No.47 格差社会と高校生

 格差社会の拡大を多くのメディアが取り上げるようになったのは、2011年の「ウォール街を占拠せよ」運動からではないかと思います。もちろん源流を辿れば、格差社会は人類の歴史と共にあるのですが、昨今使われている文脈でいえば、18世紀のイギリス産業革命を起点とする近代資本主義の成立あたりから始まるという解釈が正しいように思います。おそらく、資本家が労働者の生み出す付加価値を独占搾取する、という二項対立の構図から始まったのでしょうが、当時はそれのどこが悪いんだ、というくらいの社会認識だったのではないでしょうか。

 しかし近代民主主義の発達過程で、基本的人権や労働者の権利が法の力を得て、資本家を抑え込んでいきます。その結果、資本家は労働者の生み出す付加価値を独占できなくなり、その多くを労働者に還元していくという(社会全体としての)トリクルダウンが機能し始めました。そして資本家と労働者の格差は縮まり中間所得層が増え、有史以来最も格差の少ない社会を形成していくことになります。ただ本来は、資本家がこれを黙って受け入れるはずがないのですが、マルクス=エンゲルスの説く共産主義革命勢力の台頭(ソ連、中共)が抑止力となって、この穏やかで安定した「羊の皮を纏った資本主義」が続くことになりました。もちろん資本主義の世の中なので需要と供給と在庫と金利の兼ね合いで景気は大小の変動を繰り返しますが、全体としては格差の少ないまま、労使みんなで喜びも苦しみもシェアしながら頑張れる時代でした。数年前ブームになったピケティ教授風に言えば、人類史上、みんなの所得成長率が金持ちの資本収益率を上回った唯一の時代でした。

 ところが、資本家の欲望を封じ込めていた東西冷戦が両陣営の財政を疲弊させ、対立の象徴であったベルリンの壁が1989年崩壊。これをきっかけに(資本の蓄積に劣る)共産主義陣営が守勢にまわると東欧諸国の自壊が始まり、それは本丸のソ連の解体にまで突き進みました。また、もうひとつの本丸の中国も修正的社会主義へと転換し、資本主義化を遂げました。ここから資本主義の巻き返しが一気に始まります。最初は英国のサッチャリズムや米国のレーガノミクスからだったと思います。日本でも小泉構造改革と呼ばれた資本主義の巻き返しが猛威を振るいました。しかし、本当の脅威の始まりは2008年のリーマンショックからだったように思います。あまりに激しい世界規模でのバブル崩壊・信用収縮ですべての国が破綻寸前となりました。こうなるともういけません。法がどうのこうのと言っていられなくなり、法の骨抜き化が一気に始まります。それを世間では「規制緩和」「聖域なき構造改革」と言い換えていたように思います。ここで我慢に我慢を重ねていた資本主義が羊の皮を脱ぎ捨てて狼の本性をむき出しにします。つまり仁義なき自由競争です。(フリードマンを引っ張りだし、新自由主義の時代が来た、という論調が多かったですね。)労働者の権利は企業の倒産危機という脅しの前になすすべもなく蹂躙されていきました。生き残りをかけたコスト競争の為に、企業はヒトもモノもカネも最安値の生産地を求め国境を越え移動を始めました。規制緩和が(つまり、法が)それを許しました。ITとロボットがその動きを技術的に支えました。生産基地になれるのは、最もコストの安い場所だけ。それ以外の場所はゴースト化するか、最も安いコストに合わせて貧窮への道を歩むかの二者択一。それを免れる企業は特別な技術かノウハウを持ったトップ企業だけ。免れる個人は、ごく一握りの特別な技術か才能をもつスペシャリストだけ。つまり、みんながめざせる目標ではなくなり、ここから本格的な格差社会が幕を開けることになりました。

 そんななか、若者たちには、そして高校生たちには、グローバル人材として「外国人に負けない知識と語学力と行動力」が求められるようになりました。仁義なき国際的自由競争を勝ち抜くための有効な方法は、国際言語である英語を操り、日本の技術力とホスピタリティを世界に売り込んで外貨を稼ぐ人材の育成とされ、この文脈が大手を振って語られるようになったのが、リーマンショック以降のことでした。ただ、先ほど申し上げました「ウォール街を占拠せよ」以降は、このあまりにも一面的な錯誤はさすがに修正されてきたように思いますが、それでも未だに同じ文脈で語られる議論も繰り返されているようです。

 随分、前置きが長くなりましたが、では私たちが育てなければならない人材とは、どのような人材なのでしょうか。ひとつは、やや食傷気味ではありますが、世界を相手に戦えるタフなグローバル人材です。この人材がいないと日本は世界的な外貨獲得競争に敗れ、国力を失っていくでしょう。ふたつめは、グローバル人材が獲得してきた外貨を国内で活発に循環させる仕組みを考えることができるイノベーティブな人材です。この人材は、外国人を日本に誘致して外貨を落とさせることもできる内需型グローバル人材、つまりグローカル人材です。そしてみっつめが、このグローカル人材を支える地元大好きなローカル人材です。ひとりひとりが地域社会で専門性を身に着けた役割を担っています。専門性というのは、独立自営業者であろうがサラリーマンであろうが、いざとなったら自分でモノやサービスを作りだす力がある、というほどの意味です。餅は餅屋になれる人材、とでも言い換えましょうか。

 昨今、否定的に語られるようになってきた「グローバル化と自由競争」ですが、それはそれで間違いだと思います。格差社会の原因はグローバル化でも自由競争でもITでもロボットでもなく、その結果得られる富を独り占めすることができるルール、あるいはそれを許す法のゆるさだと思います。仁義なき自由競争に免罪符を与えてきたトリクルダウン(=強者から弱者への富の滴り落ち)は大方の予想通り起こらなかったのですから、まずは世界中で富の独占を締めあげてほしいところです。私たちの多くの平凡な子どもたちの未来のために・・・。

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