No.50 微分積分は役に立つのか(2学期終業式 式辞)

 この間まで、日テレ系で「先に生まれただけの僕」という学園物ドラマをやっていました。私も見ていたのですが、その中で是非皆さんに話したい、と思うことがありましたので、今日はそのことについてお話したいと思います。2年生3年生には以前同じようなことを話しましたが、こんな話です。

 民間企業からやってきた校長役の桜井翔君が数学の授業をやった後のこと、「関数や微分積分は社会で役に立ちますか。」「社会人になっても全然使わないものを勉強して何の意味があるんですか。」と生徒たちが質問します。この「学校の勉強になんの意味があるんですか。」というのは、私も高校生の頃そう思っていました。桜井君は「いい大学に進学して、いい会社に入って安定した人生を送るため」というような回答をしていました。間違っているわけではありませんがあまりピンときません。もうひとり若い先生が「深く考える力をつけるため」と言っていました。これも少し分かりにくい気がします。では、社会に出てから使わない勉強に何の意味があるのでしょうか。

 答えはとてもシンプルです。つまり、アタマであれカラダであれ日頃からトレーニングして鍛えておかないと、イザと言うとき役にたたない、ということです。毎日をただ暮らすだけなら、アタマもカラダもトレーニングしなくても何とかなるでしょう。あるいはイザということが起こっても他人任せ。自分では何もせず、好きか嫌いか・気持ちがいいか良くないか、で物事を決めていくというのなら、やはりトレーニングは必要ありません。人間は怠け者にできているところがあって、イザということはできるだけ避けて、今まで通りという道を選びがちです。アタマもカラダも使わなくて済むから楽なのです。でも残念ながら楽な方法は、イザと言うとき使いものになりません。そんな時困らないよう、アタマもカラダと同じように毎日トレーニングしておく必要があるのです。

 ですから、学ぶ内容も大切ですが、実は「学ぶ過程でアタマがどれくらい動いたか」がより重要になります。動かす方法はたくさんあるでしょう。それを高校生という段階では、国数英理社芸術体育という教科を使ってやるのがベストと考えているだけで、社会で働きだしてからも使える実学は19歳以降に学ぶよう準備されているだけです。そしてその実学を学ぶため、アタマを動かしながら基礎基本の知識をひとつでも多くインプットしていくのが高校時代、という言い方でもいいかもしれません。より多くの知識からより深い思考が生まれ、それを使って社会で直接役に立つ勉強をする。こんな感じでしょうか。

 結論として、微分積分を社会にでても使う人は一部の専門職くらい、あとの人は全く使いません。ちなみに私は使ったことがありません。だからみんながスラスラ解いている微分積分の問題も今は解けません。しかし関数や微分積分を学ぶとき培った「知識を用いて推論する力」は人生のあらゆる局面で役に立ちますし、またそれ以前に、人間のアタマを活性化させていますから、自分で物事を判断することができる、そこが何より大事なのです。ですから、今みんながやるべき勉強は(=アタマのトレーニングは)国語であり数学であり、つまり学校の勉強です。しっかり勉強して強いアタマを作っていってください。そしてその先には、また違う勉強が待っていますので、そこをしっかりと理解しておいてください。

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