夏休み明けの講話

~ 強い相手とのつき合い方 ~

 リオデジャネイロ・オリンピックが閉幕しました。今回、同じ競技でもいろいろな戦い方があること、その多様性を特に柔道を見ていて感じました。よくある組み手争いは時間の無駄だと思うのですが、モンゴルの選手はきちんと組みます。これはモンゴル相撲の伝統があるからだと解説者が言っていました。同じ競技を通じて、互いの底にある文化が競い合っているような気がしました。

 さて私は、南九州の「飫肥」に行ってきました。飫肥は江戸時代には5万石の小さな藩で、隣に70万石を越える薩摩藩がありました。飫肥の産業は林業のため、山の領有をめぐって薩摩と国境争いもあったようで、小国の飫肥の人々は苦労したようです。こんな時、どうしたらよいのでしょうか。まともにぶつかったら負けそうな相手と、どのように交渉しましょうか?結局、飫肥藩は幕府に訴え、幕府の力を借りて領土を守ったという歴史があるようです。

 この飫肥出身の小村寿太郎が、日露戦争の時の「ポーツマス条約」の交渉に大きく係ったのでした。日露戦争について、日本では「勝った」ということになっていますが、日本にはもう余力がなく、一方ロシアは負けたと思っておらず、まだ国力に余裕があったようです。日本はアメリカ大統領・セオドア・ルーズベルトの協力も得て、何とか条約締結に成功したといったところでしょう。ちょうど、小藩・飫肥が幕府の仲立ちを得て、薩摩に立ち向かった時と同じ図式です。飫肥の博物館には、飫肥出身の人材だからこそ、小村は難しい交渉ができたのではないか、と書いたものがありました。江戸時代には日本全体に250以上の藩があり、それぞれ自治をし、独自の教育システムを持っていました。同じ儒学でも、朱子学と陽明学では基本的な考え方が違います。武術の流派や戦争のやり方・軍学など、各藩ごとに全部違っていたのでした。そこで特色ある基礎教育を受けた多様な人が東京に集まって、明治期、内政に外交に自分の得意な分野で腕を振るい、新しい日本を作ったわけです。創造的な、しかし大変な仕事だったと思います。

 今はどうでしょうか。東京出身で東京の大学を出た人が主流で、さらに世襲の人が政治を動かしている印象もあります。そもそも同じカリキュラム、同じ年限で受験勉強をして「難しい大学」に入り「出世」のきっかけをつかんで行った人々の間に、地方出身者を含めて、価値観の多様性はほとんど見られないでしょう。

  そう考えると、今こそ、「定時制の出番」ではないでしょうか。自分の生活基盤や体験を元に、世の中のいろいろな事、仕方がないと思っていることを、改めて考えなおしてみたり、発言してみたりしてはどうでしょうか。秋季発表大会の「生活体験発表」はそんな場でもあるのです。よりよく、より深く考えるための基礎を、授業を通じて身につけてください。真剣に学業に取り組んで行きましょう。