阪神淡路大震災から30年を迎えて
1995年1月17日、5時46分。阪神淡路大震災で6434名もの尊い命が失われました。震災から30年が経った今でも、あの日の出来事は決して忘れることはできません。
当時の私は24歳で、教員1年目のお正月を迎えたばかりでした。毎日の授業準備に追われる日々の中で迎えたあの朝、まだ起床のアラームが鳴る前の5時46分、突然の大きな揺れに襲われました。部屋から慌てて飛び出し、家族の安全を確認したことを今でもはっきりと覚えています。私の居住地では震度4の揺れでしたが、家の中の本やテレビが落下し、地震への備えが全くできていなかった自分を悔いる出来事となりました。
時間の経過とともに、テレビや新聞で甚大な被害の状況を知り、「教師として自分に何ができるのか」を深く考えさせられました。当時勤務していた学校には兵庫県から通学する生徒が多く、同僚の先生と共に西宮市の避難所を訪問しました。そこで目にしたのは、想像を超える被害と避難生活を余儀なくされた人々の姿でした。命の尊さ、地域の絆、そして備えの重要性を痛感し、肩を落としながら帰宅した日のことを今も忘れません。
震災の記憶を風化させることなく、地震に対する備えをしっかりと行い、自助・公助・共助が機能する社会を築くことが私たちの使命です。個人として、学校として、地域の仲間として、今自分にできることを全力で取り組んでいきます。
この30年の節目に、改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、震災の教訓を次世代へ伝えていく決意を新たにしました。