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いよいよあと一週間!でもその先はもっと大切ですね。

いよいよセンター試験まであと1週間です。

 

3年生はこの三連休を有効に活用して、最後の1ふんばり頑張ってください。

 

 

話は変わりますが、正月休暇中にある心理学系統の書籍で知ったのですが、ある国家のある自治体で学力低下の対策として「書籍を1冊読んだ子どもに現金を与える」という取組を行ったそうです。

結果は学力を伸ばすことには直結しなかったのですが、これはなんのために"学ぶ"のかという根源的な問いに結びつく興味深い現象だなぁ・・・と思いました。

教育が社会的な課題として捉えられているということは、教育という行為が社会的に大きな存在を持って受け入れられている証拠だと思います。ゆえに社会を支えている大人たちは社会的な課題を次世代に解決できるよう教育していくわけです。

結果若者に要求されるのは"今"社会に欠如している能力プラス従来の世代の持っていた良いとされる要素となります。この場合にトレードオフの観点は働いていない、もしくは働きにくいと思います。

私は今1年生と主に接していますが、彼らがこれから社会から要求されていることがあまりに多様すぎるように思ってしまいます。人間の可能性は無限大だと思いますが、能力には限界が存在すると思います。

そのような中、これからは選択が重要になってくると私は思います、そして他者の選択を理解し、その選択をつなぐことができるというスキルを持っている者が真の意味でのリーダーシップを持った次世代の柱となっていく時代なのではないかぁと思います。

 

投稿者
1211
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教育が国全体で認められているというのは先進国である証拠ですよね。

英語が喋れて当たり前って何なんでしょうね?

投稿者
J.H
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まずはコメントありがとうございます。
これは私の個人的な意見です。高校の総意ではありません。ご了承ください。
まず教育が国家全体で価値共有されているということが先進国である証拠という意見ですが、私も3分の2は同意します。ですが残りの3分の1は同意しません。
理由は教育の価値について統一的な見解を持つということは民主主義国家としては危うい価値統一だと考えているからです。現時点において民主主義に変わるシステムがない(と考えられている)以上は先進国=教育の価値が総意として認められている国家という図式は好ましいのですが、危うさを秘めていると感じてしまうのです。

次に“英語”が話せて当たり前とは?という問いですが、私の解答は2つあります。
1つ目の解答ですが、これはグローバル化とどのように向き合うか?という問いと重なっていると思います。
一般的に英語が話せて当たり前という概念を要求しているのは、多国籍企業であったり、日本の経済界であることが多いです。彼らは日々国際競争にさらされているので、中国や韓国といったアジア諸国の若者の職業訓練ならびに受験戦争を勝ち抜いたハングリーさに脅威を感じています。
それは日本の若者にはほとんどの場合は備わっていないからです。
そしてそれは「そのように教育していない」からです。
だから競争したくても俺たちは大きなハンデを抱えているんだ。少なくとも既存のカリキュラムに存在する英語くらいは自分のモノにさせて社会に出てきて当たり前じゃないか?というのが英語くらい話せて当たり前じゃない現状がおかしいんだ!!といういわば憤りに近いものだと考えます。

投稿者
J.H続き
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2つ目は「世界のグローバリゼーションは止まらないんだ。世界で日本語が通じるのは日本だけ、でも英語は世界100カ国以上で通じる言語だ、グローバリゼーションを受け入れないということはこれからの人生に大きなリスクを抱えることと同じである。だから英語は自分の可能性を担保する上で絶対に必要なのだ!」という考え方の噴出ではないでしょうか?

世界第2位の経済大国だった日本が次々と追い抜かれている現状に焦り、そして恐怖する大人たちの焦燥感にも似た感情とも受け取れる感覚を受けなくはないですが・・・

追伸:私は多くの国を学生時代に旅しましたが、英語が少しできただけで世界は広がりました。だから「英語が話せて当たり前」という表現に少しイラっとしますが、自分がこれから生きていきたい方向を広げるという意味では英語が話せて悪いことはないと思います。

投稿者
1211
コメント


丁寧なご回答ありがとうございます。
しかし、大変申し訳ないのですが教育についての部分の「危うさを秘めている」ということがどういう意味なのかが分かりませんでした。