第35回卒業証書授与式

 生憎の雨模様でしたが、本日、無事に第35回卒業証書授与式を挙行することが出来ました。35期の生徒たちは素晴らしい立ち居振る舞いで、卒業証書授与式に臨んでくれました。この後、進路はさまざまですが、それぞれの舞台で輝いてくれるものと確信しています。

 以下が私の式辞です。生徒諸君は非常に真剣な表情で話を聞いてくれていました。

「まだまだ朝は冬の寒さを感じますが、暦の上では、立春・雨水が過ぎ、春の訪れを感じる季節となってまいりました。35期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、これまで成長を見守ってこられた保護者の皆さま、本当におめでとうございます。あとさきになりましたが、本日、地域や中学校のご代表をはじめ、多くの来賓の皆さまにご臨席いただきました。卒業生の旅立ちをともにお祝いいただきますことを、高いところからではありますが、心から御礼申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん、皆さんとは2年間しか時間を共有できませんでしたが、たくさんの元気をもらいました。ありがとう。夏の野球部の頑張り、サッカー部・陸上部・男子バスケットボール部の試合も見せてもらいました。地域の祭りなどで素晴らしい演奏を聞かせてくれた吹奏楽部・軽音楽部、いろんな場面でキレッキレのダンスを披露してくれたダンス部、アクティブな活動をしてくれた鉄道研究部。美術部や書道部の高校展も行かせてもらいました。他の部活動もみんなよく頑張ったと聞いています。体育大会では、各団の応援パフォーマンス、素晴らしかったです。阿武高祭では、3年生全クラスが素晴らしい舞台を見せてくれました。ありがとう。高校生活で、今を精一杯生きて、誰かを支え、誰かに支えられたのではないでしょうか。今を精一杯いきること、誰かを支えること、そんな話を卒業に当たって、皆さんと初めて出会った時にも話しましたが、もう一度伝えたいと思います。

 今から9年前、2011年、平成23年3月11日、午後2時46分、マグニチュード9の大地震が東北地方を襲い、2万5千人を超える人が、死亡または行方不明になりました。東日本大震災です。その地震が起きた2か月半ののち、私は仕事で、岩手県に3週間、被災地支援に行きました。津波に襲われた現場は、辺り一面、まるで空襲の後の焼け野原、ショッキングな光景が広がっていました。そこで毎日毎日、避難所を回って、必要な支援物資を届ける仕事をしました。

 避難所で知り合った20代の男性に、大阪に帰る直前にこんな話をしました。『大阪の高校生に何か、伝えたいことはありますか』。彼は『今を大切に生きて欲しい』と言いました。なぜそんなことを言うのか。彼には高校時代から付き合っている彼女がいました。高校卒業後もずっと付き合っていて、二人とも結婚を意識していて、そろそろプロポーズをしようと考えていたそうです。明日しよう、...でも仕事が忙しくて、また明日にしよう、...でも友人との遊びに行くのを優先して、そして、3月10日の夜、明日の仕事が終わった後にデートすることになってる、夕食を食べることになってる、その時に言おう...と思っていたら、あの大地震が起きました。彼女は津波にさらわれてしまい、亡くなりました。 彼は悔やんでも悔やみきれないと言います。当たり前の明日が来るとは限らない。明日の行方はわからない。だからこそ、今を大切に。今出来ることをしっかりと取り組んでほしい。

 被災地で出会った人の話をもう一つします。現地には、大阪からも多くの人が支援に来ていて、そこで出会った高槻市の職員さんがこんな事を言われていました。『私の仕事は戸籍や住民基本台帳の復元です。全ての戸籍や住民票の台帳が津波で流されたので、現地の人に聞き取り調査をして、一から名簿を作り直してます。被災した沿岸部には宿がないので、内陸部の宿舎で寝泊まりしてます。朝の5時に起きて、6時には宿舎を出て、車で8時前には被災地の仮庁舎に入り、夜の11時まで仕事をします。肉体的には大変だけど、誰かの役に立っていると思うと、頑張れます』。他にもたくさんの支援者と出会いましたが、皆さん、『誰かを支えている、誰かの役に立っていると思うと、元気が出てくる』『自分のためなら、こんなに頑張れない。他の人のためだから、頑張れる』と言われていました。そうです、人間は自分のためだけでなく、誰か他の人のために頑張る方がはるかに力を発揮できるのです。皆さんも高校時代、支えてくれる友がいて、あなたが支える友がいたのではないでしょうか。

 卒業生の皆さん、どうか、今という時間を大切にしてください。そして、誰かの役に立ったり、誰かを支えることで、あなた自身も元気になって、今まで以上に成長してください。10年後、20年後、皆さんがその時その時を精一杯生きて、誰かの役に立ち、誰かを支えることで、幸せになっていることを願って、卒業生の皆さんへのはなむけの言葉とします。」