No.48 生徒たちのキャリアについて

 キャリアの意味はいろんな言い方ができるのでしょうが、ここでは「自分の生き方、生き様」としておきたいと思います。生きるために大切なものなのですから、元々キャリアというものは人から教わるものではなく、自分で必要性を感じ積み上げていくものでした。少なくとも私が高校生大学生の頃はそんなものだったように思います。といって昔の若者がしっかりしていた、ということではなく、社会全体に余裕があったので若者の生き方に対して寛容だったということです。随分と回り道をしても少々失敗しても未熟でも大人たちは「それもいいだろう。」と待ってくれていました。今とは隔世の感があります。

 昔の若者は、もともと自分に備わっている適性や能力が分かっていて、それにピッタリの天職を探すことができた、というのでもありません。むしろ逆です。とにかく、まず職につく(今のシューカツほど大変ではなく、新卒一括大量採用でした)。するとそのうち自分の適正や能力が磨かれて、その道のプロになっている。こんな道筋でした。そして、それを社会全体が柔らかく認めていました。理由はひとつ、世の中のほぼ全員が、今日より明日の方がもっと良くなる、と確信していて余裕があったからです。全体に寛大な世の中でした。今みたいに「早く自分のなりたい将来を決めなさい。でないと競争に勝てない。」なんて言いません。ところが今は、早く一人前になってもらわないと若者はもちろん周りのみんなも困るのです。社会全体に余裕が無いからです。何故そうなってしまったか、それは今日のテーマではありませんのでこれ以上触れませんが、このながれは多分もう誰にも止めることはできません。

 さて、今の若者たちが余裕を失った環境下で早くキャリアを積むことを要請されていることが分かったと思います。ですから、私たち教員も生徒が困らないように、やっぱり「早く自分の目標を持て。将来のビジョンを持て。」と言います。しかし、キャリアや目標や将来のビジョンは本来、人から急かされて持つものでないことは先程も言ったとおりです。そこは今も昔も変わらないと思います。ですからキャリアについて忘れてならないことは、まず、適正とは探すものではなく、試行錯誤のすえ潜在していた能力が開花し結果的に備わるものであって、最初から適正探し・自分探しをしても多分見つからないということ。

 次に、才能と適性は必要に迫られた時の方が開花しやすい、ということ。逆に必要に迫られる場所にすすんで身を置かないと開花しにくいということです。例えば、英会話学校に通っても外国人との会話に自信が持てなかった人が、海外で数年仕事をすると、必要に迫られてあっという間に自信を持って話せるようになったという話。よくあります。

 更に才能と適正は、人の幸せにつながっていること、のほうが開花しやすい。自由競争を勝ち抜き、もっぱら自分の利益になるだけで周りの人をちっとも幸せにしない才能や適正に、私たちは本当の満足や敬意をもてないからです。私たちは、この3つのことを踏まえた上でキャリア形成していかなければなりません。本来あるべきキャリアの積み上げ方を生徒と教師と保護者みんなが理解したうえで、丁寧に考えて行く必要があると思い

カレンダー

2024年4月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30