No.55 5年目の校長

 着任から4年が経過し、私の日根野高等学校長としての勤務も5年目となりました。私自身は本校8代目の校長ですが、任期付という出自でもありますので、プロパーの校長先生方とは少し違う経過をたどっているかもしれません。

 初年度は、ただ夢中に走り抜けた1年でした。校内のことであれ校外のことであれ全てが初めてで、周りの方にハラハラドキドキさせ通しだったのではないかと思います。しかしながら、知らないということは強いもので、普通であれば目配り気配りのすえ、全体を考えて思いとどまるようなことも(気が付かないから)やってしまう。そのようなことも縷々あったと思います。一番記憶に残っていますのが、泉佐野市との教育人材に関する協定締結。勿論、意味があったと思っていますが、普通は考えてもまず実行しません。協定を結びそれを維持することがどれだけ大変かが見えるからです。これなどは、現実がよく見えていないからこそ、実行できたとしか言いようがありません。

 そのかわり、2年目からは(良くも悪くも)いろんなものが見えるようになってきます。怖い思いもたくさんするようになってきます。目線が上がってくるので壁の向こう側も少し見えるようになります。こうなるともう段々普通になってしまいます。現実が見えるので無理をせず、準備と段取りに手間をかける2年目でした。そして3年目。任期付校長にとってはあっと言う間の最終年度になります。

 3年目は仕上げの1年。私の任務の要点は「普通科専門コース設置校への円滑な移行」でしたので、その総仕上げでした。着任時、既に大きな図面は引いてありましたので、それを実現させるための具体的な戦略を立て実行する、そのための3年間だったように思います。具体的には、キーワードをいくつか言語化し、実現に向け行動し続けました。列挙してみます。

 2つの価値観、進学校回帰、グローカル人材開発、地元行政との教育連携、医療特区構想へのコミット、ひねのプログラム、キャリア・シンキング、ICTフレンドリー、ビブリオバトル優勝。

 ここでの説明は控えますが、これらのキーワードを基礎基本とし、徹底した繰り返し戦術をとりました。また、このような本校のポリシーに相応しい生徒の入学を促進するため、初年度から中学校と学習塾訪問を続け、常にトップセールスを続けてきたように思います。

 本来、3年で私の任期は終了するのですが、府からのお声かけもあり、昨年4年目を向えることになりました。これは特別ボーナスをいただいたようなもので、私は3年間ずっと思い続けていたことに取り組むことができました。それは、カリキュラムの見直しです。日根野高校は総合選択制から3年かけて普通科高校に移行したわけですが、カリキュラムの転換が遅れていました。制度移行が完了し成果の検証ができるまでは、既に作り込まれたカリキュラムに一定縛られており、全面的な見直しは次の校長の仕事だと思っていました。しかし思わぬ時間をいただき、一気に手を入れることにしました。なんと言っても、学校方針はカリキュラムに反映されます。カリキュラムは嘘をつきません。「もっとシンプルに、もっと自由に、もっと深く」を合言葉に大きく修正しました。結果、学校の脊髄部が変わったといっても過言ではないでしょう。

 そして、5年目の校長。進学校へと大きく舵を切った日根野高校は、ほっこりとした柔らかな校風を残したまま、難関大学に毎年一定数の生徒を高い確率で送り出す仕組みと、看護医療系・保育系人材輩出校としてのプレゼンスを持つ中堅公立高校をめざし歩み始めています。そして、その方向性をあらゆる意味で確定したい、そういう1年にできればそれが目標とするところです。

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