切り捨てあわない。インクルーシブとはそういうことです。ひょっとしたら目先的には切り捨てるほうが楽で、いっしょにいるほうがしんどい思いをすることが多いかもしれません。でもそこは頑張って包み込みあう。結局そのほうが最後はみんなが幸せになれる。インクルーシブとはそういうことです。何が言いたいかというと、日根野高校はインクルーシブな学校になりたいと思っています。みんなにそれを伝えたくて佐野支援学校との交流の話をしました。ひとの個性に良いも悪いもありません。上も下もありません。あるのは違いだけ。皆さんにはそれに真正面から堂々と向き合う人になってほしい。そしてたくさんの友人を作っていってほしい。それが私の願いです。

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